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人生には何の役にも立たない知識・思考をつらつらと書くエッセイ集

一夜漬けの思い出コーヒー

作者: 大狼 太郎

 学生時代、試験前に一夜漬けの勉強をしていた時のお供はコーヒーだった。



 一夜漬けとはその名の通り、一夜にして必要な勉強を完了し、試験を最小限の努力で突破しようとする、浅はかな思慮しりょから生まれる究極のずぼら行動である。


 試験とは本来、普段から努力し積み重ねてきた勉強の成果を問われるものであるはずだ。

 人が日常より努力を続け、苦学くがくを積み重ね、実力をつけた成果を測るためのものである。


 だがしかし、一夜漬けを行う者は、そんな遠謀深慮えんぼうしんりょなどマリアナ海溝(注1)より深い穴に捨ててしまっているものだ。


 必要最低限の努力で最大限の結果を得ようとする、その短慮たんりょによって自己の成長の機会を自ら捨て去る事に薄々気づいてはいるものの、そんな長期的な視野に立つよりも、短期的に得られる報酬ほうしゅうのみを重視し、必要な努力を置き去りにし、目の前の定期試験をクリアするという結果のみを求めるのが、一夜漬けを行う人間の心理である。


 聡明そうめいな人間には理解できない所業しょぎょうであるが、一夜漬けなる言葉が昔から使われている言葉であることを考えれば、古来より人間とは継続的な努力よりも楽をして結果を得たいと思うのが普通なのだろう。



 話を元に戻そう。一夜漬けのコーヒーの話だ。



 さて、一夜漬けのコーヒーに求められるのは、味でも、香りでも、落ち着いた豊かな時間でもない。


 単に、カフェインがたくさん摂取せっしゅできればいい。眠けざましとしての機能さえあればいい。それだけを求められるのが一夜漬けのコーヒーである。


 賢明けんめいから大きく外れた頭を持ち、結果のみを求める私のような人間が求めるには最適の物だ。



 さて、カフェインさえ取れれば良いとはいえ、そのために何杯もコーヒーを飲めばトイレが近くなる。勉強中に何度も席を立っていては効率的な勉強とは言えないだろう。


 今までの経験からそう考えた試験前の私は、一杯のコーヒーをとても濃くする「濃いヒー」なるものを発明した。(誰でも考え付くと思った諸兄しょけい、野暮は言いっこなしである)


 まず用意したものはとても溶けやすいインスタントコーヒーだ。


 金色のふたが光る黄金色のインスタントコーヒーはこの場合は向かない。溶け残りが出来るからである。

 研究の結果、黒いふたでとても細かい粒子が入っている某インスタントコーヒーは、相当溶けやすい事が判明した。濃いヒーのベースはこれだ。


 あまりにも濃い濃いヒー(けしてゴイゴイする某漫才師のネタではない)をブラックで飲むにはいささか不安があるので、クリームパウダーもたっぷり用意した。


 一夜漬け一日目。

 マグカップに入れたお湯に、カレースプーンに山盛り3杯を投入した濃いヒーを作った。クリームを入れて、少しでもまろやかにと小さな努力。一口飲む。


 …………はっきり言って、にがくて飲めたものじゃない。嫌いな人がコーヒーを「黒い泥水」だと揶揄やゆする事があるが、まさにそれを体現たいげんした飲み物である。


 しかし一夜漬けに必要なのは高濃度のカフェインであって、美味しさや豊かな生活ではない。にがくてマズイこげ茶色の液体を口に含み、私は目のまえの課題に取り掛かった。


 次の日。試験はまだ続く。

 前日の夜更かしで睡眠時間は4時間ほど。眠い目を起こすために濃いヒーの濃度を上げる。カレースプーン山盛り5杯を投入し、クリームも2杯に増やす。一気に泥水度が上がる。一口飲んでは顔をしかめ、二口飲んでは吐き気を我慢する。


 取り合えず、勉強は何とか乗り切った。胃の中がググっと痛い気がするが、気のせいだ。


 3日目。

 2日で8時間の睡眠。そろそろ睡眠不足ハイと眠気のダブルクロス(注2)になってきている体をしゃっきりさせるため、マグカップにとにかく溶ける限界のインスタントコーヒーを投入する。


 3杯……5杯……7杯。7杯入れても溶けるのだなとしょうもない感想を考えながらクリームを2杯入れ、クルクルとかき混ぜてマズイであろう泥水をごくっと飲む。


 濃いヒーが裏返った。(注3)


 不味くないのである。むしろ口当たり優しく、ごくごく飲んでも行けそうだ。 これが睡眠不足によるハイテンションの結果なのか、それとも苦くなり過ぎた濃いヒーを舌が関知しなくなったのかは分からないが、主観的に飲みやすい事はとても重要である。


 その日は7倍界お……ではなく濃いヒーを2杯のみ、それでも眠い目をこすりながら勉強した。


 4日目。

 最終日の勉強の為、粉をこれでもかと入れて、10倍濃いヒーを作る。

 やはり不思議な事に、とんでもなく濃い泥水のはずの10倍濃いヒーは、何故か美味い。脳を活性化させてくれ、暗記の為に繰り返す単純労働をハイにする。

 脳は限界を迎えていたはずながら、濃いヒーのおかげで私は何とか試験を乗り切った。


 3杯5杯だとマズかった濃いヒーが、7杯を超えたところで味が変わる。この大発見の後、私は3年間の試験勉強を10杯濃いヒーに支えてもらった。大変ありがたいことだった。





 さて。

 そろそろ勘の良い聡明な読者の方は、この話の危険性を感じてきているだろうか。



 先日、私は興味本位で「色んな食品の致死量」というネットの記事を読んでいた。普段食べ・飲んでいる食品も、短時間で大量に摂取すれば毒になるよ、という話である。いくつかピックアップしてみよう。


 塩     : 200g

 砂糖    : 1000g

 醤油    : 1000ml

 ビタミンC : 錠剤7~800個

 ナツメグ  : ティスプーン数杯

 

 成程、普段何気なく摂取している食品も、一度に取りすぎれば致死量になる。ナツメグって結構危険なんだあ、などと思ってしまう。


 さあ、問題のコーヒーだ。


 コーヒー  ; 5リットル~7リットル


 …………5リットル。5リットルである。意外と少ない。


 ここで、私が試験中に飲んでいた濃いヒーを思い出そう。

 10杯濃いヒーはマグで200ml。10倍すると2000ml、つまりコーヒー2リットル換算だ。2杯飲めば4リットル分…………


 ほぼ致死量である。



 濃いヒー一杯は


 ビタミンC錠剤を320個一気飲み。

 しょう油400ml一気飲み。

 砂糖400g一気食い。

 塩80グラムを口に頬張って一気に飲み込む。


 くらいの危険な行為である。あ、ナツメグならスプーン1~2杯?


 

 楽して試験を通過しようという、ずぼらな生き方を貫くためだけに、文字通り命を懸けた所業を繰り返していたと思うと……

 この青春時代の行為を思い出した私は、背筋が凍ってしまったのだった。



 皆さん、一夜漬けはいけませんよ。一夜漬けは。


(注1)マリアナ海溝

グアム島、サイパン島を含むマリアナ諸島の東にある、世界で最も深いと考えられている海溝。海溝とはその名の通り海底にある溝で、深さは10980メートルほど。なろうに生息する人間は、世界で一番という言葉に敏感に反応する。


(注2)ダブルクロス

 テーブルトークRPGのシステム名。日常を送るプレイヤーキャラクターが、あるウイルスに感染し異能力者となる。その異能力を使って、人の日常の幸せを守っていくという設定のRPGである。なろうではこのダブルクロスのリプレイを投稿しても良い事になっており、どうやら版元と良好な関係を気付いているようだ。ちなみに本文で採用したのは語感のみを重視した為、深い意味は無い。


(注3)毒が裏返った

リアル系非リアル格闘漫画の金字塔で使われた、界隈では有名な言葉。深刻な毒に侵されたまま格闘技の試合に臨んだ選手が、その試合で毒手の使い手の攻撃をさらに受けた事で毒が裏返り(?????)、何故か回復するというトンデモ理論。しかし、とんでもない勢いで進む漫画の圧倒的な画力で何故か読んでいる読者は納得してしまう。筆者も大好きである。

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