静かな午後
1
西日へ傾き始める時刻、堂坂夫人は客人をもてなすための準備で客間の掃除を済まし、テーブルにはティーカップを人数分用意しているところだった。
夫の弟子というか、後輩がひさしぶりに訪ねてくる。最近では自宅にいるときは執筆中の本のことで頭がいっぱいのようでろくに会話することもなかったが、今朝はお客のもてなしを改めて頼まれた。あの店のケーキが食べたいや、あのケーキにはあの紅茶だ、などしまいには一緒に行くと言い出しケーキと茶葉を買いに行った。2人で外出なんて久しぶりだった。
いつもお客様の応対に関してあれこれ言う人ではなかったが、どうやらそのお客と久しぶりに会うのがずいぶん嬉しいのか、表情や声色から感じられた。
2人で並んで歩くのも久しぶりで道中2人の結婚前の思い出話にまで話題が及んだ。
買い物から帰るなり、あとはよろしくと、また部屋に篭ってしまったが
そんなこともあってか今日は自分自身もなんだか気分も高揚しているようだ、気づけばいつもより念入りに掃除をしていたし、さらに気づけば鼻歌を口ずさんでいた。そんな自分を自覚してか、クスッと1人笑みを浮かべていた。
長い間共に連れ添い、仕草や表情、言葉の節々で主人の機嫌や心の抑揚を感じれるようになったのが一つの幸福でもあった。
難解な書籍を執筆し、メディアでのインタビューでも難しい言葉を並べている堂坂も。
ずいぶんわかりやすい人間であることに、婦人は微笑まずにはいれなかった。
思い返すと交際を申し込まれた時なども、なにやら難しい言葉で気持ちを伝えてもらったが、そんなことよりも緊張して言葉の抑揚も文節もめちゃくちゃな告白だった。
自分の書いた本が初めてコンテストで入賞し、デビューが決まった時もお祝いを言っても、内心大喜びしていただろうに、冷静を装っていたのを思い出した。すっかりどこぞの熟年夫婦よろしく目を見ればすぐにわかるというのに。
堂坂夫妻は学生の頃から交際が始まり、結婚したのは堂坂が作家として名を売る前だ。
婦人の両親がそんな2人の結婚を許したのも堂坂のそういう純粋さと真面目さを理解してくれていたからだろう。
客を迎える準備も一通り終わりあとは待つだけとなったが、来客の約束まではもうしばらくある、主人はこのまま時間まで部屋にこもっているつもりだろうか。
2
草間達が最寄りバス停に着いたのは午後2時を回ろうとしているところだった。
途中この辺りでは珍しく道が混んでいたらしく到着が遅れたが、すこし早めに出発していたおかげで約束の時間ぴったりに到着しそうだ。
道中、草間は姫咲の大学の講義の話や友達の話を一通り聞き流した後、携帯アプリで共通の趣味である将棋をしていた。
幼少の頃から2人は時間があれば将棋を指していたが、戦績はおそらく五分。昔は5つ下の娘に負けることはなかったが、ここ最近はずっと負け越している。
姫咲が高校生になり、勉強の仕方や分析力が向上したせいもあり一気に実力を伸ばしていたが今日に関しては奈由汰優勢の模様だった。
「さっきの将棋、途中だったけどたぶん俺の勝ちだよね」
奈由汰はあまり競争意識などは強くないようだが、姫咲との将棋に関してはすこしばかり悔しいようで、そんなことを聞いてくる。
たしかに昔は軽くあしらってあげていた相手がどんどん実力をつけて負け越していれば、あんまり良い気分ではないわね、と姫咲自身も分析していて、奈由汰にもそういう気持ちがあるのかと長年の付き合いながら、再発見した気分だった。
「久しぶりに完敗だったかもしれませんね、悔しいですけど」
「でも強くなってるよね」奈由汰はこちらを見る事なく答える
「最近私が勝ち越してたから、私たちけっこう良い勝負なんじゃないんですか」
「5年前からの戦績で46勝26敗、たしかに追い上げてきてるね」奈由汰は立ち止まりすこし思い出すような素振りをみせ、振り返った。
「え、数えてるんですか?5年前って私中学生ですよ?ちょっと大人気ない気がするんですけど」
「そんなことないよ、君が初めて勉強して挑んできて俺が油断して一敗してからのスタートだから。姫咲ちゃんの成長データとしては的確な数値だよ、5年で72戦、今年は8戦で今ので俺の2勝6敗。明らかに去年から強くなってるけど、俺もこの6連敗はけっこう悔しかったからね。勉強させてもらったよ」
とまた歩みを進め始めた。
妙に納得する話ではあるが、、やはり大人気ない。
あと10分ほどで堂坂邸だ。