地元の美味しいケーキ屋さん
久しぶりに立ち寄ったら美味しくて……。
自宅マンションから一階へと下りて、北側のエントランスを通ってマンションの広場へと出る。
今日は二月十四日。まだ肌寒い季節の風は冷たく頬をかすめていく。
補装されたコンクリートの道を左へ、右へ、葬儀場を右手に北へと向かう。すぐさま現れる信号のない小さな交差点を左に渡って、その道をまっすぐに歩いていく。
今日はバレンタインデーだ。好きな人にチョコを上げる日なんて、今ではもう古いらしい。現在では、義理チョコだけでなく友チョコ、ただの交換など、色々なバレンタインデーの楽しみ方がある。
あいにく、女の子からチョコを貰ったのは、小学生が最後だっただろうか……。チョコを貰ったあの時、バレンタインデーなんて知らなかったからホワイトデーに返し忘れたっけ……。
白い住宅を左手に、三人ほどが並んで歩ける道を行く。まっすぐ、まっすぐに。
昔に一度、たまたま見かけて立ち寄った地元のケーキ屋さん。手作りにこだわり、値段もそこそこだが、美味しかった。
でも、名前は知らない。適当に立ち寄ったあの頃は、スマホなんてなくて、ガラケーだった。緑の看板に書かれた英語か何かの文字は読む気になれなかった。いや、そもそも看板が分からなかった。
「…………」
初めて入るケーキ屋さん。人見知りの私は何度かその前を素通りした。隣のコンビニを過ぎて、曲がり角を曲がり、もう一度その道を通る。
眉を八の字にしながら、難しい表情をしながら、何度も通り過ぎる。
なにを買おう……。なんて言おう……。お会計とかどうしよう……。
人見知りと心配性が結婚するとこんな考えになってしまう。「悩む前に行動」したいけれど、当時の私にはこうして店前に来ることすら大きな一歩だった。
「ふー……」
ため息と深呼吸、緊張をかき消しながら、店の前で立ち止まる。
ショーケースに見える色とりどりのケーキ、シュークリームにカップに入ったプリンは、どれもとても美味しそうに見えた。
「…………」
それでも……やっぱり、入る勇気がないや。
両親と一緒に食べようと思ったけれど、コンビニでデザートでも悪くないかな……。最近のコンビニスイーツも、意外と美味しいものが多いし。クリームたい焼きとか美味しいし……。
なんて、自分に言い訳をしながら、踵を返そうとしたその時だった。
「良かったらどうぞ!」
愛想のいい女性の店員さんが、わざわざ外まで出てきて声をかけてくれた。
緊張していたせいか、私の声は少し裏返りながら「はい」と返事を返す。
入口をくぐると、店内の甘い香りが鼻を通っていく。それは並べられたクッキーの良い香りだった。
店内はショーケースの中にケーキが並べられ、右手から繋がる細い通路の奥には、イートインスペースが設けられていた。
入口の内側には、綺麗に並べられたクッキーやスポンジケーキ、チョコレート。ブリキの缶に入ったお菓子のセットなど、小さなお菓子の国が作られていたのを覚えている。
「なにかお決まりでしたら声をかけてくださいね!」
微笑む店員さんが素敵で、すぐに返事をしようと焦った私。パッと目についたものを指差しながら、
「あ、あの、これとこれとこれをください」
「ショートケーキと、モンブラン、チーズケーキですね。他はよろしかったでしょうか?」
人見知りが慣れない場所で尋ねられると、てんやわんやしてしまう。
その結果、ショーケースの中に目を泳がしては、再びパッと目に映ったものを口にする。
「プリンが三つと、シュークリームも三つくだぁさいっ」
言い終える少し前に噛んで恥ずかしい……。「だぁ」ってなんだ「だぁ」って……。
「はい、ありがとうございます。他はよろしかったですか?」
「はいっ」
もうこれ以上は許してください。財布の中身を確認していないんです……。
「分かりました。確認させていただきます。ショートケーキがお一つとモンブランがお一つ、チーズケーキがお一つに、シュークリームとプリンが三つずつでよろしかったでしょうか?」
「はい」
「ありがとうございます。ご準備いたしますので少々お待ちください」
「はい」
良かった……。ようやく終わった……。
「……」
……値段も見ないで父の好きなもの、母の好きなもの、自分の好きなものを選び。追加でプリンにシュークリーム……。
ま、まぁ、両親と自分へのプレゼントだし、少しくらい多くなっても食べられるだろう……。デザートは別腹というのは、うちの家では男女関係なし。美味しければなんでも食べるのがモットーだ。
「すみません、家までのお時間はどれくらいでしょうか?」
「えっと、五分くらい? です」
「かしこまりましたっ。保冷剤は入れておきますか?」
そんな、五分くらいで保冷剤なんて申し訳ない……。
「いえ、大丈夫です」
「分かりましたっ!」
愛想のいい店員さんに、少しだけ安心し始めた。
けれど、自分の注文した量をふと思い出して整理してみる。
ケーキが三つにシュークリームが三つ、プリンも三つって……。九人で食べるのかなとか思われたんだろうか……。男が買いに来るってパシリかなとか思われるんだろうか……。
「……」
男がケーキ屋さんに来るってやっぱり違和感があるしなぁ……。
イートインスペースで食べているのも女性だし、入らなきゃよかったかもしれない……。
でも、頼んだものは仕方がないので逃げることもできず、小さなお菓子の世界を眺めて現実逃避することにした。
綺麗にパッケージされたお菓子たち。クッキーの一枚一枚の顔がしっかりと見える包みは、本当にお菓子作りが好きな人が作っているんだろうなと感じる。
職人さんや、お菓子が好きな人が、この空間を作っているんだろうなぁ……。直接、伝える勇気はないけれど、すごい素敵なお店だ。
ショーケースのデザート以外にも美味しそうなのが並んでるし、また、入る勇気があったら買いに来ようかな……。入る勇気があればだけど……。
「お待たせしました!」
「あ、はいっ」
レジに慌てて近寄り、お会計を済ませる。
「お会計2150円になります」
「はい……」
うぅ……。コンビニで済ませておけば半額以下で済んでいたかもしれない……。
「こちらになります!」
「ありがとうございます」
丁寧に両手で持ち上げられた袋を受け取り、磁石が反発したかのように後ろへと振り向く。人見知りな恥ずかしがり屋には限界の距離だった。
すたすたと店外に向かって逃亡をはかる。
「ありがとうございました!」
「っ……!」
後ろから聞こえる店員さんの声に、私は少しだけ後ろを振り向いて会釈した。
お店を出て、ひとりで家路を歩く足はルンルンだった。誰とも喋らなくていい解放感に満たされつつ、手に持ったデザートが楽しみで仕方ない……!
「――――――ただいまー」
「あ、おかえりー。どこ行ってたの?」
「ケーキ買ってきた」
「え、私も買ってきちゃったんだけど、どうしよう……」
「「……」」
母と共に玄関で固まる。
そこへ、トイレから出てきた父が「うん?」とこちらへ振り向いた。
「お父さん、どうしよう。ケーキ被っちゃった……」
母の困り顔に、父は不愛想に、でも少しだけ嬉しそうに。
「ぜんぶ食べたらいいやろ」
と返事をした。
そのあと、両親と食べたデザートは、全部が美味しかった。
「…………」
あれから、六年……。あの頃と変わらない雰囲気の店、その隣にあるコンビニも健在だった。
美味しい店は忘れない。それもあまり多くの店を知らない私にとって、ここは数少ない名店のケーキ屋さん。
店前で足を止めることなく、私は店の中に入る。
「いらっしゃいませ!」
今日も変わらず、明るく元気な店員さんが丁寧に接客をしてくれたのだった。
プリンは上だけ硬いんですけど、中がとろっとろで、ほんとに飲み物じゃないかと思うくらいトロットロなんです(*´ω`)うんまい、うんまい……。
シュークリームも手作りのパワーなのか、味が優しくてほんわかしてるんです。
ケーキも優しくて美味しいし、店員さんの接客も◎!
バレンタインデーのあと、もう一回、買いに行きましたとさ(*´ω`)めでたしめでたし