主義・思想を持つ人へ
日本人であってもなくても政治思想を持つ人々はかなりの数がいるだろう
その中には右派と呼ばれる人だったり、左派と呼ばれる人だったり、中道と呼ばれる人だったりがいる
それらに対する私の考えを記す
では、始めていこう
私が暮らしている国である日本国は、間接民主主義を採用する国家である
であるからには議会が存在し、国民の投票によって議員が選ばれ、その議員が議会で討論などを行う
日本国の議会では政党に所属する議員がほとんどであり、選挙の際にはその人物がどのような政党に属しているのか、という点で選ぶ人も少なくはないだろう
自民党や立憲民主党、公民党や共産党などの政党が日本には存在し、それぞれの方向性を持つからだ
そして、その方向性の根底には"主義"がある
それぞれの主義・思想を持つ人々は国家をより良い物にする為に意見を交わし、自分の主義について考え、考えた結果とどう行動するかを国民に示す
国民に同意され、選挙にて多くの票を獲得できれば議員となり、国の為、国民の為に議会で行動する
ここまでが私にとっての"理想"だ
だがこの国には自分の主義・思想を正しいと思うが故に、絶対に曲げようとしない人々もいる
私はそのような人々を見てこう思う
「可哀想に」と
それ以上も、それ以下も思わないが、決してその人々の主義・思想自体を馬鹿にしているわけではない
だが、脳が動きを止めたかのように、盲信的にその主義・思想を持ち続け、他の思想を排斥しようとするのは中世の狂信者とどのような違いがあるのだろうか?
これは右派も、左派も、保守勢力も、革新勢力も同じである
右派だからダメ、左派だからダメという話ではない
己の信念を貫き通すのは素晴らしいことである、がその信念が必ずしも正しいとは限らないのだ
だからこそ意見を交わして自分の主義・思想より良い方向に持っていくのがベストなのである
それが無ければ一番になれないどころか流れから置いてかれる
誰も一人で生きているわけではないのだから、その利点を存分に活かすべきである
反対する意見を封じたところで、自らが良くなるわけではない
これを見ている人々が右派であっても、左派であっても今一度考えて欲しい
ネトウヨだの、パヨクだのと罵り合い、自分の好きではない意見を全て消した先に、何があるのか
私が思うに、この国の全体がそうなれば今の日本国は死ぬだろう
限られた意見しか言えない国に民主主義が存在しているとは到底思えない
だからこそ、"言論の自由"が存在する日本国がそのまま存続すべきであり、その自由を捨てられればそこに存在するのは独裁でしかない
今の日本国は恵まれている、多くの自由が存在するからだ
無論公共の福祉によって制限されることもあるが、少なくとも自分の主義・思想を知り合いに話すくらいなら誰も咎めない
私は今のこの国が独裁だとは思わない、そしてこの文章に対して色んな意見があればそれを受け止めて自らの糧とする
その意見が言える時点で、この国には自由があるのだから




