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第5話 この物語は日常系ミステリではない

 この物語は日常系ミステリではなく、……なんだろう。


 栞が絶賛する小説『さよならリトルガーデン』の作者は確かにこの学校にいる。

 俺ではない。

 物語部部長の綴利説乃が、その作者だ。


 もっとも、それだけなら話は簡単だ。

『こんな面白い小説の作者が同じ学校にいたなんてすごい偶然だね』で済むのだから、ひた隠しにする必要はない。


 黙っていたのは、この小説が俺と栞の思い出を元に書かれているからだ。

 

 小説の主人公は俺で、ヒロインは栞。

 小説の舞台はこの街。


 俺がしゃべった思い出をもとに、綴利先輩が書き上げたのだ。

 綴利先輩が著者ならば、俺は原作者といえる。


 そういう事情だから、秘密にしておきたかったのだ。


 もっとも、最初は隠す必要などないと思っていた。ネットに数多ある小説の中から、まだ話数も少なく大して注目も浴びていない『さよリト』を、栞が見つけてくるとは、完全に想定外だった。


 どうしてこうなってしまったのか。



 ――詠早さんとの思い出は、わたしが食べてあげよう。



 あのあと俺は、綴利先輩に求められるがままに、栞との思い出を語っていった。いくつかの印象深いシーンと、それによって変化していく栞への感情――その記憶を、まるで供物のように綴利先輩へ捧げたのだ。


 俺と栞の思い出をインプットした綴利先輩は、『さよならリトルガーデン』という名作をアウトプットした。

 こいつを読んだ者はみんな、幼なじみとの交流と別れ、そして再会という、ありふれているがゆえに共感性の強い、感動的な追体験ができるだろう。


 ――ひとつ、恐れていることがある。


 俺の語った思い出を、綴利先輩は今のところ、ほぼそのまま小説にしている。

 だけどこの先、先輩の筆力によって、思い出には存在しない、新しいエピソードが綴られたとしたら。本物の記憶の方が色あせてしまうほどの、理想的な思い出を書き上げてしまったら。


 そのとき俺の記憶は、先輩の小説に上書きされてしまうのではないか。


 原作げんじつ小説そうさくに敗北するような、それは、ぞっとする想像だった。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



「やあやあおつかれ皆の衆、部長様のお着きだよー」


 綴利先輩はこちらの空気など読まない最悪のタイミングでやってきた。

 きっと俺の動揺なんて気にも留めていないのだろう。それが寂しい反面、才能のある人間はこうでなくては、とも思う。


「おや、見慣れない子がいるね」


 綴利先輩は長い前髪のすき間から、ぎょろりと栞を見つめる。


「二年の詠早です」

「私は三年の綴利説乃。物語部の部長だよ。もしかして入部希望かな」

「……いえ、あたしは」

「詠早は『さよならリトルガーデン』という小説の作者を探してるんですよ」


 と俺は観念してフォローを入れた。もうなるようになれだ。


『それは私だよ。実はブンショー君の思い出をもとに書いた小説でね、だから詠早さんがヒロインのモデルなんだよふふふ……』

『やっぱり! どうして知らないなんて嘘ついたのよこのへなちょこ小説書き!』

『嘘と小説の出来は関係ないだろ!』


 そんな流れを予想して身構えていたのだが、綴利先輩は俺が思ったようなニヤニヤ笑いではなく、めずらしく真顔で栞に話しかける。


「ふむ……、詠早さん、キミは小説の作者に会ってどうするつもりだい?」


「こんな素敵な小説を書いた人が身近にいるかもって思ったら、居ても立ってもいられなくなって……、読んだ感想を、直に伝えたくなったんです」


「しかし、書いた人はそんなもの望んでいないかもしれないよ?」


 綴利先輩は栞の意見を真っ向から否定する。

 これには栞だけではなく、俺や更科も驚いていた。


 綴利先輩があんな風に他人の意見を否定するのは、滅多にないことだからだ。相手が初対面ともなればなおさらだ。

 それに、否定の中身もショッキングだった。


 作者探しという栞の行動は、確かに少々行き過ぎているのかもしれない。だが、自分の創作物をほめられて、うれしくない人間などいないだろう。俺だったらニヤニヤが止まらなくなっている。


 だからこそ、栞の熱意を〝そんなもの〟で片づける綴利先輩が理解できない。


「……ど、読者の意見には興味がないっていうタイプの作者さんも、確かにいると思いますけど……」


 栞はなんとか気を取り直して、話を続けようとするが、


「素敵な小説を書いているから、その作者も素敵な人間に違いない。詠早さんはそう思い込んでいるんじゃないかな」


 容赦のない切り返しに、栞は一瞬、呆気にとられたようだった。

 半開きになった口元を、しかしすぐに結び直す。

 表情が引き締まり、はっきりと、立ち向かう意思が見て取れた。


「思い込みも、少しはあるかもしれませんけど。作者の思想とか性格って、作品ににじみ出るものじゃないですか」


 ひるむことなく上級生に向かって意見を述べる、詠早栞は強い女の子だった。


「作品には作者の想いが反映されると?」


「そうです」


「つまり、作品に入れ込むことは、作者に入れ込むことでもあるわけだね――」


 栞の意見をひらりとかわして、綴利先輩は揚げ足を取るようなことを言う。


「――ひょっとして、ヒロインと自分を重ね合わせたりしたのかな」


「……違います」


 返事の遅れは、たぶん迷いの表れで。


「その上、主人公と作者を同一視したのか」


 おそらくその一言が決定打だった。栞の表情がくしゃりと歪む。

 綴利先輩は満足げにうなずいた。


「なるほど、まるで少女の妄想だね」


「――違う」


「キミにそういう感情を抱かせたのだとしたら、その小説はなかなか大した向精神作用を持っているようだね。私も今度読んでみよう」


「やめて……、どうしてそんな、嫌なこと言うんですか?」


 どうにか絞り出しただけの、か細い声。立ち姿がゆらぎ、先ほどまでの強さはなりを潜めてしまっていた。弱々しい姿が、記憶の中のちいさな栞と重なる。


 対照的に、綴利先輩の姿はその身長以上に大きく見えた。


「小説なんて現実逃避の手段に過ぎない。現実の嫌いな人間が自分の殻に閉じこもって、せっせと作り上げた妄想の世界だ。その成果物たる作品ならともかく、それを生み出す人間にまで関わるものじゃないよ」


 先輩の言葉は、淡々としたしゃべり方なのに聞き入ってしまう妙な迫力があって、俺だけではなく更科も、口を挟むことができなかった。


 栞が、打ちひしがれた表情でこちらを見た。


 救いを求められているのは明らかなのに、俺は目を逸らしてしまう。だって仕方がないじゃないか。ここで栞を助けたら、せっかく綴利先輩が断ち切った作者探しの熱が、再燃してしまいかねない。


 事実を教えるという選択肢はとっくに潰れていた。

 綴利先輩こそが『さよならリトルガーデン』の作者なのだ――そいつをこのタイミングで打ち明けたら、栞の受けるショックは最大になるだろう。動揺に追い打ちをかけてまで、本当のことを話す度胸は俺にはない。


 それに俺だって、栞を救い上げられるほど高い場所にいるわけじゃない。

 小説を書くことに対する価値観の違いを、突き付けられて、突き放されて、突き落とされてしまったのだから。


 そんな無力と、利己的な判断の代償。

 幼なじみの泣きそうな顔は、罰のように痛かった。


「――ブンショーのバカ! 文系ハーレム!」


 栞はひどい捨て台詞を残して部室を出ていく。


「やれやれ、手ごわい相手だったが、ようやく片がついた」


 それを見送った綴利先輩は、ひと仕事終えたとばかりに両手をパンパンと叩き合わせる。


「先輩、今のはちょっと言いすぎなんじゃ……」

「あれだけ言ってやったら私のことなんて考えるのも嫌なはずだ」

「ショック療法にも限度ってものが」


 綴利先輩の奇行や極論は今に始まったことではないが、さすがに今回は言いすぎだ。被害者が俺の幼なじみであることなど無関係に、ちょっと注意しておいた方がいいのではないか。


 そんな考えはしかし、小さく手を挙げる更科によって中断された。


「あのー……、文系ハーレムの一員として、事情を聞かせてもらいたいのですけれど……」

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