第4話 この物語はほろ苦青春ものではない
どうやらこの物語はほろ苦青春ものではなく、日常系ミステリだったらしい。
詠早栞が夢中になっているネット小説『さよならリトルガーデン』。彼女はその作者がこの学校にいるのではないかと疑っていた。作中での校内の描写や地名が、ウチの高校や周辺のそれと似通っていることから、そんな風に考えたらしい。
おかげで俺は、栞の犯人探しならぬ作者探しに付き合う羽目になった。
「偶然の一致だと思うけどな」
「でも、ゼロから街や学校の建物を考えるのって大変でしょ」
「そういうのを考えてしまうから小説書きなんだろ。有名どころじゃ、スティーブンキングは作品の舞台としてキャッスルロックっていう架空の街を作ってるし、そもそも、本格的なファンタジーものだったら、地名どころか世界観自体ほぼゼロからだ」
「ああ言えばこう言う……、まあ、実際に書いてる人の話だから尊重しますけど?」
「そりゃどうも」
そんなやり取りをしながら、文化系の部室が多く入っている第二校舎へとやってきた。部活見学をしているらしい新入生たちと何度もすれ違ったが、こっちの校舎がこんなに賑やかなのも4月の終わりまでだろう。それまでの辛抱だ。もうしばらく待てば文化部にふさわしい静寂に包まれてくれるはず。
「どうしてさっき、文芸部って聞いて嫌そうな顔したの?」
「部長が苦手なんだ」
「嫌な人なの?」
「単に苦手なだけだ。そりが合わないというか――げ」
話をすればなんとやら、である。
廊下の向かいから歩いてくるのは、噂の当人、文芸部部長の白樺純水だ。
その外見は非常に地味というか大人しい。歩きにくそうなくらい長いスカートに、黒いゴムバンドで留めただけの黒髪、化粧っ気のない色白の顔。アクセサリの類はもちろんつけていない。
「……あなたは」
「ども」
苦手な相手とはいえ一応は先輩なので、すれ違いざまに軽く会釈をする。
「そっちの子は、まさか新入部員?」
そのまま立ち去るつもりだったが、白樺先輩の方から声をかけてきたので立ち止まらざるを得ない。
「いや、違いますよ」
「ちゃんと考えないと、あなたの代まで持たないわよ。私としては、物語部がどうなろうと一向に構わないのだけれど」
白樺先輩はいつもこんな調子でひとこと多い。もっとも、この反応は俺に対してというより、綴利先輩への攻撃という意味合いが強いと思う。
この人は綴利先輩の才能に嫉妬して、目の敵にしているのだ。少なくとも俺はそう考えている。
「ご忠告痛み入ります。じゃあ……」
俺がせっかく静かに立ち去ろうとしたのに、
「――あの、文芸部の人ですか?」
と栞が空気を読まずに話しかけたせいで、また立ち止まらざるを得ない。
「部長の白樺よ。あなたは?」
「天地君の幼なじみで詠早栞って言います」
幼なじみと名乗られるのは予想外だったのか、白樺先輩の表情が少しだけほころんだ。わかる。幼なじみというのは語感も存在も関係性も、何もかもが微笑ましい。ただ、はっきり名乗られるとちょっと気恥ずかしくもある。
しかし、空気がゆるんだのはほんの一瞬だった。
「白樺先輩は『さよならリトルガーデン』という小説を知ってますか?」
その問いかけと同時に、白樺先輩の顔つきが険しくなる。
「……私、ネット小説なんて浮ついた書き物は、見ないことにしているの」
苦々しげに吐き捨てて、先輩は足早に立ち去ってしまった。
その背中が廊下の角を曲がるまで見送ってから、俺と栞は顔を見合わせる。
「あたし何か気に障るようなこと言った?」
「触れるものみな傷つけてしまう年頃なんだろ、気にするな」
「はー、大変ね、生きづらそう。……でもなんでネット小説だってわかったのかな」
「詠早の外見的に、紙の本とか読みそうにないって思ったんだろ」
「偏見にうるさい人ほど、上辺だけで文句つけるのね」
「ソーリィ」
上辺だけの謝罪をすると、軽く肩を小突かれた。
「ああいう部長さんなら、文芸部、行くだけ無駄かなぁ。仮にネット小説を書いてる部員がいたとしても、言いだせる雰囲気じゃないだろうし」
「まあ、元から低い確率がさらに下がったのは間違いないな」
「んじゃ、他を当たろうかなぁ」
「帰らないのか」
「天地君のところが残ってる。文芸部っぽい部活、なんでしょ」
白樺先輩を悪者に仕立てて難を逃れることができたと思っていたが、迷探偵詠早は諦めが悪い――おっ、これ題名に使えそうなフレーズだな。『迷探偵ヨミサキは諦めが悪い』。長すぎないし直接的すぎない、良いタイトルじゃないか。問題は中身が何も思いつかないところだ。
頭が現実逃避をしているうちにも身体は動いていたらしく、気づけば物語部の部室の前に立っていた。
「ここが天地君のハウスね」
「ああ」
誰もいませんように。
それが無理なら、せめて綴利先輩だけは不在でありますように。
祈りながら扉を開ける。
「おつかれ……」
中にいたのは二人。
「はい、おつかれさまですブンショーさん」
あいさつに応じたのは、制服の上に白衣をまとい、黒縁メガネをかけたエセ理系女子、同じ二年生の更科理桜。
無言でこちらを見つめていたが、目が合うとすぐにノートパソコンの影に顔を隠してしまったコミュニケーションに難ありな女子は、一年生の円居想。
綴利先輩はいないらしい。よかった。
俺はため息をつきつつ、古い紙の匂いのする部室の空気を吸い込んだ。
「ちょっと天地君、立ち止まってないでさっさと入って」
俺を押しのけて部室の中に入った栞は、室内を見回すと、鋭い目つきで振り返った。
「どうした」
「女子ばっかり。まさか、そういう目的で入部したんじゃないでしょうね」
「そういう目的?」
俺は子供のようなピュアな表情を作って首をかしげる。
「しらばっくれないで。自分のことあだ名で呼ばせてるし」
「いや、呼び方は強要してねえよ」
「……あの、ブンショーさん、そちらの方は?」
俺たちのやり取りを見守っていた更科が、おそるおそる声をかけてくる。栞はさっきから妙にケンカ腰だし、警戒したくなるのもわかる。
「あ、ああ、こいつは――」
「あたしは詠早栞っていいます。この春に2-3へ転校してきたの」
栞の名乗りを受けて、更科は顔の前で両手を合わせる。
「まあ、ではあなたが噂の転校生さんですか。はじめまして、更科といいます」
「は、はじめまして……」
前のめりな態度だった栞が、気圧されたように声のトーンを落とす。
決して更科が高圧的なわけではない。むしろ逆だ。彼女のおっとりした語り口と、おだやかな雰囲気に、栞はいつものペースを乱されたのだろう。
更科はにこりと口元を上げて、部室の奥へ視線を向ける。
「あちらの子は、一年の円居想さん。ちょっと人見知りなところがあるから、あまりグイグイ行かないであげてください」
円居はディスプレイの影から顔を半分だけ出してこちらをうかがっていたが、栞と目が合ったのか、また素早く隠れてしまう。野生の小動物のようにちょこまかしたやつだ。
「……あたし、警戒されてる?」
栞が小声でつぶやく。ちょっと凹んでいるトーンだ。
「いや、円居は俺に対してもあんなんだから気にするな」
「そう……」
「ところで、詠早さんはどうしてこちらに? もしかして入部をご希望でしょうか? 噂の転校生を連れてくるなんて、ブンショーさんも隅に置けませんね」
更科が期待に満ちた顔でグイグイくる。
「いや、こいつは……」
この状況をどう説明したものかと迷っていると、栞が一歩、前に出た。
「ごめん、あたしは部活に入るつもりはないの。ここに来たのは人探し目的だから」
「人探し? どなたですか?」
「『さよならリトルガーデン』っていう小説の作者」
『犯人はこの中にいる』とでも言いたげな、自信に満ちた表情の栞。
しかし、更科の反応は、数回のまばたきだけだ。
「さあ……、聞いたことがないですね。どんな小説ですか?」
「……やっぱハズレかぁ」
栞はがくんと肩を落とすが、すぐに気を取り直してスマホを手に持ち、更科に近寄っていく。
「ネット小説なんだけどね、もうムチャクチャ面白いの」
迷探偵モードから一転、狂信者による布教モードへと切り替わり、俺にしたのと同じように『さよリト』の良さを説明しはじめる栞。
その豹変っぷりに、更科は困惑してすがるような視線を向けてくる。
俺はそっと顔を背けた。肩の荷が下りた気分だった。
更科も円居もまだ『さよならリトルガーデン』の存在を知らないので、作者はどこだと聞かれたところで答えようがないのだ。
文芸部と物語部を当たって栞の気も晴れただろう。
もう作者探しはお開き。これにて一件落着。
そう考えていたのだが。
「やあやあおつかれ皆の衆、部長様のお着きだよー」
綴利先輩はこちらの空気など読まない最悪のタイミングでやってきたのだった。