第3話 この物語は学園ラブコメではない
どうやらこの物語は学園ラブコメではなく、ほろ苦青春ものだったらしい。
なぜなら俺は今、自らの無力を幼なじみに吐露するという、非常に苦々しいシーンに直面しているからだ。
「――この小説って、ブンショーが書いたの?」
それは、小説を書いてる俺にとっては酷な質問だった。
『さよならリトルガーデン』の作者は俺ではない。だから、実は俺の小説の大ファンだった学園のヒロインに作者バレして急にモテ始める、などというラブコメ展開はないのだ。
「俺じゃない」
「……ホントに?」
栞はまだ疑っているようだったが、
「俺にはこんな面白い小説は書けねえよ」
そう言ってやると、夢から覚めたみたいな顔をして、一歩後ずさる。
「あっ……、ご、ごめん」
「いや、謝らないでくれよ」
「なんか反射的に、つい……、……あ!」
申し訳なさそうに落ち込んでいた栞の顔に明るさが戻る。俺を指さして、
「さっきの言い方!」
「人を指さすんじゃない。どうした」
「だって〝書いてない人〟だったら「書いてない」って言うだけでしょ? でも、ぶ――天地君は「書けない」って言った」
「そうか?」
「そうよ、それってつまり、天地君は〝書いてる人〟で、その経験上、自分の実力では『さよリト』みたいな作品は書けないって思ってる。だから「書けない」って言葉が出てきたのよ。どう? この推理」
「ぐ……」
ちょっとした言葉尻からそんなところまで察してしまうとは目ざといやつだ。いや、この場合は耳ざといと言うのだろうか。
その上、自覚している実力不足を改めて指摘しやがって……。小説を書いている人間の打たれ弱さを甘く見ない方がいいぞ。
しかし、まあ、『さよリト』から離れるにはいい話題ではある。
「……ああ、そうだよ。部活でちょっとな」
「文芸部?」
「みたいなモンだ」
「へー、ほー、ふーん?」
「……なんだよ」
じろじろ見つめられるのが居心地悪くて、栞から顔を背ける。
「昔っから天地君ってインドアだったし、運動部に入ってる姿は想像できなかったけど、文芸部だったら、なるほどなって感じがして」
「俺は、詠早の変わりっぷりに驚いたけどな」
「三つ編みに黒縁メガネじゃないと読書しちゃだめって? 偏見は良くないと思う。リア充とか非リアとか、陽キャとか陰キャとか、そういう区別が世界を分断するんだよ」
栞は見えないメガネをくいっと持ち上げる仕草をする。
「そこまで言ってねえよ」
「あはは」
声に出してひとしきり笑ったあと、栞は上目遣いで俺を見つめて、
「……今度、書いてる小説、見せてね」
小説書きにとってたまらない言葉を口にした。
なんのために書いているのかと問われれば、それはもちろん自分のためだ。自分が書きたいものを書いているし、自分が読みたいものを目指している。
そして、それと同じくらい、誰かに読んでほしいとも思っている。
誰にも見せるつもりがないのなら、頭の中の妄想で済ませればいい。それで片づけたくないから、わざわざ他者に伝わるように物語を書き起こしている。自分が考えた物語を、他の誰かにも面白がってほしいと思っている。
そんな小説書きにとって栞の言葉は、暗闇の中の光のような、砂漠の中のオアシスのような、迷路の中の道標のような、そういう強い引力を持つものだった。大げさかもしれないが、大げさに書きたくなるのが俺たちのような人種なのだ。
だが、ネットの向こうの相手ならともかく、目の前の友人に自作の小説を見せることには、少なからずためらいがある。
小説に限らずあらゆる創作物は、たぶん、欲から生まれるものだ。
性欲や物欲や自己顕示欲、所有欲や支配欲や承認欲求……、言い出したらきりがないが、そういう欲をもとに書いた小説を、知り合いに見せるのはハードルが高い。相手が女子ともなればなおさらである。
こういう小説が好きなんだ、くらいの趣味語りならまだいい。
こういう女の子が好みなんだ、というアピールも許容範囲だろう。
だが――
気が強くてちょっと冷たいくらいの女の子が好みなんだ。こっちのことなんて眼中にないくらいがいい。もちろんその子には他に好きな相手がいる。主人公は彼女の気を引きたい一心で二人の仲を取り持つんだが、結局うまくいかなくて、力になれなくてごめんって謝ったら、じゃあ代わりにあなたでいいから、って言われて付き合い始めるみたいなツンとデレが9:1くらいの比率のツンデレが至高。そのあともいきなりデレデレしだすんじゃなくて、冷たかったり素っ気なかったりの態度がほとんどで、でもだからこそふとした瞬間に見せるデレが尊い、そういうヒロインを俺は書きたい。
――くらいの本音をぶちまけたら、大概の人間は引いてしまうだろう。俺なら引く。
「気が向いたらな」
なので、栞の問いにはそう答えることしかできなかった。まさかとは思うが、社交辞令の可能性もあるしな……。リツイートした小説を読みに行くとかいうの、あれ本当にちゃんと全部読んでるやついるのかよ。
「ん、待ってるね」
俺の警戒心を知ってか知らずか、栞はさっきよりも和らいだ表情でうなずく。
「ところで天地君はこれからどうするの」
「俺は、今日は部活だな」
「さっき言ってたとこ?」
「ああ」
「その前に、ちょっと案内して欲しいところがあるんだけど。もちろん校内で」
「それなら大丈夫だが。なんだ、部活巡りか?」
「うん。文芸部、連れてってよ」
「げ」
たぶん俺は反射的に顔をしかめていたと思う。文芸部にはあまり近寄りたくない。だからこそ物語部などという似て非なる部活に所属しているのだ。
「何よ」
「いや……、文芸部になんの用だ」
「文芸部っていうか、この学校の生徒で、小説を書いてる人に用があって」
どういう条件だそれは、という自問はすぐに自答される。
ついさっき、栞の欲求をむき出しにさせた小説があるではないか。
「あたしまだ『さよリト』の作者探し、諦めてないんだ」