エピローグ 幼なじみと部活の先輩
物語部の部室がある旧校舎の3階へ上がると、廊下の先に不審な人影を見つけた。部室の入口にぽつんと突っ立って、中の様子をうかがっている。
「――何やってるんですか、綴利先輩」
全体的に黒っぽい人影はびくりと肩を震わせて、おそるおそるこちらを向いた。目が合うと、ホッと表情をゆるませる。
「おや、栞ちゃんじゃないか、どうしたんだい、こんなところで」
「それはあたしのセリフですよ。なんで中へ入らないんですか」
「これからそうしようとしていたのさ」
「五分ぐらいずっとうろうろしてたのに?」
「うっ……」
説乃は押し黙ってしまう。
栞はつい先ほど来たばかりなので何も知らない。つまり鎌をかけたのだが、説乃が本当に五分もの間、入口の前で迷っていたとは思わなかった。軽く引いた。返事に困ってしまう。
「……ブンショー君は怒ってないかな」
おずおずと、説乃はそんなことを聞いてくる。栞との身長差はあまりないのだが、猫背のせいで上目遣いになっている。
「この前のこと、気にしてるんですか」
三年生の教室で、説乃がめずらしく文章に対して語気を荒げていた、あの一件についてだろう。
「大丈夫ですよ、あのときのブンショー、笑ってましたから」
栞は少し迷ったが、正直に答えた。声には呆れが混じっていた。
「……笑ってた?」
「はい」
「ふむ……、まさかブンショー君にそういう気質があったとは」
説乃は苦いものを食べたみたいに口元を歪めているが、それは誤解だと栞は思う。
文章はマゾヒストではない。尊敬する先輩が、自分の言葉に強く反応してくれたことが、うれしかったのだろう。彼の性癖の全部を知っているわけではないが、少なくともあの笑いは、そういう理由のはずだ。たぶん。
しかし、そこまで説明する義理はないので黙っておく。
「綴利先輩って実はけっこう、ブンショーのこと大切にしてますよね」
代わりにそうつぶやきつつ、鞄の内ポケットをまさぐる。
USBメモリを見つけて説乃へと差し出した。
中に入っているのは『君をめぐり、世界をわたる冒険』の旧バージョンのデータだ。作者の文章自身、投稿サイトからは削除したつもりのようだが、説乃はひそかに保存していたらしい。
それを栞にこっそり渡すところも含めて、不器用で中途半端な気づかいだと思う。『さよならリトルガーデン』を書き続けたい欲求と、そのせいで文章と栞の関係が拗れるのは嫌だという、相反する気持ちの表れだろう。
説乃は差し出されたUSBメモリを受け取る。
「部活の後輩なんだし、まあ、それなりにはね」
「小説を使って私的なメッセージまで送ってるのに?」
「なんのことかな?」
「『13光年の彼方』でヒロインは好きな人と結ばれてました。でも、『さよならリトルガーデン』では、主人公とヒロインの関係は元どおりになっただけ。告白も付き合ってもいない、曖昧なままですよね」
それは、小説の元ネタである原作者への、無意識の願望なのではないか。
『13光年の彼方』では、白樺純水の想いが遂げられるよう願った。
『さよならリトルガーデン』では、文章と説乃の関係を日常的なものに留め置きたいと望んでいる。
――そんな風に考えてしまうのは、
「深読みのしすぎだよ」
「そうですか?」
「書き終わった作品は作者の手を離れるからねぇ。どういう風に読もうと、それは読者の自由というものさ」
のらりくらりと説乃は語る。
読者の主張は、作者の主義にはぐらかされた。
言葉がとぎれて、視線がふれあう。
沈黙を意識するよりも先に、ガラリと部室の戸が開いて、文章が顔を出した。
「あ、やっぱりいた」
説乃がビクリと肩を震わせ、ゆっくりと振り向いた。
「外が騒がしいから何ごとかと思ったら……」
「ぶぶぶブンショー君」
「え、なんですか先輩そんなに激しく振動して」
「さっきの話、聞いてないだろうね」
「はい、なんかしゃべってるな、くらいにしか」
「それならよろしい」
説乃はぐっと背筋を伸ばして、猫背ぎみの姿勢を正す。
急に態度が大きくなった説乃に、文章は目をしばたいて栞に問うてくる。
「なに話してたんだ?」
「それはね――」
「乙女の秘密の花園というやつだよブンショー君」
と説乃がいつもよりも張った声をかぶせてくる。
「ああ、野暮な男子は立ち入り禁止なアレですか」
乙女の秘密などというけったいな言葉を持ち出されては、それ以上踏み込めないのが草食男子の性である。
文章は肩をすくめ、追及をやめて部室へ引っ込んだ。
説乃もそれに続く。
未だ部外者の栞は、入るのに少し迷い、二人の背中を見送った。
文章も説乃も、感情表現が遠回しに過ぎる。
放っておいても進展はなさそうだが、だからといって油断はできない。
幼なじみと部活の先輩、彼にとってどちらの方が近しいのか。
はっきりさせたいような、させたくないような。
少しは成長したという自覚はあるが、肝心なところでかつての引っ込み思案が顔を出してしまう。
そんな自分を奮い立たせるように、
「失礼します!」
栞はあえて大きな声を出して、小説書きたちの巣窟へと踏み込んだ。
というわけでこれにて完結です。
が、あくまでひと区切りであって、続きのエピソードはいろいろ考えているので、いずれ再開する際にはよろしくお願いします。
貴重なお時間を割いてここまで読んでくださった方には感謝しかありません。
費やした時間の分だけ、お楽しみいただけたのなら幸いです。




