第10話 幼なじみが小説に感想をくれる
怒涛のほめ倒しだった。
「この話ってひたすら将棋打ってるだけのようで、実は届かない恋愛を描いているみたいなところがありますよね」
「……個人的には友情の範疇だと思うんだけど、受け取りようによってはそう見えるのかもしれないねぇ」
「さすがにきのことたけのこをルームシェアさせるのはマズいですよ。コメント欄が戦争になってるじゃないですか」
「平和を祈って記した日常系だったはずなのにねぇ……」
「思春期の男子の思考がリアルすぎて、これだけだと作者が女子だってわからないです」
「恥ずかしながらあまりリアルで女子扱いされたことがなくてねぇ」
「本当に洗濯機の中で回っているみたいな臨場感でした。読み終えたあと三半規管ヤバかったです!」
「それはときどきデスクチェアを回転させながら書いたんだ」
「パニックホラーに見せてちゃんと犯人が誰かわかるようにヒントを出しているのに、作中でそれを明かさない潔さにしびれます!」
「こういう事件の理由を犯人に自白させたら興ざめだからねぇ……」
「あの作品とこの作品って、別の人の視点から同じ物語を書いていたんですね。あとでストーリーを思い出してるときに共通点に気がついて、えっ!? て鳥肌立ちました」
「書く側は楽なんだよ、本筋は同じなんだから」
最初は綴利先輩も冷静だった。机に両肘をついて聞き流していた。しかしいつまでも続く賞賛の嵐、賛美の濁流に気圧されたのか、だんだん姿勢が変わってきた。身体を起こし、背筋が伸びて、最後には顔をのけぞらせていた。
栞は逆に前のめりになっていく。机に手をつき、身を乗り出して、たぶん無自覚に綴利先輩へ詰め寄っていた。ものすごくグイグイ行っていた。
やがて栞の圧に耐えきれなくなったのか、こちらへ救いを求めるような視線を向けてくる綴利先輩。切羽詰まった顔はめずらしいので、もう少し眺めていたかったが、あまり長く放っておいたら怒られてしまう。
「詠早、ちょっと落ち着けって」
「――はっ?」
声を掛けつつ肩をゆすると、栞は我に返った。
綴利先輩は安堵のため息をつく。
「た、助かったよブンショー君」
「いや、ウチの幼なじみがすいません。……ていうか、席を立てばいいじゃないですか。別に壁ドンされてたわけじゃないんだし」
「ああ……、なんか立ち上がるのが面倒くさくて」
「読者の意見から逃げるわけにはいかない、みたいな作者のプライドがあったわけじゃないんですね」
「キミも知ってるだろう。私が書き終えた作品に興味がないって」
「そりゃまあそうですけど」
でも立つのがめんどいって、よっぽどだな。先輩は学校の外でどんな生活をしているのだろうか。社会に出てまともに生きていけるのだろうか。心配になってきた。支えたい。
「なんだいキミ、そんな生温かい目で見下ろさないでおくれ」
「ちょっとくらい運動した方がいいですよ」
「私はキーボードさえ打てたらそれでいいのさ」
「命を削って書く文豪っぽいこと言ってごまかして……」
そんな話をしていると、退避していた栞が、おそるおそる近づいていた。
「――あの、さっきはごめんなさい、つい夢中になっちゃって」
腫れ物に触るようにおっかなびっくりの栞。
「てっきり、私は詠早ちゃんには嫌われていると思っていたんだけどね」
それに対して、なんの迷いもなくこういうことを言ってしまうのが綴利先輩である。
先日、綴利先輩が栞をコテンパンに言い負かしていたのを思い出す。あんなものはほとんど言いがかりだと思うのだが、栞の受け取り方はまた違っているのかもしれない。
栞は少し怯んだようだが、それでも、はっきり綴利先輩に向けて告げた。
「先輩の言ったこと、認めます。作者と小説は別物だって。少なくとも、同一視はしません。だって、目の前に実例がいますから」
「それは何より」
「ツヅリセツ先生のことは尊敬してます。綴利説乃先輩は、ちょっとアレですけど。一緒にするのは作品にも失礼ですよね」
栞の反撃に、綴利先輩がぎょろりと瞳を一回転させる。
「ほほう、なかなか言うじゃないか」
「先輩ほどじゃないですよ」
笑顔を浮かべて見つめ合う二人。
なんでこんな一触即発な雰囲気になってるんだ……。
栞がいちいちつっかかかるのはもう、転校先でそういう性格になってしまったのだと思うしかないとして。
おかしいのは綴利先輩の方だ。いつもはロクに他人に興味を示さないくせに、栞に対してはずいぶん感情をあらわにしている。
やはり自分の作品に感想をぶつけてくる人間は気になるのだろうか。なるほど、先輩の気はそうやって引けばいいのか。
今後の方針について新たな知見を得た俺は、さっそくそれを実行に移そうとする。
だが、それよりも先に、背中に妙な抵抗を感じた。
振り返ると、更科が俺のワイシャツを引っ張っていた。
その背後には円居が隠れている。
俺、更科、円居。三人並んで何がしたいんだこの状況は。
「どうした?」
「詠早さん、感想、すごい、ですね」
更科がおかしなしゃべり方をし、その背後では円居がこくこくと何度もうなずいている。
「ん? ……ああ、二人もあいつに読んでもらいたいのか」
「べ、別に、読んでほしいなんて、言ってませんから。どうしてもって言うなら、考えなくも、ないですけど」
更科がおかしなテンプレツンデレ台詞を口にして、その背後では円居がぶんぶんと何度も首を左右に振っている。
わかりやすい態度に、思わず苦笑いが浮かんだ。
二人とも小説書きの端くれだ。自分の作品を読んでほしい、そして感想を言ってほしいという欲求は常にあるだろう。
目の前であんな風に次から次へと感想を述べているのを聞いたら、自分のも読んで、と言いたくもなるだろう。気持ちはよくわかる。
それに、聞いていて気がついたが、栞の感想は〝深い〟のだ。
登場人物の感情を理解した上での感想を述べたり。読み進める上では気づかなくてもいいレベルの巧妙な伏線を言い当てたり。
表面をなぞっただけの読み方では到達できない、ディープな感想を栞は語っていた。ツヅリセツ作品をかなり読み込んでいる俺でも、二度目、三度目でようやく気づくほどの。
だからこそ、更科も円居もソワソワしているのだ。
自分の小説もそんな風に読んでくれませんか? と。
作者的にはどんな感想でもうれしいが、中でも、よくぞそこに気づいてくれた、と思わず膝を打ってしまうような深い感想であったり、作品の本質に切り込むような鋭い質問をされると、テンションが上がってしまう。もっとも、そんな感想ばかりだと返信を考える時間がアホほど増えるだろうから、善し悪しではあるが――まあ、人気作家のぜいたくな悩みだろうな。俺とは無縁の話だ。某海賊マンガの解読本とか、あれほとんど営業妨害レベルじゃないのか。
ともあれ、ここはひとつ、更科たちの希望を叶えてやろう。
さっきからこの二人、うつむいて頬を染めて、恋する乙女みたいになっている。放置していたらこっちが勘違いしてしまいそうだ。
……それにしても、ふだん女子らしさをまったく見せない女子部員たちが、あとからやってきた幼なじみに対してこんな顔をしているというのは、差し置かれたみたいで複雑な気分だ。これが流行りのNTRというやつか。
「詠早、ちょっと」
「どうしたの天地君」
俺は栞に呼びかけたあと、そっと右に寄り、更科と円居の姿をさらす。
「あ、あの、詠早、さん」
「どうしたの更科さん」
「わ、わたしも、実は小説を書いていて……」
「そうなんだ! ね、読ませてもらってもいい?」
「ふぇ? も、もちろんですっ……」
憧れのイケメン先輩と、そいつにプレゼントを贈る気弱な後輩、みたいなやり取りだった。
栞はスマホを操作して、更科のマイページを登録する。
「ん、これでよし。帰ったら読んでみるね」
「お、お手やわらかに……」
「ところで更科さんってどういうジャンル書いてるの?」
「百合SFです」
「えっ?」
よくわからなかったのか、栞は説明を求めて俺を見た。
「百合SFだ」
百合SFである。
死の宿命を背負った友人を助けるために何度も何度もタイムリープを繰り返したり。
無性交出産が当たり前になった未来で真実の愛を探したり。
娯楽としての恋愛を突き詰めた結果人類同士の恋愛は激減して代わりにAI同士のイチャイチャを鑑賞するのが当たり前になっていたり。
――そういった関係性を、主に女性で描いている作品の総称である。たぶん。俺もよくわからん。専門外だ。
「そ、そう。とりあえず、読んでみるね」
「よろしくお願いします……」
更科が静かに左に寄って、後ろにいた円居の姿があらわになる。
「……あなたも?」
円居は無言でうなずく。
栞はスマホを操作して、円居のマイページを登録した。
「円居さんのも、帰ったら読んでみるね。タイトルを見る限り、ファンタジーなのかな?」
円居は無言で激しくうなずいている。
「ああ、かなり本格的なハイファンタジーだ」
と俺は補足を入れた。
中学の頃から書いていたらしく、すでに数十万文字に達している力作だ。正直、いくらか読みづらいのは否めないが、そこも含めて指摘してもらえばいい。世界観は重厚でオリジナリティもあるので、改稿次第で化けるのではないかと俺は思っている。
「へー、楽しみ」
栞は読むのが待ち遠しそうに笑顔を浮かべる。
その反応を見た円居は、無言で身体を震わせると、自分の机へ逃げるように戻ってしまった。注目を浴びるのも限界だったのだろう。
二人を引き合わせてひと仕事終えたつもりになっていたら、ふと視線を感じた。栞がこちらをうかがっている。
「……なんだ」
「天地君は?」
「ん?」
「天地君の小説は?」
「俺はいい……」
短く返事をして、自分の席に戻る。
「そっか」
栞の返事は軽い口調で、そして、少しさびしげだった。
「じゃああたし、先に帰るね。ばいばい、ブンショー」
「……ああ」
「綴利先輩も、更科さんも、円居ちゃんも、さようなら。お邪魔しました」
栞が手を振って退室してからも、俺はぼんやり戸口を眺めていた。
栞の誘いを断ったのは、俺が〝感想いらない系作者〟だからではない。ツヅリセツの作品群を読みつくした後で俺なんかの小説を読んだら、そのクオリティの落差が浮き彫りになってしまうから。ツヅリセツの小説と比較されるのが怖かったのだ。
そんな俺の〝逃げ〟など、栞には見透かされているのだろう。
逃げたことは気づかれてもかまわない。
先輩との差を知られるよりはマシだ。
――そんなことを考えていると、再び戸が開いて、栞が顔だけのぞかせる。
「今度読ませてよ、ブンショー。これ、社交辞令じゃないから」
「……いいのが書けたらな」
「待ってるからね、ブンショー」
謎の念押しをして、栞は今度こそ帰っていった。
「ブンショーさんのあだ名、昔からだったんですね」
「あいつが名付け親だよ」
「ああ、だからあんなに主張されて――」
更科は丈の合わない白衣の袖で、笑っている口元を覆い隠す。
「どうした?」
「いいえ、何も?」
更科をもう少し追求したかったところだが、
「おーいブンショー君」
綴利先輩からお呼びがかかったのでそうもいかない。
「なんですか」
「やはりヒロインの現物を目の前にすると違うね。やる気がのぼり龍、いや、うなぎのぼりだよ」
「なんで言い直して弱体化させたんですか」
「言葉なんてどうだっていいじゃないか」
「仮にも小説書きがなんてことを」
「まあ、何が言いたいかというとね」
綴利先輩は両肘をついて、前髪のすき間から俺を見上げる。
「原作の続きを、お願いできないかな」
原作――すなわち『さよならリトルガーデン』の元ネタである、俺と栞の小学校時代の思い出を、綴利先輩は要求していた。
断る理由などない。
思い出を語るというちょっとばかり恥ずかしい行為の代償として、ツヅリセツ先生のすばらしい小説を読むことができるのだから。断る理由どころかためらう必要すらない。
「もちろんです――」
いつもなら即答して終わりの場面。
しかしここで、ほんの少しだけ、打算が働いてしまった。
「――ところで、ちょっと俺からの提案なんですが」




