「再会」浜寺公園/クリスマスストーリー2
ふたりが割烹着の女について行くと卓袱台を思わせる小さなテーブル席に案内された。同じような卓袱台風テーブルは壁際に並んでいて、店内の床は古民家の造りを活かした土間そのものだった。土間には大人数で囲める一枚板の大テーブルがあり、その中央は四角くくり抜かれた囲炉裏になっている。さらに奥には座敷もあって、そこではみな鍋を突いていた。
「なんか、えらいうまそうやなぁ」
食いしん坊の竜野がさっそく隣のテーブルを覗き見た。
「おい、なにしてんねん」
隣のテーブルの女ふたりから冷ややかな視線を浴びたが、竜野は気にするようすもなくメニューのサンプル写真と隣の料理皿を見くらべている。
手塚が「こいつ、ほんまに行儀悪いやつで」と弁解するようにふたりの女に軽く頭を下げた。
「竜野!」
静かに、厳しく語気を強めた。
「わかった、わかった。とりあえずビールやな」
夢と希望に溢れていた昭和、おふくろの味がまだ健在だった昭和がコンセプトなんですよ、とジョッキグラスを持ってきた割烹着は説明した。
うねるような梁が剥き出しの天井からは、必要もない粘着性の蠅取り紙がぶら下がり、壁には黄ばんだ化粧品や洋酒のポスター、米屋が年末に配るカレンダーなどが掛かっている。奥の座敷にある脚付きの白黒テレビの画面には「ゲバゲバ90分」が流されていた。ご丁寧にそのテレビの上には白いレース編みの服を着た黒電話が座布団に座っている。どれも昭和30年代、40年代の物ばかりだった。
竜野が壁に飾られている古風な水鉄砲のようなものを見て、「あれ、なんや?」と訊いたが、手塚もそれがポンプ式の殺虫剤噴霧器だとは知らなかった。
こだわりはメニューにも表れていた。どれも煮物や酢の物、焼き魚といった家庭料理ばかりである。さらに割烹着が言うには、厨房の料理人は50代、60代ーー定かではないが80代もいるらしいーーのおばちゃんだけという凝りようだった。
30を目の前にした独身男ふたりは、ひさしぶりに家庭料理らしいものをたらふく味わった。
「去年の話やけど」
手塚が空になったジョッキグラスを振りかざし、割烹着を呼んだ。
「うん」
空いた皿を片付け、お新香の小鉢をテーブルの中央に置いた竜野が応えた。
「ちょうど去年の今頃なんやけど、うちの郵便受けにへんなメモが入ってたんや」
「ほんで?」
誘ってきたからには手塚におもしろい話があるに違いない。今夜はどんな話がはじまるのかと思いながら、竜野もやってきた割烹着に空のジョッキグラスを渡した。
「ポストイットで大きめやつあるやろ。ちょっとしたメモ用紙とかにも使えるのが。あれの黄色いやつに『また来ます』って書いてあったんや」
「ほほう」
「そんときはなんかの間違いやろ思てチラシとかと一緒に捨ててしもたんやけど、次の週また入ってたんや。同じ黄色いポストイットに『また来ます』って書いてある。あきらかに女の字ぃや」
「女か」
「そうや」
「誰や?」
「わからん」
「その字ぃに見覚えはないんか?」
「せやねん。筆跡に見覚えあらへんし、女から『また来ます』ってメモ郵便受けにもらうような関係も思い浮かべへん。仕事関係のひとがそんなことするわけあらへんし、なんかの勧誘かと考えたけど、またその次の週も郵便受けにメモ入ってるんや。『また来ます』って。そんな凝ったことするわけないやろ? なんぼ考えてもわかれへんかった」
「新手の詐欺か?」
「ちゃう」
「おい、誰かに惚れられたんやろ?」
「ちゃうちゃう」
「なんやねん、早よ言えよ」
「日曜日。昼過ぎまでうちでごろごろしとったら、チャイム鳴ったんや」
「なるへそ、いよいよご対面やな?『また来ます』って女と」
「せや」
「むかしの彼女やな?」
「ちゃうちゃう、せやけど‥‥‥結婚の約束をしたんはあの子だけやなぁ‥‥‥」
「なんねん、おまえっ。おれに内緒でそんなこと‥‥‥」
「ちょう待て、聞けよ。もうとっくに忘れてたような話やねん。いや完全に忘れることはないなぁ。ときどき思い出したりしてたなぁ。どないしてるかなぁ? あの子って」
「なんやねん、おまえ。早よ言えよ」
「あるやろ、おまえかて。小学生とか中学生んとき好きやった女の子とか、仲良かった女の子のこと思い出したりしてや、どないしてるかなぁ? あの子って」
「あるある、ほんで?」
「小学校3年のときおんなしクラスなって、仲良なった女の子がいてや。しょっちゅう一緒に遊んでたんや。一緒言うても、ふたりだけとかやのうて仲のええグループがあって、いつもみんな一緒に遊んでたんや。そんなかでも特におれとその子が仲良かったんや」
「ほんで」
「おれらのことはなんやクラス全員の公認ちゅうのかなぁ、別におれらが決めたことちゃうねんけど、おとななったら結婚するってことになってしもたんや。ほんまいつも一緒で仲良しやったんや。ところがや、4年なる前にその子が引越することになったんや。もう今ではそれがどこやったか全然覚えてへんけど、小学生にしたらもう二度と会われへんえらい遠いとこや」
「うん」
「サイン帳ってあるやろ。小学校卒業するとき、みんな1冊持っててクラス中の同級生にまわして、ひと言書いてもらったりせえへんかった?」
「ああ、クラス全員から別れやら記念のメッセージ書いてもらうってやつか。中学生なっても仲良しょうとか別々になっても会おなってやつやろ」
「せや。その子が転校することなったんで、そのサイン帳が全員にまわってきたんや。誰が最初に言いはじめたんか、書きはじめたんかわからへんけど、そのサイン帳におれとその子がおとななったら、クリスマスに結婚するってことなってたんや、みな結婚式には呼んでくれって書いてあんねん。たぶんお節介で世話好きな女子の誰かがやりはじめたんやろ。たしかおってん、そういうの好きな子。まあ、ほんま子供の遊びや」
「ちょっと待った。女の筆跡で『また来ます』ってメモ。去年の今頃っちゅうたら、もうすぐクリスマスや。チャイム鳴って、『また来ます』って女とご対面」
「ああ」
こんどは竜野が空になったジョッキグラスを振りかざし、追加のビールを注文した。
ふたりは新しいビールを待った。これはふたりの間では暗黙の了解になっていることだった。話があらたな展開に進むときはひとまず間を置いて、どちらにしても聞き手のほうが話の先を推測する余裕を与えることになっていた。
竜野が運ばれてきた冷たいビールをひと口含んだ。
今では隣のテーブルの女ふたりの会話も途切れがちで、手塚と竜野の話に聞き耳を立てていることはあきらかだった。