第1話 最小転生
俺の名は『佐々木春一』。
今しがた愛娘に背中を刺された所だ。
出勤しようと玄関を出た矢先、後ろからグサリと来たもんだ。
俺を迎えに来た職場の同僚が、揃いも揃って青い顔していやがる。
まあ、なんだ。こりゃ死ぬ。
俺はとある組織で、若頭をしていた。
相手組織から命を狙われるのは慣れっこで、だからこそ若い連中が俺を迎えに来ていた訳だが、まさか俺の娘がとは誰も思わねーな。
薄れる意識の中で、若いのが大焦りで叫んでいる中で、何故だか愛娘の呟いた一言だけが、俺の耳に届いた。
「もう、わるいことはしないで」
泣きながらも、強く俺を睨みつける娘。
いつも笑顔でいたのに、その実、刺し殺すほどに父親を憎んでいた訳か。
ははっ、全く気付かなかったよ。
嗚呼……後悔、しちまった。
父さん、散々悪い事してきたからなぁ。
なんでこうなったんだか。
もうわるいこと……したくねーなぁ……。
*****
……ん?
あれ?
俺死んだはずだよな?
ここは天国……じゃねーな。俺が天国なんぞ行けるはずがねぇ。んじゃ地獄に来たのか?
っつーか、とにかく前がよく見えねぇ。
視界がぼんやりとしていて、色は分かるが輪郭が分からねぇ。
もしかして、すりガラス越しなのか?
『!’&%#%$”#$!』
なっ!? うるせぇ!!
突然に頭が割れそうなほどの大音量で、まるで渋谷のど真ん中にいるような声という声が一斉に俺を襲う。
鉄道のガード下のほうがまだ静かだぜ。ったく!
(うるせぇ!!)
『貴様がうるさい!』
これまた突然に、頭の中で怒鳴り声。若い女の声で、綺麗系だ。
んじゃー……閻魔様ってのは女なのか?
なんて思っていたら、それ以上に厄介な事に気がついた。
体が動かない。体だけじゃなく、視線すらも全く動かせない。
まさかのまさかの、ずっと同じ光景を見続けるだけっていう地獄じゃねーだろうな?
ふと、さっきの大音量が静まっている事に気がついた。今は無音だ。
(なんだったんだよ、ったく)
そう悪態をついて、ようやく冷静さを取り戻した。
まずは状況を考える。
手足に視線すらも動かせないとなると、最悪脳味噌だけで生きているって可能性がある。
というか、それが一番理に適っている。
このぼんやりとした視界は、ホルマリン漬けのビンの中だと考えれば納得が行くし、そうならば視線が動かせない事にも納得出来る。
あのうるさい声は、俺のほかにも大量に脳味噌が並んでいて、なんかの実験で一斉に目を覚ましたと考えれば――納得は出来ないが、話としては繋がると思う。
あとは怒鳴り声だ。
……なんだったんだ?
俺の脳に直接聞こえた感じだった。
若いのがゲームやってる時にテレパシーが云々って言っていたのを思い出したが、まさかあれがテレパシー?
だとしたら俺は実験動物扱いか?
――タダでは折れてやらねーからな。
テレパシーなんてモノがあるとは思わねーが、もしあるんだったら、こっちから利用するまで。
まずはさっきの『声』とコンタクトを取ってみるか。
(おい)
……無反応か。
というか、口が無けりゃ声が出せねーよな。
じゃあさっきの『声』は、なんで反応した?
なんて疑問に埋もれていたら、初めて視界に動くものが入った。
残念ながらぼやけた視界じゃよくは分からねーけど、まるで――というかほぼ確実に、何かの動物がだらりと下げたしっぽを、力なく振っている。
見た感じ、上が黒で下が赤。しっぽは犬や猫と違って、胴体の太さそのまんまって感じだ。
ワニとかトカゲに近いんだろうか?
だとしたら――。
(実験動物か)
『うるさい……』
反応した。
そしてしっぽが止まった。
結構精神的に参っている声だった。
ま、うるさいと言われて引き下がるほど、俺は甘くない。
(お前、どうなってるか説明してくれ)
フンッと、人を馬鹿にしたような鼻息だけが聞こえた。
多分、俺の目の前にいるよく分からん動物だろう。
……待て。待て待て待て。
改めて考えたら、おかしいだろそれ。
トカゲが人の言葉喋るのか? そんな動物実験してんのか?
俺は今、そんな所に脳味噌ホルマリン漬けなのか!?
やべーだろそれ!
(いやー……ったく、なんでこうなっちまったんだ?)
『うるさいと言っているだろう!』
(うるせーじゃねーようるせーな! ってかお前なんなんだよ!)
怒鳴り声に逆切れしたら、チッと舌打ちの音が聞こえた。
これは俺の脳にじゃなくて、耳に聞こえた。
『仕方が無い。私はダークドラゴンのシェーネフェルト。貴様がどこの誰かは知らんが、見ての通りヒトに捕まった』
(はあ? なんだよダークドラゴンって。ゲームのやりすぎで脳味噌イカレたか? ははは!)
『貴様っ!』
おっとお怒りの様子だ。
しっぽ? で何かを叩いたようで、バンッ! という固い音がした。
と同時に風が来て体が揺れる!
(うおっ!? 風強っ!)
思わず口に――口はないかもしれないが、声が出てしまった。
俺の焦りを聞いたからか、『声』が得意げになった。
『……貴様さては、衛星種だな?』
(なんだそれ? まあ、名乗られたからには俺も名乗るか。俺は佐々木春一だ。この調子じゃどっちが先に死ぬかって感じだからな、せいぜい死ぬまでよ・ろ・し・く!)
話の流れで喧嘩腰になってしまった。
だが気にする事は無い。
どうせすぐに死ぬんだろうから。
俺の中では、俺が何故こうなったのか、整理がついている。
娘に刺されて俺は死んだ。だが体は死んでも脳味噌は生きていたんだろう。
だから実験なり標本なりのために、ホルマリン漬けにされた。
んで、どこかのよく分からん秘密研究所に二束三文で売り飛ばされた。
完璧だな。
だが待て。
”さてらいつ”って何だ?
どうせやれる事もないし、またお喋りで暇を潰すか。
(おい。ひとつ聞いてもいいか?)
明らかに目の前の動物が、大きくため息をついた。
『なんだ?』
(悪いね。さっき言ってた”さてらいつ”ってなんだ?)
……ん? また反応が無くなった。
と思ったら一往復だけしっぽが振られた。
『ふふっ。そうか、貴様もしや転生者だな?』
(てん……なんだそれ?)
『くくくっ、よもや転生先が衛星種とはな。ならば私も暇を潰そう』
明らかな嘲笑。
よく分からんが、このナントカって女は、俺が何者なのかを理解した様子だ。
一方的にだけどな。
『まずは貴様の質問、衛星種についてだ。彼らは砂の一粒ほどしかない、とてもとても小さな知的生命体だ。故に最弱。私の鼻息ひとつで貴様も死ぬだろう』
マジかよ……。
『逆に私だが、ダークドラゴンはこの世界における、全知的生命体の頂点に君臨する種族だ……った』
(った? 過去形?)
『ああ。今はヒト族に取って代わられたからな。奴らは我々を駆除の対象と位置づけ、特殊な魔法を編み出して次々に蹂躙した。ヒトの生み出した小型化・弱体化の二つの能力を持つその魔法により、私も捕らえられてしまい、こうして身動きの出来ない状態なのだ』
そう言うと、ぼんやりとした視界に映るしっぽが揺れ、その左右――恐らくは後ろ足も動いた。
これで完全確実に確信した。
俺の目の前にいるこいつこそが、ダークドラゴンの女だ。
(ってか、それ信じろってのか?)
『召喚者や転生者にとっては信じられないのも無理はない。私とて貴様の立場ならば到底受け入れられない事柄だ』
(んじゃその転生者ってなんだよ?)
『言葉の通りだが?』
言葉の通りって――つまりは何か?
俺は一度死んで、転生して、その”さてらいつ”ってのになった?
――馬鹿馬鹿しい。
*****
ダークドラゴンの女、『シェーネフェルト』との会話は終わった。
鼻歌交じりで誰かがやってきたからだ。
当然ながら俺の視界はぼやけたままで、視界の外にあるはずの扉が開く音だけが聞こえる。
――試しに声をかけてみるか。
と思ったがそれどころじゃねぇ!
扉が開いた勢いで風が起きて、俺は宙に舞い上がっちまった!
(やべぇ!!)
『行きたい方向を強く思え!』
(なんじゃそりゃ!?)
あーもう文句言ってる余裕ねぇ!
とりあえずは無事に着地する場所――っしゃ、あいつの上に乗ってやらぁ!
自分のイメージでは空中を平泳ぎだ。
まるでギャグ漫画だが細かい事は言ってられねぇ。
んしょ、んしょ、んしょ――。
偶然か動けたのかは分からんが、黒い大地に到着だ。
俺からしたら叩きつけられる勢いだったんだが、マジで小さいからなのか、痛くも痒くもねぇ。
正直、この瞬間までこいつの言っていた事は嘘か夢だと思っていた。
だが俺は扉が開いただけの風で宙を舞ったし、それでも視界はぼやけたまま。
つまりそれは、俺が”さてらいつ”って極小の存在になった事と、脳味噌ホルマリン漬けではないって事の証明だ。
転生したって事の確証は無いが、元の人間ではない以上、信じるべきだ。
――腹を決めよう。
(よしっ! そうと決まれば次だ。おい、入ってきた奴は何だ?)
『そんなもの、自分で見ればよかろう』
(そうしたいのは山々なんだけどな、視界がずーっとぼやけたままなんだよ。ここがお前の上だってのは分かってるけどな)
『わっ……私の上に乗ろうとは、このような状況でなければ噛み殺していた所だ!』
(ハイハイ謝るよ。で?)
俺の心無い謝罪に、大きなため息が聞こえる。
『迷いを捨て、この世界を受け入れろ。貴様の視界がぼやけているのは、貴様自身がこの世界を受け入れ、しっかりと見ようとしていないせいだ』
――ああ。迷いはあった。
娘の顔も、嫁の顔も、あいつらの顔も、もう見られないだなんて……悔しすぎる。
あんな所にいた俺だが、だからといって死にたくはねーよ。そりゃ当然だ。出来る事ならば足を洗って堅気に戻り、孫に囲まれて幸せに死にたかった。
なのにどうして、娘に刺し殺されて人生終わりってよ……。
”もう、わるいことはしないで”
悪い事――そうだな。
だったら、捨ててやるよ。
過去の全部捨ててやる。全部捨てて、俺はこの世界で――。
『いい人』になってやらぁ!!
恥ずかしながら帰ってまいりました。
今回は1話を短めにまとめて、なるべく毎日更新を目指そうかと。
それではよろしくお願いします。