第24話「彼女を救うたった一つの魔法」
自分の腕の中で小さく呼吸をするユアンを、カルミラは震える眼で見つめる。
しっかり抱きしめていなければ今にも消えてしまいそうな彼女を、ただただ見守ることしかできない自分自身を呪いたくなる。
ユアンはサイファと呼ばれていた女の子に 魔力を限界まで吸われてしまった。
魔力は命に直結しているものだ。それが空になるまで吸われてると言うことは、即ち死を意味する。
それは、いかなる回復魔法を持ってしても避けることは出来ない。
「…………ミラ」
「ユアン⁉︎」
微かに、搾り出すような声にカルミラは一文字も聞き逃さまいとユアンの口元に耳を近づける。
ポツポツと、息をつきながらユアンは言葉を続ける。
「助けて……くれて、ありがと、ね」
「〜〜〜〜」
助けてなどいない。
助けられなかった。
感謝なんかしないでよ、ユアン。
心の内の悲痛の叫びをカルミラは顔に出さないよう努める。
…………いや、無駄だろう。
カルミラは自分の瞳から流れ落ちる水滴に気づき、気丈に振る舞うことをやめる。
「ユアンユアンユアン……」
ユアンの胸にカルミラは顔を埋める。
泣いてる姿など見せたくなかった。だが、震える声を抑えられない。
涙を流すなど何百年ぶりだろうか。久しく忘れていた機能に、それを我慢する方法が分からなかった。
カルミラの後ろでは沙夜が、その光景を口を手で塞ぎ眺めていた。
「……お姉ちゃん? お姉ちゃんもわたしを助けにきて、くれたの?」
「ううん。ごめんなさい。私が来た時はカルミラさんがあなたを助けた後だったわ」
「そっか。でも、お姉ちゃんも……わたしのためにここに来てくれたんだもん。……うれ、しいな」
そう言い終わると、ユアンはグタッと糸の切れた人形のように力が抜けた。
カルミラは優しく支えて、床に寝かせる。
時間だけが過ぎていく。
このままではユアンは死を待つだけ。
そんなことを許せるのか。
いや許せるはずなどあるわけがない。
(どうすればユアンを救える……)
外傷なら治癒魔法を使えばいい。
病気なら病原菌を殺せばいい。
魔力の枯渇から、その命を救うには……
(魔力は自然治癒以外では回復しない。妾がユアンに魔力を流し込むことはできるが、それで回復することはない。そもそも減った魔力を回復させる方法など自然回復に任せるしかないね)
カルミラは過去の記憶を探る。
完全に魔力が枯渇したユアンは、魔力が自然回復する前にその命を落とすだろう。
400年も生きたのだ。一つくらいユアンを救う術があるはずだ。
「………………‼︎」
あった。
カルミラは一つの答えを……ユアンを救う魔法を思いついた。
だが、この魔法は……。
「……鹿島沙耶。妾はユアンにある魔法を使おうと思う」
「そ、それで柚杏は救えるの⁉︎」
「わからない。でも、妾にはこれしか出来ない。主がもしユアンを救う方法を思いついたなら今すぐ言って欲しい。思いつかないならこの魔法を試す」
「…………ごめんなさい、私には何も思いつかないわ。カルミラさん、お願いします。妹を……救ってください」
カルミラはユアンを抱き締めると、ある魔法を唱えた。
その魔法は400年前カルミラの母がカルミラに使ったシェリダン家の固有魔法。
「『突然変異』」
かつて人間だったカルミラを吸血鬼に変えた魔法。
死の淵にいたカルミラを、身体を作り替えることで生きながらえさせた魔法。
ユアンの身体を作り替えることで、枯渇したユアンの魔力自体を復元することができればユアンは救われる。
この魔法にそんな能力があるかはカルミラも知らない。
ただ、かつて自分が救われたこの魔法に全てを託すことにしたのだ。
失敗すればユアンを化け物に変えるかもしれない。
『突然変異』の危険性は両親から何度も聞かされた。
故にカルミラは一生涯この魔法を使うつもりはなかったのだ。
だが、こんなことになるならば練習くらいはしておけばよかったとカルミラは後悔する。
「一発本番。失敗すればユアンは……」
頭を振り、嫌な考えを消し去って魔法に集中する。
大事なのは結果を想像すること。明確なイメージはこの魔法の成功に大きく起因する。
ユアンの死を回避するには体の構成そのものを変質させなければならない。
具体的には魔力総量そのものを増やす必要がある。人間という器からもっと大きな器へ。それこそ――吸血鬼のような。
だが、本当にユアンを吸血鬼に変えてしまって良いのだろうか、とカルミラは悩んでしまう。
吸血鬼になってしまえば、昼間に活動することが億劫になる。そして永遠に等しい寿命が手に入る。しかしそれは良い事ばかりでは無い。他人とは違う時間を生きるという事は、それだけ多くの別れを経験することになるという事だ。これまでカルミラは何度も経験してきた。
「多くの変質はいらない……。ただ魔力総量を増やすだけ」
可能な限りの人間性を残す。
そんな事が出来るのだろうか。
柔らかいオレンジ色の蝋燭の灯りに照らされるユアンの顔を瞬きせずに眺め、カルミラは約束を思い出す。『ずっと一緒にいる』。あの日、月明かりの下でユアンとそう約束した。ユアンには普通に生きて、普通に人として人生を送ってほしい。それがカルミラの思いだった。ならば、と。
――カルミラは瞼を閉じ、イメージを意識する。
(できる、できないじゃない。今、妾が持てる全てを賭して――ユアンの命を、人としてのこれからの人生を守る!)
ポタッポタッとカルミラの腹部から血が垂れてきた。
体の再生に使ってる魔力を、周囲の感知に使ってる魔力を、皮膚の周りを常時覆っている薄い魔法障壁に使ってる魔力を――無意識下で消費されている魔力をカルミラを切ってその全てを『突然変異』のコントロールに回す。
「ん、ゔぅ……」
ユアンの身体に魔法が干渉し始め、その性質そのものが再構成し始めたのが分かった。
少しでも魔法のコントロールをミスると、急にイメージとずれた変化を見せる。まるで細い穴に糸を何度も何度も通し続けるような作業だ。一片のミスすら許されない。
ミスは魔法の奇跡を呪いに変える。ユアンの自我すら残さない、文字通りの化け物へと。
身体が再構成される未知の感覚に襲われたのか、ユアンの顔が歪む。
魔力が枯渇し、死の瀬戸際にいるユアンに長い時間負荷はかけられない。
「鹿島沙夜、ユアンの手を握っててくれないか?」
「わかったわ」
少しでもユアンを元気づけようと沙夜にユアンの手を握らせた。
もうユアンの意識はないが、沙夜が手を握るとその苦しそうな顔が若干だが和らいだ気がした。
意識は無くても、大好きな姉の手の温もりは感じているのかもしれない。
鹿島柚杏。
出会ってからたった一ヶ月。
カルミラの身体の底から甘美な渦で支配するような味の血を持つ少女。カルミラの経験談を対価にその血を頂いてきた。
最初はその血を目的にユアンの元へカルミラは通っていた。しかしいつからだろう。カルミラはユアンに会いたくて彼女の元を訪れ始めた(もちろん吸血はする)。ユアンとお喋りするだけで気分が高揚する。ユアンに喜んで欲しくて、嬉しそうに笑う顔が見たいがために別邸から連れ出して街へ遊びに行く。
恋……とは違うかもしれない。
そもそも恋は同性に抱く感情なのだろうか。分からない。400年以上生きてきて初めて抱く感情。
こんなにも一人の人間に依存してしまう事などなかった。
この前ユアンに言った通り、ユアンの事が『好き』なのは確かだ。
今までも仲良くしてきた人間は数多くいる。でも、明確に……『欲しい』と思った人間はユアンが初めてだった。
ユアンの血が『欲しい』。
ユアンとの会話が『欲しい』。
ユアンに側にいて『欲しい』。
ユアンの好意が『欲しい』。
ユアンの全てが『欲しい』。
そして同時に『あげたい』と思った。
妾の経験したことを教えて『あげたい』。
妾が魔法を教えて『あげたい』。
妾が側にいて『あげたい』。
妾の時間を『あげたい』。
妾の全てを『あげたい』。
ユアンと出会ってカルミラは自分が弱くなった気がした。
自分よりも圧倒的に歳下な彼女に幾度となく振り回された。血の誘惑に負け、ユアンに不快な思いをさせてしまったこともある。そんな彼女に許してもらうために平謝りする姿を昔の自分が見たら腹を抱えて笑うだろう。
でもそれは、昔のカルミラは知らないだけだ。
今カルミラがユアンに対して抱いている感情を。
その感情はカルミラを弱くした。少なくともカルミラ自身はそう思っている。
今、目の前でユアンの命が尽きかけようとしている。ユアンを喪失してしまう事がとても恐ろしい。そんな世界を想像するだけで、たまらない思いが溢れ身体を掻き毟りそうになる。
ユアンを思うカルミラの感情は、確かにカルミラの心を弱くしたかもしれない。でも……
「ユアン……絶対に助けるね」
必死になってまで守ろうとする、その想いは決して悪いものではないはずだ。
■■■
ユアンは暗い水底にいた。
手足はズッシリとして重く、指先一つ動かす事ができない。
例えるならば眠っている感覚に近い。
ただ温かなお布団の中とは違って、そこはとてもとても寒く、胸の奥から身体を冷やしていく。
体温が闇と同化して自分と世界との境界が曖昧になる。
意識はどんどん深い闇へ呑まれていく。何も考える事ができない。
あぁ〜、このまま消えちゃいそう。
意識が途切れ途切れになり始める。
………………。
…………。
……?
何だろう。温かい。
何分たったか、何十分かわからない。
ふと胸の奥に違和感を覚えた。
寒さの中にポツンと生まれた温かなモノ。
胸の奥、身体の中心に灯った小さな炎。
その炎は身体の中を燃え広がるように身体中に巡り始める。
手に、足に、指先に感覚が戻って来る。
手は温かなモノに包まれている。安心する。
いつも感じている、側にいる。
これはお姉ちゃんだ。
お姉ちゃんがわたしの手を握ってくれているんだ。温かくてすべすべしている。
そして、わたしの胸に炎を灯してくれたのはミラ。
ずっと側にいてくれる。
真っ暗なこの世界でも、ミラを感じられる。
ついさっきまで寒くて暗かったけど、今は違う。お姉ちゃんの温かさ、ミラの温かさ。その両方をすぐ側で感じる。
「――――」
声がした。
水中で聞いたような、聞き取りづらくハッキリとしない声だったけど、この声はミラだ。そう、確信した。
「――――アン」
また聞こえた。
わたしの名前、読んでるのかな。
しょうがない。今から行くよ、ミラ。
もがくように、足掻くように、闇の中声の方へと手を伸ばした。
目を開けると、薄ぼやけた蝋燭の灯りが見えた。
そしてその灯りに照らされている目の前のカルミラの顔。
両眼は赤くなり、まつ毛にもたくさんの水滴を溜めている。カルミラのこんな顔を見たのは初めてだった。
ユアンが起きたのに気づいたのか、カルミラの顔がパァっと明るくなる。そのすぐ隣にいる沙夜も同じく緊張が途切れたように頬を緩ませている。
そう言えば誘拐されて……心配かけちゃったな。
ユアンは身体を起こそうとするが、プルプルとするだけで力が入らない。
サイファに力を抜けた後遺症がまだ残っているのだろう。
えへへ、と誤魔化すようにユアンは。
「えーと、ミラ、お姉ちゃん、おはよ?」
ギュッとカルミラがユアンに抱きついた。
外はいつの間にか雨が止み、割れたステンドグラスから雨上がりの日差しが差し込んで来ていた。
あと2〜3話で1章が終わります。(予定)




