第21話「邂逅」
――すこし時間は戻り、鹿島家別邸。
梅雨特有の強い雨が轟音をたてて降り注ぐ。梅雨明けが近いとは思えないほどだ。
まだお昼過ぎだというのに、どんよりとした暗闇の中を窓から漏れた光が降ってくる雨を照らしている。
ユアンは窓越しにその雨を眺めていた。
「雨だからミラ来ないよね」
昼食を取り終えてすぐ。
何かしらの事件が起きたのか姉から部屋から絶対に出ないようにと言われ、ユアンは一人寂しくしていた。先ほど父や兄が屋敷から外に出て行く様子が窓から見えたので街の方で緊急の用事、もしくは事件が起きたのだろう。
ユアンは暇そうにあくびをして本棚からお気に入りの本を出して、ベッドに寝転ぶ。何度も読見返したことのある本だが、何度読んでも面白く暇つぶしにはちょうど良かったのだ。
ユアンはお気に入りのシーンまでページを飛ばし読み始めた。
とある勇者の冒険譚。双子の兄妹の勇者が力を合わせて魔王を討伐するよくあるお伽話。双子の妹が魔王の幹部に攫われ、それを兄が救うシーンは何度読んでも興奮できるものだ。
チラチラと天井の光が揺れる。外から雨音に混じってゴロゴロと雷の音が聞こえてくる。雷魔法によって動く『光球』は雷の影響を受けやすく、酷い時は光を失ってしまうこともある。
チラチラと揺れる光はユアンの集中力を奪い、眠気を誘う。……いや、眠気を誘うのはそれだけではない。
(……あれ、あんまり面白くない)
何度も読み返したお気に入りの本なのだが、何故か面白く感じれなくなっていた。
何故だろう……。
――あぁ、そうか。
カルミラが話してくれる外の世界の未知の物語に比べて、何度も読んだ既知の物語が劣って見えるのは当然だ。
カルミラと出会い、カルミラから得た知識、経験はユアンの今までの世界を霞ませるには十分であったのだ。
それと同時に外の世界への羨望がユアンの中で強くなっていた。
眠さから目が霞み文字を読むのが億劫となってきて、本を閉じて枕に頭を付ける。暗いとは言えまだ昼間だし、カルミラが来ることはないだろう。ユアンは睡魔に身を任せようと目を閉じ昼寝に興じようと思った。
そのとき……
パチン
何かが弾けるような音がした。
その音でユアンは驚いて目が覚めた。
何の音だろうと体を起こし、辺りを見回す。特に変わった様子はなくいつも通りの部屋がそこにあった。
……確かに部屋には異常はなかったのだが
「別邸の『幻魔』が破壊されてる?」
別邸を囲む認識阻害の『幻魔』。
ユアンの存在を隠蔽する魔法が破壊されたのだ。こんなことは初めてだった。
「……えっ、どうしよう」
早く誰かに知らせるべきなのだろうが、姉から部屋から出てはいけないと注意されていた。女中に言って本邸の方に連絡してもらうべきかユアンは考えたが、女中に『幻魔』の存在を教えて良いのだろうか。
ユアンが悩んでいると、コンコンっとドアをノックする音が聞こえた。
そしてユアンの返事を待たずにドアが開かれた。
「こんばんわ、お嬢様」
眼鏡をかけた黒髪の青年が部屋に入って来た。黒い執事服を身につけ、腰には刀を差している。見た目は執事風で鹿島家の家来の一人かと思ったが、ユアンはこの男を知らなかった。
ニコニコとした胡散臭い顔をしている男にユアンは問いかける。
「……誰?」
「私は安倍十兵衛大貴と申します」
青年――十兵衛はそう名乗り丁寧にお辞儀した。
ユアンは聞いたことのない名前に頭を傾げる。
新しく来た執事だろうか。
しかし別邸の『幻魔』が破壊されたタイミングでこの部屋に来た十兵衛をユアンは警戒する。
「……何の用?」
「用事……ですか。そうですね……」
十兵衛は顎に手を当てて考える仕草をする。考え事をしている間、一度もユアンから目をそらさずにその黒い眼を向けていた。
「用事は色々あります。でも端的に申し上げますと……」
コツコツとユアンの方に近づきながら腰に差している剣の鞘を左手で掴む。
「貴方を誘拐しに来ました」
ニコッと紳士的な笑顔からは想像もつかない恐ろしい言葉を口にした。
誘拐。
確かに十兵衛と名乗る青年はそう言った。
身の危険を感じ、ユアンは手のひらに魔力をこめ始める。まだ基礎的な魔法しか使うことのできないユアンだが、それでもしないよりはマシだと咄嗟に魔法を唱える。
「おやおや、悪い子ですね」
一瞬だった。
魔力を込めたユアンの手に剣の鞘でパシッと弾かれた。
その瞬間に魔力は飛び去る鳥のように霧散する。
「――っ!?」
「流石は鹿島の血を引くだけはありますね。綺麗で濃厚な魔力でしたよ。私には意味がありませんけどね」
ヤバい。
ユアンはこの時初めてこの青年に恐怖した。
鹿島の血を引く――、そう言ったのだ。
つまり、自分の出自がバレている。
忌避感、危機感、嫌悪感。
ユアンは枕を投げつけて、その隙にベットから飛び降りる。
そして――
「『幻魔』」
自身に幻魔をかけ、自分の存在を消し去る。幻魔の中で最も初歩的な魔法。
幻魔によってユアンの存在は消え去る。元々存在しなかったように。そして、青年がユアンを見失っている間にドアから脱出しようとする。
「私にそれは効かないですよ」
ドスっ
腹部に激痛が走りユアンは自分の体が浮き上がるのを感じた。
十兵衛が持つ鞘で腹を突かれ飛ばされたのだ。
床に身体を強く打ち付け、転がされる。
「っは!?」
肺にたまった空気が押し出され、呼吸が荒くなる。
誤認したはずの、見えていないはずの、見えるはずのない。幻魔によって隠されたユアンの位置を十兵衛は正確に鞘で突いた。真剣でないのが唯一の救いか。
いや、そもそも目的は誘拐と言っていた。殺すはずはない……か。
「じっとしてくれませんかね。あなたを傷つけたくはないのですよ」
「……な、んで」
「ん? 幻魔が効かないことですか?」
先ほどの魔力が霧散したことと言い、今の幻魔に惑わされずユアンに攻撃したことと言い、十兵衛は明らかに異質の力を持っていた。
ユアンは床の上に這いつくばり、十兵衛を見上げる。
「あまり手の内は明かさないことにしているので、その答えは言えません。すいませんね、お嬢様。いやあ、それにしても幻魔の力は凄いですね。私じゃなかったらとてもじゃないけど鬼ごっこで勝てる気がしません。いや、隠れんぼというのが正確ですか? 昔もそれで随分苦戦させられました」
十兵衛は倒れているユアンの前で屈み、指をユアンの額へ当てる。
そして呟くように魔法を詠唱すると指先から淡い青色の光がにじみ出る。その光に当てられたユアンは急激な睡眠欲に襲われる
「おやすみなさいお嬢様。いい夢を」
ユアンの意思を刈り取る睡眠魔法。
なんとか耐えようと眼を必死に開けようとするが、魔法による強制力に敵うはずもなく、ユアンは意識を失った。
クタッとその場で倒れたユアンを十兵衛は担ぎ上げる。
十兵衛は一仕事終え、窓から外を見ると窓の外の雷雨はさらに強さを増していた。
「雨で匂いが紛れるのは良いことですが、服が濡れるのは勘弁して欲しいですね」
十兵衛はため息をもらし、背中から漆黒の翼を広げる。カルミラと同じ蝙蝠のような翼だ。
そして窓を開けそこから十兵衛は飛び立った。
■■■
カルミラが到着したのはユアンが連れ去られてから幾分か経った時だった。
カルミラが部屋に突入した時には既にもぬけの殻。
ベッドが乱れ、枕が部屋の隅にあることから何かがあったのは確かだ。
「遅かったか……」
カルミラは悔しそうに歯噛みする。
しかし連れ去られたとしたら、悔しがってる暇はないと、カルミラは時間はかかるが指輪を使ってユアンの居場所の探知にかかる。
本当ならばユアンの匂いで幾らでも後を追えるのだが、この雨ではそれも無理な話だ。
カルミラは自分の小指から指輪を引き抜い、魔法を唱えようとしたその時
「ユアンっ!」
バンッ、とドアが開き一人の少女が部屋に入って来た。
何度かユアンの影の中から見たことある、その少女の名をカルミラは呟く。
「主は確か……鹿島沙夜だったかな」
「……あなたは誰? ユアンはどこ⁉︎」
沙夜は叫ぶようにカルミラに問いかける。
『幻魔』が破られたのに気づき、妹が心配で来てみれば全く知らない金髪の少女がいたのだ。
声も荒くなるというものだ。
「妾の名はカルミラ・L・シェリダン、吸血鬼ね」
「き、吸血鬼⁉︎ じゃあ、あなたが吸血鬼事件の犯人?」
「状況証拠だけなら完全な黒だけど……妾じゃないね。妾は……ふむ」
ユアンの恋人?
いやいや、それは飛躍しすぎだ。
では、親友?
ユアンもそう言ってくれてるから間違いではないだろう。
ふむ、でもユアンの実の姉の前でそれを言うのはなんとなく恥ずかしい。
指輪に魔法をかけながら、思案したすえ
「……ユアンの友人と言ったところね」
一番無難な所にした。
「あの子の友人?」
「そうだね、ここ一ヶ月ほどこの屋敷には何度も来てるし、ユアンを連れて町にも行ってる。……気づいてなかった、なんて言わないよね」
「…………あの子が何かコソコソしてたのは気づいてた……けど、まさかこの屋敷を抜け出していたなんて」
思い当たる節があるのか沙夜は頭に手を当てる。
カルミラは話している時間すら惜しいと、指輪に魔法をかけ始めた。
「それ……ユアンがつけてた指輪と同じ……」
「あぁ、これね」
カルミラが魔法を使い、契約関係にあるユアンの位置を割り出すために使っている指輪を沙夜は指した。
以前に沙夜がユアンの体を拭いた時に見かけた指輪と全く同じデザインだ。
「妾がユアンにお揃いでプレゼントした物ね。ユアンは肌身離さず付けてるみたいだから、主が見たのはユアンにプレゼントした方だろうね」
「それ……今何やってるの」
先程から沙夜の方を全く見ずに、指輪に魔力を注ぐことに集中しているカルミラに、沙耶はそう質問した。
「……先にユアンの居場所を問う質問に答えようか。ユアンは吸血鬼事件の真犯人に誘拐されてる。今、妾はユアンの指輪とこの指輪は契約魔法で繋がってるから、それで連れ去られたユアンの場所を探知してる所ね」
「真犯人? 誘拐? 街での騒動のこともあるし、一体何が起きてるのよ……」
父と兄からも詳しい事は何も聞かされてないのだろう。完全に蚊帳の外で、理解が追いつかず沙夜は頭に手を当ててうな垂れる。
「そもそもあなたはどうしてユアンの存在を知っているのよ。幻魔でこの屋敷は隠蔽されてるはずでしょ?」
「あはっ、そうだね。この屋敷は……ね。ユアンの方から出てくればそれは関係なくなるね」
「……勝手に抜け出しちゃダメって言ったのに」
カルミラとユアンが出会えたのも、ユアンが幻魔の掛かっている別邸から抜け出して空から落ちたカルミラに会いに来た事が原因だ。
どんなに親や兄弟がキツく言っていても、子供の好奇心は中々抑えられるものではない。
しばらくの沈黙。
刻々と時間だけが過ぎて行く中、ようやく探知が終わった。
指輪が指し示すユアンの居場所は……
「……南東方向13キロ。主、そこら辺に何か大きな建物か隠れるのに最適な場所を知ってるか?」
「南東に13キロ……、人がいなくて隠れる事に最適な大きな建物と言うと土神教の廃教会があります」
「ユアンはそこね」
カルミラは翼を出して、飛び立とうとする。
少しでも早くユアンを助けなければならない言う気持ちがカルミラを焦らせていた。
「待って! 私も連れて行って」
沙夜が手を伸ばしてそう言ったが
「場所は教えたね。ついてくるなら勝手について来るといいね」
無慈悲にもそう言い残してカルミラは飛び立った。
一秒でも早くユアンの元へ行くために、荷物を背負う余裕などガルミラにはなかった。




