怪しい人 漆原凛のこと その2
「お待たせいたしました。さて、お話をしましょうか」
ナプキンで口元を拭き、ようやく話をする体勢に移る。
「ああ、はい……」
ぼくはあっけに取られていた気持ちをニュートラルに戻す。
「まず、わたくしが説明するよりはこころさんが質問して、それに答えるという形式にしますか? それともわたくしがべらべら喋ってその都度疑問に思ったことを質問する様式にしますか?」
うーん、この場合は……
「えっと、前者でお願いします」
前者のほうが訊きたいことを聞けるし、後者だと漆原さん脱線しそうだし。
「そうですか。ならば質問を。楽しくて愉快な質問をしてくださいね。それとこの個室は防音になってますから何を話しても平気ですよ。マスターも聞き耳立てるような人ではありませんしね」
「はあ……まあ聞かれてたら何も話せませんし……では質問します」
ぼくは一旦言葉を切って、そして訊く。
「漆原さんが言ってた『シック』ってなんですか? ぼくの身体になにが起きているんですか?」
「……いきなり核心を突く質問ですね」
漆原さんはくふふと笑う。
「お答えしましょう。『シック』とは人外の能力にして埒外の異能。世間でいう魔法や超能力の総称のことを指します」
「……はあ?」
「つまり、こころさんは魔法使いあるいは超能力者になってしまったんですよ!」
ババーンという効果音が聞こえてくるような言い方。
いや言い方なんてどうでもいい。
まほうつかい? ちょうのうりょくしゃ?
「そんなバカなことないですよ! 現代ですよ現代! 中世ならともかく科学が発展してる世の中で魔法だとか超能力だとか、ふざけないでください!」
「でも、それなら説明がつきませんか?」
激昂するぼくに対してクールに返す漆原さん。
「銃で撃たれてもすぐに治りますし、右脚の古傷も突然治りました。これを説明するのに魔法や超能力以外の言葉がありますか?」
「で、でも――」
「魔法や超能力という言葉がお嫌いならば奇跡ではいかかでしょう? 連続した奇跡を起こす。それが『シック』の症状でもありますね」
「…………」
「納得しましたか?」
納得なんてできない、できるわけがない。いきなり魔法とか超能力だとか奇跡だとか訳が分からない意味不明だ理解不能だ――
あれ? 何かおかしくないか?
「あの、なんで右脚のこと、知ってるんですか」
出会ったときは『古傷』という言葉を使ったけど、右脚だとは言っていない。
「……くふふ」
漆原さんは軽く笑った。まるで悪戯を発覚された子供のように、バツの悪い顔をして。
「今、そんなこと関係ありますか? 『シック』について知りたいのではないですか?」
「誤魔化さないでください……もしかしてぼくのこと調べました?」
「……昨日、こころさん、真っ直ぐ家に帰りましたね」
「? それがどうし――っ!」
質問の意図が一瞬分からず、次の瞬間で意味が分かった。
「まさか――尾行!?」
「駄目ですよこころさん。尾けてると思わないと。わたくしが先にさっさと帰る訳ないじゃないですか。くふふ。結構良い家に住んでるんですね」
「……あんた、最低だよ。開き直るなよ」
「酷いですねー、最低なんて言わないでくださいよ。一応確認したかっただけですよ」
ぼくの詰りに漆原さんは悪びれる様子も見せない。まあ悪いと思ってるなら最初から尾行なんてしないか。
呆れて物が言えなくなると、漆原さんはかばんから紙を取り出す。A4サイズの紙の束だ。十枚くらいをクリップにまとめてある。
「……それ、なんですか?」
「あなたのプロフィールをまとめたものですけど?」
「はあ? プロフィール? ぼくの?」
「本名、伏見こころ、年齢は十五才――」
ぼくのプロフィールとやらを漆原さんは淀みなく読みあげていく――
「身長百六十一センチ。体重五十一キロ。血液型はA型。誕生日は二月四日。星座は水瓶座。干支は巳。家族構成は姉が一人。今年の三月、東桜ノ宮中学を卒業。同年四月に葉桜高校に入学。中学時代は陸上部に所属し全国大会に一年から二年次に出場する――」
ぼくの情報が、ぼくの人生が、語られていく。
ぼくは何も言えない。言えなかった。
「特筆するべきは三年生の頃ですね。こころさんは県大会の予選で大怪我をしましたね。右脚の腱が切断されている。しかしおかしいですね――昨日わたくしから逃げようとしたときはちゃんと走れていましたね」
資料に目を通し、ページをめくりながら確認を取る。それにもぼくは答えられない。
「古傷が突然治る。これを魔法や超能力、あるいは奇跡と呼ばずになんと呼べばいいでしょうか。まあ『シック』という名称があるのでそれを使ってください。さて、質問はなんでしたっけ」
最後はとぼけた風に締める漆原さん。ぼくはやっと――
「……これ、犯罪ですよ……? どうやって調べたんですか?」
それしか、言えなかった。
漆原さんは邪悪に微笑む。
「一日で調べるのには限度がありまして、その程度しか分かりませんでした。でも十分でしょう?」
わざと話をずらして焦点を当てない。それにいらいらして――
「調べたのはわたくしの組織です。組織というか、軍隊というか……とにかく組織です」
怒鳴ろうとしたときに質問を戻す。それがぼくの怒気が殺がれてしまう。
「組織? 軍隊? はは、小説や漫画じゃないんですから」
もはや笑うしかない。突然右脚が治ったと思ったらいきなり撃たれて急に身体が回復して撃たれた人から『シック』という意味が分からないことを言われて――
「まるで不条理小説だよ……こんなあらすじ誰が面白いと思うんだ……」
「ああ、そういえば読書が趣味でしたね。馬鹿のくせに本が大好きって矛盾しません?」
「今、はっきりと馬鹿って言いましたね?」
「資料によると、こころさん馬鹿じゃないですか」
「そんなことまで調べたんですか!?」
「六ページと七ページにこころさんの学力データが載っています。酷い成績ですねー。まあそんなことはいいんです」
そう言うと漆原さんは資料をかばんにしまう。そしてぼくの顔を見る。
「これで信じてもらえましたか?」
「……漆原さんのことですか? 何を信じればいいんですか?」
「違います。『シック』が実在することですよ。そのための説明ですし、最初の質問がそうだったのではないですか」
そういえばそうだった。ぼくの個人情報とかで話が脱線しているのは否めない。
「信じるもなにも、その通りだと認めるしかないですよ。確かに右脚は治りました。銃で撃たれても死にませんでした。だとしてもです。『シック』なんてものがぼくの身体の異常に関わってるのはどうしてですか?」
自分でも何を言ってるのか、分からなかった。錯乱して、混乱していたのだろう。
「そうですね……『発症』したきっかけは三パターンぐらいあるんですけど、聞きます?聞いても納得するかは保証しませんが、それが分かればいくらか救われる気がしますよ」
発症。『シック』という名称から察するにぼくの身体の異常は病気みたいに扱われてるようだ。さっき、魔法だとか超能力だとかファンタジーっぽいのに比べたら、病気として分類したほうが理解できるとぼくは思った。
「聞かせてください。『シック』の発症について、教えてください」
救われると言われたけど、はたしてどうだろうか。
「ええ、いいですよ。まず一つ目――」
漆原さんは右手をかかげ、人差し指だけ立てた。
「生まれながらにして『シック』を『発症』する素質があった場合です。これはあることがきっかけで、『発症』します」
「きっかけ? それはどのような――」
「あとで説明します」
ぴしゃりと遮る漆原さん。仕方ない、気になるけど待とう。
漆原さんは二本目となる中指を立てる。
「二つ目は近親者に『シック』が『発症』した者――わたくしたちは『保菌者』もしくは『キャリア』と呼称しております――がいる場合ですね。つまり遺伝で『発症』する場合があるということです」
うーん、これはぼくの『発症』した原因とは思えない。なぜなら、ゆめ姉が『保菌者』なわけがないからだ。もしそうなったら真っ先にぼくに知らせるだろう。
ゆめ姉はぼくに対して隠し事は絶対にしない。その逆はたくさんあるけど。
「そして、三つ目――」
薬指が立てられた。
「ずばり、『感染』したケース。これこそが『シック』と呼ばれる由縁ですね。『キャリア』は文字通り『保菌者』です。つまりインフルエンザのように『感染』して、『キャリア』が増殖するんですね」
「……それってまずいんじゃないですか?」
『キャリア』が増殖するってことはその分増えるってことだから……ネズミ算式だっけか、倍々ゲームで一杯に……
「安心してください。こころさんみたいな初期の場合に限り感染力はあまり高くありません。しかし、『感染』するという点で危険視する方もいますが……まあそれは置いといて、先程おっしゃったきっかけについて教えましょう。ずばり、きっかけが主な原因で『キャリア』になります」
「きっかけってなんですか?」
同じ質問を繰り返す。漆原さんは残っていた紅茶――三杯目だ――を飲み干し、カップを置いて言う。
「きっかけとは――強い想いです」
「想い? そんなのでえっと、『発症』するんですか?」
「そうです。願いと言い換えてもいいでしょう。願えば叶ってしまう。これが『シック』の怖ろしいところです」
怖ろしい? 願いが叶うことが恐怖なのだろうか。
「ところがそうではありません。例えばこの世全てを焼き尽くしたいと願う人がいるとします。要するに放火魔の素質と素養がある人物です。彼はどんな『シック』を『発症』すると思いますか?」
何だろう、想像もつかないけど……あえて言うなら――
「……炎を操るとか?」
それが望まれてた答えだったらしい。漆原さんはくふふと笑う。
「そのとおりですよこころさん。放火魔がそのような『シック』が『発症』してしまったらどうなるでしょうか? 答えは決まりきっています。燃やして燃やして燃やす。炭も残さず燃やし続けるでしょう。こころさん、これで危険性が分かりますよね」
「分かりますけど、でもそれって極論ではないですか?」
ぼくは精一杯の反駁を試みる。
「これも喩えになるんですけど、極論になるかもしれませんけど、世界平和を願ったりしたらどうですか? どんな『シック』になるか分かりませんけど、さっき言った放火魔みたいな危険なことにはなりませんよね? むしろみんなが幸せになるんだと思います」
「ええ、確かにそうなればいいんですけどね……」
漆原さんは少し言葉を濁す。
「しかし、残念ながらそれはありえないのですよ」
「なぜですか? 『シック』は強い想いがきっかけで『発症』するんですよね? だったら――」
「世界平和を願う人は一握りだからです」
漆原さんはきっぱりと言う。
「わたくしが思うに、強い願いというものは独り善がり、独善的なものなのですよ。他人のために幸せを願う、それは素晴らしいことです。でも、そのような人間はそもそも願わないんですよ。他人思いの人間は他人の為に行動する。願ったりしないんですよ」
漆原さんの言うことを理解はできるけど納得はできなかった。それに気づいたのか漆原さんは言葉を続ける。
「実際にあったケースを紹介しましょう。とある少女がいました。その少女は聡明で優しく、そして友達思いの明るい性格をしていました。ある日、少女の友達同士が喧嘩をし、仲たがいしてしまいました。少女は願いました。『みんな仲良くしてほしい』とね。その直後、少女は『発症』しました」
「それがどうかしましたか? 多分、二人は仲直りしたんでしょ? それのどこがいけないんですか?」
漆原さんは首を振った。
「少女はやりすぎたんですよ。少女の周りの人間は仲良くなりました。嫌ってる同士が好きあったり、いじめっ子といじめられっ子が仲良くなったり……それって不自然ではありませんか? こころさん、想像してみてください。誰もが仲の良い世界を。争いも諍いもない世界を。残酷までに優しい世界を」
そんな世界は不自然です。そう言って漆原さんはポットから紅茶を注ぐ。
言われてみれば確かにそうだ。不自然というよりは理不尽と言っても過言ではない。そんな世界を創り出した少女は――
「少女は苦悩しました。自分の『シック』で出来上がってしまった人間関係。作り物の世界を見て、少女は――自殺しました。耐え切れなくなったのですよ」
その事実に、ぼくは何も言えなかった。漆原さんも言葉を紡ぐのをやめた。
しばらくそのままでいて――
「こころさんの『シック』が『発症』したきっかけは、分かりますか?」
「…………」
答えたくないけど、答えは分かっていた。
ぼくの右脚が原因だ――
「おそらく、こころさんはこう願ったのでしょう。『身体を元通りになりたい』と。そのせいで昨夜に顕現させた再生能力、回復能力が『発症』したのでしょう。はっきり言っておきます。こころさん、あなたは、『キャリア』になってしまったのですよ」
そうか、そういうことだったのか。
「分かりました。ぼくは『キャリア』になってしまったんですね」
「おや、冷静ですね。動揺すると思いましたが」
「いえ動揺してますよ。手を見てください」
手を掲げる。小刻みに震えているのを見せた。
けれど、心の奥底では冷静だった。初めは魔法だとか超能力だとかファンタジーでメルヘンなことを言われて頭がぐちゃぐちゃ掻き回されたけど、説明されて、解明されて混乱と平静がシェイクされて何がなんだか――分からない。
だけど。
「それはそうとして向き合わないと、何も解決しないじゃあないですか」
覚悟を決めた――とまでは言わないけど、覚悟のための準備ができた。ぼく自身何も変わらないけど、変わってしまったことは取り消せない。だから――決断しなければならない。『シック』とやらにどう向き合うのか。
「くふふ。良い眼をしますね。やっぱり若い人はいいですね」
優しそうに笑う漆原さんを見て不思議に思う。それはどことなく母性を感じて、暖かい気持ちになってくるからだ。何故だろう。
漆原さんは「次の質問はなんですか?」と促してきた。
ぼくは電車の中で考えていた質問を口に出す。
「漆原さんは一体何者なんですか? 『シック』とか一般的に知らされてないじゃないですか。どうして知ってるんですか?」
すると、漆原さんは、やっと訊いてくださいましたねと言わんばかりの笑顔を見せた。
それにしてもよく笑う人だなあ……
こんなに笑う人、初めて会ったかも。
「昨夜言いましたが、わたくしは軍人です。こんな格好していますけどね。軍人ということは所属している軍隊があることは理解できますか?」
少し小馬鹿にした言い方(なんでそんな言い方するんだろう)で尋ねてくる。ぼくはそれを気にせず「はい」と返事した。
「わたくし――いえ、わたくしたちが所属している軍隊――組織と言い換えた方が分かりやすいですか? まあなんでもいいですけどね。とにかく、それはアンチ・キャリア・アーミー、略してACAと言われます」
「ACA? なんかテレビ局みたいな略称ですね」
空気が重たいのであえて軽い感じで言ってみると、漆原さんは冷たい目線で「それつまらないです」と言い放った。
……あんだけ笑ってたのに、ひどくない?
「本部はアメリカのニューヨークに所在しています。知ってるとおり――いや、知らないとおり非公式な組織です。支部は八つあり、わたくしは日本支部所属です」
「それって話して大丈夫なんですか? 結構機密事項だと思うんですけど……」
心配になって訊くと、漆原さんはシニカルに笑って「はい、機密事項です」と言った。
「なので、こころさんは今日聞いたことは誰にも言わないでくださいね。言ったらこころさんと話した人は消されますから」
これはどういうことだ? その理屈だとぼくと漆原さんは消されると思うけど……もしかして――
「漆原さんって、意外と偉い人なんですか? その、ACAの中では」
「うん? ええまあ、一応、中佐の地位に就いていますけど」
……偉いのかどうなのか分からないなあ。それでも偉いんだろう。そう納得しとこう。
「話を戻しますね。わたくしたちの任務と使命は『キャリア』の保護もしくは抹殺です」
「……随分と真逆の任務と使命ですね。それはどうしてですか?」
「ACAは名称からすると無差別に『キャリア』を抹殺するように思えますが、それは正しくありません。そもそも創立者は『キャリア』ですからね。危険性のない『キャリア』は保護されます」
「そして、危険性のある『キャリア』は抹殺されると……それの基準ってなんですか?」
「分かりやすく言えば、危害を加える可能性のある者や実際に危害を加えている者は抹殺対象となります。ちょうど今回の通り魔もそれに該当します」
「あ、だから漆原さんは桜ノ宮市に来たんですね」
というか、通り魔の正体って『キャリア』だったんだ。
「そのとおりです。今回の任務は早急にこなさないといけなかったので、『キャリア』の反応があるこころさんを殺害しようとしました。それはすみませんでした」
ぺこりと頭を下げる漆原さん。いや、そんな軽い感じで謝れても……
「さっき保護するって言いませんでしたか?漆原さんは問答無用で撃ちましたよね」
少し責めるようなことを言うと漆原さんは「まあいいではありませんか」と露骨にとぼけた。
なんとも腹立たしい。
「そもそも真夜中に河原で変なことをしていたこころさんにも原因がありますよ」
「いや、九割は漆原さんが悪いですよ」
「こころさん。今回の事件は異常だとお分かりになりませんか? 報道されていませんが今朝の時点で既に八人が殺されたんですよ」
八人。また一人殺された。当然、通り魔も生きていて、人間であることを実感する。
「日本ではこれは異常なんです。だからわたくしが派遣されたんです。『キャリア』の犯行だと目に見えていますが、上の判断が遅すぎることは否めないですね」
「だからぼくを撃ったと? 何の免罪符になりませんよ。ぼくの『シック』が回復能力ではなかったらぼくは死んでましたよ」
まあ、ぼくの『シック』が回復能力であるのかは定かではないが。
「ええ。反省します。しかし、それくらいなりふり構わず行動しているとだけ分かってください。いかれた殺人鬼を止めるのがわたくしの任務なので」
「……分かりました。この件はそれでいいです」
ぼくは漆原さんを責めるのを止めた。暖簾に腕押しのごとく無駄だと悟ったからだ。
自分の正義のためには手段を選ばない。
そんな人に響く言葉は何もない。
「話が脱線しましたね。さて、次の質問は何ですか?」
「そうですね……」
ぼくは少し考える振りをして、あらかじめ電車の中で決めておいた質問をすることにした。
「昨日ぼくに協力してほしいっていいましたよね? それって具体的にはなんですか? まさか通り魔を倒すとかヒーローみたいなことをやらせるつもりですか?」
「いえ、そこまでは求めてませんよ」
漆原さんはぼくの言葉を否定した。
「ただまあ『キャリア』を探すお手伝いをしてもらいたいのですよ。ええ、分かりますよ。本来ならACAに所属している『キャリア』がやればいいのですが」
そこで言葉を濁すように漆原さんは眼を下に逸らす。
「ですが、わたくしの部下たちはまだ未熟でしかも人数が少ないのです。出来のいい者でもわたくしが付きっ切りにいなければなりませんしね。というわけでわたくし一人でこの任務を遂行しているのですよ」
「……いや、訓練を受けている軍人でも手に余るのに、ぼくみたいな素人が手を出していいんですか?」
当然のことを尋ねると漆原さんはあっさりとこう言った。
「あなたなら死ぬような目に遭っても構いませんから」
その言葉に――ぼくは怒りを覚えた。
「――っ! ふっざけんな!」
ぼくは――あまりの言い草に怒鳴った。
「人の命をなんだと思ってるんだ! あんた今なんて言ったか理解できるか!」
「ええ。あなたなら死ぬような目に遭ってもいいと言いました」
涼しい顔の漆原さん。それがますますぼくの怒りを加速させる――
「訳の分からねえこと言い出したと思ったらとんでもないこと言って! 自分の部下が無事ならぼくはどうでもいいのか! 敬語だからって何言っても良いってもんじゃねえぞ! 分かってるのか!」
気がつくと立ち上がって漆原さんの胸ぐらを掴んでいた。
「くふふ。落ち着いてくださいよ」
「落ち着けるかこの――っ!」
途中で言葉を遮られた。いきなり口の中に何かを突っ込まれた。
なんだ? 鉄の味が……!
分かった瞬間、青ざめる。
「ひゃいしゅんだ――」
「落ち着きませんか? なら引き金を引くまでです」
この女、何の迷いのなく、口の中に銃を入れやがった。
「…………っ! ……っ!」
「こころさん。どうか落ち着いてください」
漆原さんの眼がきらりと怪しく光る。やばいと思って掴んだ手を離し、そのまま両手を挙げる。降参のポーズだ。
「くふふ。ごめんなさい。言葉が足りませんでしたね。わたくしが言いたかったのはあなたの『シック』のことですよ」
漆原さんはそう言いながら、銃口を口から放した。よだれだらけで汚れてしまった。バックからポケットティッシュを取り出して拭く。
まあ、汚いと分かっていても、なんか傷つくなあ。
「ぼくの『シック』のことですか? それってどういうことですか……」
「くふふ。こころさんの『シック』は再生能力を最大限に底上げされてますから、死にはしないでしょう。そう言いたかったんですよ」
初めからそう言ってほしい。というか言い方を考えてほしい。激高したぼくが馬鹿みたいだ。
「じゃあ、死ぬ可能性もあるんですか? そこまで通り魔の『シック』は危険であると言うんですか?」
「あくまでも可能性の話です。わたくしが担当している部下、兵士未満の見習いたちは実戦経験がそこまでこなしてはいませんから。おっと、こころさんが殺されてもいいという意味ではありませんよ。確率的に死ぬ可能性はないとだけ言っておきます」
「はあ……では何を手伝えばいいですか?」
ぼくが話を戻すと漆原さんは困った顔をして笑った。
「それを言う前に、本当に協力してくださるか、はっきり言葉に出してくれませんか?」
「……何をすればいいのか知る前に協力なんてするわけないじゃないですか」
「まあ、正論ですよね。でもそうしてくださらないと言えないんですよ」
「どうしてですか?」
「作戦を成功させるには、情報の漏洩を避けなければなりません」
漆原さんは真面目な顔をして言う。
「作戦は想定内だけではなく想定外のことまで視野に入れなければなりません。想定外を避けるためには情報の漏洩を避けるのは軍人として当然のことです」
まあ理屈としては分からなくもないけど、それってぼくを信用してないってことだ。
この店で話しても通り魔に知られる心配はない。だからバレるとしたらぼくからだ。
「さて、協力してくれますか? くれませんか?」
まるで悪魔の契約のようだ。
ぼくは迷わず――
「いやです。協力なんてしたくありません」
きっぱり断った。
「やはり断りますよね……仕方がありませんね。わたくし一人でなんとかします」
ガクッとうな垂れる漆原さん。この人いちいちオーバーリアクションだなあと思った。
「でもいいんですか? こころさんが協力してくだされば、犠牲者が増えるのを防ぐことができるかもしれませんよ」
「かもしれないんですよね。そんな不確定で曖昧な可能性と自分に起こるリスクを考えたら、うんって頷かないですよ。それに狙われているのは伊吹高の生徒ですよね? ぼくには関係のないことです」
ぼくの数少ない友達と親類は伊吹高の生徒じゃないしね。それが重要だ。
「なんですか? 関係なかったら、いくら死んでも構わないということですか?」
「いや、確かに人が死ぬのは悲しいし憤りも感じます。でもだからといってぼくが何かしたところで、警察や漆原さんが捕まえられなかった犯人を捕らえることなんてできないと思いますよ。どんな作戦か知りませんけど」
「そうですか……残念ですね」
本当に残念そうな顔をするので少し罪悪感が出てきた。だけど、ぼくなんかが何かできるわけがない。数日前までただ脚が不自由なだけの普通の高校生だったんだから。
たとえ脚が治っても、『キャリア』になってしまっても。
通り魔を止められたりできないし。
犠牲者を生き返らせることもできない。
「くふふ。分かりましたよ。仕方がありません。こころさんの勧誘は打ち止めにしましょう」
そう言って漆原さんは立ち上がる。ぼくもそれに習って立った。
「さて、もう訊きたいことはありませんね?それでは解散しましょうか」
「あ、ちょっと待ってください」
訊きたいことが一つだけあった。
「なんですか?」
「えっと『シック』ってどうやったら無くなりますか?」
そう訊くと漆原さんはくふふと笑った。
まるで悪魔のように黒く、天使のように甘いな蕩けた笑みだった
「無くなりません。一生『シック』は完治することはありません」
「……ああ、そうですか」
ある程度予想していたから衝撃は少なかった。
それでも、ほんのちょっとだけ辛いと思った。




