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こころ  作者: 橋本洋一
5/17

怪しい人 漆原凛のこと

 四月二十一日、火曜日。

 今日、ぼくは学校をサボった。

 …………。


 誤解されると非常に困るので、きちんと説明、つまりは言い訳させてもらうと、本日はかかりつけの病院の検診日だった。月に一度学校を休んで通わなければならないのは億劫だ。


 検診内容は当然だけど右脚の怪我。

 けれど検査や経過観察をされたら完治していることはバレてしまう。

 なので病院には行かないことにした。主治医の先生には一週間後に改めて診てもらうことを電話で言った。

 ……結局サボりじゃん。


 これには理由が二つあって一つは前述したように快復していることが判明してしまうのを恐れてだ。バレたら間違いなくゆめ姉に伝わる。それは避けたい。ゆめ姉には間接的にではなく直接言わなければ、ぼくの気が済まない。

 まあ、言うチャンスはあったけど、結局は言えてない。まあ結局ぼくは臆病なわけで。


 二つ目はぼくの身体のことを知るためだ。

 ぼくはぼくの身体に何が起きているのか、どのように変わってしまったのか、知らなければならないからだ。

 あの後、漆原さんに「あなたの身体に何があったのか知っています」と言われた。


「あなたは『シック』に侵されています。このままだと多くの人々に『伝染』してしまいます。それはなんとしても防がなくてはいけません。食い止めなければいけません。本当ならここであなたを殺してしまえば解決するんですが――」


 そこで一区切り置いてぼくの反応を見る。殺すとか簡単に言わないでほしい。というか『シック』ってなんなんだ。英語だと分かるけどどういう意味だか分からない。あとでスマホで検索したら日本語で『病気』だと知ったけど……


 このときは何を言ってるのか理解できなかった。まるで外国語と日本語を足して二で割った感じ。

 混乱するぼくを見て、漆原さんは説明を続ける。いや、説明にならない説明だったけれど。


「『シック』だからといって殺すのは『教会』のやり方でわたくしの主義ではありません。通り魔ではないとしたら、リスクは『伝染』だけですし、ちゃんと隔離すれば問題ありませんしね。まあそれは置いといて、伏見こころさん、あなたはちゃんと自分の身体に何が起こっているか知りたいですよね? 知りたくてたまりませんよね?」


 そこでようやくぼくは頷くことができた――やっと理解できたのだ。ぼくはあまり頭が良くない。むしろ悪い。回りくどく説明されても意味が分からない。


「そうですか。では勧誘と併せて話しましょう。しかし――ここではなんなので場を変えましょう。わたくしが滞在しているホテルの住所を書きますので明日来てください。時間は午前十時から十二時の間で。学校があると思いますが休んでください。一日ぐらい休んでも単位に影響はないでしょう?」


 最後は疑問形だったけど、どことなく強いられた言い方だった。

 住所の書かれたメモを渡されて、お金も三万円ほど渡されて(汚れたジャージの弁償代と幾分の慰謝料らしい。お金でなんでも解決できると思うなよ)漆原さんはするりと帰っていった。別れの挨拶もなければ謝罪の言葉すらなかった。


 ぽつんと一人残されるぼく。

 血だらけで穴だらけのジャージのまま。

 文字にすると酷い格好だった。家に帰るとすぐお気に入りだったジャージを処分したのは言うまでもない。ゆめ姉に見つからなくて良かった。


 というわけで学校をサボって漆原さんの元へ向かっている。メモに書かれていたのは電車で三駅離れた愚蓮市のビジネスホテル。


 移動手段はもちろん電車だ。

 現在十時八分。

 がたんごとんと揺られながらぼくは座席に座り、平日のこの時間だと上りの電車でもガラガラだ。まあ田舎の電車はこんなものだとスマホを弄りながら――考える。


 優先的に考えることとなると、ぼくがどうやら侵されているらしい、『シック』とは何か。漆原さんは何者なのか。そして通り魔を殺す手伝いとはなんなのかの三つである。


 でも考えても想像がつかない、思いつくこすらできない。七色さんだったら話は別だけど、ぼくは伏見こころだ。何度も言う様だけど頭があまり良くない。どのように頭が悪いかというと、例えば問題を解くとき、考えるよりも答えを知りたがり、すぐに解答集読む――そんな種類の馬鹿だ。


 知りたがりの知ったかぶり。


 それが伏見こころという人間だ。だから身体の異変という解答を知っている漆原さんに聞くのが手っ取り早い。

 たとえ、いきなり発砲してくる危険極まりない人物だとしても。


「はあ、死にたくなるなあ」


 ぼそりと呟く。隣に居たおばさんがぎょっとしてぼくを見て、少し離れる。引かれてしまった。

やっぱりモモの言うとおり、この口癖は直したほうがいいなと反省する。


 十五分ぐらい乗り過ごして、愚蓮駅に到着する。閑散としている桜ノ宮市と比べて都会に近いためビルや店が多い。オフィス街って言うんだっけか? それともビジネス街だったか。まあどっちでもいいか。


 とにかく漆原さんの居るビジネスホテルに行こう。スマホで調べたら立地的に当然駅の目の前。迷うことなくホテルに行き着く。

 入るとすぐにフロントに向かう。受付係のお姉さんに「あのー、すみません」と声をかける。


「はい、いかがしましたか」


 営業スマイルで応対する受付嬢さん。ぼくは「漆原凛さんに会いたいのですが部屋の番号を教えてください」と言う。

 すると受付嬢さんは困った顔になって「申し訳ありません」とやんわり断った。


「当館ではお客様以外の第三者を客室にご案内することを禁じられておりますので」

「えっ? そうだったんですか」


 まあ確かにそういう風にしないと防犯とかセキュリティの面で問題があるからな。ビジネスホテルなんて使ったことないから知らなかった。

 さて、どうしよう。


「じゃあ電話は出来ますか?」


 駄目元で言ってみると「申し訳ございません」と同じことを言われた。


「それも禁止されておりまして」

「では、ぼくが来たことを伝えるのはどうですか?それなら禁止されてないですよね」

「……すみません、上司と相談しますので、しばらくお待ちいただけますか?」


 はい、分かりましたと答えると受付嬢さんはそそくさと奥のほうへ下がっていった。

 それから五分ほどして、さっきの受付嬢とは違う人、有り体に言えば男の人がやってきた。多分、上司だろう。


「失礼ですが、当館のお客様にどのような御用でございますか?」


 丁寧だけどどことなく嫌な感じがする。なんだろう。


「用って……ぼくも良く分からないんですけど、話があるって言われたんで……」


 我ながらたどたどしい。

 知らない男の人と話すの苦手なんだよ。


「そうですか。失礼ですがお客様。あなたは見たところ未成年だと思いますが、学校は如何なさったのですか?」


 ああ、分かった理解した。この人ぼくを疑ってるんだ。


「そ、そんなことより、電話の件はどうしたんですか? 漆原さんと連絡取れないと困るんですよ!」


 話を逸らす目的で自分の要求を押し通す。それが上司さんの琴線に触れたらしい。恐い顔になって「お客様」とトーンを低くする。


「申し訳ありませんが――」

「やあやあ、こころさん。お待たせしたようですみません。おや、何かありましたか?」


 上司さんが何か言おうとしたそのとき、タイミングが良いのか、出どころを心得ているのか定かではないが、漆原さんがその強烈な個性とは裏腹に静かに現れた。


 昨日の軍人チックな衣装ではなく、リクルートスーツに身を包んでいる。大き目のプラダのかばんまで装備していて、まるでリッチなOLのような姿だった。


「…………」

「うん? 黙っていては分かりませんよ? こころさん。私は何かあったのか訊いているんですけど」

「お客様、困りますよ、当館を待ち合わせに使うのは――」

「くふふ。いけませんか? 以後気をつけます。もうしませんよ。さて、こころさん、お話しましょう。わたくしの部屋にどうぞ」


 ぼくの左手を取り、部屋に案内しようとする漆原さん。するとまた上司さんが「困ります――」と割って入る。


「ですから、お客様以外の方を部屋に招き入れるのは禁止されておりまして――」

「いいじゃないですか。不健全なことはしませんよ」

「ふ、不健全って――」

「くふふ。エッチなことはしませんよ」


 意外と性におおぴらな漆原さんだった。


「うーん、どうしても駄目でしたら仕方がありません」


 というとバックからスマホを取り出しどこかに電話をかけた。


「あ、わたくしです漆原です。マスター、店空いてますか? あ、良かった。ではすぐに向かいます」


 簡単な会話が終わり、電話を切ってぼくににっこり微笑んだ。


「こころさん、外で話しましょう。良いところがあるんですよ。個室で二人きりになれるところが――」


「お客様! 未成年の少年を連れまわして何をするつもりですか!」


 もはや叫ぶように言う上司さん。そんな上司さんに漆原さんはうっとおしいと思ったのか、露骨に嫌な顔をした。


「うるさいですね。あなたのお名前は?」

「何の関係があるんです――」

「支配人に言ってあなたをクビにしてもらいます」


 さらりと言う漆原さん。言われた上司さんの顔から血の気を引いた。


「支配人――林さんとわたくしは古い知り合いですからね。あなた程度の人間なんてすぐにクビにしてもらうことぐらい出来るんですよ」

「そ、そんな脅し――」

「脅しだと思うなら実際にやってみましょうか?」


 それが決め手だった。それ以上何も上司さん(最後まで名前が分からなかった)は言わず黙ってぼくたちを通す。


「さて、行きましょうか、こころさん。ところでお腹空いてますか?」

「い、いえ、空いてませんけど……」

「そうですか。わたくしは空いてますので案内するところで食べましょう」


 そんな自分勝手なことを言ってホテルの出口へ向かう。左手を取られているので必然的に一緒に歩く羽目になる。


「……手を離してくださいよ」

「うーん? いいじゃないですか。若い一般人と関わるのは本当に久しぶりなんですよ」

「ぼくの何かが削られていく気がするので即刻即座にやめてください」


 ていうかさっきから解こうとしてるのに解けない。複雑な結び方をしている訳ではないのに。単純に力が強いせいだろうか。


「お店に着いたら離してあげますよ。ほんの五分かそこらです」

「カップラーメンより長いじゃないですか」

「お湯の沸く時間を加えたら三分以上調理時間かかると思うんですけどね」


 存外鋭いことを言う漆原さん。素直に感心してしまったので我慢することにした。

 しかし、黙っているのもどうかと思う。なのでなんとなく探りを入れようとする。


「う、漆原さんは地元の人間ではないですよね。どこから来たんですか?」

「良く地元の人間じゃないと分かりますね。まるでホームズみたいです」

「地元民ならビジネスホテルは使わないですよ。そのくらいぼくでも分かります」

「それもそうですね。しかしその質問はまだ答えられませんね」

「? どうしてですか?」

「わたくしがする説明の中に答えがありますから。あ、この店です」


 びしっと指された方向を見ると、小洒落た店があった。全体的に暗い色合いだけれど、どことなくセンスの良さをお客に印象付けるような。

 看板を見ると英語で書かれていて読めなかった。おそらくは料理屋だろう。面積は他の店より比較的大きい。個室があるって言ってたからその分場所を取るんだろう。


「さあ、入りますよ。店の前にいつまでもいると迷惑ですから」

「でも漆原さん。入り口にクローズドと書かれていますけど……」

「基本的に夜に営業してる店ですからね。昼間はやってないです。だけど、無理言ってこの時間に開いてもらいました。これなら万が一にも話が聞かれることはありませんから」


 そのまま平然と扉を開けて店の中に入る漆原さん。いつの間にか握ってた手は離されていた。ぼくもそれに続くかどうか迷ったけど、結局入ることにした。


 店内の照明は薄暗く、ドラマとかで観るようなバーカウンターが長く広く鎮座してあって、椅子やテーブルがおしゃれに配置されていた。綺麗に掃除された清潔なフロア。まさに大人が通う大人のための店って感じだ。


「こちらですよ、こころさん。物珍しいのは分かりますが、後にしてください」


 キョロキョロと見回しているぼくを急かすことを言って、漆原さんは奥のほうの個室へさっさと入っていく。

 あれ? 店員さんはいないのかな? でも鍵は開いていたし……

 疑問に思ったけど、まあいいやと気にしないことにして、漆原さんに続いて個室に入室する。


 中を見ると四つの椅子と楕円形のテーブルが置かれていた。それらは黒で統一されていてセンスが良い。

 漆原さんは向かって左の奥のほうの椅子に座っていた。ぼくは向かい合うように右側の奥に座る。


「お腹がペコペコです。何か食べますか? ああ、お腹が空いてないんでしたね。飲み物はいかがですか? アルコール類はもちろん駄目ですけど、ソフトドリンクぐらいなら出せますよ。オススメはメロンソーダです」

「……メロンソーダは苦手です。なんか色がケバくてイガイガして吐き気がしますので」

「そうですか。ならウーロン茶でかまいませんね? ウーロン茶が嫌いなアジア人はいませんから」

「アジア人って……ええ、嫌いじゃないですけど――」

「マスター、ウーロン茶と紅茶とフレンチトーストください」


 入り口に向かって注文する漆原さん。そこには誰もいないだろう――と思ったら、


「かしこまりました、凛様」


 いつの間にか控えていた誰かが――いや、老人が応じた。


「……えっ? い、いつの間に?」

「店に入ったときから後ろにいましたよ。マスターの特技の一つ『気配消し』ですね。素人には知覚できませんし、本気出せば真正面にいても認識できません」


 漆原さんの解説を聞いても信じられなかった。ぼくは何かあってもいいように構えていて、気を張っていたのに――

 マスターと呼ばれる老人――バーテンダーの格好をしている――は一礼するとそのまま調理場に下がっていった。


「あの人――マスターさんもただの人じゃないんですね……」

「くふふ。マスターも元軍人ですから、そのためのスキルは持ち合わせていますね。というかマスターさん『も』とはどういう意味ですか?」

「あなたのことですよ。分かってることを訊かないでください」


 その後はしばらく会話がなくなった。漆原さんはニヤニヤ笑いながらぼくを見て。

 ぼくは無表情でウーロン茶が来るのを待っていた。


「お待たせしました」


 十分ほど経ってマスターさんがトレイには冷えたウーロン茶とおそらくは紅茶が入っているだろうティーポットとティーカップ。それとかなり大盛りのフレンチトーストを乗せて持ってきた。朝ご飯食べてないとしても、多すぎると判断してもおかしくないくらいの量のフレンチトーストだ。

 ていうかフレンチタワーだ。エッフェル塔だ。


「それでは、ごゆっくり」


 再び一礼すると扉を閉め、退出していくマスターさん。バーテンダーというよりも執事が似つかわしい動作だった。


「それではいただきます。冷めたら美味しくありませんからね。話は後でいいですか?」

「え、ええ。いいですけど……」


 本当は良くないけど、大盛りのフレンチトーストにびっくりしたのが一つ。ティーポット丸々飲むのかと驚いたのが二つ。そんな暴飲暴食を朝からしてもスタイルが変わらないのかと驚愕したのが三つ。計三つの驚きで何も言えなくなった。


 漆原さんは育ちがいいのか食事中に会話をしないタイプで黙々と食べていた。

 これじゃあ一緒に食べる意味ないじゃんと思ったけど、ぼくはウーロン茶だけだし、食べながら話す内容でもないなと思い直し、ぼくも黙ってウーロン茶を飲みつつ待つことにした。


 余談だが、ただのウーロン茶だと思いきや今まで飲んだことのないくらい美味しい逸品だったことも加えておく。


「ふう、ご馳走様でした」 

「…………」

「ん? どうかしましたか?」


 あれだけの量のフレンチトーストを五分で食いやがった!

 大食いで早食い。

 見ていて気持ちの良い食べっぷりだった。

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