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こころ  作者: 橋本洋一
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語り部 伏見こころのこと その3

 授業が終わり放課後になって、モモと七色さんと学校近くのカフェでお茶してまったり過ごした。三人でいると毎日話しているのに話し足りないのは不思議だ。


 その後ぼくは家に帰り、ゆめ姉の作った夕食を食べた。メニューはカレー。カレーといってもただのカレーではない。スパイスの調合から作り始める本格派だ。今日は三限までしか授業がなかったらしい。なので、暇を持て余したゆめ姉は趣味と実益を兼ねる料理で暇を潰したみたいだ。


 味は抜群に美味かった。家庭料理とは思えない、なんだったら店で出せるレベルのものだった。問題は量である。大鍋一つ分は流石に作り過ぎと言うしかない。少食なぼくとゆめ姉だと食べ切るのに何日かかるだろう。いくら美味しくても絶対に飽きがくると思うんだけれど。ゆめ姉は一つのことに集中すると後先考えない。悪い癖だと思う。


 とにかく夕食を終えて、部屋に戻って日課の日記をつける。今日の出来事やそれについての感想を記す。

 そして洋服からジャージに着替えて部屋を出る。リビングでテレビを観ていたゆめ姉に話しかけた。


「ゆめ姉、ちょっと散歩に行ってくる。一時間ぐらいで戻るから」

「……ホントに行くの?」

「そうだよ。大丈夫、竹波市には近づかないように散歩するから」

「そう。だったら何も言わないわ。気をつけてね」


 ゆめ姉はこっちを見ないでテレビばかり観ている。ぼくが言うこと聞かないから拗ねてるのかなと思ったけど、どうやらドラマが佳境に入っており、魅入ってるようだ。


「じゃあ、行ってくるね」

「いってらっしゃい」


 玄関でスニーカーを履いて出発。

 とりあえず青毛掘川の河川敷に行こうと歩みを進める。そこなら竹波市とは逆方向だし、なにより誰にも見られる心配もない。


 そう、誰にも見られないことが重要だ。

 見つかったらゆめ姉、モモ、七色さんにバレると思っていいだろう。

 逆に言えば三人に知られなければ良いのだけれど。


 てくてくと歩いていると、辺りには誰もいないことに気づく。みんな連続殺人犯――通り魔を恐れているのだろうか。いくら田舎と都会のちょうど中間の桜ノ宮市だとしても、深夜とは言えない時間帯に誰もいないのは少しおかしい。


 モモが言ってたけど、警察だけじゃあなくて、竹波市の市民や学校の教師が自警団を作ってパトロールをしているらしい。桜ノ宮市などの近隣の街もそれに参加してるようだ。


「まったく難儀なことだね……」


 思わず呟く。警察でも捕まえられないのに素人が捕まえられるわけがない。集団は人数が多いほど烏合の衆になりやすい。これは七色さんの談だけど、そのときはなるほどと思ったことを覚えている。


 烏合の衆。まとまりのない集団。一生懸命通り魔を捕まえよう、殺人を防ごうと考える人は何十人中何人いるんだろう。確固たる決意を持って、断固たる殺意を妨げる人は果たしているのだろうか。ぼくは皆無に等しいと断言してもいいと思った。


 これもまた七色さんの語ったことだけれど個人は集団に混じると個性を埋没させる。この場合の個性とは、個人の能力を指す。要するに能力が低下してしまうのだ。それと絶対に捕まえると思っても、集団にいると安心してしまう――つまり安心が覚悟を殺す。まるでナイフで肉を削ぎ落とすように少しずつ誰も気づかないように、本人すら気づかないように刻んでいく。刻まれた心は時計の針と同じように戻らない。


 言ってしまえば素人の集団ほど厄介なものはない。役に立つどころか警察の足を引っ張る存在へと成り下がる。

 それでいて集団に守られていると過信した人がたくさん増えて、夜でも平気に外出するようになり――


 そして、殺される。

 あっさりと平然に殺される。

 通り魔はそれを狙っている。


 青毛掘川が見えてきた。辺りは静かなので川のせせらぎが聞こえてくる。

 ふと脚を止めて夜空を見上げる。今日は満月だ。しかし雲がかかっている。それがまた綺麗に見える。朧月って言うんだっけ?


 中学の国語の授業で清少納言の枕草子を勉強した。その中で満月は雲がかかったのも悪くないと書かれていた。そのときは朧月の良さが分からず、清少納言も偉そうなおばさんだなあとしか思えなかったけど、今なら分かる。

 あのころのぼくじゃあ、きっと分からなかった。人を見下して全能感に浸っていた、中学のころのバカなぼく。


 嫌な記憶を振り払うように、再び脚を進める。川原まであとちょっとだ。

 そういえば、満月の夜は犯罪が増えるという説があるけれど、本当だろうか? だとしたら今日、通り魔の凶行が起こっても不思議ではない。だけど、朧月も満月に入るのか?


 土手に上がり、川を見下ろす。ごみ一つない清潔な川原。日曜日にいつも町内会で掃除している成果が出ている。ぼくとゆめ姉の当番は二週間後だったな。


 草も刈られていて、河原が広いため、休日になると子供たちがサッカーしたりキャッチボールをしたりする。住民に愛される憩いの場。これで川が澄んでいたら良かったのに。


 汚くてドロドロで魚が住めるかどうかも分からない。綺麗だったら川遊びもできるしキャンプだってできるのに。近くで通り魔が出たりするし、つくづく残念な街だな、桜ノ宮市は。


 故郷を盛大にディスったところで、ぼくは河原に降り、しばらく川の流れを見て、それから早々に準備運動を始める。特に右脚を重点的に行う。五分ぐらいやったあとにぼくは川に横に沿うように向いて、辺りを見渡す。誰もいないことを確認して――十分すぎるほど確認して――クラウチングスタートの姿勢を取る。


「位置について――」


 走るのは久しぶりだ。


「――よーい」


 本当に走れるだろうか。


「――どんっ!」


 合図と共に勢い良く姿勢を起こし――


 走りだす。

 走りだす?

 走りだせた!


「う、おおおぉおおいいぃぃいい!」


 驚いて急ブレーキをかけようとして――流石に急すぎた――転んでしまう。転ぶだけでは終わらず転げまわる。ガリガリと地面に擦れて擦り剥いてしまった。


「……あはは」


 転んで無様にひっくり返ったというのに、決して少なくない怪我をしたというのに、笑みが出る。


「あはははは! あっはっはっはっは!」


 笑いが止まらない。止まらなくて涙も出てきて――


「嘘だろ……ホントに走れるなんて」


 知らず知らず声に出た。信じられない、まさかぼくが走れるなんて。


「……なんで、今なんだ? ぼくの身体に何が起こってるんだ?」


 涙が溢れ出す。留めることなんて、できない。後悔と喜びが半分ずつ混じり合って。ぼくは、ぼくは――


「ぼくは、三人に、なんて、謝ればいいんのかな? ああ、死にたくなるよ」


 嬉しくて涙を拭うことが、できなかった。

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