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こころ  作者: 橋本洋一
2/17

語り部 伏見こころのこと その2

 ぼくが通う私立葉桜高校の授業開始時間は八時半だ。


 早いのか遅いのか他の高校と比べても、だいたい平均的だと思う。ゆめ姉が通っていた伊吹高はもう少し早いらしいけど、まあ進学校である伊吹高と偏差値がたいして高くない葉桜高校じゃあカリキュラムも違うし、勉強量も違うだろう。


 葉桜高校は、建前は文武両道を謳っているけど、前述したように偏差値が高くなく、むしろ低い部類の高校だ。その代わり部活動が盛んである――というわけでもない。


 要するに底辺高校である。自分の高校を悪く言うつもりはないけれど、事実を言ったら悪口になってしまう、そんな高校なのだった。

 地元でも、葉桜だけに花がないだとか揶揄されている。また生徒を毛虫扱いする他校の生徒もいたりする。面と向かって言われたことは流石にないけど。


 そんな評判の悪い葉桜高校になぜ、ぼくは通っているのか。

 単純にぼくの頭が悪いからだ。数式を見ると頭が痛くなったり、英文を見ると吐き気がしてくるくらいの勉強嫌いだ。一番得意なのは国語だけど、それでも平均点の上をギリギリ低空飛行している。情けない話だ。


 それと家に近いことも理由に挙げられる。

 ぼくの身体を考えると近ければ近いほど良かったから、桜ノ宮市にある葉桜高校はぼくの家から歩いて二十分もしない。だから八時に出ても十分間に合う。


 けれどぼくはいつも七時半には学校に来ている。部活動や日直のためではない。他人からしたらそんなことかと思うことだけど、ぼくにとっては大事なこと。親友と会って話すためだ。


「うっす、ころくん。今日も顔色悪いね。ちゃんと寝てるの?」


 教室に入って開口一番に保健室の先生みたいなことを言って出迎いてくれたのは、ぼくの親友の一人、桃山さくらだ。あだ名はモモという。


 春らしいライダー風のジャケットにシフォンスカートを合わせた、モモらしい服装だ。

 茶が混じった黒髪を短くした、いわゆるショートボブがとても似合う小柄でキュートな女の子。いつも笑顔でニコニコしている。悪意の混じり気のない笑顔は、無愛想なぼくにとっては眩しく、羨ましいものだ。


「確かに顔色が悪いね。低血圧を差し引いてもまるで死人のようだ。朝ご飯はちゃんと食べたかい? 伏見ちゃん」


 これまた心配してるのか、からかっているのか分からないことを言ったのは、親友その二、森下ななみ。あだ名は七色さんだ。

 モモとは対照的に七色さんは背が高い。ぼくは背丈があるほうではないが、それでも百八十センチ以上ある七色さんと比べたら誰でも小さく感じるだろう。だからぼくはチビじゃあないはずだ、多分。


 ブラウスとロングスカートという学校には似合わない服装でまるで貴婦人のようだ。特筆すべきはそれが白で統一されていること。

 七色さんというあだ名はこのファッションからきている。月曜日は白、火曜日は赤、水曜日は青、木曜日は緑、金曜日は黄色、土曜日は黒、日曜日は橙と、曜日ごとに色で分けられている。なので七色さんを見ると今日が何曜日か分かるのだ。


 そうそう、中学のころは制服を染め直して登校していたという筋金入りだった。

 艶やかな黒髪をセミロングにセットしていて同性異性関係なくかっこいいと思わせるそんな女性だ。

 二人ともぼくの席の近くに立っていた。前から三番目、窓側の席だ。日に当たって暖かく、たまにうとうと眠ってしまう。


「顔色が悪いのはいつものことだろう? ちゃんと寝てるし食べているさ……おはよう、モモ。七色さん」


 なるべくさわやかに挨拶をする。朝の挨拶で一日の印象が決まるって、何かの本に書いてあったからだ。


「相変わらずイケメンな挨拶だねえ。ていうかイケメン度が日に日にましてない? それっ!」


 顔を覗き込んでくるモモ。それからぎゅっと抱きしめられる。

 モモの女の子特有の柔らかいところが押しつけられる。

 ふわんとシャンプーの良い香りもする。


「ああもう、うっとおしい! 一日一回抱きしめないと気が済まないのか!」


 照れるからホントやめてほしい!


「ふっふっふ。一日一ハグしないとあたし死んじゃうんだよう」

「なら死ね……七色さんも見てないで引っぺがすの手伝ってくれ!」

「あはは。毎日思うが、微笑ましいじゃないか。ちょっとした愛情表現だろう?」


 七色さんのその言葉に調子に乗ったのか、ますます強く抱きしめるモモ。


「そうだよー。ななちゃん良いこと言うね!それからころくん! 引っぺがすなんて言い方よしてよ。あたしシールじゃないんだからね!」

「いいから離れろ……」


 少し力を入れたら簡単に離れてくれた。まあ、モモはぼくの身体のことを知ってるし、互いに本気じゃあないからな。

 月曜の朝に全力出すほどぼくたちは子供じゃない。若者ではあるけれど。


「ころくんはつれないなあ。もっとスキンシップをしようよ」

「一方的な愛情表現をスキンシップとは言わない」

「じゃあころくんからも抱きついてもいいんだよ?」

「だが断る。それより七色さん、この前借りた本を返すよ」


 椅子に座りつつ、バックから傷つけないようにビニール袋に入れた本を取り出す。今話題の推理小説で、題名は『時計の針が進むとき』だ。


「もう読んだのかい? 相変わらず読むのが速いな」

「たった三百ページだし、面白くて止まらなかったよ。一気に読んじゃった」

「トリックはどれが好きかな?」

「うーん、第三の事件のトリックかな。叙述トリックは卑怯な感じがして嫌いだけど、あそこまで上手くやられると逆に清々しいね」

「そうか。私は第二の事件のトリックが好きだな。密室を作り出すのに時計を利用するのは考えつかなかった」

「あれは意外だったなあ。そうだモモ、次に読むのお前だったな」


 そう言って渡そうとするが、モモはぼくたちを睨んでいる。どうしたんだろう?


「なーんか盛大にネタバレしてない?」

「あっ」

「……そういえばそうだったね。すまない、桃山ちゃんのことをすっかり忘れていたよ」

「え? ひどくない?」

「もっと言うなら存在自体、忘却の彼方に消え去ってしまったんだ」

「さらにひどい! それになんでちょっと詩的な表現をしたのかな? 意味が分からないよ!」


 七色さんがモモを弄っている。まるで意地悪なお母さんとそれに振り回される子供のようだ。身長差も相まってそう見える。


「もう、ショックだよう。結構楽しみにしてたんだよ? あたし、ななちゃんの薦める本の中で推理物が一番好きなのにー」

「ごめんごめん。余計なこと言ったな……そうだ、今度モモの好きな作家さんの新作が出たら、買って読ませてあげるからさ」


 ぼくがそういうとモモの目がきらーん!と光った。


「えっ! ホント!? ちょうど来週出るんだけど、買ってくれる?」

「おいおい伏見ちゃん、少し桃山ちゃんのことを甘やかし過ぎるんじゃないか?」


 七色さんが渋い顔をするがぼくは「別にいいよ」と首を振った。


「いいさ。ぼくも読みたかったしね」 


 まあ、自分でも甘やかしてるなあと思うけど、直そうとは思うのだけれど、ついつい甘やかしてしまう。

 七色さんはそんな返答に不満があるのか、小言を言おうとした――ぼくは身構える――

が、結局は「やれやれ」と肩を竦めた。

 うーん、やっぱり良い性格してるなあと思ったり。


 ぼくたちはこんな風に朝早くから集まっておしゃべりをしている。朝だけじゃない、休み時間も昼休みも放課後も、時間の許す限り話し続けている。


 小学生のときはぼくとモモの二人きりで。

 中学生になってから七色さんが加わって。

 それ以来、ずっと変わらない関係性を保っている。


 会話の内容は周りの中高生と一緒だ。ファッションだとか芸能人の話やグルメの話とかだ。たまに勉強の話もするけど、すぐにぼくやモモが嫌がるのであまりしない。

 変わっているところを強いて挙げるならば、主な話題に小説の話が多いことだ。

 読書はぼくたち三人の共通の趣味だ。それも面白いことにそれぞれ違ったジャンルの小説を好んでいる。


 ぼくは勧善懲悪、正義が悪に勝つヒーロー物が好きだ。ありふれた陳腐でありながら、王道を真っ直ぐ進み、最後はハッピーエンドで終わる。そんなストーリーが大好きだ。愛してると言っても構わない。


 勘違いしてほしくないのは、邪道なストーリーが嫌いという訳ではない。もっとはっきり言うなら嫌いだったり苦手だったりするジャンルはないのだ。


 中学生のときだったが、三人で小説に対する苦手意識について話し合ったことがある。

 五時間に渡る大討論の末に出た結論は、『苦手ジャンルというものは白米が苦手な日本人と同じでありえない。真の愛読者は全ての小説を文字通り愛するべきだ』だった。


 だから、純文学の好きな七色さんでもぼくの薦める大衆文学を読むし、ぼくもモモの好きな恋愛小説を読んだりもする。モモだって男の子の読むような、正義のヒーローが活躍するライトノベルを読んだりする。


 三人が三人とも違ったジャンルが好きなので、自分の気に入った本を交換し合って感想を言ったりするのは楽しい。決して話上手とは言えないぼくだけれど、本の話題だったら幾らでも話せる。好きこそ物の饒舌なれと言うべきか。


 とにかくぼくたちは本が好きでたまらない書痴たちなのだ。


「――ところで二人とも、今朝のニュースを観た?」


 七色さんが最近読み直したという遠藤周作の『海と毒薬』についての考察を語って一段落した後、不意にモモが訊いた。


「ぼくは観たけど、それがどうした?」


 ぼくが聞き返すとモモではなく七色さんが「もしかして殺人事件のことかい?」とすぐに反応した。


「うん。ななちゃんは鋭いね。ていうか今話題のニュースって言ったら、殺人事件しかないよねー」


 軽い感じで頷くモモ。ぼくと違って殺人事件に何の感慨もないだろう。


「それがどうかしたのかい? 狙われているのは伊吹高の生徒だから私たちには関係ないだろう? 制服で犯人は特定してると報道されていたが」


 七色さんもなんとも思ってないようだ。不安を感じているのはぼくだけなのか?


「そうそう。伊吹高って制服が可愛いんだよねー。珍しい紺色のブレザーでさ、一回着てみたいよねー」


 ニコニコ笑いながら、感情丸出しではしゃぐモモ。しかしすぐさま「制服の話はいいんだよ」で話を戻す。セルフノリツッコミだ。


「関係ないことないんだよ。もしかしたらあたしたちも狙われるかもしれないんだよ?」

「……? そんな情報、ニュースに出回っていたか?」


 ぼくが訊くとモモは自慢げに答える。


「出回ってないよー。お父さんに訊いたんだけどね。今まで殺された――あ、こんな言い方ダメだね――犠牲者は伊吹高ってだけじゃなくて私たちが今現在暮らしている桜ノ宮市に住んでる高校生でもあるんだよ!」


 ババーンという効果音がするようなポーズをとるモモ。ドヤ顔が絶妙にウザさを演出している。

 モモの父親は警察官だ。階級は警部補。役職は係長であり、殺人事件の担当ではないらしいが、それでも情報が入るようだ。

 そうか、気づかなかったなあ。


「もしかしたら、伊吹高じゃなくて桜ノ宮市の高校生を狙っているかも! 狙われるのはあたしたちの誰かかも!」

「……私たちは狙われにくいと思うが」


 七色さんの意見にはぼくも賛成だ。七色さんの見た目は高校生というよりOLに近いし、モモは逆に小学生に見える。ぼくに至っては言わずもがなだ。


「そうだねー。あたしたちは安心安全ってことだねっ! よかったよかった」


 不謹慎なことを笑顔で言うモモ。悪意も悪気もない無邪気な性格のモモらしい平然とした一言にぼくも七色さんも顔を見渡せて、苦笑いをする。


「桃山ちゃん、今はそんな話はしない方がいいと思うよ。どこに亡くなった人の遺族や関係者がいるか分からないしね。少なくとも私は感心しないな」


 見渡すと教室には他の生徒たちが登校していた。黒板の上にある時計を見る。もうすぐ一時間目だ。


「はーい。ごめんなさい」


 人の生き死にが関わってるというのにノリが軽い。モモの悪いところだ。


「でもさあ、よく考えるところくん危なくない? だって走れないから狙われたら逃げられないじゃん」


 急に真面目なトーンで核心をついたことを言う。

 まあ、その通りなんだけど。


「そう言われてみれば、伏見ちゃんは脚に障害があるな。病院にはちゃんと行ってるのかい?」


 七色さんが心配するようにじろじろ見ている。もしかして、あのことがバレるんじゃないかと思って、無意識に右脚を庇う。


「五日前に行ったけど、相変わらず回復の兆しがないんだって。今はリハビリで歩いたりしてるよ。でもまだ走るのはもちろん、飛んだり跳ねたりもできないけど」


 自分の症状を淡々と言う。湿っぽくならないように気をつけながら。


「そうか……気長に頑張るんだよ」

「あたしたちにできることがあれば、なんでも言っていいんだよ?」


 真っ直ぐな眼。二人の気遣いがなんだか申し訳なく思う。

 あのことがバレたら、ぼくは二人にどう謝ればいいんだろう。

 あ、二人だけじゃなくて、ゆめ姉にもか。


 暗く憂鬱な気持ちになってきたとき「おーい、ホームルーム始めるぞー」と言いながら担任の黒川先生が入ってきた。いつも通りやる気のなさそうな声だ。


「それじゃ、また後でね」


 モモの一言で二人が自分の席に向かう。

 ぼくは誰にも見られないように、右脚を動かしてみる。

 何の異常も感じられなかった。

 それ自体が異常だと、自分自身分かっていた。

 嫌になるくらい痛いほど分かりきってることだった。


 黒川先生が諸連絡を言っている。部活動の入部届は今月一杯で締め切るそうだ。その声が遠くに聞こえる。連絡を済ますと黒川先生は教室を出て行く。一時間目は日本史だ。担当の根岸先生が入れ替わりで入ってくる。


 病院に行かないとなあ。

 そう思いながら教科書をバックから取り出す。

 まだ新しい教科書からはインクの匂いがした。

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