語り部 伏見こころのこと
ぼくの身体に異常が出て三日が経った。
窓から朝日が差し込んでくる。いつものように六時ちょうどに目覚まし時計の機械音が鳴る。その音に反応するように、夢と現実が曖昧なまま、半覚醒の状態で身体を起こす。
頭が痛くならないようにゆっくりと。
「……眠いなあ。死にたくなるよ」
自分でもどうかと思うくらいネガティブな一言が口に出る。でも仕方がない、今日からまた月曜日が始まるんだから。確か英語でブルー・マンデーって言うんだっけ?
別名、サザエさん症候群。
眼球だけ動かして壁に掛けているカレンダーを確認する。四月二十日。やっぱり月曜日だ。これが金曜日になれば良いのに。
鳴り続ける目覚まし時計を乱暴に叩いて静かにさせた後、ぼくはベットから起きあがりタンスの方へ向かう。そしてタンスから洋服を選んで取り出す。
ぼくの通う高校に制服はない。厳密に言えば有るにはあるけど、入学式や卒業式など特別な行事のときにしか着ないから、ないに等しい。
今日は、いつものパーカーとデニムでいっか。
毎回選ぶのは、初めのときはなんとも思わなかったけど、次第に慣れていくと、だんだんと面倒くさくなっていった。
中学のときは楽だったなあ。
やっぱり制服は必要だ。
まあ、モモだったら「毎日同じ服じゃ飽きるじゃん」と言うだろうし、七色さんだったら「女の子の魅力とファッションは等価なのだよ。伏見ちゃん」と言うだろう。簡単に想像できる。
ぼくは同じ服を着ても飽きないし、ファッションなんて興味も湧かないんだけど。
洋服に着替え終わるとパジャマを小脇に抱えて、松葉杖で身体を支えながら、ドアを開けて下に降る。
階段を踏み外さないように慎重に。
今、怪我をしたら洒落にならないからだ。
「おはよう。ゆめ姉」
「あら。おはよう、こころちゃん。今日もちゃんと起きられたわね」
洗濯機にパジャマを入れてリビングに向かうと、ゆめ姉が朝ごはんの準備をしていた。
ゆめ姉、伏見ゆめはぼくの姉である。
ショートヘアーのぼくと違った、長い髪を後ろにまとめていて、いわゆるポニーテールだ。
身長はぼくと変わらない。エプロンをしているが、いかにも大学生らしい格好をしている。顔も少し化粧していて、ナチュラルメイクでぼくから見てもとても綺麗だ。
ぼくより四歳年上で、大学二回生である。
「ゆめ姉、ぼくはもう高校生だよ? 一人でちゃんと起きられるさ。もう子供じゃない」
「そうかしら? 中学のときはいつも起こしてあげてたじゃない。ひどいときなんて三度寝もしてたし」
そう言って、ゆめ姉はクスクスと笑う。正直ムッときたが言い返すことはしない。ゆめ姉に逆らう愚かさをぼくは良く知っているからだ。
具体的には、ゆめ姉の普段やっている家事をすべてやらされる。
正直、洗濯や掃除があんなに大変だとは思わなかった。楽勝だねと思い込んでいた自分が恥ずかしい。
結果として土下座して謝ることになった。
姉は偉大だなと思い知らされる出来事だった。確か中学二年生のことだった。今にして思うと反抗期だったんだなと思う。
とりあえず、ぼくは話の流れを変えることにした。
「だけど、今は起きられるだろう? もう、ゆめ姉には面倒かけないよ。それに家事も手伝ってあげるよ。流石に全部は無理だけど」
「ふうん。良い心がけね。まあ家事はおいおい覚えてもらうとして、今は朝ごはんを食べましょう」
そう言ってぼくを席に促すゆめ姉。ぼくはそれに従って椅子に座る。
メニューはトーストとサラダとスクランブルエッグ。それにオニオンスープ。理想的な洋食だ。
二人でご飯を食べながら、テレビを見る。ニュースの内容はいつもは芸能人の恋愛話や他国の戦争の話だったり、ぼくたちとは接点のない関係のない話だけど、ここ一週間は同じ話題が続いている。
「怖いわね……連続殺人事件」
ゆめ姉がぼそりと呟いた。
ぼくは「そうだね」と同じくらい小さな声で応じる。
ぼくたちが住む桜ノ宮市の隣、竹波市は現在進行形で連続殺人事件が起こっている。
始めの事件は二週間前、新学期が始まってすぐのことだった。
普通の連続殺人事件でも話題になるのに、この事件が全国ネットで放送され、世間を騒がしているのは理由がある。
一つ目は殺害された人数が多いこと。
その数は全部で七人。二週間で七人だから単純計算で二日に一人、殺されていることになっている。
二つ目は被害者たちに共通点があること。それは同じ高校の生徒ということだ。
名門私立、伊吹女子高。
一年生から三年生までの女生徒が区別なく殺されている。それが原因で伊吹高は休校状態になっている。なんでも保護者側と学校側が協議した結果らしい。しかし、対応が遅すぎた面もある。すでに七人も殺されたのだから。
三つ目は殺され方だ。マスコミの警察に対する取材で明らかになったことだが、死体の損傷がひどいらしい。凶器はナイフで死因は刺殺による大量失血死だが、死体を解体されていた。四肢を切断されて、皮膚を剥ぎ取り、筋肉を切り裂かれて、内臓を取り出されていた。
明らかに異常である。このニュースを読みあげた女子アナがあまりの残虐性に声を詰まらせる場面が何度もあったくらいだ。
世間ではこの一連の事件を『女子高生連続殺人事件』とセンスのない呼称で報道している。
まあ、こんなところでセンスを発揮されても困るところだけど。
「これ、いつまで続くのかしら? いい加減、早く犯人を捕まえてほしいわ」
「多分、もうすぐ捕まるよ。ゆめ姉、心配しなくてもいいよ。警察だって何か対策を立ててるはずさ。それに犯人が自首するかもしれないしね」
そう言ってはみたものの、おそらくは自首することはないだろう。
日本の警察は優秀だろうけれど、それは道案内や盗難チャリを見つける程度の話だ。こういった連続殺人事件は荷が重過ぎる。八人目の犠牲者が出るのも時間の問題だ。
「そうね……そうだといいけど」
ぼくの思考を知ってか知らずか、自分に言いかけるように、ゆめ姉は頷く。
ゆめ姉は伊吹女子高の出身だから、自分の後輩たちが犠牲になるのは、きっと悲しいし悔しいんだろう。そう思いながらスープを啜る。
「こころちゃんも気をつけてね? 最近夜に出歩いているようだけれど、物騒なんだからね?」
ぼくはどきりとした。気づかれてたかなと思っていたけど……。
動揺を隠しつつ「何のことかな?」と逆に問いかけた。
「とぼけないで。ここ二、三日黙って外に出ているじゃない。私の部屋は一階にあるから音で気がつくわ」
うーん、どうしよう……。とりあえず誤魔化すのは得策ではない。かといって認めるのも……
「……何か言い訳あるかしら?」
ゆめ姉はじっとこちらを睨んでいる。しょうがない、なるべく嘘はつきたくなかったけど――
「えっと、散歩してたんだ。身体を動かしたくて」
「散歩? 明るい内でもできるでしょ?」
そりゃそうだ。
ぼくはずるい言い方をすることにした。
「ゆめ姉、ぼくの脚のこと知ってるだろう?あまり人に見られたくないんだ」
「あっ、そうだったわね……」
ゆめ姉は目を伏せた。悪いこと言ってしまったと思っているのだろう。ゆめ姉の癖でバツの悪いことをいうと目線をすぐ逸らす。
別にもう気にしてないのになあ。
「気にしなくていいよ。だから暗いときに歩きにいくんだ。お医者さんにもなるべく歩いたほうが良いって言ってたじゃない」
「だけど、もう一度言うけど、最近物騒だから――」
「こう言っちゃあなんだけど、狙われているのは伊吹高の生徒でしょ? ぼくには関係ないよ。それに現場は隣町だし」
「そうね。でも絶対安全って訳じゃないわ」
「じゃあ今度から気をつけるよ。出かけるときはちゃんと言うし」
「……そう。なら、そうしてちょうだい。本当に気をつけてね?」
ぼくの言葉にゆめ姉は一応は納得したらしい。なんだかんだで最終的にはぼくを信じてくれるゆめ姉は優しい人だなと思う。
だからこそ、あのことだけは知られてはいけない。
「ごちそうさま、今日もおいしかったよ」
食べ終えた食器を重ねて洗い場に持って行く。
「おそまつさま。もうちょっと待ってね。すぐに食べ終わるから」
「うん、わかった。ゆっくりでいいよ」
後片付けはぼくの役目だ。ゆめ姉が食べ終わるまで、ぼくは自分の食器を洗いながら後ろでテレビを聴く。
大学教授や評論家などの偉い人たちが連続殺人について自身の見解を述べていた。社会の闇がどうとか現代のジャック・ザ・リッパーだとか小難しいことをわざわざ難しく語っている。
うだうだ話し合っても、犯人が捕まるわけないのに。意味のないことしてるな。馬鹿みたいだ。
心の中で悪態をつきながら、食器についた洗剤を洗い流す。
「一刻も早く、事件が解決されるといいですね。次は全国のお天気です」
アナウンサーの能天気な声が聞こえる。
事件の報道が終わっても、現実の事件は終わらない。
一抹の不安と漠然とした怖れを感じながらぼくの日常はこれから始まる。




