てるてる坊主
てるてる坊主
アキアカネが里に舞い下り、田畑が広がる宙を徘徊する頃、菅沼は稲刈りの季節を迎える。
谷間に細く伸びた菅沼の邑は裾に位置した聚落の上に段々に水田が積み重なっている。一枚一枚の田は何れも小さく、代掻きから稲刈りまで、どの農家も作業には難渋する。
現在、聚落となっている場所はかつて大きな沼であったと伝え聞く。最も深いところでもせいぜい大人の腰くらいの深さで一面に菅が生い茂り、とても耕作などには適さぬような土地で、まして人など住めよう筈がなかったと言う。
神社に残る記録によれば、戦乱で荒れ地となった農地の代わりを求めて、十数軒の農民がはるばる遠方から入植してきたとのことである。沼を灌漑し、片っ端から菅を払い、裾から段々に斜面を切って行き、田畑を拵えていったそうだ。土手に築いた石組みに往時の苦労が偲ばれるのである。
記録には村の者が寄り合って相談し、奈良の春日大社から分祀して神社を創建した経緯も記されている。
稲刈りが終わると、神社は豊年祭りの舞台と変わる。一年の収穫を祝い、翌年の豊作を祈るのは勿論だが、加えて子安祈願が奉願の重要な題目として掲げられるのがこの村の祭りの特徴である。
どういう訳か、この村は子宝に恵まれぬ家が相次ぐ。あるいは、押し並べて子どもの誕生が遅いのである。近年に始まったことではなく、随分古くからそうあったようで、まるで村の倣いでもあるかのようにほとんどの家がそれに従う。
そのためか、村の各所に陰陽石と覚しき石が据えられている。垣内をめぐる里道の辻々や畦の縁に男女それぞれの陰部を象った石が置かれ、庭先に置く家まであるほどだ。どの石も人の手を施さない自然の石ばかりだが、よくぞ見つけてきたものよと感心するくらい、形と言い風合いといい隠微な想像を掻き立てるほど良くできている。勿論、神社にも鳥井の両脇に鎮座し奉られてある。ここの石は中でも別格であり、一メートルほどの身の丈に、大きさばかりでなく人の手になるのではと思えるくらい、男女のものそっくりに似せてある。もとより村人は慣れっこであるが、他所の土地からふらっと訪ねて来た人はその姿を目の当たりにして度肝を抜かれるらしく、内に秘めた卑猥を暴かれでもした戸惑いを覚えるようだった。時々、キャッキャと若い女性の笑う声が村全体に響き渡ることもあった。その声は好奇心と言うよりも、その戸惑いを誤魔化す所作に思われるのである。
神社の陰陽石には注連縄が懸けられており、祭はそれを新調することから始まる。数日前から縄をない紙垂を付け、祭の前夜、古い注連縄を外し準備する。祭の明け方、村の者が境内に集まり、神主が祝詞をあげる中、男女それぞれの石に懸けていく。かつては適齢期の者が、男は女石に、女は男石に懸ける習わしであったようだが、今は村役の勤めになっている。この神事は雨が降ろうと中止になることは決してない。延期になることさえない。たとえ、祭の他の行事が中止あるいは延期になったとしてもこれだけは決まった日に必ず行われるのである。恐らく数百年の間、途絶えたことは一度もなかったのであろう。それほどまでに、子安祈願は村の重要事であったということだろう。
注連飾りが済むと、しきたりに則った神社の行事が粛々と執り行われ、最後の山車曳きで祭は最高潮を迎える。「万年豊作」「家内安全」「安産」「楽往生」と書いた札を掲げた山車を曳き村中を練り歩く。曳き手は老若男女を問わないが、主役はやはり子どもである。数人の子どもらが山車に乗り、太鼓、鉦鼓、笛を鳴らし、祭り囃子を奏でるのだが、これさえも丁度年頃の子どもがいないために、大人が代役を務めたこともあった。
さて、祭が終わると、山車のほか、行事に用いた神具やらをしまいし、一旦、それぞれの家に戻った後、暫くして神社の境内にある社務所に集まる。社務所と言ってもそれほど大層なものではないが、畳二十畳ほどの平屋の建物であり、集会所としても使われる。
集まるのは男衆ばかりで、打上げと称する酒盛りが始まるのである。
数年前までは、女も混ざっていたのだが、男ばかりが飲み食いし騒いでいる中で、女が台所番をして料理を拵え膳を並べたり、酌をしたりで、それを不公平に思うようになり、誰が言い出すともなく、その習慣がなくなり、今は仕出し弁当を取って男衆が自分たちで賄うようになったのである。
その方が実際、揉め事もなく済むようになり、良くはなった。
以前は、行儀の悪い男が配膳をする女に絡み、絡まれた女の夫と喧嘩になったことも稀ではなかった。騒ぎに紛れて、こっそり他人の嫁を連れ出し、本殿の脇で秘め事に溺れる不届きな輩もあったと言う。勿論、その一件は大騒ぎとなり、二軒の家は共に夫婦別れしそれぞれに村を出て行ったのだが、未だに語り草となっている。
それに比べれば、今は随分大人しくはなったが、所詮は俗人のなすところ、酒を飲んで羽目を外し、歌えや踊れやの騒ぎは未だ盛んである。しかし、年に一度の楽しみなのだから、これくらいは許されて然るべきであろう。
「ボン、足はどないや。」
「大分、ましになったけど、膝頭がまだ痛いんや。」
「そうか、案配、養生しいや。」
「ああ、おおきに。」
ボンと呼ばれて返事したのは、再来年には七十になろうという髪の薄い男である。ボンと言うのは醬油屋の倅に生まれ子供の頃からぼんぼん育ちであることからついた呼び名である。中学に上がると、流石にその呼び名が嫌でならず何度も拒んだが、それでも懲りずに皆がそう呼ぶものだから、遂に諦め、それに馴らされその年まできたのである。本当は岡田敦という立派な名前があり、学校では「あっちゃん」、「おかだくん」、社会人になってからは「おかださん」。「あつしさん」と普通に呼ばれるのに、村では相変わらず、「ボン」であることに最早本人も抵抗はなくなっていた。他所から嫁いできた妻さえも村の連中を真似て「ボン」と呼ぶに至っては最早腹をくくるしかなくなった。
「ボン、文っさんは一緒やなかったんかいな。」
ボンにそう聞いたのは頭弥の山中源治であった。頭弥とは村の長である。
「何や知らんけど用事を済ませてから遅れて行くて言うとった。」
ボンが答えると、頭弥の源治は
「そうかいな。」
と相槌をうち、
「あとは皆、揃うてんのかいな。」
と部屋を見回した。
「おお、揃うたんちゃうか。」
「文っさん以外は皆おる。」
と皆が口々に答えると、源治は
「ほな、そろそろ始めよか。え〜、今日は皆さんご苦労さんでした。」
を枕に挨拶を始めた。源治は教育委員会に勤めていただけあって、話が上手ではあるのだが、それに気を良くしてか、どんな場所でも挨拶が長い。
皆は目の前に置かれた弁当と酒が気になり、話などまともに聞いていない。ようやく源治の長い挨拶が終わると、皆はこれ見よがしに大きな拍手をしたが、それが当てつけであるなどとは思いも寄らず、源治はいつものように得意になっていた。
「そしたら、乾杯しまひょか。肝煎りはん、頼んまっさ。」
肝煎りはんと呼ばれたのは、東田貞夫である。肝煎りは昔ながらの役名がそのまま残っていて、村で起きる問題を調停するのが務めということになっているが、実際は書記のような役である。
貞夫は、
「皆さんもお疲れのことと思いますので、長い挨拶は止めにして、早速乾杯と致します。」
と前置きし、
「それでは、皆さんの健康とますますの発展を祈念して、乾杯。」
と言った。集まった男衆はグラスをあげ、
「乾杯。」
と声を合わせた。頭弥の源治もまさか皮肉られたなどとは気付かずに、にこやかに
「乾杯」
と言い、グラスに注がれたビールを一気に飲み干した。
それから、式次第も何もない勝手放題の宴会が始まった。
「おーい、ボン、また例のやつやってくれや。」
「せや、あれがなかったら会が始まらん。やれ、やれ。」
「そうや、そうや。ボン、頼むで。」
皆に囃し立てられて、ボンはズボンもシャツも脱いで、パンツ一丁で床の間の前に立ち裸踊りを始めた。いつの頃からか、ボンの裸踊りは恒例となり、これなしでは宴会も済まされないと言うまでになった。
ボンの裸踊りを皮切りに、銘々、一芸を披露していく。物真似をする者、パントマイムをする者、逆立ちをしてそのまま腕を曲げ床に置いたビールを飲むという曲芸をする者もあった。中には、何処で覚えたのかマジックをする者もあった。プロはだしの腕前に皆は驚きの声を上げる。この日のために練習を重ねているのか、毎年、新しい業に挑み、今年は真っ白な紙をお札に変えた。
「おい、俺のこの紙も一万円札に変えてくれや。」
できない相談と分かっていても、酔いの力も加わって、冷やかす声が上がる。
頭弥の源治はポケットに忍ばせたハーモニカを取り出し吹き鳴らした。「荒城の月」「青い山脈」「ふるさと」と三曲吹くと会場から拍手喝采を浴びた。この感触が源治には堪らないのである。
次々に披露されていく芸は月並みなものもあるが、意外に皆、芸達者なのである。年に一度のこととは言え、それぞれに練習を重ねているようだった。
宴会が盛り上がっている頃、ガラガラと表の戸が開き、「遅れて行く」とボンに伝言していた田端文史が入って来た。
「すんません。エラい遅うなってしもうて。」
文史は深々と頭を下げて言った。
「文っさん。挨拶はええがな。ほれ、そこの空いた席に座って。」
そう促されると、文史は彼のために空けておいた席に腰を下ろした。宴も中盤に入り盛り上がっていることもあって、誰もが足を崩している中、文史だけはきちんと正座した。
「文っさん、ビール注ごか。」
隣に座った小田喜彦がビール瓶を片手に、文史のグラスに注ごうとした。
「いや、わし、よう飲みまへんねん。」
「そんなん言わんと、一杯くらいええやないか。」
「いや、ほんま、あきまへんねん。」
いつもは断りながらも最後は折れて、ほんの一口舐めるだけにしろ、グラスに注がれるままにする文史だが、頑なに拒むのを喜彦は変に思った。だが、喜彦も物わかりの悪い男ではなく、
「ほなら、茶にしとくか。」
とテーブルの中央に置いた薬罐をとって、文史のグラスに茶を注いだ。
「文っさん、何で遅なったんや。」
「いや、大したことやあらしまへん。ちょっとした野暮用でんねん。」
文史はそう言っただけで、野暮用の中身には触れず、喜彦も敢えて聞き出そうとはしなかった。元々、陽気でない男ではあったが、いつにも増して陰のある文史の表情に、喜彦は深く立ち入って聞くのが憚られた。
「文っさん。」
離れた席から呼ぶ声がした。
「来たばかりで早速やけど、一人一人、芸してもろうてんねん。あんたも頼むわ。ま、膳のもの食べてからでええんで、頼んます。」
文史は、俯いたまま上目遣いで声の主を覗き込むようにしながら
「ええ」
とボソリ返事した。
文史は目の前にある弁当に箸を付けるものの、食欲がないのか、なかなか進まない。その様子を横目で見ていた喜彦は、それが気になったが、野暮用と口を濁した事情が余程のことなのだろうと察して、余計な気遣いはすまいと控えた。
その間も、次々に芸を披露するが、酔いの回った連中ばかりが繰り広げるのは最早、戯れ事のようでしかなかった。
「文っさん。」
今度はボンがそう呼んだ。
「そろそろ、どないでっか。」
酔いが回り言葉遣いも怪しいボンの声に、怪訝な表情を見せたのは喜彦だった。けれども文史の方は気にも止めぬ風で、
「そうでんな。」
と言って、徐に立ち上がるとゆったりとした足取りで歩いた。床の前に立つと、深々と頭を下げ、
「今日は皆さん、お疲れさまでした。」
と労いの言葉をかけた。
「おーい、皆んな、静かにせえよ。」
頭弥の源治は、その場の雑音を鎮めた。
文史は、背筋を伸ばし胸を張ると、余り通らぬ声で歌い出した。
「てるてる坊主 てる坊主 あした天気にしておくれ」
文史が歌い出したのは「てるてる坊主の歌」である。誰でも知っている有名な歌ではあるが、皆が知っているのはこの部分だけで、全部の歌詞をそらんじることのできるものはそう多くないだろう。だが、文史はその後、
「いつかの夢の空のよに 晴れたら金の鈴あげよ」
と続け、さらに、二番、三番と最後まで歌い終えた。
決して美声でもなければ、上手でもないが、文史の歌声は何故か心にしみた。文史は毎年、祭の度にこの歌を歌う。村の者も聞き飽きている筈だが、誰も揶揄したりはしない。真面目過ぎる文史の人柄が、品のない野次やからかいを退けているのには違いないが、事情を知る者にはその歌を歌う文史の心情が余りにも痛すぎるのである。
文史が歌い終わると満場の拍手が湧き起こった。
先程までふざけていた者も真面目な顔で皆に合わせて拍手していた。
「ありがとうさんです。」
文史はまた深々と頭を下げ、引っ込んだ。
無礼講の賑わいは潮が引くように収まり、頃合いを見計らって、頭弥の源治が、
「ほんだら、皆さん、ここらでお開きにしまひょか。今日一日、お疲れさんどした。役の人だけ、後に残って貰うて片付け頼んます。」
と言うと、
「お疲れさん。」
と言う声が次々に飛び交い、順々に抜けていった。
後に残った、頭弥、肝煎り、会計の三役と何故かボンが混じった四名が弁当の箱を集めたり、コップや瓶を片付けた。
「コップとかは流しに置いといてくれたらええ。明日、女子衆さんが来て洗うてくれはるさかい。」
源治が言うと、皆もそれを当然のように受け容れ、流しにコップ入れ水を張った。村の婦人方は配膳や接待の役から解放されたとは言え、まだ封建的な色合いが強く残る菅沼では洗い物は女の仕事という習慣までは脱け切れずにいた。
「文っさん、今日もあの歌やったな。」
ボンは弁当の箱を集めながら、誰にともなく言った。
「今日もて、この先もそうや。そのずっと先も、文っさんが人前で歌うのはあれしかあらへん。」
肝煎りの東田貞夫が言った。彼は文史とは同級生で子供の頃からのつき合いである。尤も近所というだけで、それほど深い間柄ではない。貞夫が陽気で社交的でありそれ故か羽目を外してしまうこともままあるのに対し、文史は真面目一方で、この二人が意気投合することなどないのだが、近所のよしみと言う程度の形だけのつき合いでもまたない。
貞夫は文史が「てるてる坊主」を歌うようになった事情もよく心得ている。
「あれから、何年経つんやろ。」
会計の上田正夫が言った。
「せやな。もう、半世紀にはなるんやないか。」
貞夫は答えた。
「そや、半世紀や。今年で丁度五十年になる筈や。丁度、今頃のことやった。祭の準備で忙ししてる最中の事やった。」
源治が念を押すように言った。源治は文史や貞夫より二つ上で、子どもの頃の二歳違いは相当な格差であり、彼は親分格であった。面倒見の良いところがあり、子供の頃から文史や貞夫を可愛がり、事毎に相談に乗ってやるなどしていた。五十年前もそうだった。
「子のないのはわしも同じや。」
ボンが割って入って言った。
「けど、わしの場合は、子どももできなんだし、そのうち嫁はんにも逃げられたよってな。寂しいのは寂しいけど、文っさんみたいに辛うはないわな。」
「ボン、そないあけすけに言われたら、こっちも言いようがないな。」
「いや、わしのことは気にせんでええ。嫁はんがおらんようになってからでももう三十年近うなるさかいな。その間ずっと独りもんや。慣れてもうたわ。」
「そうか、ボン。お前はんも色々あったのに飄々としとうるさかいの。」
ボンは頭弥にそう言われて、へへ、と笑った。苦笑いなのか照れ笑いなのか分からないが、ボンの笑顔は周囲の者を和ませる。
「わしな、この年になっても、皆にボン、ボンと言われとるけど、もし、子どもや孫がおってみな、そんなこと言われたら恥ずかしてしょうない。慣れてもうたら、ボン言う呼び名に愛着が沸いてもうてな。」
「は、は、は、ボンらしいわ。」
居残りの四人がいる集会所の部屋は笑いに包まれた。
「あ、そや、文っさんが歌うてる時に喜っやんから聞いたんやけど、文っさんが遅なったんは何かの野暮用や言うてたらしいんや。」
貞夫が言うと、皆は顔を見合わせた。
「そうや。」
「それや。」
「せやろな。」
傍で聞いている者があれば、何のことやらさっぱり分からないだろうが、四人はそれだけで合点していた。
「今日は祭で忙して行く間もなかったよってんて、祭が終うてから夫婦二人墓参りに行ったんと違うやろか。」
「せやで、きっと。」
「皆に気ぃ使わしたらあかん思うて、野暮用言うたんやろな。」
「文っさんらしいわ。」
貞夫は同級生の人柄を思いやるように言った。
「わしらもなかなか子どもに恵まれなんだけど、ま、遅うにでも授かっただけましやわな。」
源治が言うと、
「ほんま、その通りや。」
と皆、相槌を打った。
「それにしても、うちの村はなんでこないに子出来が遅いんやろな。」
「何かの祟りでもあるんかの。」
「縁起でもないこと言いなや。まして、祭の日に。」
「えらいすんまへん。」
ボンは頭を掻いて笑った。
すると、先程から黙っていた会計の上田正夫が口を開いていった。
「祟りか何か知らんけど、ここの土地柄なんやろな。今でこそ良うはなったけど、昔からここいらは稲は実らん、畑のもんも出来が悪い言うて、ご先祖さん等は大分苦労しゃはったらしいわ。その証拠に、うちの村の者の苗字かて、田やら畑やら付く家が多いやろ。実りが良うなりますようにて願いを込めて付けはったんや。」
「そない言うたらそやな。ほれ、ここにいる者だけでも、東田、上田、岡田て、四人のうち三人が田の付く苗字や。頭弥はんだけ違うけど、山中言うのんも、こないな谷間の村でも案配実りますように言う意味で付けたんと違うか。」
正夫の説に同調するように源治が言うと、皆は頷いた。
谷間で日当たりに恵まれず、水捌けも悪いため、作物の実りはどうしても良くならない。実りが良くないと栄養も不足しがちで、子どもも生まれにくい、どうやらそういう関連らしい、その事は皆、漠然と考えていたが、改めて言われるとただ頷くしかない。
今でこそ、村の大半は外に働きに出かけ、農業を営む家など少なくなり、その僅かな農家でさえ、自家で消費する何分の一かを作るくらいでしかなく、米も野菜もスーパーで買うのが当たり前になったが、その昔は死活問題になるほど耕作に向かぬ土地柄だったらしい。
「何か、腰が落ち着いてもうたな。皆はん、もうちょっと飲み直しまへんか。」
貞夫が言うと、源治も
「せやな。そうしょうか。ビールも酒もまだ余ったったやろ。置いといても仕方あらへん。飲んでまお。」
と口を合わせた。そして、
「ボン、いっぺんしもたヤツ、また持ってってんか。」
と命じた。この中では一番年下のボンは当然のように台所に行き、酒瓶とコップを持って来た。コップになみなみと酒を注ぎ、皆に配ると、誰の音頭があるわけでもなく、
「乾杯」
と呟くように言い、コップに口を寄せた。
「せやけど、何やな。ほんま因果やな。」
貞夫はしみじみと言った。
「文ちゃん、一人目の嫁はん、早うに死なせてしもて、再婚はせえへん言うてて、親戚に勧められて、今の嫁はん貰うた思たら、今度は死産や。」
「それもな、なかなか子どもが授からんで、六年目にしてようやっと孕んだ思うて、喜んどったのにな。」
「俺みたいな罰当たりな奴はそうなってもしゃあないけど、文ちゃんみたいに堅パンな奴がな。」
貞夫は馬が合う間柄ではなくとも、幼馴染みで幼稚園、小学校、中学校と一緒に通った同級生に心から同情していた。そこに偽りなど全くなかった。
「あのう。」
ボンが脇から入って、皆の顔を伺うようにして、
「今やから言いまんねんけどな。」
意味ありげな言い方に皆は興味を示した。
「文っさんとこの子やけど、ホンマは死産ちゃいまんねん。」
「え、どういうこっちゃ。」
皆は怪訝な表情でボンの顔を見た。
「ホンマは死産やのうて、ちゃんと生まれてきてん。けど、生まれた時から息も絶え絶えで、お医者はんは一生懸命手ぇ尽くしたらしいけど、どないもならへんだらしいんや。生まれてから二時間くらいは生きてたらしいけど、苦しそうで見てられへんだんやと。」
「そんなこと誰から聞いたん。」
源治は問い詰めた。
「別れた嫁はんですわ。文っさんとこの嫁はんと仲が良かったさかい、何でも話とったらしいわ。文っさんとこの嫁はんが泣いて、うちの嫁はんに言うたちゅうこっちゃ。」
ボンは何時になく神妙であった。文史の話をしながら、どうやら、別れた嫁のこともお思い出しているらしかった。ボンは続けた。
「無事にとは違うけど、とにかく生まれてきたから、ホンマは戸籍にも乗せなあかんけど、僅か二時間、この世に居ただけやさかい、誕生と死亡の届けを一編に出さなあかん言うのは余りに切ないやろ、言うて、お医者はんの計らいで死産言うことにしたそうや。」
「いろいろあるんやな。」
「ほんまや。」
また、皆、頷き相槌を打った。
「ほんで、その子はどないしたんや。」
源治の問いに、ボンはまた答えた。
「お医者はんは、連れて帰ってもええけど、手続きやらが面倒やから、こっちで処分すると言わはったらしい。文っさんも大分悩んだらしいけど、結局、お医者はんに任せたらしいわ。」
「ほら、その方がええわな。」
「うん、わしでもそないするやろな。」
「うんうん。」
銘々に頷いた後、ボンがまた付け加えた。
「産婦人科から帰る時な、お医者はん、文っさんの嫁はんに言うたらしいんやけど、子どもはもう諦めた方がええてな。」
「最初で最後のチャンスやったんやな。」
貞夫の言葉が銘々の口を塞ぎ、部屋は異様なまでに静まりかえった。
このような話の後で、他の話題を口にする雰囲気ではなかった。
源治は無言でコップを差し出すと、ボンは酒瓶を傾け、なみなみと注いだ。源治はそれを一気に飲み干し、さらにコップを差し出した。
「源さん、飲んだらあかんとは言わんけどゆっくり飲みや。身体に悪いで。」
と言いながら、また酒を注いだ。
貞夫も正夫もそれぞれ手酌で酒を注ぎ足し、貞夫は呷るように正夫は啜るように、それぞれ互いの流儀に従い口にした。
柱時計は十時を指していた。
中秋の名月にも劣らぬ秀麗な月が夜空を照らし、それとも気付かぬ男どもの元に澄明な光を注いでいた。天井から吊り下がった電燈の光と入り交じって、湿っぽくなった部屋の空気を和らげていた。
「今日の文っさんの歌、いつもと違たな。なんや知らんけど
「いや、ボン、それは気のせいや。」
「せやろか。」
五十年という歳月を殊更に強調しようとしたボンの目論見は外れた。実際、ボンが思うように文史が過ぎ去った年限に思いを入れて歌ったのかどうかは定かでない。ボン自身もまた、そのように聞いたのかどうか自分でも分からない。ただ、後付けでそう言ってみたかっただけなのかも知れない。
しかし、年限など問題ではなく、毎年、この季節になると、潮が満ちるように、悲しみとも苦しみとも辛さとも、それらの何れとも取れる感情がない交ぜになって文史の胸に押し寄せて来るのは事実だった。
「文っさんとこ、未だに夫婦で、『お父はん』『お母ちゃん』と呼び合うとるみたいや。あそこの家の横、通る時、聞こえることがあるねん。」
ボンは畑に行く時、いつも文史の家の横を通るのだが、その時に、夫婦が互いにそう呼び合うのを耳にすることがある。その事を言っているのだ。
源治は
「子もないのに、『お父はん』『お母ちゃん』て呼び合うとるて、それもまた残ないのう。」
と言って、涙を流した。
「源兄さん、そんなことあらへん。文ちゃんは、しょうことなしにそう呼び合うとるんやあらへん。折角、一度は生を受けた子どものために、忘れたらんといたろ、思うて夫婦でそう決めたんや。」
貞夫は兄貴分の源治を宥めそして慰めるつもりで言った。
「阿呆、それがまた余計に悲しいやないか。」
源治はぶっきらぼうに言った。酒の酔いも手伝ったのだろうが、不覚にも涙を流してしまったことに対する恥ずかしさを照れ隠すようにも見えた。
男達の会話はまだまだ際限なく続きそうであった。口数の少ない正夫が立ち上がり、
「ホンマ、ここらでお開きにしまひょ。大体、片付いたるし、わし、明日の朝、こちの奴と一緒に来てしもときます。戸締まりしときまっから、皆はん、先に帰っとくんなはれ。」
と言って、転がっている酒瓶やコップを盆に乗せ、台所に仕舞いしに行った。
「えらいすまんな。」
源治が言うと、貞夫はその腕に自分の肩を貸し抱えるようにして起こした。
「ただいま。」
文史の帰りを待っていた妻の照枝は
「お父はん、どうでしたか。」
「いつものこっちゃ。」
「そうでしたんか。」
夫婦の会話にさして意味はない。ただ、祭の後の宴会で一悶着が起こることも一度や二度ではなかったので、それを心配していたのも事実である。まさか、その悶着に夫が巻き込まれるなどとは思ってもいないが、身内に関わりがあろうがなかろうが平穏無事が何よりである。それを求めるのがまた女という生き物である。
「お母ちゃん、これ憶えてるやろ。」
文史は胸ポケットから何かを取り出した。照枝は文史が帰って来た時から胸ポケットの膨らみが気になっていた。
文史の手に乗っていたのは、丸い何かをくるんだ白い布であった。
照枝は首を傾げて考えたが、直ぐに答えが浮かんだ。
「へー、あんた、そんなもんまだ持っとったん。」
「いや、箪笥の抽斗ひっくり返しとったら、出て来たんや。しょっちゅう開けとる抽斗やのに、何で今まで気付かなんだんか、不思議でしゃないわ。」
そう言いながら文史が妻の照枝に見せたのはてるてる坊主であった。
五十年前、照枝が身ごもった時、文史が拵えたものである。箪笥の奥で眠っているうちに肌は黄ばんでいたが、文史が書いた目、鼻、口はそのままであった。
文史が台所仕事をする照枝に向かって、
「白い布はないか」
と訊いたのは産婦人科から帰って来た日のことだった。
結婚して五年間、子どもに恵まれなかった。その気配さえ全くなかった。いくら生真面目な男とは言え、夜の勤めは他所様に負けず劣らず励んでいるつもりなのに、やり方が間違っているのか、それとも下手なのか、悩むほどだった。
互いに相手を詰る訳にはいかず、夫婦の間でも子どもの話は段々御法度になっていき、そろそろ諦めようとした時、宿した子どもである。
疑いつつも恐る恐る二人して訪ねていった産婦人科で耳にした朗報に、文史は飛び上がるほど喜んだ。
家に帰って、何を思ったのか、照枝に布と糸と針のありかを尋ね、慣れない手つきで作ったのがこのてるてる坊主である。
「あんた、こないなもん、どないしまんねん。何ぞ行事でもおまんのかいな。」
「違うがな。これをこうして逆さに吊して、無事に生まれてきますようにて祈るんやがな。」
「それはこの辺の風習でおまんのか。」
照枝は不思議そうに尋ねた。何か行事がある前日に「晴れますように」と祈るてるてる坊主を安産祈願に使うなどと聞いたことがなかった。
「いいや、そうやない。俺が考えたんや。」
「へえ、それでなんでてるてる坊主なん。」
誰もがそう訊くところだろう。
「逆子になったらあかんやろ。せやから、あんじょう、頭から出てくるようにて言う意味で、こいつを逆さにつるして毎日祈るんや。」
「えらい信心深いんですな。」
皮肉のつもりではなかった。信仰心も薄く、普段、「迷信や」と言って、神頼みや幽玄な伝承を悉く退ける夫が、そのような真似をするのがおかしかったのだ。文史もまた自分が普段言っているのとは全く矛盾することにも気付かず、真剣に作っていて、それが照枝にはさらにおかしかった。
照枝は文史が作ったてるてる坊主を見て、
「あんた、ちょっと貸してみ。」
と言って取り上げ、針に糸を通し、てるてる坊主の裾を縫い付けていった。縫い付けると言うよりも糸を通すことにより軽く縛り襞を作ったのである。そして糸の最後に丸い輪を作った。
「ほら、こうしとくと、逆さに吊っても裾がまくり上がらへんやろ。」
と言って、輪の部分を摘まんで文史に見せた。
「頭ええなあ。」
文史は感心した。
「あんた、何処に懸ける。」
照枝も案外、気乗りしているようだった。
「縁側に懸けとこ。」
そう言って、文史は早速縁側の天井に釘を打ち付け、逆さにしたてるてる坊主を懸けた。
「無事に生まれてくるとええな。」
「せやな。ま、心配せんといて。私は身体だけは丈夫にできたるさかい。」
照枝は自信たっぷりに言った。
「あんた、私、ほんまはてるてる坊主嫌いなんや。否、嫌いやってん。これからは好きになろうと思うわ。」
理由は文史にも何となく分かった。子どもにありがちなことである。外見で言われるならまだしも、名前をからかわれるのは尚悔しい。恐らく照枝は学級の男子から「てるてる坊主」と渾名され、「てるてる坊主」の歌まで添えて囃し立てられたのだろう。それを思い出すと嫌だというのだ、きっと、文史はそう思った。それは間違いではなかった。照枝は文史が想像した通りの理由を言った。
尤も、男子が女子をからかうのは少なからず好意を持っているからだ。照枝は美人ではないが愛らしい顔をしていた。笑うと左の頬にだけできる片笑窪が周りの者を魅了した。一人目の妻を病で亡くし、頑なに再婚を拒んでいた文史が前言をひっくり返し、結婚に踏み切ったのもその片笑窪のお陰である。
だが、幼い少女にそんなことが分かる筈もなく、ただ男子に苛められているような気になって、てるてる坊主を拒むようになったのだろう。
それでも安産祈願のためにという夫の言葉に素直に応え、それからというもの、文史と照枝の夫婦は毎朝、毎晩、そのてるてる坊主に安産の祈りを立てた。
ある晩、文史は大きくなってきた照枝の腹をさすりながら、
「なあ、『お母ちゃん』て呼んでもええか。」
「何言うてんの。まだ、生まれてもいてないのに気の早い。」
拒むような言い方をするものの、照枝もまた満更ではない様子だった。
「な、ええやろ。な、お母ちゃん。」
早速、文史がそうやって呼ぶのが照枝はおかしくて仕方なかった。
「ほな、わては『お父はん』て呼ばせて貰いまひょか。」
「それはええな。」
飯事のような会話に二人は妙に悦に入っていた。
子どもが生まれるのを楽しみに『お父はん』『お母ちゃん』と呼び合う日々が過ぎ、数ヶ月経って、いよいよ臨月を迎えた。
お腹を抱え苦しみだした妻を車に乗せ、産婦人科に行くと、
「産道が開いている。」
と医師は告げ、助産婦を呼び出した。
しかし、それからが長かった。
なかなか赤児が出てくる気配がなく、頭が見えだしてからでも随分時間を要した。このままでは、母子共に危険だと医師は告げたが、照枝は踏ん張った。ようやく産まれた子はしかし、出産に時間が掛かり過ぎたため、弱っていてほとんど虫の息だった。
「早いもんですな。」
「ほんまやな。」
文史が胸ポケットから取りだしたてるてる坊主を見つめながら、二人は同じことを思い出していた。
産婦人科から持ち帰ったへその緒を大事に布でくるみ、田端家伝来の墓に埋葬し二人だけで簡単に葬儀を営んだ。住職を呼んでお経の一つでもあげて貰おう、そういう考えさえも浮かばなかった。
気が動転すると言うよりも、まるで落ち着かなかった。大きなものを失ったはずなのに、何を失ったのかさえ分からぬもどかしさに胸が痛んだ。
何よりも亡くなった子に名前さえも付けてやれなかったことが未だに不憫に思えてならないのである。
「生きとったらどないなってたやろな。」
考えても仕方のないことを思わず口にし、バツが悪くなった文史は闇を照らす月を見上げた。煌々と輝く月を仰ぎ見ながら文史は言った。
「お母ちゃん、明日は晴れるんかのう。」
「さあ、どうでっしゃろな。てるてる坊主にでも聞きなはれ。」
二人の会話に耳をそばだてるように、月は静かに輝いていた。