第十二話 怖いものだらけ
少し笑えるようになった私も社会人になっていた。
化粧してピンヒール履いて、スーツを着込んで、さっそうと歩く。
しかし残業が入ると一転して、夜道が怖い私。
改札を抜けると、猫はきちんと酒屋の陰で待っている。
「今日は遅くなるかも」とは言って出かけて来たけど、まるでそれに合わせたかのように自動販売機の陰から出て来るのには、びっくり。
「あんた、レーダーでも持っているの?」
「おお。愛の力に勝るものはない」
平然と言ってのけた猫は、前を歩いて行く。
もう一つ、私には苦手があった。
お風呂に一人で入れないという情けない事態が、この頃起こっている。
あっさり結婚をして家を出て行ってしまった兄貴に、寮に入った弟。にぎやかさは半減した上に、祖母までが、家事をまったくしようとしない叔母を見かねて、世話を焼きに行ってしまっている。
よせばいいのに、会社の同僚に誘われるままホラー映画など観てしまった翌日から、一人になるのが怖くなってしまったのだ。
「ありえないよな」
そう言う猫に、私はひたすら言い訳をする。
「だってさ、排水溝から長い髪がさずるずるって出て来るんだよ。それだけでも怖いのに、壁一面に手形がべたべたって。止めがちのシャワーだよ」
「何でそんなの見んだよ」
「だってー」
「だってじゃねぇーだろ」
「付き合いは大切でしょ」
「弥生らしくもない」
いつまでも人嫌いにままでいられない。多少に妥協だって必要なことくらい、こんな私にだって分かるわよ。そう言ってやりたかったが、ここで猫を怒らせては元も子もない。しおらしく俯く私に、猫は呆れたように毛繕いを始め出す。
「仕方ないじゃない。シャンプーするのだって怖いんだからね。分る? 目を閉じるとね、その情景が浮かんできちゃうんだからね」
「わかんね~よ」
そんな私を見かねた猫が、今では浴室のドアの前でしっかりガードを固めている。
「ねぇいる?」
「居るから早くしろ」
「いいじゃない。お風呂くらいゆっくりさせてよ」
「俺、あっちに行っちまうぞ!」
そんなことを言っても、猫は絶対にどかないのは立証済み。
フーと息を吐き、私は手で顔を擦る。
最近、錯覚してしまう。
もしかして……。
脳裏に浮かんだ言葉を、私は頭をぶんぶん振って、打ち消す。
まずい。このままだとまともな恋が出来なくなってしまう。
「別にそれでいいじゃん」
「良くないよ。っていうか、勝手に人の心に侵入して来るな」
私はすっかりこの猫の虜になりつつあった。




