例えば、こんな日常 ~リュウとヒトの世界~
もしリュウとヒトが共存する世界があったら、というIFの物語です。
人外モノが大好きな私の趣味を目一杯詰め込みましたので、よろしければ最後まで見てやってください。
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これは、何のことはない、日常の物語。
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「あら、お買いもの?」
「ええ、ちょっとそこのスーパーまで。うっかりお醤油を切らしてしまって――」
顔見知りらしい中年の女性たちがそんな会話を繰り広げているのを視界におさめながら、僕は駅前までの道を行く。
現在は、朝食を終え、その後片づけも終わりしばしの休息を得るような、そんな時間。
普段ならば学校で朝のホームルームを終えてのんびりと次の授業の準備をしている頃ではあるが、本日は花の日曜日。
僕のような学生が、大手を振って道を歩いていても何の問題もない――どころか、休日にもなって家に籠っているよりもよほど褒められる行為だろう。
……まあ、今日の予定を知ったら、クラスの野郎共は荒れ狂うだろうけど……。
そんなことをつらつらと考えながら、僕はちらりと左腕の時計を見、少しだけ歩を速める。
おそらくは約束の時間よりも早く来ているであろう彼女を、時間前だからと待たせるというのも変な話だ。
「あら、お醤油ぐらいでしたら、うちのをお分けしますのに……」
「いえいえ、そこまでしていただくのも悪いですから。それに、他にも旦那から頼まれたものを買わないといけませんから、そのついでです」
と、先ほどよりも少しだけはやく流れるようになった風景と共に、先ほどの女性たちの会話が背後から響いてくるが、それを聞き流しながら、僕は歩いていく。
「なんでも、今使っているボディソープが体に合わないとかで。……鱗に優しいボディソープ、なにか御存じありません……?」
それは、何のことはない、極々当たり前の会話でしかなかったから。
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今現在地球上には、大別して二種類の知的生命体が存在する。
一つは僕と同じ、ヒト――動物界哺乳綱霊長目ヒト科のホモサピエンスだ。
古来においては猿であった僕達ヒトは、直立二足歩行により前足を手へと進化させ、道具を使うことを覚え、工夫と知性を武器に他の生物を圧倒し、生態系の上位へと進んできた。
石器を青銅器に、そして鉄器に持ち替え、今では高度な機械文明を作り上げた僕たち人間は、今ではこの地球の約半分を支配するまでに成長している。
そして、ヒトと同じように知性を持ち、現代社会において世界を二分する勢力のもう一方が――竜種。
こちらはヒトと違い、かなり初期の段階から進化を止めた、ある意味『完成した種』といえる。
まだまだ欠けたところの多い、進化の余地を持つ人類と、太古の昔より完璧な肉体を持って君臨していた竜種。
野生においては単体での力が異常に弱い人類と、その身一つで生態系すら簡単に変えられるほどの力を持つ竜種。
一見すれば互いをつぶし合う他に道はなさそうな、丸っきり正反対の位置にある種族同士は、しかし記録の上では一度もぶつかり合ったことがない。
無論、個人同士や団体同士の比較的小さな争いは別にしても、これだけの長い期間、長い世代において、互いを滅ぼそうという意思を持って牙と武器をぶつけ合ったことが一度もないのだ。
現に、石器時代後期に描かれたといわれるラスコー洞窟の壁画には、数百の羊・山羊・馬・人間と共に、竜種もならんでいる。
しかもその中で竜種は、人の持つ武器の先に自分の頭を向け、共闘しているかのように描かれているそうだ。
木の枝や動物の毛、竜種の爪などで描かれたと思われるその壁画は、もっとも古い人類と竜種の友情の証として、確かに存在している。
そして、その友情は現代においても変わらず続いており、先ほどの御婦人がたを例に挙げるまでもなく、街を歩けばいたるところでヒトとリュウが混ざって生活している光景を目にできるだろう。
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「――だからさ、『もうお父さんと同じ火山使いたくない!』ってお父さんの前でお母さんに言ったら、お父さん涙目になってるの、マジうける!!」
「あー、うちも似たようなこと言ったわー。いくら父親とはいえ、おっさんの入った後に入るのも、私が入った後のお湯を使わせるのもなんかやだよねぇ……」
「二人ともそんなこと言えてうらやましいぐらいです。うちは北極海全部つながってますから、別々になんてできませんもの……」
と、駅前に近付いてきたからか、人の数も多くなって、段々とにぎやかになっている。
そんな一角から聞こえてきた声に目を向けてみれば、色鮮やかな集団があった。
中学生ぐらいだと思われるその女子さんにん組は、とあるオープンカフェのテーブル一つを占領し、日ごろの愚痴などを言い合っているようだ。
目に眩しいオレンジ色の頭髪をした活発な少女に、黒髪と銀髪をいただくふたりの少女が相槌を打つように話をあわせているらしい。
と、おそらくは火竜であろうオレンジ髪の少女は『どの国の火山が一番自分に合っているか』という話題に早くもシフトし始め、人間だと思われる黒髪の少女が『外国の景色』について尋ね、銀髪の氷竜少女は静かにそのふたりの話に耳を傾け、時折気になったことを質問し、笑顔を交わし合っている。
そんな極々日常的な会話に対し、聞き耳を立てているのは不作法であると思い、僕はさらに先を急ぐ。
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竜種というものは、本来ならば巨大な体躯に強靭な手足と尾、爬虫類のような首に牙、頭から長めの首にかけての後部にある体毛、さらに大きな翼と頑丈な鱗をもつという、人類とは似ても似付かぬ姿をしている。
だが、そのままではヒトとリュウが一緒に住むには不便ということもあり、竜種はいつしか人類によく似た姿へと一時的に変化できるようになっていた。
どんな物理法則のもと膨大な体積を人の身に抑え込んでいるのかは、未だ研究の最中だという。
とにかく、ほとんど完璧に化けている竜種だが、その名残ともいうべきものは、種族ごとにはっきりと出てくる頭髪の色や、皮膚の一部に浮き出る鱗として現れてしまう。
炎を操る竜――火竜の一族ならば赤系統の鮮やかな暖色をその頭部と皮膚の一部に示し、氷の扱いを得手とする氷竜の血を引く物ならば透き通るような白銀の色をその身に宿す。
他にも、大地に豊穣を与える地竜の一派ならば茶色、湖や海を住処としている水竜ならば青系統といったように、見た目ではっきりとわかるようになっている。
最近ではその頭髪の鮮やかさにあこがれた若者向けに、リュウの頭髪の色を模した染髪料なども売っているため確実とは言えないが、やはり人工物と天然とではどことなく違ってきてしまう。
その違いは、たとえば生え際だったり髪の色艶だったりに現れてくる。
鱗を模したタトゥーシールなんていうのも同様の結果を出しているため、このままならば単なるお遊びとして細々と引き継がれていくことになるのだろう。
いつだったか友人のひとりが『別の存在になりたいと願うのは、それが一生叶わない願いだからだ』なんてことをドヤ顔で言ってたから張り倒したことがあるけど、それも今はなんとなく頷けてくるから不思議な物だ。
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歩きながら思い出に浸っていると、何やら騒がしい連中に出くわした。
今度の連中は先ほどとは違い男さんにんだけで構成されており、うちひとりは竜種――それも、髪の色から言って水竜だ。
どうやら彼らは、水竜の友が何かしようとしているのを必死で止めようとしているようだが……。
「さあ、今度こそ素晴らしい事を考えたんだ。しっかりとみてくれ!」
「やだよ。お前の考える素晴らしい事って、『口から華厳の滝!』とか見た目最悪なのばかりじゃ――」
「さあ、今こそ見せよう――『秘技・口からマーライオン!!』」
「――だからやめろって言ってんだろうが!!」
「……すごい、口から噴き出た水が、マーライオンをかたどってる……!!」
「でもそのマーライオンが口からどばどば水出してて、結局は見た目最悪になってるじゃねえか!!」
ヒトのなりでよくそこまでの水を操れるものだ、と僕は感心し、そして数瞬後に目的を思い出す。
できれば後片付けはしっかりとしてほしいという感想を抱きつつ、僕はまた道を急ぐ。
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ヒトの形を取った竜種は、その間能力に制限を受けてしまう。
無論その人間形態のままでもリュウとしての能力はある程度使用できるらしいが、どうしても完全には力を発揮できなくなってしまうのだ。
まあ、そもそも本来はリュウの姿で発揮するべき力をヒトの形でやってみせろと言う方が無茶だという事だろう。
現に先ほどの水竜の少年も、本来ならば街を一つ水没させられるほどの力があるはずなのに、操っていた水の量は大したことない物だった。
そんな不便を覚悟してまで竜種がその姿を取るのは、あくまでこの世界が『人類にあわせて作られた』世界だからだ。
これは、別に人類が身贔屓をしたとかそういう物ではなく、単に『文明を発展させるために最前線で動いていたのがヒトであった』という、ある意味必然的な事実から来るものである。
先述の通り、ヒトは古来から道具を扱い他生物と渡り合ってきた『工夫の種族』であり、その工夫は身近な自分たち人類にあわせて発揮されることが多かった。
逆に竜種は、工夫などの小手先の技術を必要としない『完璧な種族』であったため、そもそも生活を豊かにするための工夫というモノを得手としておらず、大雑把かつ強力な力を必要とする場面――例えば大きな建物の撤去作業とか、広大な面積を持つ畑を耕すとか、あるいは災害時の救助活動など――にはめっぽう強くとも、反面細かい作業や装飾といった分野では完全にお手上げ状態だったのだ。
故に、これまでの歴史においては、文明の発達の内、新しい技術の開発などといった方面についてはほとんどがヒトの手により行われている。
作る者がヒトならば、出来上がる物もどうしたってヒトが使うことを想定して作られてしまうものだ。
それが現代ならばリュウ専用の物も積極的に開発されるのだろうが――実際この十数年程度でそちら側の技術も上がってきている。街の至る所に『竜種用品専門店』ができたり、『スケイルアート教室』なんて書かれた看板が立っていたりするのがその証拠だ――それ以前はとにかく新しい技術を用いた『ナニか』を創り出す方に力がそそがれてしまい、使う側の事を考えている余裕がなかったらしい。
広さに限りのある『地球』の中で過ごすのには、体躯の大きい竜種に合わせるよりも、小さい体の人類にあわせた方が都合がいいという理由がありはするが、竜種がヒトの姿を取ることができるという事実に人類側が甘えてしまったのも、ヒト中心の世界になってしまった一因なのだろう。
……まあ、これからどんどん変わっていくんだろうけど。
竜種用品専門店などの例を見ればわかるとおり、僕が生まれたぐらいの頃からは随分と技術の発展方向が変わってきている。
ヒトが使うことを想定された技術ばかりではなく、リュウが使うことを想定した技術が増えてきているのだ。
実際、ニュースや新聞、テレビCMなどを見ていれば、やれ竜種用健康食(栄養素はもちろん、単価あたりの量も人間用とは桁違い)やら竜種用ボディブラシ(巨大サイズかつ持ち手がリュウの手でも掴みやすいようになっており、毛の部分はタングステン合金の針金を用いているらしい)やらと、いくつもの竜種用商品が表に出てきている。
今はまだ、ヒトとリュウとが用いる技術が分かれているが、バリアフリーの重要性が叫ばれている昨今だ、そのうち『両種族が同じように使える技術』も多く生まれてくることだろう。
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「やっぱり、きれいに生えそろった二の腕の鱗って、ポイント高いよな!」
「バカ言うな。太ももからくるぶしまでのなめらかな肌こそ至高に決まっているだろうが!」
「……銀髪巨乳こそ神……!」
ようやく駅前に辿り着き、僕は待ち合わせ場所に指定したモマイ像――モアイを模した石像であるが、なぜか若干クマのようなフォルムをしている。曖昧なモアイで略してモマイ――を目指す。
その途中で、おそらく好みの女性について語り合っているのであろう同年代の男さんにん組とすれちがったが、二の腕鱗好きが人間でなめらか肌好きが火竜って種族的にどうなんだ、と思う。
ついでにさんにん目とはいいオレンジジュースが飲めそうだ、とも。
とまあそんなことを考えつつ、僕は目的の『色』を探しながら歩く。
するとそれはすぐに見つかった。
……やっぱり、早めに来てたんだ。
そのことに少しだけうれしくなりながら、僕はその『色』の方へと近寄っていく。
デフォルメされたクマの頭を少しだけ角ばらせたようなモマイ像の周りには、そこが定番の待ち合わせスポットということもあって結構な数の姿が立っていた。
ヒトもリュウもいるし、色も赤、青、黄、緑、黒と様々であったが、僕が探していたのはたった一つ。
その通りの色が、そこに有った。
……透き通るような、白銀色。
頭に乗せたつば広の帽子も、身に纏う一見シンプルながらも細かい部分に細かい意匠が施されたノースリーブのワンピースも、きょろきょろと不安げに周囲を見回すその目も、そして何より帽子の中から背中まで流れる髪も、すべてが新雪のような白銀だった。
モマイ像の周りに設けられた柵に持たれるようにして佇んでいる彼女の周囲だけが、いきなり雪国の景色に切り替わってしまったのかと思うほどに、彼女と彼女を取り囲む空気は涼しげな白銀色となっている。
僕の立っているところとは違うところを眺めていた視線を、不意に顔の前に掲げた自分の手首の内側に向け、そしてすぐに手を下しながらつまらなそうにため息を吐く。
それらひとつひとつの動作にまで気品があふれている彼女に、その場に立ち尽くしてしばし見蕩れていた僕だったが、このままここにいても何一つ事態は動かないと気が付き、頭をブンブンと振って気を取り直すと、早歩きで彼女の方へと向かう。
と、真っ直ぐにそこへと歩く僕が向ける視線と、所在なくさまよっている彼女の視線が、不意にぶつかった。
彼我の距離にして数歩分ではあったが、目当ての人物に出会えた彼女はとてもうれしそうな微笑みを浮かべ、体を柵から離すと僕の方へと向き直る。
そうして僕が目の前まで来るのを待ち、僕が待たせたことに対して謝ろうとする前に、彼女はその柔らかそうな唇を開くと、弾むような口調で言葉を紡いだ。
「――あら下男。この私を三十分も待たせるなんて、貴方はナメクジの生まれ変わりか何かなのかしら?」
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偶々彼女のすぐ隣で誰かを待っていたのであろうリュウの青年がギョッとした表情を浮かべるのを視界の端におさめた僕は、苦笑しそうになる顔の筋肉を無理にゆるめ、彼女と同じように微笑みを浮かべると、
「まだ約束の時間の十分前なのに、さらに三十分も早く来てくれたんだ。楽しみにしてくれてたみたいで、うれしいよ」
と返す。
その言葉に、彼女は満開の百合のような満面の笑みを浮かべると、僕の方へと飛び込むように近付き、僕の左腕に自分の両腕を巻きつかせるようにして抱きしめてきた。
とても幸せそうに腕を組んでいる彼女の体は、その種族特性上若干冷たくはあったが、まるで雲のように柔らかく、特に胸を押し付けるようにしてくるとよくわかるとても上質なクッションはたまらなくてもう最高!
……っと、落ちつけ僕。今日はまだまだこれからだ!
頭の中で平家物語の一節を暗唱すること数瞬、小首をかしげて僕の方を見上げてくる彼女と視線を合わせ、さあ行こうかと声をかける。
「さあ、今日は私にどんな地獄を見せて頂けるのかしら? 今まで貴方が連れて行ってくれた退屈な空間よりも幾分かは刺激的だと嬉しいのですけど」
「うん、今日はこの前行ったかき氷屋さんにまた行ってみようと思うんだ。なんでも『悶死確定! 氷ハバネロ』なんて新メニューができたらしくてね。一緒に食べてみようよ」
……辛い物が大好きな彼女だったら気に入ると思う。僕にとってはちょっと命がけだけど。
そんな僕の密かな葛藤とは裏腹に、彼女は透き通るような銀色の目をキラキラと輝かせている。
「なんて貧相なプランなの! 私のように少しは考えて行動しなさいこの脳味噌クリオネ男!」
「え? 行ってみたいところがあるの? じゃあかき氷の後はそっちに行ってみようか」
「大体、何ですかかき氷って。もっと健康に気を使ったマシな物を作って持って来るぐらいの根性を見せなさいこのカタツムリもどき!」
「へぇ、手作りのお弁当持ってきてくれたんだ!? じゃあ少し行ったところにきれいな公園があるから、そこで一緒に食べようか」
「食べて寝てウミウシのようになってしまえばいいわ!」
「そうだね。食後は景色でも眺めながらゆっくりお話でもしようか」
そんなふうに今日の予定を話し合いながら、僕は彼女の足元に有った大きめの手提げ籠を右手で掴み、彼女と腕を組んだまま歩き出す。
自分が荷物を放り出してしまったことに気が付き、慌てながらも僕の右手に手を伸ばす彼女を笑顔と『気にしなくていい』という言葉で制し、僕が荷物持ちを引き受けることにした。
そんな他愛のない、ある意味当然の事にさえ、彼女はほんの少しすまなそうに、しかしとても幸せそうな笑顔を浮かべ、より抱きしめる腕の力を強くした。
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彼女と出会ったのは、今から半年ほど前のこと。
高校に入学した僕と同じクラスになり、出席番号順に座った僕の隣にいた彼女に対し僕が『これから一年間よろしく』などと簡単なあいさつをしたのが始まりだった。
社交辞令のようなものではあったが、見事なスタイルに整った顔立ち、そして彼女を語る際には絶対に欠かせない要素である、鮮やかな白銀の長髪などに僕が見蕩れていたことはおそらく間違いないだろう。
そんな下心を含めた挨拶ではあったが、てっきり『こちらこそ、よろしくお願いしますね』などという言葉が返ってくると思っていた僕に対し、彼女は申し訳なさそうに目を伏せながら、
『くだらない男の分際で、私に話しかけるなこのアメフラシ野郎』
と言ってきた。
あんまりな内容に驚く僕に一切構わず、彼女は僕から視線を外すとまっすぐ前を向いてしまった。
その発言を聞いていた周囲のクラスメイト達も、呆然とするか、あるいはこそこそと陰口のような言葉を交わし始める。
僕も呆然とするグループに混ざろうとしたその時、もう一度見た彼女の横顔から、僕はあるモノを見て取った。
……後悔と悲しみ、そして諦め……。
前を見据えているように見えて、しかしかすかに伏せられた目。
うっすらと顰められた眉。
そして色が薄いにもかかわらず、さらに白くさせるほどに力を込めて引き締めてられている唇。
気丈に振る舞おうとしていて、それでもふとした拍子にこぼれてしまったかのようなその感情に僕が気付けたのは、おそらく単なる偶然だろう。
偶然最初の被害者になり、偶然その顔をじっと見つめていて、偶然彼女が油断した瞬間を見てしまった。
これは僕だけが可能だったことではなく、条件さえあっていれば誰でもわかったことだろう。
……だけど、その時気付いたのは、僕だけだったんだよな……。
その時の状態では彼女に味方しようなんて殊勝な心がけの持ち主は僕以外現れそうになかったし、何より僕自身もあんなモノを見てしまって、知らないふりはできそうにない。
そしてなにより、言った直後に後悔するようなことを言い放ったのはなぜなのか、という好奇心も湧いてきていた。
とまあそんなことをつらつら考えてはみたけれど、
……結局、彼女に興味がわいた、って事なんだよなぁ。
それとも研究者が抱くような冷たい興味だったのか、それとももっと違う、どこか甘酸っぱい何かなのかだったのかは今でもよくわからない。
それでも、あの時僕が彼女に惹かれていたのは確かだった。
だから、何度罵倒されようとも彼女に話しかけ続けたし、旧友に何度呆れられても事情を尋ね続けた。
そうして何度も彼女と関わっているうちに、彼女が放つ言葉の法則性がなんとなくつかめてきた。
彼女は要するに、心から思っていることをものすごく強烈にして叩きつけているだけなのだ。
最初に言われた『話しかけるな!』というセリフも、実際には『自分に関わると傷つくだけだから、話しかけないで欲しい』ということを伝えたかっただけ。
それ以降に彼女から投げつけられた言葉も、余計な罵倒の文句を取り除いて要点だけを拾っていけば、その状況にあっていて、かつ僕や周りのひとを気遣う言葉になったのだから、間違いはない。
なぜ罵倒の比喩が複足綱限定なのかは疑問ではあるが、つまり彼女は根本的には優しいひとなのだろうと、僕はそう結論づけ、そして直接それを尋ねてみたところ、彼女はやっと事情を話してくれた。
それを一通り聞いた後の感想といえば、
……父親の過保護にも、困ったもんだよなぁ……。
という一言に尽きた。
何でも彼女の父親は大層な心配性であり、愛する娘に悪い虫がついては困ると様々な手を用いて彼女を守ってきたらしい。
それは例えば、しっかりした思考ができるまでは家の敷地から一歩たりとも外へ出さない事だったり、学校には通わせずに専属の家庭教師(勿論女性)を雇ったり、何かあったときのための護身法を習わせたりなどだったりする。
そして、その最たるものが、
……男に対してのみ使用されるあの口調、と。
『あんなにかわいい娘なのだから、きっと多くの男が寄ってくることだろう。その全てを自分の手で叩き落すことは不可能に近い。ならば娘自身に叩き落としてもらおう!』と考えた彼女の父は、言葉を理解して話し始めた頃の素直な彼女に『男には自分の感情を思いっきり酷いことばで話しなさい』と言い聞かせたらしい。
さすがに箱入りすぎるのも困るだろうと彼女の母親の物理的説得――結果として北極の氷の面積が例年よりも30%ほど増える規模の夫婦喧嘩を説得といえるのかは別の話だが――によって精神的にも肉体的にも折れた父親が、彼女を普通の高校に通わせることに納得した時にもそのおかしな刷り込みは消えず、結局自分でもどうしようもないまま彼女は僕と相対し、あんなことになってしまったのだとか。
……まあ、そのままにしておくのはいろいろと問題だったし。
半ば条件反射で出てしまうその悪癖は、本来の『彼女の身を守る』という目的を果たすことはなく、単に周囲と余計ないさかいを生むだけという結果になるだろう。
きつい言葉を叩きつけられる男子はもちろん、その態度を見た女子も良い感情はいだかないはずだ。
そして、現状市の事を知っているのは、僕だけ。
気付いてしまった以上どうにかしてあげたいと思ったその時から、僕と彼女との戦いは始まった。
男とでも普通に話せるようになるために段階を踏んで慣れて行こうということになり、様々なパターンの人物と話をしてみることになった。
まずは普通に女の子。
同じ中学出身の親しい友達にお願したこれは、特に何の問題もなく進んで行った。
箱入り故のトンデモ発言は若干以上に発揮されたが、それはそれで味がある、という無理矢理感あふれる結論で抑え込めた。
続いては男装した女の子。
演劇部でも有名な男装の美少女に訳を話してお願いしてみたところ、快く引き受けてもらえた。
これも若干危うかったが比較的スムーズに進み、最終的には男装の美少女が危ない性癖(彼女との対談を快く引き受けてくれたのは、これが原因だったらしい)を暴走させかけるというトラブルが発生し強制停止するその時まで、彼女は暴言を吐かなかった。
次はとても上手い女装をした男子生徒。
線が細く『そっちのひとたちに大人気』な同級生と、化粧とか服とかにうるさい女子に依頼して、ばっちり着飾ったどこからどう見ても女の子にしか見えない男子生徒との対談だ。
『お人形さん遊び』ができるという利点があった女生徒はともかくとして、線が細く変な層に需要があることを気にしていた男子生徒の方は交渉に手間取ったが、まあその辺は割愛する。
兎にも角にも開始された談話はこれまたスムーズに進み、彼女は自信を身に着け、メイク係の女子生徒は肌艶がよくなり、相手役の男子生徒はプライド的な物をぽっきりへし折られる結果となった。
続いて、下手な女装をした男子生徒。
これは体と心の性別が派手に食い違っている生徒にお願した。
ガタイがよく、野太い声で髭の剃り跡も青々しいとはいえ心は乙女だったからか、若干顔をひきつらせながらも彼女はしっかりと話すことができた。
最終的に緊張もほぐれ、なぜか男に対する愚痴を互いに繰り広げ始めたが、まあ仲が良くなったのだろうということでスルー。
そしてやっと最終段階、普通の男の子。
心も体も見た目も男であるこの僕が相手をしてみたが、やはりここまで男という要素が出ているとなかなか自分をだましきれないらしく、今までとは比べ物にならないほど難航した。
それでもなぜか他の男子よりは緊張しなかったようで、乱れ飛ぶ罵倒も一週間ほどでだんだんと下火になってきた。
一度コツのようなものをつかんだのか、改善の兆しがみられてからの彼女は、目覚ましい結果をあげて行った。
そうやって迎えた卒業試験、『クラスの男子生徒と話してみよう』。
彼女の抱える問題についてしっかりと説明し、理解を示してくれた有志達数名を相手にして行ったこの試験は、なぜか僕の時よりも緊張は薄かったらしく、少しどもりはしたが数分で当たり障りのない話をできるまでになった。
その結果として、いい意味で彼女の本性を知った有志達とその話を伝え聞いた男子生徒多数が彼女のファンクラブを非公式に設立し、それが彼女やその父親にまでばれ、最終的に全球凍結の危機にまで発展したりもした。
結果として校舎の半分がきれいに消滅しただけで済んだので、まあ良しとしておく。
ともあれ多少の苦労もあったが、こうして彼女はついに、望んでいたごく普通の日常を得たのだった。
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とまあ、文章にしてみればあっけない出来事ではあるが、彼女にしてみれば到底望むことすらできないとほとんどあきらめていた夢の世界を与えてくれたと大いに喜び、僕にとてつもない感謝の念を向けてきた。
僕からすればこの結果は彼女の努力の結果であり、僕は単なるきっかけを与えたにすぎないと思っていた。
だからそこまで感謝をすることはないと何度も言ったのだが、彼女はどうしても気が済まないらしく、『何かしてほしいことはないか』と何度も訪ねてきた。
実際、彼女の家はかなりの名家であり、僕のような一般庶民が抱くような望みは大抵簡単に叶えられるだろう。
しかし、ここで彼女の気持ちに付け込んで何かをしてもらうというのも気が進まない。
かといって『何もいらないよ』では納得しないだろう。
彼女は絶対に認めないだろうけど、そういう強情なところはお父さん譲りなんじゃないかと思う。
……いや、お母さんも大概だったから、サラブレットかな……。
彼女のことで起こった夫婦喧嘩、通称『ふたりだけの大戦争』の記憶が呼び起こされそうになるが、気が滅入るだけなので早々に封じ込めることにする。
『話し合い』と書いて『最終戦争』と読むようなあの夫婦の喧嘩に、巻き込まれてけがをした者が誰もいなかったのが奇跡なのだから。
……というか、なんで身内同士の争いでダメージ入るような戦いが起こるんだろう……?
そんなことがあったというのに、彼らは翌日ケロッとしていたのには若干の不条理を覚えるが、まあそれが竜種というモノなのだと納得しておくことにする。
ともあれ、彼女の『何でも言って!』という要求にどうこたえるか悩みに悩んだ結果、僕が出した答えは――
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「――お、彼女かわいいねぇ! どう? 一緒に遊ばない?」
と、かつての事を思い出していたところ、不意に聞き覚えのない声が飛んできた。
何事かと思い意識をそちらに向けると、目の前にはいかにも『遊んでます』というような派手な格好をした男のふたり組が立っている。
鮮やかな赤色の頭髪をしているので竜種であるとわかるひとりと、こちらは地の色ではないのだろう金色の髪をツンツンさせている人類がひとり。
平べったい笑顔を貼りつけたふたりは、僕の隣にいる彼女に狙いを定めているのか、随分と積極的に誘いをかけてくる。
「ねえ、今暇?」
「楽しく遊べるとこ知ってるんだけど、行かない?」
「もちろんおごるし、何だったら好きなところに連れて行ってあげるよ」
典型的なナンパ台詞を投げつけまくるふたりに、彼女は呆れながらも無言で僕の腕を抱く力を強くして僕がいることをアピールする。
しかし、そんなことは最初からわかっていてあえて見ないようにしていたのだろう。
ふたりの男は僕の事をつまらなそうな目で一瞥すると、彼女に向かって言い放つ。
「こんなつまらなそうな男なんて放っておいて、俺たちと遊びに行こうよ!」
「そうそう、俺たちの方がよっぽど君を楽しませて――ッ!?」
金髪の男が放った、僕をけなすような言葉に続く赤髪の男の台詞は、しかし途中で止まってしまう。
その異変に気が付いた金髪が相方の方へ怪訝そうな顔で振り返ると、赤髪は驚きにわずかな恐怖が混ざったような顔で彼女を見ていた。
そして彼女もまた、無言でその視線に自分のそれをぶつけ返す。
金髪の男と僕は何が何だかわからずに見つめ合うふたりの顔を眺めていたが、不意に赤髪が視線をそらすと、金髪の男の腕をガシッと掴み、
「……行くぞ」
と言って離れていく。
金髪の方は何が何だかわからず『なんでだよ!』とか『せっかくの良い女なのに!』とか言って抵抗していたが、さすがにリュウの腕力には敵わなかったのだろう、どんどんと僕たちから離れ、ついにはひとごみの中へ消えてしまった。
何が起こったのかさっぱりわからない僕に、彼女は何でもないというような笑顔を浮かべ、
「さあ、時間は有限なのだから、とっとと案内しなさいカタツムリ男」
と、いつもの調子で促した。
少しでも長く楽しもうという彼女の要望に応えるため、僕は先ほどの事は一度頭の片隅に追いやって歩き出す。
その時一瞬だけ彼女が変な方向を見たような気がしたが、おそらく気のせいだろう。
そんな些細な事よりも、どうすれば氷ハバネロを一緒においしく食べることができるのかを考える方が、僕にとっては優先事項だったから。
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とある雑居ビルの一室に、ふたりの男がいた。
見た目はどこにでもいそうなヒトとリュウの組み合わせで、無骨なイヤホンを片耳に当て、上着とネクタイを無くしたスーツを若干暑そうながらも着こなしている。
しかし、普通なのはふたりの姿だけだった。
一般人がこのふたりをみてまず驚くのは、持っている道具についてだろう。
ベランダに立って外を見ていたのであろう、四十代に差し掛かったあたりのヒトが持っている明らかに趣味の範疇を超えているようなやたらとごつい双眼鏡に目が向く者もいるだろうが、それよりもまだ目立つのが、ベランダに出るガラス扉の前で腰を抜かしている二十代のリュウが持つスナイパーライフルだ。
そのまま持ち歩けば三歩と経たずに騒ぎが起こり国家権力の厄介になるであろう明らかな『兵器』は、しかし今現在はその役目を果たせそうにない。
何故なら、持ち主であるがたいのいい茶髪の青年が、その顔色を真っ青にして小刻みに震えているからだ。
本来ならば対象を撃ち抜く兵器であったはずのものを、青年は必死の形相で縋り付くように抱きしめている。
まるでこの世の終わりでも見たかのようなその様子に、中年のヒトは短髪の胡麻塩頭をガリガリと掻き毟りながらため息を一つ吐き、
「……おいおい、大丈夫か若造。いったいどんな化物を見たらそんなふうになるんだ?」
と、呆れを隠さない声色でそう呼びかけ、手を差し伸べた。
対する青年はその声でハッと我に返り、頭をかきながら気まずそうに差し伸べられた手を取り、立ち上がりながら、
「ええ、とんでもない物を見ました。笑顔で目の前にいる恋人の誕生日が昨日だったってことに気が付いた夕飯時以上に背筋が震えましたよ」
と、冗談交じりで言う。
その言葉に中年もハハハと笑い、
「なんだそりゃ、この世の終わりか? ……ちなみに、その時はどうやって乗り切った?」
「即座の土下座に加え、三日以内に最高の品を献上することと一ヶ月間何でも言うことを聞くって約束を受け入れることでお許しをいただけました。……その反応だと、旦那も似たようなことをやらかしたことが?」
「まあな。俺の場合はカミさんに言われるまで結婚記念日と誕生日を思い出せなかっただけだ。当然、俺はビシッと言ってその場を収めたぜ」
「へぇ、それはすごい。……なんて言ったんです?」
「『申し訳ありません、何でもしますから、お小遣いカットだけは勘弁してください』」
「………………」
「お前ももうすぐこうなる。覚悟は早い方がいいぞ」
「肝に命じます、っと」
中年の手を借りて立ち上がった青年の顔色は、まだ少しだけ青白かったがだいぶマシになっていた。
冗談――にしては表情が真剣だったが――を交し合って気持ちを落ち着けるのはいつもの事だ。
互いに礼など交わさず、ただ状況把握に努める。
「で、いったい何があった? 俺には対象のお嬢ちゃんがこっちの方を見て微笑んだようにしか見えなかったが?」
「その微笑んだのが最高にやばいんですよ。……リュウとリュウとの戦いが小競り合い以上に発展しない理由、知ってます?」
そう問いかけながら、青年は再びライフルを構え、ベランダに戻って対象の監視を続行する。
それを見て中年も手に持ったままだった双眼鏡を再び構え、しばし視線をさまよわせてから対象のふたり組を見つけ出し、そのまま監視を再開した。
全てがプロの誇りを感じさせるような自然なしぐさであり、現にふたりにとってそれは当たり前の事でしかなく、ついでであった雑談も途切れることはない。
「ああ、確かリュウ種同士だと相手の強さがなんとなくわかるんだっけか? その勘みたいなもののおかげで、実際にぶつかり合う必要もなくなり、ちょっとした喧嘩で周りに被害を出す心配もない――だったっけな」
「ええ、ヒトから見ればそんな感じですし、ついでに我々リュウ種から見てもほとんど違いはありません。――実際、私達でも良くわからない感覚ですしね、アレ」
青年がクスリと笑ったような気配を感じつつ、中年は対象を視線で追いかけながら続く言葉を聞く。
「でも、一つだけ違うとすれば、私達が感じているのは相手の強さじゃなく――存在、なんですよね」
「……存在? どういう意味だ?」
いまいち要領を得ないその言葉に眉をひそめる中年に、青年はしばし悩むように唸り、
「……まあ、実質相手の強さを感じているのと変わりませんから、これは単に私のこだわりみたいなものなんでしょうが。……今、私は――いえ、私を含めたほぼすべてのリュウは、ヒトの形をまねて生活をしています。その方がヒトと関わりやすいですし、何より便利だからです」
「……そうだな。実際、ヒトの姿を取らずに生活しているリュウもいるらしいが、世間から変わり者扱いされるそんなリュウは、基本的に山奥とかで隠遁生活してるしな。この地球って星の面積が有限である以上、大きな図体のままじゃ過ごしにくいってこともあるんだろうが――っと、済まねえな、ヒトの立場で押し付けるようなことを言っちまった」
出るところに出れば一波乱おこしそうなセリフに、青年は笑って『気にしてませんよ』と言う。
かき氷を食べるふたり組をスコープ越しに見つつ、青年は言葉を続けた。
「でまあ、そのヒトへの擬態なんですけど、私達の立場からすれば『リュウとしての存在を隠す』という感じなんですよね」
「『存在を隠す』、ねぇ……」
『まあ、こればっかりは他種族には理解してもらえないと思いますけど、』と苦笑交じりにこぼした青年は、
「私達は、大きな本体を隠し、その存在を小さなヒトの体の分だけ残します。これは、ヒトの身には余りある物すべて――質量、体積、筋力、能力などすべてを、現実世界から隠しているということです。要するに私たちは『ヒトになっている』のではなく、『リュウの体の中からヒトによく似た部分のみを表に出している』訳ですね」
「……俺はその手の話は専門外だから良くわからんが、お偉い学者さん共が似たような話をしていたな。確か、その証拠が『体毛の色や鱗、瞳孔などに現れている』とかなんとか……」
当初の目的であった『氷ハバネロ』なる物をいっしょに食べたせいか、頭痛に苦しんでいる少女と辛さにもだえている少年を見ながら――ちなみに少年の方は普通のSサイズを一口程度口に含んだだけだが、少女の方はドSサイズ(大きなタライ一杯に山盛りになっている、これを食べさせようとするなんて、まさにドS!!)を半分ほど食べている――中年が何かを思い出すようにそう呟くと、青年は一つ頷き、
「ええ、その通りです。擬態はあくまで物真似であり、リュウが本来持っていない器官を作っているわけではないので、表に出ている部分は全て本体からの流用になってしまいます。髪の毛は体毛から、皮膚は鱗の下や腹などの柔らかい部分から、目は本来の物を小さくしただけ、という感じですね。だから私達の体には隠しきれなかった鱗の一部が出てきたり、瞳孔がヒトと違う形をしていたりするわけです。……まあ、どうやって小さくしているのかは、私達リュウにもよくわかっていないですけどね」
「そのあたりの謎はおいおい解明されていくだろうけどな。……それで?」
いきなりリュウの生態について語りだした青年の意図がつかめず、中年は先を促す。
促された青年はまたもう一つ苦笑を漏らし、
「まあ要するに、我々リュウは多少の違いはあれど、常に『自分という存在を隠して』生活しているんです。そして、その隠している部分は当のリュウにしかわからず、たとえ同じリュウであっても自分から知らせようとしない限り『どれだけの部分を隠しているか』はわからない」
「……つまり、あのお嬢ちゃんはさっき、自分の存在を隠すのをやめたのか?」
「そういうことです。自分の前にいるあの若造と、ここにいる私にだけわかるように、それもほんの一瞬だけ」
そうか、と中年はつぶやくようにもらし、
「で、あのかわいいお嬢ちゃんはどれだけのものを隠してたんだ?」
「それはもう、とんでもない化け物でしたよ。本来はただの威嚇行為であり、実際にぶつかり合って大きな被害を出さないようにするっていう平和的な行為でしかないのに、心臓麻痺をおこしそうになりました。ほんの一瞬で、しかも狙う相手を選ぶっていう繊細な威嚇であれだけの存在を示せるっていうこと自体があり得ないですよ」
「そこまでなのか……」
半分以上呆れたようにそうこぼす中年に、青年は一つうなずき、
「純血竜種の面目躍如って感じですね。これだけ離れたところにいる我々に気が付いていたのはもちろんですが、『自分の力が敵うかどうか試すことすらしたくない』って思わせるほどの存在を、あれだけ正確にたたきつけてくるってことがもう私からすればあり得ない話です」
「純血、ね。話を聞いたときはそんなに大切にしなきゃいけないモノなのかと半信半疑だったが、やっぱりすげえモンだったのか……」
「そりゃあもう、私達みたいなのが出張ってくるようなレベルですよ!」
と、なぜかいきなり興奮した声をあげる青年に、中年は軽く戸惑うが、そんなことは気にせずに青年は続けて言う。
「自由恋愛が進み、私やそれ以外のほとんどのリュウが、今やヒトとリュウの血両方を持つ混血となっていて、今の時代まで純血を保ち続けているような家系なんて今では数えられるほどしか存在してないんですよ!? その血筋の内の一つが今まさに断たれようとしているんですから、止めないといけません!!」
「確かに貴重なモンだってのは知ってるし、そのポテンシャルもトンデモねえってのは今回ので良くわかった。……その上で、やっぱり俺は理解できねえよ」
ぐったりとした少年をニコニコと嬉しそうに介抱する少女を双眼鏡で見ながら、中年はぽつぽつと言葉をこぼす。
「貴重だ、貴重じゃないっていう相対的な判断だけで、あの光景を壊さなきゃいけないっていうのは、どうもわからんよ。俺と俺のカミさんと、あいつらとの間に何の違いがあるってんだ?」
「……そりゃあまあ、確かに理不尽だとは思いますけど。でも、私達にそう言う指令が下って来たんですから――」
「その点に関しては俺も気になってな、いろいろ手をまわして調べてみたんだよ。そしたらまあ、くだらない事が判明した。……今回の件の依頼主、誰だと思う?」
「……そりゃあ、リュウのお偉いさんじゃないんですか? リュウの血筋を守ろうって言うんですから、ヒトが絡むのはなんだか違うような気がしますし」
青年の言葉に、中年は『そうだな』とつぶやくように言い、
「確かに、今回の件を依頼した――正確には問題視したのは、純血の氷竜をまとめるリュウの長だ。だけどな、少し前にも、北国の純血竜種の娘さんが人間の男と結婚するって話になっただろう? その時にも国は一瞬もめたが、結局『若いっていいね』って結論に達したんだ。なのに今回だけこんな事になって、おかしいだろう?」
「……確かに」
「じゃあその話と今回の事とで一体何が違うのか。……調べてみたら馬鹿馬鹿しい事この上なかったよ」
中年はここで息を大きく一つ吐き、心底嫌そうに言葉を続ける。
「――今回の件、依頼主はあの嬢ちゃんの親父さんだ」
「……なるほど、確かに馬鹿馬鹿しいですね」
中年のその言葉を聞いた瞬間、青年の顔も嫌そうに歪む。
それでも監視を続行してはいるが、今にも手に持つ機器を放り出してしまいそうな雰囲気がその場を支配していた。
「……要するにあれですか、強烈な父馬鹿のせいで私たちはこんなつまらない仕事をしている、と?」
「わざわざ言葉にするな。何もする気が起きなくなる」
まったく、と中年はつぶやき、
「権力を持った馬鹿は害悪にしかならないってのの良い見本だな。……その馬鹿が娘にしか発揮されてないのが救いと言えば救いだが」
「馬鹿と言えば、あの娘の言う言葉も馬鹿みたいですよね。なんであそこまで口調と表情が食い違ってるんでしょうか……」
少女の服に密かに取り付けられた盗聴器――なぜこうも簡単に取り付けられたのか不思議だったが、依頼者が身内だということで納得が行った――のおかげで耳元のイヤホンから聞こえてくるふたりの会話を聞きつつ、青年はそう告げる。
「しかも、あそこまで言われてもなお、彼氏の方は何事もなかったかのように返してますからね。何か変な趣味にでも目覚めたんでしょうか?」
「その可能性もないではないが、まあ違うだろうな。事前調査の結果を見るに、あのお嬢ちゃんは他の友達や、人前での彼氏に対しては普通の話し方ができるらしいしな。アレはあくまでふたりだけの時と父親に対して専用だとよ」
「彼氏と父親に対してだけって……、実は嫌いなんですか?」
「……まあ、父親に関してはそれで間違ってないだろうけどな」
まあ、要は若さだよ、と中年は続け、
「あのガキに対してのあの口調は――まあ、嬢ちゃんなりの信頼の証……いや、甘えなんだろうな」
「……甘え、ですか?」
「『この人なら自分の言おうとしていることをわかってくれる』って信用してるからこそ気兼ねなくあの言葉使いができるし、ついでに『以心伝心できてる』って事が確認できてうれしいんだろうさ」
「……なるほど、若さってやつですか」
「お前にゃまだまだ言う資格はないだろうけどな。――でもまあほんとに、若さってのはこれだから……」
これ以上聞いていられなくなったのか、中年はずっと耳にはめられていたイヤホンを外すと、眠気覚ましに胸ポケットから取り出したガムを口に放り込み、
「まあとりあえず、任務が続いているうちは真面目に取り組むぞ。おそらくもうすぐしたら彼女の母親が事に気が付いて、親父殿が物理的に叩き潰されるだろうがな」
「そうなったらこの任務も終了ですか。……早く終わればいいのに……」
「まあ、それまでは指示にも従わなくちゃならん。男の方が変な事をしてきたら模擬弾を叩きこめ、とのことらしいからな。そうなったらお前さんの出番だ」
「……今、ふたりは腕を組んで歩いてますけど、あれは良いんですか?」
「指示書によると、手を握ったらイエローカード、肩を抱いたらレッドカード、キスをしたらデッドカードだそうだ。嬢ちゃんの方から腕を組むって項目はねぇから、今は何もしなくていい。真面目に取り組むのは絶対条件だが、必要以上に張り切る必要もない。もし撃つ必要があったら上手く外せ。どうせ有耶無耶にできる」
「……ほんとにやる気の出ない任務ですねぇ……」
そう言うな、とため息交じりに中年は言い、
「今回は本部から連絡受けて解散指令を受領して居酒屋でクダまいて愚痴って二日酔いになって伴侶の世話になるまでが任務だ。後で女に甘えるために、キリキリ働け幸せ者君」
と、青年の肩をポンと叩いた。
その視線の先では、ふたりの男女が楽しそうに歩いている。
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これは、何の変哲もないただの日常。
ちょっとだけ特別な、だけど極々ありふれた、どこにでもある日常の物語。
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最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。
最初は単純に『ドラゴンとヒトとの恋愛物語を書きたい』という思い付きで書き始めたこのお話ですが、書いているうちになぜか世界観の説明半分の変なおっさんたちの語らい二割の独白二割五分、イチャイチャ五分という訳のわからない構成になってしまいました。
……なんでだろう……。←
とまあ作者である私にもなんでこうなったのかわからない作品ではありますが、楽しんでいただけたのならば幸いです。
この作品を読んで新しい何かに目覚めた方がいらっしゃいましたら、ぜひ名乗り出てください。歓迎いたします。←コラ
また、最後になりますが、この作品を読んでの感想・御意見・誤字脱字報告・筋の通った批判など、何でも受付させていただきます。
そして、ここまで読んでいただいたあなたに、最大限の感謝を。
また別の物語でお会いいたしましょう。
では、失礼します。