サンタからの郵便
人はたくましくなれるものです。レッツ適応能力。
私の辞書にはきっと『幸せ』なんて言葉はない。街がイルミネーションで輝きだすこの季節の夜は、心底精神まで冷え込む。
恋人同士が、学校からの帰り道の公園で愛をささやき合っていた。いや、囁きにもなってない、丸聞こえである。ウザいセリフを聞こえるこっちの身にもなってほしい!
こんなことなら遠回りでも、この場所を迂回すべきだったかもしれない。だがそれもあと少しの辛抱。もうすぐ、冬休みだ。この道を通る日々とも少しお別れである。そう考えれば少し楽だ。
石畳の通路を黙々と歩く。なるべく周りは見ないようにした。
私は、私のことが大嫌いだ。
こんな風に現実から逃げているところも、現実を受け止めるだけのキャパシティがないところも、すべて。
別に、恋人たちが愛を語り合うのは当然の行為だし、悪いことじゃない。ロマンチックなイルミネーションを見たらテンションが上がる方が当たり前だと思う。
ただ、妬ましいのだ。
他人の幸せがこの上なく妬ましいのだ。
素直に喜びを表現する人たちがこの上なく羨ましかった。
「ただいま……」
真っ暗な家内に向かって呼びかけたが、反応が返ってくる訳もなく。それでも長年染み付いた癖は取れない。『おかえり』って笑って迎えてくれる人はもう、いないのに。
玄関の明かりをつけ、リビングへ向かう。明りをつけると散らかった様子が浮き上がった。
「片づけなきゃなぁ」
誰がいるわけでもなしに独り呟いた。
私、斎藤カレンは今年で十八歳になって、学校も卒業目前である。思春期と言うやつだが、逆らいたくても父は仕事で忙しく会う時間はない。基本私が起きた時は仕事に出ていて、私が寝る時もほとんど残業と言うやつで遅く帰ってくる。逆らう時間がない。
おさんは一昨年の夏の、蒸すような暑さの夜に末期の癌で亡くなった。まだ四十七歳だった。
お母さんのこと、私も父さんも愛していた、大好きだったんだ。悲しみは大きく、なんでもっと早く癌に気付けなかったのだと、父さんは自身を責めていた。
それからだろうか。お母さんの葬式が終わってからマイホームパパだった父さんは仕事に打ち込んで私をも避けるようになって笑わなくなった。私も同じで笑えなくなって、他人も父さんも避けるようになったのである。
憂鬱な夜だ。学校帰りに買ってきたコンビニ弁当を散らかったテーブルに積み上げる。何とか置く場所を覚悟してビニール袋から取り出した弁当を開け、食欲のうせそうな憂鬱感にお母さんのことを考えずにはいられない。
きちんと整えられたキッチンは清潔感があって、ダイニングテーブルには出来たての手料理が並び、父さんは仕事を急いで切り上げいつも息を切らして帰って来ていた。お母さんの笑顔で皆で『いただきます!』を言う。そんな当たり前だったころの記憶が懐かしい……。
無表情で弁当を口に運び噛み砕く作業が辛い。
お母さんが作った、あの温かい味噌汁、肉汁があふれだすハンバーグ、心のこもったぬか漬けが食べたいと、どうしてもかなわない夢を頭に描いては首を横に勢いよく振って過去を追い出すのに忙しかった。
もどかしい気持ちで、喉に詰まった弁当を飲む下そうと手を伸ばす。冷たいペットボトルのふたを開け無理やりに液体で流し込む。
お母さんがいてくれたなら、きっと『はい、お茶飲みなさい』って温かなお茶を手渡してくれたんだろうな。
涙が溢れてきてとまらなかった。止めたいけど止まらなくて泣きながら私は弁当を完食する。悲しくても人ってお腹がすくものなのだ。
学校からの帰り道相変わらずのルーティンワークをこなし帰っていると、公園の隅っこの方でちょっと小太りな青い目をしたおじいさんがうずくまっていた。苦しそうに唸っている。そうやら足首を捻ったか痛めたらしく、つらそうにしている。
私は迷わず近寄った。
「え、えくすきゅーずみー?」
ああ、しまった。自慢じゃないが英語は苦手だったりする!
「なんですかな? 可愛らしいお嬢さん……おう」
痛そうに悶えながらもりゅうちょうな日本語で紳士的な対応に少し感動・・・・・・してる場合じゃなかった。
「日本語分かりますか?」
「私はどんな言葉でも知ってるよ」
「ならよかった。どうなさいました?」
「足を、転んだ時に木に引っかけてしまい……」
「うわぁ、いたそうですね……見せてもらっていいです?」
「ああ、いいですとも」
見ると血が滴り、皮膚が裂けていた。あまりの痛ましさに悲鳴を上げてしまった。
「これは失礼した。大丈夫かな?」
「ええ、お爺さんの方こそ!」
これでは立つのも辛いし、一刻も早く手当てしないと黴菌が入り込むかもしれない。
「ちょっと失礼します!」
私はおじいさんの傷口に歩み寄ると、昔母が教えてくれた応急処置を施す。清潔なハンカチで圧迫して止血し消毒液を塗ってガーゼを当て包帯を巻いた。
「一応これで大丈夫ですが、もっとちゃんと手当てをしてくださいね」
「ありがとう、よく消毒液などを持っていたね」
「あ、癖なんです。亡くなった母がよく怪我する人だったので応急手当の道具を持ち歩くの」
「ふむ・・・・・・」
おじいさんは豊かな白いあごひげを揺らし私の目をのぞきこんだ。
「お母さんが恋しいかね?」
悲しみをたたえた目で訪ねてくる。
そんなの……。
「悲しいに決まってます!」
「そうか」
おじいさんが私の頬を拭ってくれた。
やだ、私泣いちゃってたんだ。
冬の冷たい外気にさらされた頬から涙を温かな手ですくい取ると、お爺さんは優しく甘えたくなってしまうような人懐っこい笑顔になって私の頭をなでてくれた。
「君にお礼をしなければ」
「そんな……、お礼なんて、いいんです」
「何でもいい。願い事を一つ言ってごらん」
「本当に大丈夫です、そんなつもりで手当てしたんじゃないですし……」
だけど……もし叶うなら。それなら。
涙を見せないよう下を向きながら私は呟いた。
「お母さんに会いたい……かな、それだけです」
「ふむ。分かった。クリスマスにはまだ早いが、出来る限りかなえるよ」
「え?」
顔を上げると、そこには誰もいなかった。
夢だったのかとも考えたが、そこには血痕と消毒液の確かなにおい。
「ええ?」
まるで狐につままれたようになってイルミネーションが光る中私は膝まづいたまま、ぼーっとしていた。
冬休みの朝。
今日は十二月二十三日。明日はいよいよイブだ。
お母さんはクリスマスイブが何より好きだった。朝から張り切ってごちそうの準備をしたりしてはしゃいでいたのを思い出す。
『一年で一番好きなイベントなのよねぇ』
でもそんなお母さんはもういない。
深いため息を吐き、なんとなく外で物音が聞こえ窓からのぞいてみると、昨日の白ひげのおじいさんが真っ赤な服を着込み、郵便受けの前で笑って手を振っていた。その姿はまるでサンタだった。
「メリークリスマス!」
おじいさんの手には手紙が二通握られている。それを郵便受けの中に入れた瞬間、まばゆい光が一帯を包んだ。
「はぁ?」
何が起こったのかわからなくてパニックを起こしてしまう。
光が収まるとおじいさんの姿は消えていた。
まさか!
私は急いで一階へと駆け下り、玄関へ向かった。靴を履くのも、もどかしかったのでサンダルで外へ飛び出した。
心臓が怖いぐらい高鳴る。もしあのおじいさんが本物のサンタさんなら、願いをかなえてくれたんだとしたら?
――あの手紙はきっと!
金属音のこすれる音と共に郵便受けの戸が開く。中には綺麗な赤と白のクリスマス仕様の便箋が二通入っていた。
震える手でつまみあげ、封筒に書かれた文字を見てみると、懐かしい字だった。
「お母さん、お母さんの字だ!」
まぎれもないお母さんの字だ。生前に書かれたものだろうか?
でも頭に浮かんだ先ほどの不思議な体験が、これは書かれたばかりの手紙なんじゃないかと訴える。
それと封筒には走り書きで『逢わせてあげられなくてすまない。これが精いっぱいだよ。メリークリスマス』と見知らぬ字で書かれていた。きっとサンタさんの字だろうと思う。
恐る恐る封筒を開けた。吐いたため息で空気が白く変わっていく。
「おかあさん……」
―――カレンへ。
お母さんあなたたちを置いて死んでしまってごめんなさいね。さみしい想いをさせてしまったわ。だけどね、カレン。お母さんいつでもあなたたちを見守ってるのよ。あなたがまた泣いてしまわないよう頭をなでてあげることも、抱きしめることも、私にはもう出来ないけれど。
魂はそばにいる。
私が生まれ変わるその日まで、あなたたちのそばで待っているわ。
お母さん知ってる。カレンは優しい子だって!
サンタさんもそうおっしゃっていたわね! だからこそ手紙を届けて下さったんだもの。
今回こうして手紙をかけて母さんとてもうれしい。いつも泣いているあなたをもどかしい気持ちで見ていたから……。
カレン、あなたは強い子よ、母さんの子だもの。だからね、お父さんを助けてあげてくれないかしら?
あの人もいつも悲しそうにして、たまに私の名を呼んで声を殺して泣いてるわ。知ってた?
今度は母さんの代わりにカレンがお父さんを支えてあげて?
二人きりの家族が離れているなんて悲しすぎて母さん辛い。
愛してるわ、カレン。
私達の宝物。
お願いしましたよ!
「お母さん、わかった。わかったよ……」
私の心にスッと入ってくる新鮮な風が、魂の息吹となって身体を駆けめぐるような感覚が走った。
うん。大丈夫……もう大丈夫、母さんはちゃんとそばにいてくれたんだ!
先ほどまでの黒い感情は消えうせ、代わりに希望が満ち溢れていた。
お母さんは私を、私たちを忘れたわけじゃないんだ。
「今もそばにいるんでしょう、ね、お母さん?」
玄関先のバケツが強い音を立てた。きっとお母さんの返事だと私は受け取り、大事に手紙を抱えると、寒さじゃなく武者震いで震える体を元気よく動かす。
家内に入り冷え切った足でリビングへと向かった。
「……。こりゃひどい」
思わず目をそむけた。改まってみると部屋が足の踏み場もなかった。
明日はクリスマスイブだ。お母さんが一番大事にしていた日……。また三人でお祝いしなくちゃね!
「よぉし!」
気合十分! サクッと掃除してしまいましょうか!
家じゅう鏡かってぐらいに磨き、これからは私がお母さんの代わりを務めなきゃいけない。そう思うと不思議と力がわいた。
父さんの心の鍵を開けなきゃ。サンタさんとお母さんがしてくれたみたいに!
荒れた台所、汚れてカビだらけのお風呂、ゴミであふれかえったリビング、服が散乱している私の部屋と父さんたちの寝室。ふふ、やってやりますよ!
気がつけば、窓に映った私は笑顔だった。はは、笑ったのは母さんが生きていた頃以来だ。長い間笑顔とサヨナラしてたんだなぁ。私だって喜びをこうして表現できるじゃないか!
「うん負けないよ!」
窓ガラスの私に気合を入れると、リビングの棚に飾られてある母さんの写真がふと笑った気がした。
忙しいとは、こういうことなのか。
掃除を始めてから約二時間。冬だというのに汗が止まらなくて、ここ最近コンビニ弁当だけの生活だったので太ったのかもしれない。
だとしたらなおさら掃除である。
寒いからと真っ先に付けたヒーターも今や電源を落としている。お母さんはこんな忙しいことを毎日笑顔でこなしていたのかと思うと尊敬の念がとまらない。
半透明のゴミ袋にどんどんコンビニ弁当の残骸を詰め込んでいく。見知らぬ弁当の残骸はきっと父さんのだろう。もうここまでゴミが多ければゴミ屋敷である。
こうして片付いてくるとリビングは結構広い。一家団欒出来るようにと父さんが広く作ってもらっただけあってこだわりがいくつか見えた。収納や家具の配置などはお母さんが亡くなったころから全く手をつけていない。このゴミが片付く頃には元の、白を基調としたリビングやダイニングが復活するだろう。
すでに大きいゴミ袋三つ分出したあたりに、パジャマ姿の父さんが現れた。
「なにやってるんだ、カレン……」
目をまん丸く見開き、私と部屋を交互に見ると父さんは少し複雑そうな顔して言った。
「明日は雪が降るんじゃないか? お前が掃除なんて……」
分かってない、何もわかっちゃいないけど、雪が降るなら大歓迎だった。ホワイトクリスマスはお母さんが一番好きだったクリスマスだから。
「久々に口きけばそれですか!」
「ああ、怒るな冗談だ」
父さんは目に生気のない顔で洗面所へと向かう。
笑顔がない……、やっぱり笑顔がないよ。お母さんどうすればいいの?
リビングの収納スペースの一角に作られた写真立て置き場に向かい、私は祈るように目を閉じた。
そうよ、勇気を出さなきゃ。
歯磨き粉を口の端にちょっとだけ残した父さんが再びリビングに現れた時私は勇気を出して口火を切った。
「父さん、明日のクリスマスイブ早く帰ってこれない?」
「俺、今日も休日出勤だからなぁ。たぶん明日も忙しくて無理だ」
「なんとかしてよ。また三人で祝おう!」
「カレン母さんは死んだんだ」
「亡くなったのは知ってる、でも私たちを見守ってくれてるって分からない?」
「カレン……」
「お母さんは私たちを見守ってるんだよ。父さんどんなに忙しくてもイブには走って帰ってきたじゃない!」
「うん、うんそうだな。わかった明日は早く帰れるよう努力するよ」
「ほんとう?」
「ああ、お前がこんなに頑張ってるんだもんな。七時には帰れるようにする」
父さんは笑って私の頭を優しく、くすぐる様になでると少し元気を取り戻したように写真立てのお母さんに向かってしゃべりだした。
「母さん、明日は早く帰るからね」
なんとなくだけど、またお母さんの写真が柔らかくほほ笑んだような気がした。
二十四日。雪こそは降らなかったものの、なかなか幻想的なクリスマスイブとなった。
部屋の掃除を終わらせ、朝は買い出し、昼からはごちそう作りに励んでいる。
ネットから探し出して印刷したレシピをもとに料理を進めていく。私は母に料理の才能は似たらしく、楽しく時は過ぎていった。
ターキーは買ってきたものだが他はぜんぶ手作りである。カナッペ、濃厚なシチューにサーモンサラダ。シャンメリーも買ってきた。いよいよクリスマスケーキ作りである。焼き上げたスポンジを土台に生クリームやホイップクリーム、チョコペンや苺で飾り付けし、サンタさんの顔を再現してみた。我ながら器用である。冷蔵庫にケーキやカナッペ、サラダを保存し少し休憩をとった。
ふと思いつき、自室へ戻りウォークマンとスピーカーを持ち出しまたリビングへ。
軽やかなオルゴールのクリスマスソングがリビングを満たした。
押入れから取り出したクリスマスツリーはイルミネーションとなって部屋を飾る。
素敵!
お母さん喜んでくれてるかな?
ね、お母さん……。
起きればもう夜の七時を回っていた。
「いけない!」
慌ててシチューを温めなおした。甘い香りが鼻腔をくすぐりお腹がキューっとなった。
シチューから程よく湯気が立ちあがる。暖かいその光景に私は魅入られすっかり料理が好きになっていた。
今日はダイニングではなくリビングに料理を並べた。どれもこれもおいしそうだ! 我ながら才能あると思う。
しかしそれから父さんは待てども待てども父さんは帰ってこなかった。
もどかしい気持ちでメールを送るも返事がない……。もしや何かあったんじゃ?
不安でいられないまま二時間が過ぎた。お腹のヘリも限界だった頃。
「た、ただいま! すまん遅くなった!」
激しくドアが開かれる音と共に父さんが帰ってきた。
慌てて玄関へ走り父さんを見ると雪だらけだ。
「そと雪降ってるの?」
「ああ!」
「ホワイトクリスマスだね!」
「ああ! すまんな急なトラブルで今まで時間がかかった」
「メリークリスマス! お疲れ様父さん!」
「カレン、母さん、メリークリスマス!」
「うん!」
父さんのコートを受け取り、玄関のコート掛けにひっかけ一緒にリビングまで向かう。
「おお、ごちそうだな、カレンが作ったのか?」
「ターキー以外は作った!」
なぜか父さんの目の輝きが戻ったような気がした。
だからつい聞いてみたんだ。
「父さん何かあった?」
「うむ!」
「もしかして……手紙とか届いてた?」
母さんなら父さんにも手紙を出してるような気がしたんだ。
「ああ、来てたよ。俺の会社宛に母さんからな」
いたずらっぽい笑顔で差し出された手紙はやはりお母さんの字だった。
「ね、言ったでしょお母さんはみてるって」
「ああ。そうだな。お前のところにも届いたんだな?」
「うん! あ、シチュー温めるね!」
テーブルにお母さんの写真を飾りごちそうを並べ直す。写真はお母さんがイブにはしゃいでるところを撮ったものだった。不思議と嬉しそうに輝いてた。
「私たち大事なもの失ってたね」
「ああ、母さん悲しんでただろうな」
「そうだ父さんこれ……」
私は『二人へ』と書かれた封筒を父さんに差し出した。
「これも母さんの字だな。どうする、みるか?」
「父さんに任せる」
「それじゃあ――……」
結局私たちが『二人へ』を見ることはなかった。また家族がバラバラになった時に見ようと、そう決めて今も写真立ての横に飾ってある。
あれから、私は高校を卒業し大学に通いながら父さんの世話を焼いている毎日だ。彼氏を選ぶなら結婚前提で婿養子になってくれる人と決めている。今日の父さんの弁当は可愛いキャラ弁にしてあげた。ちょっとした愛情といたずら心で、くまさんと小鳥さんをかたどったラブリー弁当。きっと会社でからかわれるかもと、独り笑う。
「よし、できた、はい父さんお弁当。忘れないでね!」
「ありがとう!」
「よし、じゃあいこっか」
「ああ……」
私たちは母の遺影に向かって二人で声をかけた。愛を込めて。
『お母さん行ってきます!』
春風に乗って母さんの笑い声が届いたような気がした。
皆様素敵なクリスマスを……。