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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

こいし、きみ

作者: 夏岸希菜子

  *

 その電話があったのは、起きて間もないときだった。久しぶりに何も予定がなかったので、僕はだらだらと昼まで寝て過ごしていた。正確に言えば、僕はその電話で起こされたことになる。

 ごちゃごちゃと物が乱雑に置かれたテーブルの上で充電コードに繋がれたままの携帯電話が振動する。毛布から手を伸ばし、確認した番号は、婚約者の実家。僕はそれを受けとって、寝惚け眼を擦る。

「もしもし」

 欠伸を咬み殺し、寝起きだと悟られないよう声を張る。

「……どうかしました?」

 電話越しに、漏れ聞こえてくる鳴咽混じりの声。只事ではない、と目の覚め切らない僕にも判った。

「島崎くん」

 涙に水分を奪われたのだろうか。いつもの丸みを帯びた義母の優しい声が、今日は枯れた木のようにかさかさと乾燥し皹割れていた。

「島崎くん、早く来て――加代が、加代が――」

 加代がどうしたと言うのだ。尋ねようと口を開いた瞬間、答えが勝手に耳に流れ込んで来た。


『加代が、死んでしまったの』


 まさか、そんな、馬鹿な、嘘だろ。脳内で渦巻く言葉たち。目眩。

 気が動転した僕は、着替えもそこそこに家を飛び出していた。


  1

 彼女の家に満ちたモノクロの空気の中では、ジーンズにTシャツという居出立ちの僕は異質だった。迎えに出た義母は色のない顔に赤く腫れた目をして、黒ずくめの服に身を包んでいた。今後の日取りについて語りながら彼女は僕を仏間に通し、僕を加代と二人きりにしてくれた。

 こんがらがる僕の気持ちも知らないで、加代は眠っていた。穏やかな寝顔だった。僕は、まだ寝惚けているのだろう。きっと、これは、夢だ。だって、加代はこんなにも暖かいし、僕は悲しみを感じない。

 どうして、線香の煙の中に加代が横たわっていなければならないのだろうか。昨日まで普通に生きていた加代が急に倒れる訳がない。あり得ない。そんな筈はない。これは新しいどっきりなのだ。悪戯好きの加代はもうすぐ目を覚まし、「また引っ掛かったね」と笑うに違いなかった。

「加代、僕は騙されたりしないよ」

 彼女は何も言わなかった。義母の言う通り加代が死んでしまったというなら、それが今の加代にとって正しい反応なのだ。

 でも、僕には理解できなかった。したくなかった。

「冗談だろ?」

 言いながら優しく頬を撫でる。すべすべとして柔らかい加代の頬。夢ではない。

『そうよ。いやねぇ、騙されてくれなきゃ面白くないじゃない、晃』

 彼女は僕の名を呼んで微笑む。加代、おはよう。僕も笑みを返す。

 僕の視界は歪んでいて、映し出されたのが過去なのか今なのか解らない。耳鳴りも止まず、僕の五感は現実を遮断し続けていた。

「加代、お義母さんが君のこと死んだなんて言うから心配したじゃないか」

 義母は本気で加代が死んでしまったと思っている。いつも明るいあの人が演技であんなに泣ける訳がない。

 ふと、口から溢れる提案。

「……逃げようか」

 義母は、加代を火葬に出そうとしているのだ。このままでは本当に殺されてしまう。

「ねぇ、加代?」

 返事はない。加代は動かない。僕のこと嫌いになったから――なのかな。でも、僕は加代と一緒にいたいんだ。君を(さら)ってでも。

 静かに眠ったままの加代を抱き起こす。それほど重くはなかったが、記憶にある重みよりずっしりとしていた。あれは、いつのことだったか。『加代は軽すぎるよ。少し太らないと、今度は折れてしまうよ』冗談を言いながら加代を抱き上げた。あの時は確か加代が転んで足を挫いたのだっけ。思い出すのは、不服そうにすねた加代。

 僕は加代を抱っこして、ゆっくりと仏間を後にした。居間を通らず、縁側から車へ。

「島崎くん……?」

 加代を後部座席に寝かせた後、ドアの音に気付いたらしい義母が玄関から顔を出した。僕の土で汚れた靴下を見て、不思議な表情を浮かべている。

 僕は目眩を堪えつつ不確かな足取りで玄関の義母の下へと進む。地面はふわふわしているし、体は軽すぎて浮き上がりそうだった。

「大丈夫、なの?」

 義母が僕を支えようと一歩踏み出す。

「平気ですよ?」

 僕は手を振って、笑って見せる。うまく笑えない。何故だろう。胸が苦しくて泣いてしまいたい。加代が、死んだはずはないのに。

 加代のことをよく知る義母と言葉を交していると、現実に引き戻されそうになる。

 僕から加代を奪わないでくれ。加代が死んだなんて、僕は知らないんだから。

「ちょっと、疲れてるだけなんです」

 義母に心配されながら、僕は靴を履く。

「少し、出掛けて来ますね」

 そして僕は車に戻って、エンジンを掛ける。アクセルを踏んで(おもむろ)に走り始める。

 もう帰るつもりはなかった。


  2

 近所の走り馴れた道を走りながら、僕は尋ねた。

「加代、どこか行きたいとこ、ない?」

 加代を連れて行ける場所は限られていた。動かない彼女は、人目のある場所には出られない。以前、駅前に新しく出来たショッピングモールに行きたいと言っていたが、それは諦めて貰わなければならない。

『あのさ、初美がね、この夏、あそこの山にキャンプに行ったんだって。なんか、すっごくはしゃいでたの。楽しそうだったなあ。地元の山だからあんまりお出掛けって感じしないじゃない? 実は小学校の遠足でしか行ったことないのよねぇ、あの山』

 加代は少し、羨ましそうに見えた。これから家族になったら、二人の子供も一緒に、キャンプにだって何だって連れて行きたいと思っていたけれど――。

 僕らは、まだ婚約者同士のまま。

 これからも、ずっと。


 もう、家族には、なれないのだ。


 ようやく、僕の頬に涙が伝った。


  3

 一体僕は何をしているんだろう。

 加代を背中におぶって、僕は山道を突き進んでいた。キャンプ場周辺でも登山道でもない。誰も通らないような、鬱蒼と木の生い茂る道なき道だ。

 陽が傾き始め、風が冷たくなってきた。もう何時間も歩いている。だいぶ山の奥まで来てしまったようだ。小さな山だが、人の気配は完全に遠ざかっていた。

「これじゃまるで、心中じゃないか」

 呟きながら、歩き続ける。いっそ、それでも良いじゃないか――僕らは、心中する男女の条件を充分満たしているのだから。

 嗚呼、違う。

 加代はもう――加代は、この世にいないのだ。こんなに冷たくなって。

 これは心中ではなくて、本当にただの後追い自殺に過ぎないのだ。

「加代、どうして行ってしまったの……」

 義母からは、『庭先で突然倒れて意識を失った』と聞いている。そしてそのまま病院に運び込む道すがら息を引き取ったのだ、と。

「どうして」

 病気だとか、そんな理由は聞きたくなかった。加代の死を、科学や医学という冷たい物差しで割り切ってほしくなかった。

 実は彼女はかぐや姫で、月に帰らなければならなかったのだ、と言われたほうが余程ましだと思った。

「不死の薬なんていらないから――僕を連れて行ってほしかった」

 今朝からずっと軽い目眩が続いている。ふわふわと浮き上がりそうな僕の体は、加代が重石の代わりになってようやく地面に足を着いている感じだった。

「加代」

 このまま君の許へ飛んで行きたいよ。

『ありがとう、晃。私もあなたと一緒に行きたいの――』

 加代が優しく僕に触れて、僕は自分を留めていた(いかり)から解放された気がした。

 ふんわりと、宙に浮く感覚。

 僕の体は、柔らかな土の上にゆっくりと崩れていった。


  4

 五日後、僕は病院を後にした。あの翌朝、キノコ採りに来たおじさんに幸か不幸か発見され、病院に搬送されることとなった、らしい。 精神的なショックが原因で、体調と思考に異常をきたしていたのだ、と医者は言う。――本当にそうだったとは思わない。だって、僕は確かに聞いたのだ。記憶の中のものではない、加代の声を。

 ところで、入院中には義父母も見舞いに来た。義母は泣いていた。

「心配したじゃないの……あなたまでいなくなるんだもの!」

 加代を(さら)った僕を気に掛けてくれるとは思っていなかった。

 だが、彼らの顔を見ていたら、彼らが自分の親なのだと、なんとなく感じたことがある。きっと馬鹿にされるから、誰にも言わないけれど――僕の中には加代の魂が半分だけ残っていて、僕も半分だけ加代に連れ拐われたようだ、と。

 あの日以来、僕はほんの少し悪戯好きになった。友人たちは、きっと加代の死が性格に影響を及ぼしたのだと言っていたが。

 ――多分それは、あながち間違いではないのだ。


 *

『私もあなたと一緒に行きたいの――でもね、半分で我慢するわね。そのうち、あなたが来てくれたら、返してあげるわ!』


 僕が最後に聞いた加代の声。彼女との再会の日はまだ遠い。


元ネタは魂の話です。


平安時代には

恋=乞い(魂を半分ください、的な)


と言う意味だったらしいです。



夫婦が後を追うように亡くなる、というのは、もしかしてそれに原因があるのかも、と勝手に思い、書き始めました。


だから、恋人とも夫婦ともつかない婚約者設定です。


ですが、当初思い描いていた結末とは程遠い感じに仕上がりました。どうしてでしょう……。




それはともかく、こんなところまで目を通し、最後まで読んで頂きありがとうございました。


それでは。

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