13# デッドラビット
「ガハッ!」
そう嗚咽と白濁した胃液を吐いて倒れる巨漢。相撲の曙みたいなそいつは俺の足元でうつ伏せに転がった。
「フゥゥゥゥ」
と俺は長い息を吐いて、蛮族ブレードをクルクル回し黒革の鞘に押し込む。族討伐半ば辺りでベオウルフの弾が切れ、後は蛮族ブレードでタコ殴りにしていたのだ。
しかし百人弱は多過ぎだ。なんか鈍器じゃなくて刃物とか持ってて準備万端だったし。まあ俺のA.T(時間が超緩やかになる戦闘画面)には関係なかったが……。
俺はその場から少し離れた裏路地で座り込んだ。
「つっ」
何やら全身が電気が走った様に痺れている。たしかに『A.T』をあれだけ長時間使ったのだ、肉体がボロボロなのかも知れない。
通常の人間が一歩踏み出す間に俺は十歩進んでいるのだから当然と言えば当然。肉体から発せられた熱に寒さなどとうの昔に吹き飛んでいる。
俺は息を整えて立ち上がろうとしたが、完全に麻痺した脚は立ち上がろうと反応もしなかった。暫くここに座っているしかないと、頭を壁にもたれさせる。
見上げればビル壁に挟まれた狭い空に輝く天の川と赤い満月が上がっていた。月と呼んで良いのかわからないが、その淡く赤い光を発する満月は狂気と呼べるほど美しかった。
昔から満月の夜は人を狂わせ凶行に誘うと言う。それは月の引力に体内の水分が反応し神経系になんらかの興奮作用を及ぼすからだと、どっかの学者が言っていた。では今夜の俺も満月に誘われ、狂い咲いた徒花なのか?
俺はナルシストみたいな事を考えた自分が滑稽で笑えてきた。
俺はこのゲームから出られれば良いんだ。それにゲームを開始して十二時間くらい経っている。排泄は問題ないだろうが戻らなければ何も食べて無い俺の本体は困るだろう。現世の時間帯は恐らく朝だから、早ければ二、三時間もすれば町蔵が帰ってくる。問題ない。
俺はその場に寝転んだ──。
『起きろ息子よ』
「……」
『起きなさい改蔵』
「……うあ」
『起きた方が身のためだぞ改蔵!』
「……もう五分」
ガリっ!
「痛あぁぁあああ!死ね!町蔵死ね!」
俺は飛び起きると劇痛の走った左耳を押さえた。そうだ!今町蔵の声がしたんだ!どこだ?と見回すが町蔵が居ない。町蔵がいないどころか、景色が全く変わっておらず辺りはまだ暗いままだった。
夢か……。と半ばガッカリと肩を落としていると、今度は右人差し指に劇痛。
「った!」
指を見ると黒いタレ耳の小さな兎が噛み付いていた。俺は右手をぶんぶん振り回し兎を弾き飛ばす。兎は綺麗に放物線を描き目の前に着地する。なんだこの生き物……。あ!これがデッドラビットか!雑食だって爺さんが言ってたな。動物を殺すのは気が引けるが黙って食われるのはゴメンだ!と、俺は蛮族ブレードに手をかけた。
するとデッドラビットは前足をしきりに舐め出した。舐め終わると金色の目をこちらに向ける。良く見れば耳の長い猫である、尻尾も長くくねらせているし。
『改蔵よ』
「え?しゃべった?」
『今この猫を媒体にお前の頭に直接話しかけている、よって他の者には俺の声は聞こえん』
「町蔵……なのか?」
俺は思わず前のめりにデッドラビットの鼻先に顔を近づける。
『違う。俺は天才町蔵様だ』
「町蔵じゃねーか!」
『すまんすまん。で、息子よ何をやってる?』
「そーだ!早くここから出してくれ!」
『無理だな』
「何でだよ!そっちで電源切ってくれりゃあいいだろうが!」
「残念だがそんな簡単な問題じゃないんだよ」
俺は意味がわからなかった。町蔵さえ帰って来れば……帰れると思ったのに。帰れない?なんで?納得なんか出来るわけがない!
「意味わかんねーよ!」
『意味がわからんのはこっちだ。なんでDVDじゃなくてゲームディスクを入れてる』
「どっちでもいいだろうが!」
『どっちでもよくない!DVDにはヘッダー毎にスキップ出来たり、長くても四時間程度の作品ばかりだ!つまりその機能がないゲームディスクはスタッフロールが出るまで出られないんだよ!』
「ちょ、ちょっとまってくれ!電源を強制的に切ったらどうなるんだよ!」
『わからん。貴様の精神が取り残されて、植物人間になるかもしれない……。逆にゲーム内でも新たな入力が得られないから動けはしない』
「もっと分かりやすく言ってくれ!」
『そうだな……』
と、それから町蔵は今俺の置かれた状況を説明しだした。
今の俺は現在あの『M.R.I』にある本体の頭で考えてゲーム内で行動している状態。それを突然切り離すと今まで出力していた脳みそが混乱してどんな弊害が出るかわからないと言う事だそうだ。なんか増幅したパルスがどうのこうのと難しい事を言っていたが、つまり少なからず本体に影響が出る可能性があるかぎり町蔵は強制終了はしたくないと言っているのだ。
「じゃあさ、死んだらどうなるの?」
『多分帰ってこれるだろうが……ショックで死んでしまう事もある』
「あ!セーブポイントとかあればタイトルに戻れるんじゃないのか?そうだよな町蔵!」
『落ち着け息子よ。今脱出する方法を探してるがセーブポイントは見当たらない。きっと電脳による超改造で消し去られたんだろう』
「なんで……」
『それは電脳が現実世界を元にして改造を施すからだ。物理的に有り得ないモノを消し去ってしまうのだろう』
「くそ!どうしろってんだ!」
『こちらでも脱出方法を考えてるからお前は、とりあえずゲームクリアに専念するんだ』
「クリアって、どうなったらクリアなんだよ?」
『それは知らんが……』
「そ、そうだ!攻略本とかないのか?」
『おお!そうだな探してみよう!』
「頼むぜ町蔵!」
『あ、後あれだ。三カ月を過ぎると此方の本体の筋力が落ちるし、消化器系にも影響が出る。なるべく早くクリア出来るように頑張ってくれ!それまでは此方の本体は点滴で栄養を維持するから』
「三カ月……」
『おっと勘違いするな。ゲーム内は現在の三倍の時間で流れている。つまり此方の一時間はゲーム内の三時間に相当する。つまり九ヶ月だ』
「九ヶ月……。長いようで短いな」
『うむ。後はなるべく寝る事だな』
「寝る?」
『お前が起きているだけで脳にもの凄い負担がかかるし、それ以上に寝てる間はその分時間が短縮されるんだ』
「意味がわからん、俺以外の奴はどうなるんだ?」
『そいつらは通常通りだろうな、問題はお前が活動してる時間なんだよ』
つまり暇な時は寝ていればその分を時間を節約出来るって事か。うまく行けば一年強ゲーム内に居られると言う事か?なるほど。
『ちなみに俺はずっと見てるわけにはいかないから、たまに顔を出す。何かあったらその時に言ってくれ』
「そういや、町蔵はどうやってコッチへ来たんだ?」
『俺は視姦用に作ったゴーグルマイクで来てる。お前と違って自由に動かす事は出来ないがいつでも脱着可能だ』
「このデッドラビットがパイプってわけか?」
『そうだ。一応ストーリーと関係ないモブだからな、再設定が簡単だった。お前を親に設定しておいたからくっ付いて行くだろう。ちゃんと餌はやってくれよ?』
「わかった」
『まあ……後は追って伝える事にする。グッドラック!』
「グッドラックじゃねぇよ!」
そう町蔵が言い終わると町蔵ラビットは「にゃーん」と言いながらすり寄ってきた。
「町蔵?」
「にゃぉう」
どうやら回線が切れたらしい。俺は立ち上がり歩くと町蔵ラビットは長い尻尾をピンと伸ばし後ろを着いてくる。
「よしマチゾー行くぞ!」
「にゃーん!」
と、名前は面倒臭いので『マチゾー』にした。俺はマチゾーと共に敢えてゴタゴタに巻き込まれに行く事を決めた。
とりあえず、ギルドに行くか──。