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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

たとえばこんな終わり方【完結】

SAN値なんていらない

作者: 有賀羊
掲載日:2026/08/20

 夕食後。


「修也〜、ちょっとこれ見て」


「きゅ?(ん?)」


 ソファでスマートフォンを見ていた梓が、俺を手招きする。

 隣まで行くと、画面をこちらへ向けてきた。


「この辺で強盗あったんだって」


「きゅ?(強盗?)」


「うん。近くの住宅に押し入ったみたい」


 表示されているのは、地域の防犯情報だった。

 近隣で、住宅への侵入を伴う強盗事件が発生しており、戸締まりを徹底するよう注意を呼びかけている。


「そういえば、マンションのエントランスにも貼り紙あったよ。最近この辺で何件か被害が出てるみたい」


「きゅきゅう……(うわ、物騒だな……)」


「怖いねぇ」


「きゅう(ほんとにな)」


 ホワイトボードを引き寄せる。


『防犯意識!

 戸締まりしっかり!』


「何その標語」


「きゅう!(大事だぞ!)」


「はいはい。寝る前にもう一回確認しよっか」


 とはいえ、俺たちにできることなんてそれくらいだ。

 鍵を閉めて、知らない人が来ても不用意にドアを開けない。

 しばらくは少し気をつけよう。


 そのときは、その程度にしか考えていなかった。


◇◇◇


 それから数日後の深夜。


「…………」


 物音で目が覚めた。

 隣を見ると、梓はまだ眠っている。耳を澄ませてみるが、何も聞こえない。


(気のせいか……?)


 そう思ったとき、玄関の方からガタンと音がした。

 今度は、はっきり聞こえた。


 数日前、梓と一緒に見た防犯情報が頭をよぎる。鍵は閉めたし、寝る前にもちゃんと確認した。それでも嫌な予感がして、俺は身体を起こした。


「きゅう……」


 梓を起こそうか迷ったが、何でもなかったらわざわざ起こす必要もない。


(ちょっと見てくるか)


 音を立てないよう寝室を出て、暗い廊下を進む。


 玄関の方を覗くと、そこには知らない男がいた。


(マジかよ)


 鍵は閉めていたはずなのに、どうやって入った。


 男はまだこちらに気づいていない。暗がりの中、辺りを窺いながら部屋の奥へ進もうとしている。

 その手に握られている刃物を見て、身体が強張った。


(……強盗じゃん)


 どうする。

 まず梓を起こして、それから警察を──。


 そう考えているうちに、男がこちらを向いた。


「…………」


「…………」


 目が合った。


「きゅう……(やば……)」


 男は大きく目を見開いたまま固まり、俺の身体を上から下まで見つめている。やがて顔からみるみる血の気が引き、刃物を握った手がガタガタと震え始めた。


「あ……ぁ……なんだよ……」


「…………」


「なんなんだよ、お前……!」


(ああ……)


 そうだった。

 今の俺を初めて見た人間が、どうなるか。


「きゅう……(えーっと……)」


「ひっ……!」


 男が後ずさる。


(どうしよう)


 完全にパニックになっている。

 下手に動けば何をするか分からない。俺は刺激しないよう、その場でじっとしていた。


「来るな……来るなよ……!」


「きゅう(行かないよ)」


 もちろん、俺の言葉なんて伝わらない。

 男の呼吸はどんどん荒くなり、俺から目を離さないまま刃物を握りしめている。


(このまま出てってくれないかな……)


 玄関はすぐ後ろだ。

 俺は追わない。

 だから何もせずに、さっさと出ていってほしい。


 そう願っていた、そのとき。


「……修也?」


「…………!」


 後ろから梓の声がした。


「何してるの……?」


「きゅう!きゅきゅう!(梓!来るな!)」


「え?」


 足音が近づき、男の視線が俺から梓へと移る。


「……誰?」


 寝ぼけていた梓の声が、一気に強張った。


「…………っ」


 男の目が、俺と梓の間を行き来する。


「う……うわあああああっ!!」


「…………!」


 突然、男が叫び、刃物を握ったまま動いた。

 何をするつもりなのかなんて分からない。ただ、咄嗟に梓の前へ出た。


「修也!」


 男の腕が振り下ろされる。


 ずぶり。


「…………?」


 何かが、俺の身体に沈んだ。

 けれど、何も感じない。


(……何?)


 痛みもなく、何が起きたのか分からないまま男を見ると、向こうも顔を引きつらせて俺を見ていた。


 視線を下げる。

 刃物が、俺の身体に刺さっていた。


(……え)


 刺された?

 そう理解するまで、一瞬かかった。


(痛く、ない……?)


 男が刃物を引き抜く。

 それでも何も感じなかった。


(いやいやいや)


 痛くないからって。


(刺されていいわけじゃないだろ!!)


「きゅう!!」


 刃物を持つ腕を押さえようと触手を伸ばした瞬間、男の顔がさらに恐怖に歪んだ。


「ひっ……うわああああ!!」


(待て!)


 男は伸びてくる触手から逃れようと、滅茶苦茶に刃物を振り回す。


「きゅう!(落ち着けって!)」


 ずぶり、と再び何かが身体に沈んだ。

 それでも痛みはない。


 俺が男を止めようと触手を伸ばすたび、男は怯えて刃物を振るった。刺して、引き抜いて、また刺す。


「やめて!!修也に何してるの!やめてよ!」


「きゅう!(梓は下がってろ!)」


「うあああああっ!!」


 男はもう、俺たちの声なんて聞こえていない。

 何度刺されても痛みはなく、身体もまだ動く。


(なんなんだ、この身体……)


 けれど、動けるならまだ大丈夫。

 そう思い、もう一度触手を伸ばそうとした。

 だが、動かない。


(あれ?)


 一本の触手が床に落ちている。力を入れても、ぴくりとも動かなかった。

 別の触手を伸ばそうとするが、それも途中でずるりと床へ落ちた。


 身体が傾く。

 支えようとした触手にも力が入らず、一本、また一本と動かなくなっていく。


(……これ)


 痛くない。

 どこも痛くないのに。


(まずい、のか……?)


 そう思った直後、また刃物が身体に突き立てられた。


「…………」


 やっぱり、痛くない。

 けれど、もう男を止めようにも触手が動かなかった。


「やめて!もうやめてよ!!」


 梓の悲鳴が聞こえる。

 男はそれすら耳に入っていないのか、俺だけを見ていた。


「死ね……死ねよ……!」


 刃物が何度も振り下ろされ、そのたびに身体が揺れる。

 刺された箇所からは、体液がじわじわと染み出していた。

 床へ垂れ、少しずつ俺の身体の下に広がっていく。


(……俺、今どうなってるんだ?)


 それを見ても、痛みはない。

 どこをどれだけ傷つけられたのかも、あとどれくらい動けるのかも、自分では分からなかった。


 ただ、身体から何かが失われていく。

 さっきまで動いていた触手が、もう一本も動かない。


 やがて、男の動きが止まった。


「……はっ……はは……やった……! やったぞ……この化け物が……!」


 身体や服に体液をべっとりと付着させたまま、男は刃物を握って玄関から飛び出していった。


「修也!」


 男が逃げていくと、梓がすぐに駆け寄ってきた。

 床に広がった体液に膝をつくことも構わず、俺のそばにしゃがみ込む。


「修也、ねえ! 大丈夫!?」


 大丈夫、そう返事をしようとした。

 けれど、声が出ない。

 いつもの「きゅう」すら出てこなかった。


「修也?」


 梓の手が俺に触れる。

 何度も名前を呼びながら、動かなくなった身体を必死に揺する。


「ねえ、返事してよ。修也……!」


「…………」


 視界が、少しずつ暗くなっていく。

 梓の声も遠い。

 身体からは今もじわじわと体液が染み出しているのに、どこも痛くなかった。


(……ああ)


 なんとなく、分かった。


(なんだ……こうやって終わるのか……)


 人間じゃなくなって。

 声も出なくなって。

 外にも出られなくなって。


 それでも、なんだかんだ梓と過ごす日々は楽しかった。


(……はは、化け物ならこんなラストが……お似合い、か……?)


 でも。


(まだ、生きたかったな……)


「修也……っ」


 梓の顔が見える。


 泣いていた。

 ぼろぼろと涙を零しながら、俺の名前を呼んでいる。


(……化け物でも)


 こんな身体でも。


(……外に出られなくても……)


 それでもよかった。


(まだ、梓と……一緒にいたかったのに……)


「やだ……修也、寝ないで……!」


 梓の手が、俺に触れている。

 その温かさも、もう分からない。

 ただ、泣いていることだけは見えた。


「大丈夫だから……!」


(……さいあくだぁ……)


「私がなんとかするから……!」


 視界が、さらに暗くなる。


(……最後に見るのが……泣いてる梓なんて……)


 嫌だな。

 笑っててほしかったのに。


(……さいあく、だ……)


「絶対……絶対、なんとかするから……!」


 梓の声を最後に。


 何も、分からなくなった。


◇◇◇


 ──目が覚めた。


「…………」


 いや。


(……目、覚めた?)


 自分でもよく分からなかった。

 最後に覚えているのは、泣いている梓の顔だ。何度も刃物を突き立てられ、身体が動かなくなり、声も出せなくなって。


 それから、何も分からなくなった。


(俺……死んだんじゃなかったのか?)


 少なくとも今、意識はある。

 ぼんやりとした視界の向こうには白い天井が見えた。その手前を、小さな泡がいくつも上っていく。


(……泡?)


 何度か瞬きをする。

 こぽこぽと、小さな泡が視界の下から上へと流れていく。


(…………)


 そこでようやく、自分が何かの液体に浸かっていることに気づいた。


(なんで?)


 息苦しくはない。

 そもそも、この身体になってから呼吸をしているのかどうかすら怪しい。それでも、目が覚めたら謎の液体の中という状況には、さすがに困惑する。


(ここ、どこだ?)


 とりあえず触手を動かそうとする。

 動かない。


(……あれ?)


 もう一度、力を込めてみる。

 やっぱり動かなかった。


 あのときと同じだ。

 何度刺されても痛みはなかったのに、一本、また一本と動かなくなっていった触手。


(まだ治ってない……ってことか?)


 そこまで考えて、ふと気づく。


(治ってない?)


 じゃあ。


(俺、生きてるの?)


 分からない。


 死んだと思ったのに意識がある。

 身体は動かないのに、こうして物を見ることも考えることもできている。


(……死後の世界って感じでもないよな)


 少なくとも、俺が想像していたものとはだいぶ違う。


 もう一度、目だけを動かして周囲を見渡す。

 どうやら俺が入っているのは、大きな透明の容器らしい。視界の端には何本もの管が伸び、よく分からない機械へと繋がっている。

 そこから一定の間隔で、こぽり、こぽりと泡が上っていた。


(……何これ)


 見覚えがある。

 いや、現実で見たことがあるわけじゃない。


 ゲームとか。

 映画とか。

 そういうところでなら。


(培養槽……?)


 途端に嫌な予感がした。


(待って待って。なんで俺、培養されてんの?)


 何があった。

 あれからどれくらい経った。

 ここはどこだ。

 そして何より。


(梓は?)


 最後に見た、泣いている梓の顔が浮かぶ。


(梓は……どうなった?)


 無事なのか。


 あの男は逃げたはずだ。

 だったら梓は──。


 そのとき、視界の端で何かが動いた。


「これがうまくいかなかったから……次は、この触媒を使って……濃度をもう少し……」


 人影だった。

 少し離れたところで、誰かが小さく何かを呟きながら机に向かっている。


(……誰?)


 白衣を着ていた。

 こちらに背を向け、何かを書いているらしい。髪は適当にひとつにまとめられ、少し俯いた背中には疲れが滲んでいる。


 どこかで見たことがある。

 というより。


(……まさか)


 声を出そうとするが出ない。


(くそっ)


 なら、身体を動かすしかない。

 触手に力を込める。


(動け……!)


 ぴく。


(よし、動いた!)


 ほんの僅かに触手の先が動いた、その直後。


 ピッ。


 近くに置かれていた機械から、電子音が鳴った。


「…………?」


 白衣の人物が顔を上げる。

 もう一度、触手に力を込める。


 ぴく。


 ピッ、ピッ。


「…………!」


 白衣の人物が勢いよく振り返った。


(……梓)


 間違えるはずがなかった。

 でも。


(…………梓?)


 髪が伸びている。

 頬は以前より痩せ、目の下には濃い隈ができていた。

 俺の知っている梓と同じ顔なのに、最後に見たときとは明らかに違う。


「…………」


 梓も俺を見たまま、固まっている。

 やがて、手にしていたペンが床に落ちた。


「修也……?」


 椅子が大きな音を立てて倒れる。

 梓はそれにも構わず駆け寄ってくると、俺と彼女を隔てている透明な壁に両手をついた。


「……しゅう、や……しゅうやっ……修也、修也!!」


(そうだよ。俺だよ。……お前こそ、どうしたんだよそんな顔で)


 返事をしたいのに、やっぱり声は出ない。

 代わりに、さっき動いた触手へもう一度力を込める。


 ぴく。


「…………!」


 それだけで、梓の顔がくしゃりと歪んだ。


「よかった……。よかったよぉ……!」


 透明な壁に額をつけ、梓が泣きながら笑う。


「よかったぁ……」


(……また泣いてる)


 最後に見たときも泣いていた。

 でも、今度は笑っている。


(……よかった)


 その顔を見て、ようやく少しだけ安心した。

 梓は無事だった。


「やっと……」


(ん?)


「やっと、目を覚ましてくれた……」


(……やっと?)


 その言葉に引っかかる。


 改めて梓を見る。


 伸びた髪。

 痩せた頬。

 目の下の隈。


 そして。


(……なんで白衣?)


 梓、研究者じゃないよな?

 俺の疑問なんて知らず、梓は透明な壁越しに俺へ触れるように手のひらを重ねた。


「もう少しだからね」


(…………何が?)


「絶対に元に戻してあげるから」


(……え?)


「大丈夫だよ、修也。……私が、助けてあげる」


 そのとき、部屋の奥からカチカチと奇妙な音が鳴り響いた。


エンド7:謎の研究室

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