婚約者の幼なじみがしつこく絡んでくるのですが、前世の素敵なカフェバーのマスターだったおっさんの助言通りにシカトしてみた。
お久しぶりです!
おっさんシリーズ、連載化してみたいなーと思いつつ、いったいどれから手をつけていいものやら迷っている作者です。
アンケートしてみたいけど、誰にも反応してもらえなかったらちとさみしい(´・ω・`)。
聖マリオン学園に通うブランシュ・グリエッドが、婚約者であるジョスラン・ルフォールと顔合わせをしたのは、つい昨日の休息日。
グリエッド伯爵家の一人娘であるブランシュにとって、いずれ婿取りをして家を継ぐというのは、幼い頃から確定していた未来だ。
武門であるグリエッド伯爵家に迎えるのであれば、武に秀でた男性だろうと思っていたため、父が聖マリオン学園の騎士科で優秀な成績を修めているジョスランを選んだことには、なんの驚きもない。
とはいえ、婚約者が一歳年長であると知ったときは、『年の近い相手でよかった!』と、彼を選んでくれた父に心から感謝したものだ。
明るい栗毛にエメラルドグリーンの瞳を持つ彼は、ぱっと人目を引く端正な顔立ちをしているけれど、話をしてみればとても落ち着いた人柄で、おっとりとした穏やかな口調が心地よかった。
武門貴族の後継者として、幼い頃から質実剛健な生き方を叩き込まれて育ったブランシュにとって、そもそも父が選んだ婚約者を拒否するという選択肢は存在しない。
それでも、その婚約者となったジョスランが、初対面から好感を抱ける青年であったことは、素直にありがたかった。
女性としては少々……否、かなりの長身で、大抵の男性と視線の高さが変わらないブランシュにとって、婚約者がハイヒールを履いた自分より背が高いというのは、とても嬉しいことだったのだ。
男性の価値は身長ではないというのはわかっているけれど、『伯爵家の後継者』として自身を律するばかりの彼女の中に、ほんの少しだけ残っている乙女心が喜んでいる感じがするのである。
だが――。
「ジョスランさまは、幼い頃から大変武芸に優れていらっしゃいましたけれど、古典詩歌にも大変造詣が深くていらっしゃいますのよ。……あら、失礼いたしました。彼と婚約されたばかりのグリエットさまは、そんなことはご存じありませんわよね?」
「……はあ。まあ、そうですね」
婚約者と、はじめての約束をしての昼休み。
ともに昼食を取ろうと、少しばかり緊張しながらジョスランと顔を合わせた食堂に入ったところで、彼の幼なじみを名乗る少女が突撃してくるとは思わなかった。
聖マリオン学園の学食は、騎士科と普通科で用意されるメニューが違うため、西側半分が騎士科、東側が普通科の生徒が使用することになっている。
男女ともにパンツスタイルの騎士科の生徒たちばかりの空間で、可愛らしい普通科の制服を着た少女の姿は、一際目立つ。
そのうえ、やたらと声高に語る彼女がブランシュにおかしな絡み方をしてきているとあって、周囲の視線が非常に痛い。
ブランシュは、ものすごくいたたまれない気分になりながらも、心の底から困惑する。
(この方は、いったい何をしにいらしたのかしら?)
婚約者の幼なじみだという少女は、エリーズ・ポワソンと名乗った。
――代々優秀な文官を輩出している、ポワソン侯爵家のご令嬢か。
ポワソン侯爵家には、すでに成人した優秀な嫡男と、立派にその補佐を務めている次男がいると聞いている。彼らから少し年が離れて生まれた唯一の女児が、エリーズだ。
ジョスランの生家であるルフォール侯爵家は、建国当初から続く武門の名家。彼は、その五男だ。同じく侯爵家であるポワソン家の令嬢と、幼い頃から親しい関係であっても不思議はない。
だが、その事実をひけらかすようなことを口にされたところで、ブランシュはジョスランの婚約者なのである。エリーズが知っていることなど、いずれブランシュも必ず知ることになるだろうし、わざわざ彼女に教えてもらう必要はない。
ジョスランは、突然現れたエリーズの物言いに呆気にとられていたようだったが、すぐに顔をしかめて口を開いた。
「ポワソン侯爵令嬢。互いに分別もつかない幼い時分ならばともかく、私はすでに婚約者を得た身です。そのように馴れ馴れしく名を呼ぶことは、今後一切ご遠慮願います」
「……え?」
ひどく驚いた顔をしたエリーズが、目を瞠る。
胸元のリボンの色からして、彼女はジョスランと同じ第三学年。
緩やかに巻いた金髪と淡い碧眼という華やかな容姿を持つエリーズは、一歳年長であるはずなのに、まるで年下の少女のようにあどけない雰囲気の持ち主だ。
人を見た目の印象だけで判断するのはどうかと思うが、おそらく兄たちから少し離れて生まれた末っ子長女として、幼い頃からさぞ家族から甘やかされていたのだろう。
ジョスランからやんわりと、しかし断固とした拒絶の言葉を向けられたことが信じられない、という顔をしている。
しかし彼は、婚約者の前で幼なじみといえども異性に対し、曖昧な態度を取るような青年ではなかったようだ。ひどく冷ややかな口調のまま、エリーズに告げる。
「そもそも、騎士科の食堂に普通科の生徒が入ってくることは、あまり褒められたことではございません。ましてや、そこで騒ぎを起こすなどもってのほかです。今すぐ、お引き取りください」
「ひ……ひどい……っ」
至極まっとうな諫言を受けたエリーズが、両手で口元を覆って瞳を潤ませる。
まるで悲劇のヒロインのような振る舞いだが、そんな彼女に向けられる視線は同情に満ちたものではなく、困惑や好奇を含んだものばかりだ。
――食堂入り口近くの近くの席に座っている第一学年の少年たちが、『え、何これ修羅場? 修羅場ってやつですか?』『わあ、はじめて見たー』『修羅場っつーには、ルフォール先輩の切り捨て方が容赦なさすぎじゃねえ?』などと言い合っているのが聞こえてくる。
正直、恥ずかしい。
ひとつため息をついたブランシュは、背筋を伸ばしてエリーズを見た。
「ポワソンさま。ジョスランさまのおっしゃる通りです。どうぞ、お引き取りくださいませ」
これが騎士科の後輩がしでかしたことなら、『いい年をして、何を家の恥になるような真似をしているか! さっさと散れ!』と怒鳴りつけているところだが、相手が侯爵家のご令嬢となるとそうもいかない。
できるだけ穏やかな口調で告げたつもりだが、エリーズはカッと頬に血を上らせた。
「いやがるジョスランさまと、無理矢理婚約を結んでおきながら、何を偉そうに……!」
(……はい?)
ブランシュは、思わず隣に立つジョスランを見上げる。
「そうなのですか? ジョスランさま」
「は!? そんなまさか、あり得ません! むしろ、身に余るご縁をいただけたことを、心から感謝しているくらいです! ――ポワソン侯爵令嬢、そのような流言飛語を口にするのは、断固としてやめていただきたい。この件については我が家からポワソン侯爵家に、正式に抗議させていただきます」
顔色を変えたジョスランが、エリーズをきつく睨みつけた。その明確な怒りを孕んだ瞳からして、彼の言葉に嘘はないようだ。
後輩の少年たちが、顔を寄せ合って『だよなー。ルフォール先輩なら、伯爵家に入り婿しなくても、普通に騎士団で出世しそうではあるけどさ』『いやがる理由とか、まずないよねえ』『ルフォール先輩があんなに焦ってんの、はじめて見た! ……まあ、あんな空気読めない幼なじみに突撃されるのは、普通にいやだよな。お気の毒』と言い合っている。
こんな騒ぎを目の前で見た少年たちの反応としては当然のことだと思うけれど、もう少し声のトーンを落としてくれないだろうか。
本人たちはこそこそ語り合っているつもりなのかもしれないが、好奇心を刺激されまくっているせいなのか、みなどうにも声が弾んでいるのだ。いたたまれない。
しかし、頭に血が上っているらしいエリーズに、少年たちの声は聞こえていないようだ。ますます顔を赤くして、声を高くする。
「ひどいわ、ジョスランさま!! どうして、そのようなことをおっしゃるの!? 私は幼なじみとして、心からあなたのことを思って言っていますのに……!」
「は? ただただ、迷惑なだけですが?」
シンプルかつ、ものすごくいやそうに告げられたジョスランの言葉に、エリーズが硬直した。
そんな彼女に、ジョスランが続ける。
「家同士の付き合いがあったことから、幼少期よりあなたと言葉を交わす機会が多かったのは認めます。ですが、だからといって私の人生にあなたが余計な口を挟んでくることを、許容するつもりはありません。――もう一度、申し上げます。ポワソン侯爵令嬢。ここは、あなたがいらしていい場所ではありません。どうぞ、お引き取りを」
(まあ。なんて立派な絶対零度の拒絶。ちょっと、ときめいてしまいました)
顔合わせをした際の、おっとりとした日だまりのような空気をまとう彼も、今の触れたら即座に凍り付きそうな彼も、どちらも大変魅力的だ。
一粒で二度美味しい婚約者を得られた自分は、ひょっとしたらものすごく幸運な人間なのかもしれない。
それから、『ひどい……っ』と泣きながら去って行ったエリーズを見送ったときには、妙に気分が疲れていた。
本当に、いったいなんだったのだろう。せっかく婚約者との交流を深められる機会だというのに、昼休みがだいぶ削られてしまったではないか。
結局、今回は互いの好きな科目や学食のメニューを知れただけだったが、結婚までまだまだ先は長いのだ。
ジョスランとの関係については、焦らずゆっくり進めていけばいいか、と考えながらベッドに潜り込んだブランシュは――。
(……あー……ハイ。なるほど、なるほど。エリーズさまは、ジョスランさまを異性としてお好きだったのですね。あの意味不明な行動も、恋する乙女の暴走でいらしたと)
前世で酸いも甘いもかみ分けた、素敵なカフェバーのマスターだったおっさんの記憶がよみがえったことにより、昨日のエリーズの行動を冷静に分析できるようになっていた。
幼い頃から武の道一筋で、少女らしい情緒とはとんと無縁だったブランシュにとって、そういった繊細な人間観察は苦手分野だったのだ。
いずれ伯爵家を継ぐ身として、あまり褒められたことではないとわかっていたが、脳内のおっさんに「あれほどわかりやすい状況で、あのお嬢さんの気持ちをまるで察せていなかったとはねえ……。ひょっとしてきみ、情緒になんらかの欠陥があるんじゃないかい?」と真顔で言われると、さすがに少々危機感を覚えてしまう。
おまけに、眉をひそめたおっさんがエリーズについて「アレは、叶わぬ恋に苦悩する自分に酔っている、恋に恋する乙女というやつだね。おまけに、有力貴族の末っ子として甘やかされ放題ときた。昨日はあっさり撃退できたかもしれないけれど、あの自己陶酔っぷりは相当のものだったし……。あまり、油断しないほうがいいかもしれないねえ」と、不吉なことを言ってくる。
朝からどんよりとした気分になったブランシュだったが、学園の始業時間は待ってくれない。
いつも通り、時間に余裕を持って登校した彼女は、校門の前で何やら騒ぎが起こっているのを見て、いやな予感を覚えた。
眉をひそめつつ近づいていくと、案の定エリーズがジョスランに向かって懸命に声をかけている。
「――ですから、ジョスランさま! どうか、私を信じてください! あなたはもう、ご自分の心に嘘を吐かなくてもよいのです!」
「ですから、ポワソン侯爵令嬢。何度も申し上げておりますが、私はあなたの妄想にお付き合いしている暇などないのです。私の目の前から、永遠にお引き取りいただければ幸いです」
「おい、ジョスラン! 俺を盾にすんの、やめてくれる!?」
……悲鳴まじりの声で、涙目になりながらジョスランに訴えているのは、彼の友人だろうか。
いったいどんな拘束術を使っているのか、同じような体格の青年を後ろ手にがっちりとホールドし、エリーズとの間に置いているジョスランは、ものすごく不本意そうな顔で言う。
「仕方がないだろう。オレは万が一にも、ポワソン侯爵令嬢とふたりきりで話をしていたなどという噂を流されたくないんだ」
「そりゃーそうだろうけどね!? おまえの素敵な婚約者さまに、誤解なんかされたくないだろうし!」
「わかっているなら、黙って盾になっていろ。――そういうわけで、ポワソン侯爵令嬢。私はブランシュさまとのご縁を心から喜んでおりますし、にもかかわらず意味のわからない難癖をつけてくるあなたに、心底うんざりしております。この件につきましても、父からポワソン侯爵に厳重に抗議させていただくつもりです」
絶対零度の声と眼差しで、これ以上ないほどきっぱり拒絶されたというのに、エリーズは胸の前で両手を握り合わせながら、悲壮感漂う声で口を開いた。
「ジョスランさま……。お可哀想に。そのような心にもないことをおっしゃるほど、追い詰められていらっしゃるのですね……」
「……何コイツ。マジで話通じねえ」
「え、怖……」
ジョスランと彼が盾にしている青年だけでなく、彼らの様子を見守っている者たちもみな、瞳をうるうるさせて両手を握っているエリーズの態度に、揃ってどん引きしている。
ブランシュも心の底から関わり合いになりたくなかったが、ジョスランは彼女の婚約者だ。
未来の夫が困っているときに見ないふりをするなど、できるわけがない。
一言、エリーズにもの申そうとしたとき、脳内のおっさんが「あ、待って待って。ああいう思い込みが激しいかまってちゃんは、まともに相手をしちゃダメ」などと言い出した。
いったい何を、と思っていると、おっさんはあっさりと「ここは、無視一択だよ。きみは彼の婚約者として、あのお嬢さんがいなければどんなふうに振る舞おうと思っていたかな? 堂々と、その通りにしておけば大丈夫」と断言する。
一瞬不安に思ったものの、これは素敵なカフェバーの店長として、数え切れないほどの人間模様を観察してきたおっさんの言うことである。
失敗したところで死ぬわけではないしな、と頷いたブランシュは、ごく自然な足取りで婚約者たちに近づくと、にこりとほほえんで声をかけた。
「おはようございます、ジョスランさま。そちらは、ご学友の方ですか?」
「お、おはようございます、ブランシュさま。……えぇと、はい。私の友人の、イレール・カロンです」
相変わらずジョスランに拘束されたままのため、非常に情けない顔をしたイレールが首だけ動かして一礼してくる。
ブランシュは、にこりとほほえんだ。
「はじめまして。ブランシュ・グリエットと申します。このたび、ジョスランさまと婚約をさせていただきました。どうぞ、お見知りおきを」
「あ、ハイ……。こちらこそ、よろしくお願いいたします……」
再び首だけで会釈したイレールとジョスランを順に見て、ブランシュは軽く両手の指を触れあわせる。
「仲がよろしいのは、素敵なことだとは思いますけれど……。ご友人同士のお話でしたら、教室でもできますでしょう? あまりここでのんびりしていては遅刻をしてしまいそうですし、そろそろ参りませんか?」
笑みを深め、ブランシュは小首をかしげた。
「ジョスランさま。今日もお昼をご一緒していただけるのを、楽しみにしていますね」
エリーズの存在には一切触れることのない彼女の意図に気づいたらしいジョスランが、ぱっとイレールの拘束を解く。
そして、にこやかな笑顔でブランシュに言った。
「はい。私も、とても楽しみにしております。それでは、参りましょうか」
当然のように彼がブランシュをエスコートして歩き出すと、正しく空気を読んだのか、これ以上巻き込まれてたまるかという判断なのか、イレールがさりげなく、かつ素早く離れていく。
いずれにせよ、状況判断の早い御仁であることは間違いあるまい。
「お待ちなさい! ジョスランさまは、私と話をしているのよ!?」
背後でエリーズが叫んでいるが、おっさんの助言通り完全に無視をして歩みを進める。
騎士科で学んでいる自分たちと、乳母日傘で育ったお嬢さまである彼女とでは、身長差も相まって歩く速さがまるで違う。
「ジョスランさま。もしよろしければ、明日の放課後にでも魔導剣の手合わせをお願いできますか?」
「はい、もちろんです。でしたら私のほうで、屋内訓練場の予約をしておきますね」
他愛ない会話をしつつ校舎に向けて進んでいけば、息切れをしたらしいエリーズの「ちょっと! 私の言うことを聞きなさいよ!」という声が聞こえた気がしたが、ほぼ初対面の相手に命令するなど、淑女のすることではない。
よって、正しい淑女の卵であるブランシュが無視したところで、非礼には当たらないのだ。
どこまでもにこやかにジョスランと話しながら、内心首をかしげる。
(ポワソン侯爵家では、ご令嬢にいったいどんな教育をされているのかしら。いくら幼なじみとはいえ、婚約者のいる殿方にこんなふうに突撃してくるだなんて、非常識にもほどがあるのでは?)
ブランシュは、訝しんだ。
しかし、脳内のおっさんは小さく苦笑すると「アレは、ちょっと極端だけれどね。思い込みの激しい女の子というのは、総じて周囲の話を聞かないものだよ。特にそれが、色恋絡みの問題ならなおさらだ。まあ、どうやらきみの婚約者はちゃんとした男の子みたいだし、放っておけばいずれ自滅すると思うよ」とのたまった。
どうやら思い込みの激しさと非常識さというのは、重症度が比例するものらしい。
とはいえ、先ほどのエリーズへの対応の仕方を見ても、ジョスランがブランシュとの婚約に前向きであることは間違いないようだ。
その事実に、自分でも意外なほど気持ちが浮き立つ。
どうせ一生をともにするなら、互いにストレスのない相手であるに越したことはない。
よしよし、と頷いていると、脳内のおっさんが「だから、情緒……」と遠い目をしていたが、ブランシュは気づいていなかった。
***
それからもことあるごとに、エリーズはジョスランの元に突撃してきた。
婚約者として彼とともにいることが増えたブランシュは、その現場に立ち会うことも多かったのだが、ジョスランは徹底的にエリーズを無視し続けることにしたようだ。
「ジョスランさま! 聞いていらっしゃいますの!?」
「ああ、ブランシュさま。今日は、私が贈った髪留めをつけてくださっているのですね。本当に……大変、よくお似合いです」
「ありがとうございます、ジョスランさま。こんなに素敵な細工のものをいただけたのははじめてなので、とても嬉しいです。戦闘訓練のときは外さなくてはならないのが、残念なくらいですわ」
ジョスランの瞳と同じエメラルドをあしらった金細工の髪留めは、ブランシュの燃えるような赤い髪と琥珀の瞳によく映える。
ネックレスやブローチなどはさすがに学園にはつけてこられないけれど、折に触れてジョスランが贈ってくれるアクセサリーは、すべてエメラルドをあしらったものだ。
たまに脳内のおっさんが「うぅむ……。これほどウザ――もとい、くどいほどの『オレのですから』アピールをしつつも、対面時にはあくまでも立派な紳士対応をキープし続けるとは。この少年、なかなかやるな」と感嘆している通り、ジョスランはブランシュの婚約者として文句のつけようのない対応をしてくれている。
エリーズに対する完全無視も、その一環だろう。
――話の通じない相手とは話をしない、というだけのことかもしれないけれど、実際ほかに手の打ちようがないというのが本当のところだ。
(まさか、侯爵家のご令嬢相手に『いい加減、しつこいわー!!』と、ジャイアントスイングを決めるわけにも参りませんし……)
前世でおっさんがわくわくして見ていたプロレスには、いろいろと楽しそうな技が多いのだ。脳裏に思い描くだけで爽快感が素晴らしく、エリーズの存在にイラッとしたときには、ついラリアットやジャーマンスープレックスを決めたくなってしまう。
カフェバーのマスターだった頃にはブリッジのひとつもできなかったが、今の鍛えた若い体であれば充分可能なはずだ。
(ポワソン侯爵令嬢が男性でいらしたら、遠慮なくぶちかまして差し上げられたのに。……本当に、残念ですこと)
ブランシュがそんな物騒なことを考えていることなど知る由もないエリーズは、ジョスランからの度重なる無視に、しびれを切らしたのだろうか。
昼休みのカフェスペースで、食後のお茶を楽しんでいたふたりのテーブルに突撃してきたかと思うと、勢いよく両手をテーブルに叩きつけた。
……痛かったようだ。
涙目になって顔を歪めたエリーズが、キッと睨みつけてくる。
「ちょっとあなた! 婚約者だからといって、毎日毎日ジョスランさまのお時間をお邪魔して! ご迷惑だとは思わないの!?」
さすがにこの至近距離に詰め寄られては、無視をするのも難しい。
ため息を吐いたブランシュは、ここ半月あまりで積もりに積もった鬱憤を晴らすことにした。
脳内のおっさんも「うーん。ここまでしつこいお嬢さんだったとは、ちょっとびっくりだよ。まあ、これ以上舐められてもなんだし、ここらでぶちかましておやんなさい」と、親指を立てて笑っている。その額に青筋が浮いているところを見ると、おっさんもエリーズのしつこさにいい加減辟易していたようだ。
「ポワソンさま。はっきりと申し上げますが、迷惑なのはあなたのほうです」
ずっと彼女を無視し続けてきたブランシュが、言い返してくるとは思わなかったのだろうか。
驚いた顔をしたエリーズが、固まっている。
「よろしいですか? あなたの迷惑行為については、ジョスランさまのルフォール侯爵家からだけではなく、わたしの父からもポワソン侯爵家へ正式に抗議させていただいております。にもかかわらず、あなたの振る舞いは一向に改善される様子がない。これはもはや、ポワソン侯爵家から我が家とルフォール侯爵家への侮辱だと判断させていただきます」
「な……何を……」
口ごもるエリーズに、ブランシュは淡々と続ける。
「わたしとジョスランさまとの婚約は、すでに国王陛下のご裁可もいただいた正式なものです。それに異を唱えるということは、王家への反逆だと断じられても仕方がないのですよ?」
「……っそれは、そうかもしれないけれど……っ! けれどお父さまは、ジョスランさまご自身が私との婚姻を望んで挨拶にくるなら、どうにか手を尽くしてくださるとおっしゃってくれたもの!」
は、とブランシュは目を丸くした。
思わず、やはり驚きに目を瞠っているジョスランを見ると、彼は思いきり眉間にしわを寄せ、地の底から響くような低い口を開く。
「ああ……そういうことかよ、あんのクソジジイ。娘に本当のことを言って嫌われたくないからって、面倒ごとをこっちに丸投げとか、マジふざけんな」
どうやら、ものすごく怒っているらしい。完全に口調が崩れている。
これはこれで、婚約者の別の一面として趣深いな、としみじみしていると、ジョスランはぐしゃりと髪をかき混ぜた。
「……失礼しました、ブランシュさま。どうやらポワソン侯爵は、絶対にありえない条件を提示することで問題の先送りを図るという、とても迷惑な御仁だったようです」
「たしかに……。ジョスランさまがエリーズさまとの婚姻を求めてポワソン侯爵へご挨拶に伺うなど、まずありえないお話ですものね」
溺愛対象である末っ子長女を可愛がるなとは言わないが、せめてそれは他人に迷惑が掛からない範囲でしてもらいたいものだ。
こちらが未成年だから甘く見られているのかもしれないけれど、全力でブレーンバスターを決めてやりたいほど腹立たしい。
その腹立たしさを煽るように、顔を真っ赤にしたエリーズが口を開いた。
「ありえないだなんて、失礼ね! あなたと私なら、私のほうがずっと魅力的だもの! ジョスランさまだって、本当は私を妻に迎えたいはずよ!」
ブランシュは、エリーズのメンタルの強さに感嘆した。
たしかに彼女は非常に華奢で可愛らしい容姿をしているが、それだけで生きていけるほどこの国の貴族社会は甘くない。
これほど非常識なレベルの自己肯定感を育んでしまうとは、ポワソン侯爵家の溺愛レベルは、ブランシュが想像していたよりも遙かにハイレベルなものだったようだ。
しかし、脳内のおっさんが「いやいや、きみもかなりというか、とても素晴らしい美少女だよ? このお嬢さんとはまるでタイプが真逆だけど、あと数年もすればとんでもない迫力美女になること間違いなしだよ?」とフォローしてくれているが、世間の一般的な男性が選ぶのがエリーズのようなタイプであることはわかっているだけに、なんとも返しようがない。
困ったな、と思っていると、ジョスランが「……は?」と据わりきった声で口を開いた。
驚いて振り返ると、彼は白々とした危険な光を孕んだ瞳でエリーズを見据えている。
「おまえが、ブランシュさまより魅力的? は? どこが? おまえんちに鏡はねえの? そんなちんちくりんで、魔導剣を持つどころか引きずることさえできなそうな、貧相にもほどがある筋肉で何言ってんの?」
(……筋肉)
生まれてこの方、間接的にとはいえ男性に筋肉を褒められたのははじめてだ。
微妙な顔をしたおっさんが、「お、おう……。この子、たまにチラチラきみの体を見てくることがあったから、てっきりその立派な胸部装甲に目を奪われているのかと思っていたんだけど……。まさかの筋肉フェチだったのか」とぼそぼそ呟く。
たしかにブランシュはかなりの巨乳だが、学園の制服を着るときは揺れて邪魔にならないようにそれ用のプロテクターできっちり押さえているのだ。
ジョスランがブランシュの胸部装甲の豊かさを確認できたのは、顔合わせでドレスを着たときだけだろう。騎士の卵として立派に学んでいる彼を、世の巨乳好きの男性陣と一緒にするとは、失礼なおっさんである。
「つーか、はじめにオレは言ったよな? オレは、ブランシュさまと婚約できたことに、心から感謝してる。あんたのオレに対する妄想は、迷惑だって。……あんたの歪んだ脳髄にも理解できるように、ハッキリ言ってやるよ。ポワソン侯爵令嬢。オレは、あんたみたいに頭が悪くて自己中心的で他人の迷惑も顧みずに非常識な真似を繰り返す短絡的な女は、虫酸が走るほど大嫌いだ」
(まあ。なんて立派な肺活量)
思わず感心したブランシュの目の前で、エリーズが蒼白になって立ち尽くす。
そして――。
「ひどい……! 女性にそんな暴言を向けるだなんて、紳士のされることではありませんわ!」
「ひどいのは、自分中心に世界がくるくる回っていると勘違いできる、あんたの迷惑すぎる精神構造だ。悲劇のヒロインを気取るのは勝手だが、二度とオレとブランシュさまに近づくな」
ジョスランが野犬を追い払うような仕草でシッシッと手を払うと、瞳を潤ませていたエリーズが瞬時に怒髪天を衝く形相になった。よほど、プライドを傷つけられたのだろう。
「あ……っ、あなたのような野蛮な男性など、こちらからお断りよ……! 何よ、ちょっとばかりお顔がよくて背が高くて成績も優秀だからって調子に乗って!」
「あら、そこは訂正させてくださいな。ポワソン侯爵令嬢。ジョスランさまはちょっとばかりではなく、とても素敵な方ですもの。ジョスランさまと婚約できたこと、わたしも心から感謝しておりますのよ」
にっこり笑ってそう言うと、エリーズがますます憤怒の表情を浮かべ、脳内のおっさんが爽やかな笑顔で「おお、煽るねえ。……いいぞ、もっとやれ」と、親指をくっと下に向ける。アイアイサーだ。
「これ以上わたしたちに迷惑を掛け続けるようでしたら、学園内での問題行動として通報させていただきます。……婚約者を持つ男性にしつこくつきまとっていらしたあなたに、まっとうな縁談が来るとよろしいですわね?」
「……っ」
聖マリオン学園は、王立の教育施設だ。
その上層部に学内での不品行を通報されるなど、学生の身としてはこれ以上ない恥である。正式な調査でその事実が認定されれば、もはやまっとうな縁談など望むべくもないだろう。
それがわかっているのか、握りしめた両手をぶるぶると震わせたエリーズは、無言で踵を返して去っていった。
その後ろ姿を見送り、ブランシュはそっと息を吐く。
「なんだか、二対一でポワソン侯爵令嬢を責め立てたような形になってしまいましたわね……」
「そうですね。ですが、彼女があそこまで話が通じない相手であった以上、仕方のない対処だったと思います」
ブランシュは喧嘩は基本的にタイマン勝負派であるため、少々胃のあたりがもぞもぞしたが、ここはジョスランの言うとおりなのだろう。
結果的にどうにかエリーズを撃退できたものの、正直なところ二対一でもあまり勝てる気がしなかった相手だ。
とはいえ、共通の敵と相対することで、婚約者との信頼関係は順調に築けつつあるのではないだろうか。
(なるほど。これが、怪我の功名というやつですのね)
すっかり冷めてしまったお茶を飲みながらそんなことを考えていたブランシュは、婚約者が顔合わせの際、ドレス姿の自分を見て「超絶好みのタイプの巨乳美少女キタ――――――!!」とテンションがダダ上がっていたことに、まるで気がついていなかったのだった。




