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第十二話 明かす過去

「おはようございます」

「おはよう月影さん」

「はよーっす」

「ん、はよ」

「おっ、おはようございます!」

「おはよう。桜田さん、今日の夜は空いてる?」


***


【同期は知らない俺の秘密】


***


「あの、橘さん。……少し、話がしたいです」

桜田さんからの告白を受けたすぐあと、すでに帰路についていた橘さんに電話した。話がしたいと、それだけしか言っていないのに橘さんは快く引き受けてくれた。

以前月影さんの相談に乗った例の飲食店で橘さんを待つ。橘さんも到着し、注文も済ませたらすぐに本題に入った。

「……告白をされました」

「……そうか」

「それで相談なんですけど……この告白をどうするべきかと……」

「……好きじゃないなら断ればいい」

「あ……はい、それは……そうするつもりです」

なら話とはなんなのか、と表情に滲ませる橘さん。少し怖気付きながら言葉に出す。

「俺が、昔女性だったことについて、話すべきかどうかを悩んでいて」

「……うん」

橘さんは静かに頷いた。俺の言葉に肯定も否定もしない返事だった。

この相談は橘さんにしかできない。島さんにだって、篠原にだってもちろんできない相談だ。俺は俺の過去を、橘さんにしか話していなかった。

「あのときの様子だと、彼女も勇気を出して告白してくれたんだと思います。それに言葉だけを乗せて返すのは不誠実じゃないかと思って」

「お前が後悔しないのであれば、それでいいと思う」

「後悔……」

「お前はその告白を俺にするのに、あまり時間をかけなかっただろう。だから少し驚いたんだ」

俺が橘さんに大学まで女性であったことを話したのは、入社して三ヶ月も経たない頃だった。少なくともこれからのことで悩みを打ち明けられるような人に過去のことを話しておこうと思っていた。その相手が橘さんだった。

「入社して数ヶ月だと、まだ俺の性格をよく知らないだろう。交友関係だって知らない。俺がそれを言いふらさないという確証もない。そんな状態で、お前は俺を信用して話してきた。俺はそんなお前に驚いたし、だからこそ、俺も高瀬を信用しないとと気が引き締まった」

初めて知らされる橘さんのその想い。三ヶ月ではまだ早かったのかと自分の思考の浅はかさに驚いた。

「だから、話すのは悪くないと思っている」

だからこそ、橘さんの直後のその言葉には驚いた。三ヶ月ではまだ早い。では、まだ一ヶ月程度しか経っていない今の状態だと早すぎるのではないか。

「最終的には本人が決めるのがいちばんだ。だが、高瀬は周りからの信用信頼が厚い。公私混同しない性格だ。そんなお前の大切な過去を、高瀬に告白するような人間が言いふらすことはないだろう」

冷たい水を飲んだ橘さんは、まっすぐに俺の目を見た。

「少なくとも篠原には、もう言ってもいいと思う。五年も経っている」

橘さんのその言葉に、俺は視線を少し下げる。

篠原には、もう、伝えなければいけない時期になってきたのかもしれない。


***


「篠原、話がある」

「んぁっ?なんだよ、そんなに改まって」

「いいか」

「あー、うん。いいよ」

昼休みが終わる十分ほど前。昼食を終えて自分のデスクでリラックスしていた篠原に声をかけた。だれもいないことを確認したリフレッシュルームにふたりで入る。俺の神妙な雰囲気に、篠原は静かに座った。

「悪い。呼び出して」

「いいよ。大事な話なんだろ」

「……あぁ」

篠原はやはり、それに気付いてた。その空気に、少し安心感を覚える。

「昨日、お前に通院していることがバレたとき、隠さないといけないと必死になる俺と、このままバラしてしまってもいいんじゃないかと落ち着いていた俺がいた」

俺のその言葉に篠原の表情が険しくなる。きっと危ない病気でも抱えているものと思っているのだろう。それを否定するように俺はまた言葉を続けた。

「俺は今でも病院に通っている。でも、仕事に支障は出ないし、今も問題はない。重い病気とかではない。だからそんな顔はするな」

ギクッと体を震わせた篠原は、べつにそんなことねぇけど、とぼやきながら表情筋を動かす。分かりやすいやつだ。

今度は俺が深く息を吐く。覚悟しても、準備運動は必要だ。俯きがちだった視線を篠原のと合わせると、なにかを感じ取った篠原は動きが止まった。

「戸籍上は、女だったんだ」

他人事のようだった。まるで、隣にいるだれかのことを篠原に紹介しているような、そんな不思議な感覚だった。

短い言葉でそう放ったあと、随分と肩の荷が降りたような気がした。篠原にはきっと、逆の感覚を味わわせている。

「……へっ?」

俺よりももっと短く、そしてもっと混乱した声を出した篠原。予想はしていた。想定内だ。

「え、ちょ、ちょっと待って……おま……女?オンナってなんだっけ、えっ、お、女?」

だがまさかここまでとは。女の定義が分からなくなるほどか?やはりもう少し時間をかけるべきだったか。

「落ち着け。今は戸籍上も男だ。今まで隠していて悪かった。でもそろそろ、お前にも言っていい頃だと思った」

続く俺の言葉に、篠原はまた静かになった。頭の中の情報を整理しているのだろう。冷静になったような篠原は、背筋をピンと伸ばした。

「気付かなくて悪かった、とかは、正直思わない。全然分かんなかったし、全然ビビったし。……お前は多分、俺に話して距離を置かれないかとか、俺がだれかに言いふらさないかとか考えて、やっと話してくれたんだろうし、それに対して俺がとやかく言うつもりはない。時間かけて築かれた信用を自分からぶち壊すなんてしない。てかそもそも俺、自分ではそんなに性格悪くないと思ってる。でも……」

一度言いたいことを言った篠原は、ひとつ息を置くと、落ち着いて声を出す。

「お前が今まで俺に全部を見せない理由が、やっと分かった。話してくれてありがとう」

スッと中に入ってくる優しい言葉だった。驚いた。俺にはそんな感情じみた言葉は必要ないと思っていたから。五年も隠していたその心労はそれほどだったのだろう。俺もひとつ深呼吸をして、口を開いた。

「時間だ。仕事に戻ろう」


***


第十二話【 明かす過去 】


***


その後、就業直後に月影さんにも同じように俺の過去について話した。彼女はあまり表情を変えることなく静かに話を聞き、最後には頭を下げた。

「大切なことを話してくれてありがとうございます」

月影さんは、それ以上なにも言わなかった。ただ、いつもと変わらぬ調子で挨拶をして、いつもと変わらぬ調子で歩き出す。彼女には唯一言わないという選択肢もあったのだが、それを選択しなかったのにはもう充分な信用と信頼をお互いに得ていると考えがあったからだ。故に、彼女に伝えても問題はない。むしろ伝えたほうがいいと行動した。

桜田さんには終業後の飲食店で話した。昨日の返事も含めて、丁寧に。理論派の俺が、感情派の彼女を傷つけないように、慎重に。

「昨日は勇気を出して話してくれてありがとう」

「うぁ、はいッ!」

緊張している彼女を驚かせないように、ゆっくりと。

「桜田さんがどういう気持ちで話してくれたのかも、それが簡単なことじゃなかったのも、俺はちゃんと分かっている」

「はいっ」

桜田さんは小さく頷く。声よりも、表情のほうが雄弁だった。

「だからまず、それは本当に嬉しかった。俺をひとりの人間として見て、好意を持ってくれてありがとう」

「いえっ、その……はいっ」

少し間を置く。悪い癖だ。最初に結論を言いそうになってしまう。言葉を頭の中で組み直してから、続きの言葉を選ぶ。

「……正直に話すと、俺自身がまだ整理できていない部分がある」

「整理……ですか?」

「そう」

桜田さんのまばたきが、わずかに増えた。俺は一度息を吸う。まだ緊張が残っている。

「戸籍上は女だったんだ」

「……えっ?!」

「わっ……」

「あっ、す、すみません!」

桜田さんの大きな声に驚いた。彼女はすぐに謝る。少し恥ずかしそうな表情を見せた。

「こちらこそごめんね……突然のことで驚くだろうけど、伝えておきたくて」

俺も彼女にひとこと謝る。混乱させているのは本当だ。

「……言い訳みたくなっちゃうけど、今も昔も、どちらが恋愛対象なのかは分かっていない。こんな状態で、勇気を出してくれた桜田さんと適当な付き合いをすることはできない」

そこで彼女は少し眉を上げる。この後の俺の返事を察したのだろう。

「だから、昨日の告白に対しては……今は、恋人として応えることはできない」

桜田さんはすぐには声を出さなかった。静かに、一度俯く。

「……私が、女だからじゃないですよね?」

小さく、そんな声を出した。前のめりになりそうになるのを堪えた。

「うん。今の俺には、だれに対しても同じ答えしか出すことはできない。桜田さんが女性だからじゃないよ」

少しの間、沈黙が続く。胸の奥がきしむ。それでも視線だけは逸らさなかった。

「傷つけてしまったなら、本当に申し訳ない」

顔を俯かせていた桜田さんが、ゆっくりとその顔をあげる。視線もこちらに合わせると、表情は取り繕うことなく言う。

「……ちゃんと考えてくれたんですね」

「うん。桜田さんが勇気を出してくれたから」

その一言で、彼女は少しだけ笑った。指先が、わずかに震えていた。


***


本当は、まだ不安が残っていた。だれかが言いふらしていないだろうか、あの現場に聞き耳を立てていた人間はいなかっただろうか、仕事に支障の出る事態にはなっていないだろうか。そんな心配をしていた。

「高瀬はよー」

「はよ」

「高瀬先輩、篠原先輩、おはようございます」

「おはようございますぅっ!」

「月影さん桜田さん、おはよう」

でも、不安も心配も必要なかった。みんないつも通り。いつものように出社して、いつものように挨拶を交わす。ほかの人も同様だった。

「よし!そんじゃ今日明日でやっと終わる最終面接、とりあえずそこを目標に頑張るか!」

「ですね〜!」

「月影さん、内定者フォローの件だけど」

「はい。内定者とそれ以外へのメールの用意と、その後の連絡の頻度などはある程度決まりました。のちほど時間があるときにご確認を」

「了解、ありがとう。それから」

「ちょーっとそこのふたり!今は就業時間前ですよー。とりあえず面接は最後だし、士気上げるために四人で円陣でも組もうぜ」

「お前は公私混同しすぎだ。就業前でもここは会社。出社したんだから就業中とも変わりない」

「相変わらずアッタマ固ぇなぁ高瀬よ!ももちゃんも円陣いいと思うよね!」

「いいと思いますぅ!ねっ!詠美ちゃんも!」

「えっ?わ、私はべつに……どちらでも……」

「はいはい!肩組んで肩組んで」

篠原の勢いに負けてまんまと肩を組まされた。四人で小さく丸くなり、篠原が大きく声を出す。

「最終面接、頑張るぞーっ!」

『オーッ!!』

やっと、認められるようになった。それもコイツのおかげだった。論理的でないコイツの言葉や行動に流されてしまうのも間違ってはいないと、俺は身を持って感じてしまった。

「……頑張ろう」

円陣を解いたあと、自分に言ってやった。自分で認めた自分に、その声を聞かせてやった。

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