第一話 同期は知らない俺の秘密
同期は知らない。
「高瀬おはよ〜」
「ん、はよ」
俺が少し前まで女であったということを。
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【同期は知らない俺の秘密】
***
だれも気付かない。いや、気付かせないようにしてきた。声も、仕草も、笑い方も。少しずつ削って、少しずつ作り変えてようやく、俺という形が出来上がった。
「高瀬」
「はい」
高瀬楓、二十六歳。よくいる普通の会社員。俺にはある特殊な過去がある。
「一次面接の準備はどうだ。上手くいってるか」
「はい。順調です。月影や桜田もしっかり動いてくれていますし」
「そうか、頼むな。今年の一次面接の現場統括は基本的にお前に任せようと思う」
「分かりました」
係長である橘さんの言葉に頷き自分のデスクに戻ると、暗くなったパソコンの画面に映る自分の姿が見えた。きっちりとセットされた短い髪の毛に広い肩幅、ボコッと出ている喉仏。
うん、ちゃんと男だ。
「高瀬先輩、今少しいいですか」
「あぁうん、いいよ」
後輩の月影さんが話しかけてきたことで、俺は彼女に視線を向けた。彼女のデスクまで足を運び、質問のあった箇所を丁寧に説明する。
そんなときにも感じる自分の低い声に、ここにいるどの女性よりも高い身長。そして筋肉のついた腕。
大丈夫、ちゃんと男だ。
「高瀬〜、今日の昼どうする」
自分のデスクに戻ると、同僚の篠原がそう聞いた。俺はパソコンのパスワードを打ち込みながらそれに答えた。
「社食でいいだろ、てか今聞くなよ」
「ったく〜、高瀬は真面目すぎるんだよ。あっ、ももちゃんだ。ももちゃんおはよ〜!今日お昼一緒にどう?」
「あ、篠原さんおはようございます〜。お昼、高瀬さんもいらっしゃいますか〜?」
「いるよ〜」
「じゃあご一緒させてくださぁい!ちなみにぃ、詠美ちゃんも一緒にいいですか?」
「あぁ、月影さんね。いいよ〜、一緒においで〜」
「えっ?いや、私は結構ですよ」
「いいじゃん、篠原さんも言ってるし、詠美ちゃんも行こうよ〜」
「いや、ももちゃ……桜田だけで行ってきなよ」
就業中におしゃべりを続ける篠原と、それに付き合う桜田さん。巻き込まれた月影さん。俺は篠原の耳をつねって言った。
「私語禁止。就業中だって言ってんだろ」
「痛い痛い痛い、ごめんって高瀬、離して」
「ふたりもごめんね、仕事に戻ってもらっていいから」
「はぁいっ」
桜田さんはそう緩い返事で応え、月影さんはペコッと軽く礼をした。俺は再度篠原の耳を引っ張り、呆れながらも仕事に戻った。
随分と話が飛んでしまったが……。俺の特殊な過去とは、今は男である俺が昔、女であった、ということだ。
***
第一話【 同期は知らない俺の秘密 】
***
「なぁ〜、ホントに社食?俺そろそろ飽きたよ〜。近くにラーメン屋できたじゃん、そこ行かね?」
お昼の時間になった。キリのいいところまでとキーボードを打つ俺に構わず、篠原がそう愚痴を漏らす。
「女性がいるんだから、尚更社食がいいだろ。ラーメン屋なら今度ふたりのときに行ってやるから」
一度作業を終え、パソコンをスリーブ状態にする。桜田さんと月影さんも準備が整ったようだ。
「とりあえず食堂に行こう」
四人で食堂へ向かう。が、そこはすでに人があふれ返っていた。
「わぁ、人多いですねぇ」
「席取っておくから、三人は先に注文してきなよ」
俺がそう言うと、いちばんに反応したのは月影さんだった。
「あ、でしたら席は私が。先輩は先に注文してきてください」
その言葉に、この子はすごいなと純粋に思った。たった数年ではあれど、先輩にここまで気が遣える人は少ない。まして男の先輩に対しての女性の気遣いだ。度胸というかなんというか、気遣いとはべつにそういうものも彼女には備わっているように思う。
「ありがとう、でも大丈夫だよ。月影さんがここに残ってもらうとしたら、桜田さんも月影さんもひとりになってしまう。社員食堂だから大丈夫だと思いたいけど、なかには篠原みたいなヤツもいるかもしれないし、月影さんは桜田さんと一緒にいるほうが気が楽でしょ?」
俺の言葉にうしろで文句を言っている篠原は置いておいて、口をモゴモゴとさせる月影さんにもうひと押しと言葉を続ける。
「それに俺、まだなにを頼むか決めてないんだ。みんなが注文している間に俺もここで注文するもの決めるから」
諦めたような表情をした月影さんは、分かりましたと素直に頭を下げた。三人はそれぞれ自分の食べたいものを注文しに向かう。
「ふぅ……」
やっと一息つけた、という感じだ。べつに人といることは嫌いじゃない。だが、好きでもない。感情を表に出すのも苦手だから、後輩に優しく対応するのも俺にとってはひと苦労だ。
「これで合ってるのかな……」
イマイチ自分の後輩への対応があっているのか分かっていない。コミュニケーションを取ることは、昔から苦手だった。
俺がそう悩んでいるところにいちばん最初に戻ってきたのは桜田さんだった。
「高瀬さぁん、注文するもの決まりましたかぁ?」
「あぁ、うん。決まったよ」
うそだ。いや、まぁこれに関しては間違ってはいないが、注文するものなんて最初から決めていなかった。決めようとすらしていなかった。食にこれといったこだわりはない。いつも食券販売機を前にして注文するものを決める俺には、事前にメニューを決めるなんて面倒な習慣はなかった。
月影さんも戻ってきて席にふたりが座ると、俺は食券販売機に向かった。
「トンカツでいいか……」
三百円を入れてトンカツ定食のボタンを押す。食券と五十円のお釣りを受け取り、おばさんに食券を渡す。ちぎられた半券を受け取り、少し待つ。
「トンカツ定食七番でお待ちの方〜」
しばらくするとそう声が聞こえた。半券をおばさんに渡し、トレーを受け取った。コップに冷水を注ぎ、三人のところへ戻る。
「あ、来たきた〜」
「食べててよかったのに」
空いていた篠原の隣に座る。食事には今ひとつ手をつけず雑談をしていたらしい三人、主に篠原に言った。
「いいよ、お前俺に席取らせるときいつも待ってくれてんじゃん」
とりあえず殴っておいた。
***
『いただきまーす!』
『いただきます』
手を合わせてそう挨拶をして昼食を食べ始める。ちなみに、月影さんは野菜炒め定食、桜田さんは親子丼、篠原は相変わらずの唐揚げ定食だった。
「お前いつもそれだから社食飽きるんじゃないの」
「いや、唐揚げは外せないっしょ」
「お前それ、主菜に使う言葉じゃねぇし」
サラダの上にかけられたドレッシングを均等にするように混ぜ、ひとくち食べる。今日のドレッシングは和風だった。ありがたい。
「へいうは、へんはいっへいはいほはえうんれふれ」
篠原の前に座って食べていた桜田さんが口いっぱいに食べ物を含ませながらそう言った。ひとことすら聞き取ることができなかった桜田さんのそれに、えっ、とつい戸惑いの言葉が出てしまう。が、そのとき。
「ももちゃん、ちゃんとゴックンしてから話しな。お行儀悪いよ」
「んふふ、はぁいっ」
その桜田さんの隣に座っていた月影さんが彼女に言った。言われた桜田さんは笑顔で返事をする。なんというか、まるで親子のようだと感じた。そういえば、彼女たちは同じ大学出身だった気がする。
口にあった食べ物をゴクッと飲み込んで口の中がカラになった桜田さん。そんな彼女が発した先ほどの話を聞く前についこちらの口が開いてしまった。
「ふたりは仲がいいんだね」
「いえ、べつにふつ」
「そうなんです!詠美ちゃんとあたし、すごく仲がいいんです〜!」
月影さんは僕の言葉にべつに普通だ、と返そうとしていたのだろうけど、桜田さんが元気に返したその言葉に少し照れたような表情を見せた。どうやらふたりの仲がいいのは本当らしい。
「ちなみに、俺たちも仲良し」
体が右側に寄せられたと思ったら、篠原がそう言って肩を組んできた。俺はそれに抵抗することなく、でも篠原に構うこともなく定食を食べ進めていく。が、そのとき、それに不満な顔を見せた篠原が食べかけの唐揚げを俺の口元に寄越した。
「お前な……」
「ヒヒッ。ほれぇ、食え食え」
俺たちがそうやって攻防を続けていると、それを見ていた桜田さんが大きな声を出した。
「詠美ちゃんヤバい!あたしたちマウント取られてる!はい!詠美ちゃんもあ〜んっ」
「はぁ……はいはい」
月影さんは諦めたように桜田さんから差し出された親子丼を食べる。彼女がどういう性格なのか、月影さんはよく理解しているように見えた。
「あっ、ほらぁまたももちゃんたちにマウント取られた。ほら高瀬食えよ〜」
「だから食わねぇって」
いい歳した男同士でなにやってんだよマジで。
俺は篠原の肩組みから抜け出すと、一度水を飲む。なんというか、コイツの相手、本当に疲れる。
その後も雑談を続けながら食事を取り、昼休みの半分以上が経過して食事もほとんど取り終わったときのことだった。すでに食事を終えていた桜田さんがモジモジと落ち着かない様子だったから、お手洗いにでも行きたいのだろうかとさりげなく言った。
「桜田さん、なにか用事があるんだったら行ってきていいよ。昼休みが終わる少し前まではここにいるから」
女性からお手洗いに行きたい、とか言いづらかったか、と少し反省した。自分では気を付けていたつもりだったのだが、まだまだ配慮が足りなかったようだ。
「い、いえ!」
桜田さんは大きく首を振って、慌てたように言った。お手洗いではなかったのか?それとも意図に気付かなかったのか。
「ちょっと考えごとしてただけです!」
「考えごと?」
どうやら本当にお手洗いではなかったらしい。いろいろな不安がそのひとことで否定されて少し安心した。
「……あの、さっき……ていうか、その……」
口をモゴモゴとさせてなかなか言葉が出てこない様子の桜田さん。なにか悩みがあるのかもしれない。
「うん、ゆっくりでいいよ」
俺がそう言うと、桜田さんの頬が少しずつ赤くなっていった気がした。熱か?
「えっと……高瀬さんと詠美ちゃん、雰囲気いいなぁって思って……その……彼女さんとか、いるのかな〜って」
「えっ?」
「へっ……」
「……ん?」
***
デザートのゼリーを掬う手が止まる。俺は一体、後輩になにを聞かれているんだ。
「か、彼女?」
「あ、えっと、全然答えなくてもいいんですけど!なんか、ちょっと気になっちゃって!あ、ほら!高瀬さんって女の人との接し方っていうか?そういうの上手いし、やっぱり彼女さんがいるからなのかな〜って!思っちゃって!」
慌てた様子でそう言葉を続けた桜田さん。顔がどんどん赤くなっていく。暑そう。不意にそう思った。
「……へっ」
立ち上がって彼女のおでこに触れる。よかった、熱はない。
再び座ると、篠原から変な顔をされた。
「なんだよ」
「……いや、お前ってそういうところあるよな〜って思って」
「……は?」
今まで暑いくらいに感じていた食堂から温度が消えていく。人が減っていった証拠だ。時計を見るとすでに十三時五分前。そろそろ戻らなければ。
「時間だ。片付けて行くぞ」
「ヘーイヘイッ」
片付けを始める篠原と月影さん。そして少しシュンとしているように見える桜田さん。俺はトレーを持ち、彼女の隣に行くと言った。
「ごめん、さっきの。俺、彼女いないよ、今まで一度も。……距離近すぎたかな」
桜田さんは一瞬で表情が変わり、いつも通りの笑顔に戻った。
「そうだったんですね!いえ!これからも今まで通りでお願いしますぅ!」




