第Ⅱ話 憎悪の炎
血の筋を辿り、あたしは大樹の根元までやって来た。
脚を止め、息を吸う。
「ほう……」
大樹の手前——こちらに背中を向けていた男が、振り返った。
「意外と、早かったな」
あたしは、脚を止めた。
よく、見知っている人物だった。
忘れようとしても、決して忘れることのできない相手だ。
魂に刻まれている、といっても言い過ぎではないだろう。
銀色の髪を、背の中程まで、まっすぐに伸ばしている。
白い肌に、きりっとした薄い唇。
女性のような容姿で、動きなども洗練されているが、敵に対しては苛烈で、容赦がなかった。
氷帝——と、彼のことを呼ぶ者もいた。
「想定よりも早かったが——手遅れだったな」
「……リースヴェルト」
あたしは、にらみつけるように、彼を見た。
そのリースヴェルトが、手にしていた剣をエルカから引き抜いた。
エルカの体がびくり、と揺れ動き、そして、大樹に背中を預けて、もたれかかった。
あたしは、血に塗れたリースヴェルトの剣と、エルカを見た。
——よりにもよって、こんな場面、見たくなかった……。
絶望で、この場に膝をつきたくなる。
「アシェイラ……」
エルカが、あたしを見た。
大樹の幹が、そのエルカの血で濡れていた。
純白のエルカの聖衣が切り裂かれ、傷口から溢れた血で染まっていっている。
「エルカは、わたしが殺す。彼女の招魂殻は、わたしが破壊した。死に戻りをすることは出来ず、魂もここで失われることになる」
あたしは、エルカの体を見た。
胸が切り裂かれ、かなりの深手を負ってしまっている。
招魂殻とは、あたしたち、来訪者の肉体に特殊な能力を与える、源泉となっているものだ。
もともと、あたしたちはこの世界の生まれではない。
一度死に、魂だけの存在となって、未来の地球へと呼び寄せられたのだ。
現在——この世界はメディシアンと呼ばれている。
アシェイラが生きていた時代から、どのくらいの年数が経過しているのか、はっきりしないが、ここは遙か未来の地球らしい。
その召喚のきっかけとなったのが、招魂殻であり、魂に刻まれた記憶から作られたのが今の肉体、ということだった。
はじまりの森に入る以前から、あたしは自分の体から、エルカの加護がなくなっていることに気づいていた。
エルカは大聖女——砦のアリアンフロッドの戦士たちを守護し、常に治癒の力を与える能力を与えているはずだった。
それが、ないと言うことは——。
あたしは拳を握りしめた。
——エルカをはじめとする、アリアンフロッドの戦士たちは、死ぬことはない。
肉体が死んだとしても、砦に用意されている、リスポーンゲートへと転送され、そこに用意されていた新しい肉体へ魂が転送され、また活動をはじめることが可能となる。
しかし——今頃、砦はアルフィリン帝国の兵士どもに占拠され、リスポーンゲートも破壊されてしまっているのだろう。
今度こそ、肉体が死ねば、魂も失われてしまう。
エルカもまた、二度と復活することはないのだ。
——やめて!
リースヴェルトに懇願し、彼の意志を変えることが出来るのなら、平伏してもいい、とさえ思っている。
だけど——そうはならないことは、もはや明白だろう。
「——このエレド王国は、私の手によって滅亡する」
リースヴェルトが、告げた。
あたしを見据え、目を合わせて、そう言った。
「どうして——こんなことをする?」
「アルフィリン帝国のためだよ。帝国の方針とわたしの意志は、今や一致した。それに——あの地下神殿の秘密を目にした者は、ひとり残らず、殲滅せよ、とのことだ。残りの仲間は既にわたしが殺した。残るは、エルカとおまえ。ふたりだけだ」
リースヴェルトが、血で紅に染まった剣を、あたしに向けてきた。
「おまえの寿命は今日、尽きる」
剣からは、まだ血が滴っていた。
エルカの血だ。
このままでは、エルカは死んでしまうだろう。
彼女を救うのだとしたら、やることは決まっている。
リースヴェルトを倒し、ここから、ふたりで逃げ出すのだ。
「尽きる、だって? 流された血は、必ず、あんたに購わせてもらう。雑魚どもではなく、リースヴェルト。あんた自身の血で、だ」
……ここで、死んでしまってもいい。
エルカと共に、魂が失われてしまうのなら、それでもいい。
だが——そうはならないことを、あたしは肌で感じてもいた。