表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

9/14

*009*マイナーエルフは切望する

 

 朝ごはんを食べ終え、ほっと息をつく。

 今までは『生き残るため』の手段で餌だと思っていた。

 カビ臭く石のように硬い粉を丸めて焼いただけのパンと腐りかけの屑野菜が僅かに入ったドブ川の匂いがする水。ご主人様が変われど、エサはどこも似たり寄ったりだった。

 1日に1度のそれは、ヘマをしたり気分次第で抜かれることが多々あった。

 同房の人達に奪われる前にかっこんだっものだ。



「今日もたくさん食べたわね。見てるだけでお腹いっぱいだったわ」


「…………ごめんなさぃ」


「どうして謝っちゃうかなぁ。たくさん食べるのは良いことだと思うわよ」



 ユエさん曰く。

 レッサー・エルフは食欲旺盛で、平均1.2メートルの小柄な体躯にも関わらずトロール並みの大食だという。

 トロールというのは、巨人種でとても大きくて怪力なんだとか。闇市にも出品されていたけど、確かにでっかくて強そうだった。



「君は年齢の割に小柄だからね。成長期なんだし、たくさん食べて大きくなりなさい。ねぇ、キリクくん?」


「80センチは、レッサー・エルフの30代の平均だが……食欲があるにこしたことはない」



 オブラートに包んでくれたようだけど、正直ショックだった。

 ユエさんによると、わたしは推定50代。

 ヒューマン換算だと精神&身体年齢は10歳くらいらしい。

 チビで愚鈍と言われてきたけど、そんなに小さいとは思わなんだ。

 ちなみに。年齢だけならヒューマンで言うところの中年期にあたるみたい。

 エルフは総じて長命らしいけど、なんだかなぁ。



「…………ますたー、すごぃ。なんでも、わかる」


「なんでもは過言だが。まあ、仕事柄な」



 ダンジョンガイドというのは、ダンジョンの構造やトラップの配置、エリアごとの生態や環境調査を先行してするという。

 魔物や種族はもちろん魔道具や魔法など。さまざまな知識が必要なんだとか。

 何だか、すごい方の従魔(ファミリア)になってしまったのは気のせいではないだろう。



「そういえば、エルフちゃんとか弟子ちゃんとか、君とか呼んじゃってるけど。なんて名前なの?」


「…………なまぇ?」


「ほら、私はユエでしょ」


「…………ユェ、さま」


「あっちのデカイのはキリクくん」


「…………あぃ」


「君の名前はなんてぇの?」


「…………れっさーぇるふ」


「それは種族名でしょう?」


「…………なんばー87」


「うん。それは固有番号よね」



 名前の意味は分かる。その人だけのことを指す呼び方。



「…………ぉぃ。ぉまぇ。ぇるふ」



 精一杯思い出したのだけど、ユエさんと総支配人さんは後ろを向いてしまった。

 ますたーは顔を上げてしまってよく見えない。



「報告では、幼少期に一族から放逐されたと聞いていますが」


「…………むのーなので」


「その頃はなんて呼ばれていたの?」


「…………さぁ」


「さあって……」


「レッサー・エルフは非言語化でのコミュニケーションが主流だ。群れの中で上位のカーストには固有名がつくこともあるが……」


「…………ドベなので」



 空気がどんよりとしてきた。

 まだ、午前中なのに……どうしてなんだろう?

 でも、今はそんなことより。



「…………ぁの、ますたー」


「今度はどうした。腹でも減ったのか」


「……………………なまぇ、ほしー。かも?」


「何故疑問形になるんだ」


「…………みんな、ぁる。ぃーなー、おもぅ」

 

「自分だけ名前がなく、周りが羨ましくなったのか」


「…………そーかも?」



 ますたーの言う通りだ。

 総支配人さんにも、猫っぽいおねーさんにも、歴代ご主人様たちにも。名前があるはずで。

 ますたーはますたーだけど、キリクさまって名前がある。

 わたしは、名前が羨ましい。呼ばれてみたい。



「ねえねえ姐さん」


「どうされましたかユエ支配人」


「キリクくんが心做しかお父さんに見えるんだけど」


「奇遇ですね。私もです」


「おいこら、誰が父親だ。まだ、そこまで歳食ってない」


「ねーパパ。娘ちゃんの名前どうするの?」


「本当は、用意してるんでしょうパパー。嗤って差し上げあげますから。さっさとゲロりなさいな」



 こめかみをピクピクとさせるますたー。

 ニマニマするユエさんに、真顔だけどどこかワクワクしてるように見えなくもない総支配人さん。

 対極なますたーとふたりを見比べていたら、総支配人さんに肩を叩かれた。



「時に、お嬢さん」


「………………」


「昨日の敵は今日の友と言いますし。警戒しないでいただけますか。泣きますよ」



 身体が大きく跳ね上がり、無意識に1メートルほど間合いをとってしまう。

 どうやら、昨日の総支配人室での圧迫感や恐怖心がまだ残っているらしい。



「うわぁ、総支配人が子供に怖がられてる。面白ーい」


「あれだけビビらせれば無理もないな」


「さすが、圧迫面接の鬼だねぇ」



 ユエさんの例えはよく分からないけど、ますたーも心做しか面白がっている。




「私が姉でキリくんが弟ですが。総支配人を務めております。アナスタシアと申します。以後お見知り置きを」


「…………ギルマネ、さま」


「アナスタシアです――アナ姉とでもお呼びください」


「…………アナ、ねーさま?」


「はい、よくできました。いい子なので飴ちゃんを差し上げます」


「…………」



 ますたーもだけど、どうして皆さんおやつを標準装備してるんだろう。



「さて、キリク支配人」


「あ?」


従魔(ファミリア)契約書の修正と、ギルド用の雇用契約書を発行するためです。今ここで名付けをしてください」



 唐突な司令に、ますたーは眉をひそめた。

 その後は沈黙し、熟考に入ってしまった。

 五分ほど経ち、急にこちらに向かって歩いてきたますたーは膝をつきわたしに目線を合わせた。



「名付けというのは元来、親や家族から受け取るものだ」



 淡々と諭すように言われ、わけも分からず頷く。

 肉親を知らず家族というものを知らない奴に名前などおこがましいのだろうか?

 なんて考えていたら、ますたーは言葉を続けた。



従魔(ファミリア)契約を結んだ以上、これからは寝食を共にすることになる。呼び名がないのが不便なのはたしかだが……見ず知らずの契約者に、これからの人生で何万と呼ばれることになる名前を託して本当にいいのか?」



「後悔しないのか?」と問われ、答えることが出来なかった。

 どうして急に、名前なんて急に欲しくなったのだろう?

 奴隷とは思えぬ扱いや環境の変化に、絆されてしまった?

 今までは命令されるがまま、疑問を持つこともなかったのに。



「…………わからなぃ」



 この一週間あまり。色んなことがありすぎた。

 ミジンコ以下の処理能力しか持たない頭では、とても対応しきれない。

『ご主人様』が世界の全てだったのに、奴隷ではなくなってしまい、唯一のアイデンティティとが中途半端になくなった。

 これから先どうなるのか不透明で、不安でたまないはずなのに。

 胸の鼓動が昂まり続ける。



「……ここ、いたぃ。どきどき、ざわざわ。こわぃ。でもたのしー」



 うん。支離滅裂がすごい。我ながら壊滅的な表現力だと思う。

 酷すぎて、泣けてくるほどに。

 そんな気持ちを、知ってか知らずか。ますたーは何も言わずに、ただ静かにこちらを見据える。



「……なまぇほしー。ますたー、ちょーだぃ」



 食べ物や非暴力を望んだことはあった。だけど、生命維持に関わらないことに執着したことはない。

 命令されるがままの人生で初めての気持ちに、正直戸惑いが大きい。

 おこがましいことは十二分に理解しているし、却下されて当然のこと。折檻されようと解雇されたとしても文句は言うまい。



「…………ラビ」



 聞きなれぬ単語に、首を傾げる。

 何かの命令だろうか。そうじゃなきゃ、聞き間違いか空耳?

 愚鈍な馬鹿なので、もう少し分かりやすい命令にしてもらいたいです。



「そんな命令、あるわけないだろう。素っ頓狂なこと言ってるとアメ食わすぞ」


「………ほめんふぁさぃ」



 間髪入れず、棒付きの飴を口につっこまれる。

 甘い味が口いっぱいに広がる。あぁ幸せ。

 ナチュラルに思考に対する返答をされてるけど、気にならなくなってきた。思考を覗く程度なら、ご主人様たちの趣味と比べたら可愛いものだ。



「そんな趣味は無い。不可抗力だと言ったろう」



 あれ?

 命令じゃなきゃ、一体全体なんだというんだろう。



「あくまで命令にしたいんだな。なら、これからお前はラビだ。以後、そう名のるように」



 これからはラビ。ラビと名乗るのが命令?

 ラビというのは、なんだろう。美味しいのかな?



「名前だ、名前。自分を食う気か」


「……ラビ」


「そう、ラビだ。俺はセンスというのがない。変えるなら今のうち――」


「……ラビ。だぃじする」


「おぅ」



 食い気味になってしまったのに、ますたーは怒らなかった。

 手を軽く振って『一服してくる』と言い、出ていってしまった。

 一服は知っている。ご主人様たちや奴隷商達が

 タバコを吸いに行く時に使っていたから。



「言い逃げですか。ヘタレが」


「カッコつけたから、照れちゃったんでしょ」



 背後の会話は右耳から入って、左耳に素通りしてしまった。

 胸の辺りがフワフワと浮くような、初めての感覚に戸惑う。

 けど、それ以上に嬉しさが勝って、何も考えられなかった。

 ラビ、それがわたしの名前。

 ますたーにつけてもらったこの感情を、忘れることは無いだろう。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ