*002*マイナーエルフの買われた意味
どうやら、わたしは買われたらしい。
バリトン声だということ以外、容姿も目的も不明で、現在は闇市を出て公道を闊歩する主(仮)に抱っこされているのだけれども。
「ん。どうした」
主(仮)が歩みを止めて、顔を覗くように下を向いた。
真っ先に目に入ったのは、真ん中に小さめのフィルターと両サイド少し大きめのフィルターらしきものがついた奇妙なマスク――ゴーグル付き防瘴マスク(迷宮仕様)と脳裏に浮かんだけど、なんの事やらさっぱりだ。
ちらっと見えた黒髪と血のような紅い瞳は鋭く尖っており、言い知れぬ不安と恐怖に駆られて失禁しそうになった。
「顔色が悪いが、大丈夫か?」
だいじょばないです。めちゃくちゃ怖いです。
なんてことは口が裂けても言えない。
何より、レッサー・エルフの群れにいた時から今日に至るまで。
命令に従ってきたものの、意見を求められることはなかった。自我を少しでも出そうものなら折檻されてきた。
疑問形で命令なのか判断できかねるし、不用意に口を開こうものなら、折檻してくださいと言っいているのと同意。自殺行為である。
「こんな形なのは、ダンジョンの帰りでな。怖がらせてすまない」
ダンジョンなら知っている。
放逐される前は、金目のものを漁りに潜っていたから。
奇々怪々な生き物の巣窟で、何度も死にはぐったけど、人里じゃ高額で売れたからよく覚えている。
「ぁぁぁぁぁのっ」
喉の奥から絞り出たのは、吃りまくりの素っ頓狂な声。
不用意な言動はしないと決めた矢先に、漏れ出てしまった声に、我ながら呆れ果ててしまう。
『異世界辞典』によるとレッサー・エルフは愚鈍で本能が理性を凌駕し、欲求を満たすまで止まらない暴走がデフォルトの種族らしい。
わたし自身、いくら思考を巡らせても言動は拙く語彙力に乏しく、理性が効かず体が勝手に動いてしまう。
今だって、主の真意が知りたくてたまらない。
何とか理性を保っていられるけど、狂気に走りそうで怖くてたまらない。
そんな気持ちを知ってか知らずか。主(仮)は静かに口を開いた。
「俺はキリク。便利屋みたいなものだ。IGOから違法な従魔取引の内定調査の依頼で、やむを得ず君を買った」
主(仮)の思いもよらない言葉に頭が真っ白になった。
「違法行為の言質を取る必要があったとはいえ、辛い思いをさせてしまった。本当にすまない」
IGO――国際ギルド機関の通称だとか。
『異世界辞典』によれば、ダンジョン関連の事業と業務遂行するギルドを統括管理する専門組織らしい。
主(仮)はそこから派遣されてきた調査員的な役割で、わたしは単に証拠品として無作為に買われたのだろうと推測できる。
「一旦、ギルドに戻り報告と事務処理をする。同行してもらえるだろうか?」
「…………めぃれー、なら」
「いや、命令ではなく」
「…………ぉーせのままに」
主(仮)は困ったように、フードの上から頭をポリポリとかいた。
正直命令もお願いも同義語で、事情はどうであれキリク様は主であり、契約に則り付き従うまで。
そこに意思など存在しないのだから。
「実は朝から何も食ってなくてな。飯に付き合ってくれないか」
「…………あぃ」
抱っこされたまま向かった先は、細い路地に露店が所狭しと並ぶ場所――バザールだ。
甘い匂い、辛い匂い、鼻がツンとする酸っぱい匂い。色々な食べ物の匂いがあちこちからする。
人通りも多く、ヒューマンが多数を占めているが、獣人や亜人と思わしき種族達がいる。
一族の元にいた時は、ダンジョンを塒に各地を転々としながら夜間に人里を襲い強奪したり、旅人やキャラバンを襲ったりしていた。闇市に卸に行くこともあったけど、ほとんどが地下街にあるので、日中の活気を初めて目にしたことになる。
情報量の多さと陽の気に当てられるわ、人酔いするわで、醜態を晒したのはいうまでもない。
「適当に買ってしまったが、食いたいものはあるか?」
「…………いーぇ」
「そうか。じゃあ、たらふく食べんさい」
「……………………?」
「なるだけ胃に優しくて消化に良さそうなモノを見繕ったつもりだ」
淡々と言いながら胸を叩く主。
食べろというのが命令なのだろうか?
今まで穀潰しだからと食餌は与えられず、腐りかけの屑野菜、硬くてカビの生えたパン、雑草を漁ってきたのに、出来たてホヤホヤのスープや卵とじのお粥を食べろと?
そんな奴隷にあるまじきことできるはずない!
「…………っ」
心と裏腹に体は馬鹿正直に、ごはんを汚く食い散らかしていく。
マナーがなってないと思うけど、これが本能というもの。
冷たいゴミを見るような周囲の視線が突き刺さるけど、そんなことは関係ない。
こんな美味しいごはん、一生食べられないだろうし、命令どおりたらふく食ったりますとも!
「……………………」
スープは、トロトロに煮込んだ野菜と1口大よりさらに小さいベーコンで、スープは鶏の風味が程よい優しい味。腐ってない新鮮な野菜が口いっぱいに広がっていく。おいしい。
卵は全然臭くないし、トロトロふわふわでおかゆはお米が芯まで柔らかくて、幸せな気持ちで包まれていく。おいしい。
「…………ごちそーさま、です」
1時間後。
無惨に食い尽くされた『ごはん』だったものを前に、我に返り死にたくなった。
よくよく思い返したら、主は食事に一切手をつけていなかった。
奴隷の分際で主を差し置いて暴食の限りを尽くすなど、言語道断。斬り捨てられて当然の失態であるはずなのだけれども。
「いい食べっぷりだったな。安心した」
「デザートもあるぞ」と、甘味を食せと命令する始末。
フルーツヨーグルトなるもの。
甘い果実や甘酸っぱい果実――大小色とりどりのフルーツなるものが、程よい大きさに刻まれて、発酵臭のする半液状の乳食品にバランスよく混ざっている。
ベリーソースがこれまた美味しくて、何杯も食べてしまった。
「感想は――聞くまでもなさそうだな」
淡々と言いう主にハッと我に返る。
ゴツゴツしてるけど大きくて温かい手だなとかアンポンタンなこと考えてる場合じゃない!
主は依頼で仕方なく、違法従魔を買わされたというのに、抱っこさせて移動するわ、食い散らかすわ……どんだけ醜態晒すんだ、わたし!!
「ごごごごごごめ……さぃ?」
土下座を止められ謝罪するも遮られ、殴られるのかと思ったら頭を撫でられ……意味が分からず顔を上げた時だった。
「あー……バザール飯はどうだった?」
「……おぃしー、でした」
「そうか」
命令とは違う何かに、思わず答えてしまった。
紅い瞳が、すっと細くなった気がした。
「腹ごしらえもすんだし、帰投しようと思う。いいだろうか?」
『異世界辞典』いわく。所属ギルドに戻ることを業界用語で『帰投』というらしい。
依頼は元締のIGOを通じてギルドに振り分けられ、依頼完了の有無に関わらずの報告や事務処理はギルドを通してIGOに行うのだとか。
納品等もギルドを通じて処理されるらしいので、証拠品を提出するまでが依頼なのだろう。
一々、証拠品への説明を行う必要は無いと思うのだけれど、口出しする権利もないので、命令理解の意味を込めて頷くにとどめる。
「最寄りの簡易転移所はすぐ近くにあるんだが。そのなんだ……まずは着替えるか」
着替えると言われてはたと気づく。
ワンピースとは名ばかりのボロボロの布切れ1枚で、首枷と足枷には鎖が中途半端に切れたままになっている。
『違法従魔』を絵に書いたような身なりの者を連れて歩けば、違法行為に加担していますと吹いて歩くようなモノ。
IGOとかいう国際組織なるものに属しているキリク様にとって、不都合極まりないもの。
せめて身分が分からぬようカモフラージュしろということか。
「…………あぃ、ごしゅじんさま」
「その呼び方はやめてくれ……いたたまれない」
依頼で仕方なく違法従魔を買わざるを得なかったとしても、こんなチンチクリンを連れて歩きたくはないだろう。
いくら叩き売り決算セール並みの安価だったから嫌々渋々と契約するに至ったとしても、視界に入れたくないだろう。
申し訳なくて、涙が出そうになったので舌を噛み痛みで何とか気持ちを紛らわそうとしたけど、意味はなく涙腺が崩壊してしまった。
「なっ」
困らせてしまっているのは重々承知しているし、身の程知らずの見当違いというのも承知している。
でも、気持ちが切れてしまって涙が止められない。
きっと身の程知らずの、おいしいごはんのせいだ。
「あぁもう、泣くな」
「…………っ」
「ほら、飴ちゃんやるから。落ち着け」
「…………むぐ」
飴ちゃんとやらは棒付きで、たいへんおいし
く、2ナメ3ナメする内に、いつの間にか涙が止まってしまった。
脳裏で『異世界辞典』が『ハッピーキャンディー』と解説いた気がしたのは、この幸せな気持ちと比べたら取るに足らない小さなことだ。