地区管理センター・地下3階 所長室
鋼鉄の扉が軋みながら開いた。
部屋の中は異様に静かで、空調の音すらしない。壁一面のパネルが、何かの動作ログを延々と吐き出している。
ローマンとヴォイドは、床に敷かれたラインの上に立ったまま待っていた。
その数メートル奥、デスクの前に男がいた。
所長──エルドリック・マーベリー。
年齢は不詳。軍人のような姿勢と、観察者のような目を持つ人物だった。
顔色は健康的だが不自然に滑らかで、声は低く、端正な響きを持っている。
「B2地区の報告書、まだ上がっていないようだが?」
ローマンが短く答えた。
「処理は完了しています。ただし、記録情報を含む反応物が複数確認されました。運搬ログは……」
「それは見た。だが、お前たちの振る舞いについては別件だ」
マーベリーは立ち上がることなく、テーブルに指を一本、コツコツと立てた。
「“第七デッキ南端のコンテナで、予告のない密閉処理を行った”とあるが?」
ヴォイドが口を開きかけたが、ローマンがそれを手で制した。
「危険な挙動が見られたため、通常手順では不適と判断しました。現場判断です」
「その判断が、いつからお前に許可された?」
「……規約第15項、即時封鎖措置の例外条項に従いました」
マーベリーはしばし黙り、ローマンを見つめた。
「私はお前の過去を知っている、クラウザー。記録部門で何を燃やし、何を見逃したのかもな」
ヴォイドが驚いた顔でローマンを見る。だが彼は反応しない。ただ静かに立っていた。
マーベリーは席を立ち、ゆっくりと2人のほうへ歩いてきた。
「都市の廃棄物は、“もの”ではなく“意味”だ。意味は誰かが拾えば形になる。お前たちが勝手に判断すれば、それは“改竄”になる」
ローマンは低く言った。
「意味を放置すれば、都市が喰われる」
マーベリーはローマンの前に立ち止まった。
「その役目を“お前たち清掃員”が担うなどと思うな。記録は上層で管理される。必要なものだけが燃やされ、不必要なものだけが残る」
ヴォイドが思わず口を挟んだ。
「じゃあ、昨日の“箱”──C1で見つけたあれは? 本当に、管理されてたんですか?」
マーベリーの目がヴォイドに向く。
まるで測定器のように、感情のない視線だった。
「“それ”に言及した時点で、君は少しだけ秩序の外側に足を踏み入れた。まだ戻れる。だが今後も余計なことを見つけたら、その足を切る」
ローマンがヴォイドを庇うように一歩前に出た。
「何が起きている?」
「都市が自己修復を始めた。“あなたが見ないようにしてきた過去”を素材にしてな」
沈黙。
マーベリーはゆっくりと戻り、再び椅子に座った。
「報告書には“異常なし”と記すように。上層の監査が入る。余計な詳細は必要ない」
「それで……私たちは?」
「引き続き任務に就け。ただし、B3以降の回収は本部許可制にする。
……これは、お前たちの“安全”のためだ」
その言葉には、明確な圧力と監視の意図があった。
ローマンとヴォイドは無言で部屋を後にした。
廊下を歩く間、ローマンはぽつりとつぶやいた。
「都市の中枢に近づいたな。誰かが、忘れさせたがってる」
ヴォイドは目を伏せながら問うた。
「ローマンさん……“あの声”は、誰なんです?」
ローマンは、わずかに口を結び、答えなかった。