帰宅部だった俺が、なぜか部活に引きずり回された三日間
「――さて、今日から“部活見学ツアー”が始まります」
始業式明けのホームルームで、担任が放ったその一言に、俺の脳内では“帰宅部”という名の楽園が崩れ去った。
帰宅部。
それは、何にも縛られず、放課後を自由に過ごせる至高の選択肢。
その自由が、“校則改定”の五文字で一瞬にして破壊された。
「佐藤ユウト、君は……茶道部な。今日の担当だ」
「……いや、ちょっと待って先生。俺、正座できない体質なんすけど」
「黙って行け」
はいパワハラ。令和の時代にこの対応はどうなんですか。
で、来たのがこの部屋である。
畳敷きの和室に、湯気を立てる釜。
真剣な顔で茶碗を拭く上級生たち。
そして空気を裂くような沈黙。
俺はというと、入口で体育座りのまま3分経過。
(やばい……なんか、笑っても怒られても詰む空気や……)
「……あなたが見学の方?」
上品そうな先輩が声をかけてきた。黒髪ロング、正座姿、睨まれてる気がする。
「え、あ、そうっす。えっと……帰宅部から来ました、佐藤です」
「うん。じゃあまず、静かに座るところから始めようか」
(こええええええ!!!)
そこからが地獄だった。
座ってるだけで背筋ピーン、しゃべったら目で殺される。
そして、正座が限界に達してきた俺の足は、ついに痺れから痙攣へ。
「……すみません、俺、ちょっと足が……死にました」
「……」
茶碗を持つ手が止まり、部屋に静かな圧が漂う。
「……無理はしないで。ただ、心は正座してて」
(意味がわからんが、なんかカッコいい……)
そんなときだった。
「佐藤くんってさ、悩みとかないの?」
部長らしき先輩が、お茶を出しながらいきなりそう聞いてきた。
「え、あー……悩みっすか。……テスト、悪くてもまあ進級はできるかな、とか?」
「……それ、悩みって言うの?」
「言わないかもっす」
その場がくすっと笑いに包まれた。ちょっと空気が緩んだ。
「でもさ、逆にそういう風に考えられるの、うらやましいな。私、なんでも抱え込みすぎて、最近ちょっと疲れててさ」
「……じゃあ、もう抱えんときましょ。俺みたいに適当に流されるのも、案外楽ですよ」
「……はは。流されてる自覚はあるんだ?」
「めっちゃあります。でもまあ、それでここまで来れたし」
部長が少しだけ笑った。
それを見て、他の部員もなぜか一息ついた顔をしていた。
部活の終わり際、部長が一言。
「佐藤くん。よかったら、また来ない?」
「いや……正座がね。命を削るからね」
「そっか……でも、なんか元気出た。ありがと」
なんかよくわからんが、俺、茶道部にちょっとだけ貢献してしまったらしい。
廊下に出ると、黒川アイ――生徒会副会長が腕を組んで待っていた。
「……意外ね。もっとやらかすと思ってたわ」
「いやいや、やらかしてたよ。俺の足はまだ死んでる」
「次は心霊研究部よ。ちゃんと準備してきて」
「準備って何。お札?」
「知らないけど……頑張ってね、“帰宅部代表”さん」
その目が、少しだけ笑っていた気がした。
2日目
「……ここで合ってるの?」
「ああ、合ってる。なんか、“今日だけ活動再開するらしい”って」
放課後、旧校舎の3階。
蛍光灯がチカチカしてる廊下の一番奥に、その部屋はあった。
『心霊研究部』
木製のプレートが傾いてぶら下がってる。正直、もうすでに雰囲気がホラー。
「さすがに今日の部活はパスして良くない……?」
俺が後ずさりしていると、横から黒川アイがきっちり言った。
「規定よ。逃げたら、明日は柔道部になるわよ?」
「物理か心霊かの選択肢、地獄でしかないな……」
ギィ……とドアを開けると、部室の中には人影が三つ。
みんな白衣を着ていて、部屋の中央には……こたつ。
「えっ、なんで和む方向!?」
「おう、見学の子か。入れ入れ。座布団そこな」
応対してくれたのは、眼鏡の男子。名札には“部長”と書いてあった。
「この部、解散したって聞いたんすけど?」
「うむ、正式には“休止中”や。だが今日は特別なんや」
部長が取り出したのは、1枚の古い写真。
校舎の前で、7人の生徒が並んで写っている――が。
「なあ、この写真……おかしいと思わん?」
よく見ると、一番左の人物だけ顔がぼやけている。
しかも、じっとこっちを見ているような気がしてならない。
「……うわ、やめて。ほんまにやめて」
「これ、2年前のや。文化祭の前日、このメンバーで“肝試し企画”の下見に行って……そっから一人、事故で亡くなってもうてな」
空気が一変した。
「……マジで?」
「せや。そして今日が、その日やねん」
その後も、曰くつきの写真や、録音テープを見せられ、俺のSAN値はゴリゴリ削られていった。
極めつけは、帰り際だった。
「じゃあ、部室の記録用に、1枚撮るか」
部長がスマホを取り出し、全員でパシャリ。
「ありがとー。あとで送るわ」
それから10分後。階段を降りながら、俺は写真を見た。
――そこには、さっきのメンバー5人に加えて、**“ひとり多い”**姿が写っていた。
女子生徒。セーラー服。顔は見えない。でも――確かにそこに“いた”。
「おい黒川、これ見て……」
「……これは」
黒川アイの表情が初めて、ピクリと強張った。
翌日、もう一度その部室を訪ねたら、ドアには張り紙があった。
『当部は活動を終了しました。御供養ありがとうございました』
手書きの文字に、白い小さな花が添えられていた。
「あの子、見てたんだね。みんなが集まってくれたの」
黒川がぽつりとつぶやいた。
「……幽霊にも、気まずい空気とかあるんかな」
「あなた、ちょっと霊感あるのかもしれないわね」
「うわ、やめて。次からお札持ってくるわ」
黒川は苦笑して、俺の背中を軽く叩いた。
「明日はeスポーツ部。少なくとも物理も心霊もないわよ」
「……いや、プレイヤーが人間なだけで、ゲーム内容は地獄やろ」
俺の受難ツアーは、まだ続くらしい。
3日目
「ようこそ、我が戦場へ」
放課後のパソコン室に入った瞬間、サングラスの男子がドヤ顔で迎えてきた。
そこには、並ぶゲーミングPCと、ヘッドセットの山。
そして何より、漂う“強い人しかいない空気”。
「eスポーツ部へようこそ。君が例の“帰宅部”か」
「なんで全員ちょっと上から目線なんすか」
「ここは“実力がすべて”の世界だからな」
(……ちょっとワクワクしてる俺がいるのがムカつく)
「今日のゲームは《ギア・クラッシュ》な。5対5のチーム戦。FPSのハイブリッドや」
「懐かしいな……中学のときちょっとやってた」
「お、経験者か? どれ、動き見てやろう」
彼らは知らなかった。
俺が中学時代、爆煙のYUTO”として名を馳せたことを――!
【試合開始】
スタート直後、俺はレーンを無視して単独潜入。
壁越しにグレネードを放り、敵2人を瞬殺。
右手でマウス、左手でエナドリ。目は死んでるけど反応は神。
「……お、おい、なんだこいつ……」
「無理、止められねぇ……」
たった一人で敵陣を荒らし、味方すら混乱させるプレイング。
気がつけば、実況用チャットには“懐かしの戦犯爆煙YUTO”の文字が踊っていた。
試合後。
「……お前、誰だよ」
「いや、ただの帰宅部っす」
「ウソつけ! 今の動き、完全に“あの”YUTOだろ!」
「だからそれ中学の話やって。もう引退したし」
「なにから!? なにに対して引退!?」
後輩たちに囲まれて、サインを求められそうになったところで、アイが乱入してきた。
「はいはい解散。調子に乗ってる彼は帰宅部です」
「えー! もったいないっすよ! 絶対エースなのに!」
「エースとか要らないんで。こいつはただの暇人です」
「え、俺そんなひどい?」
「だって、楽しそうだったじゃない」
……たしかに。
正直、あのときはちょっと“燃えた”自分がいた。
帰り道、アイがポツリと聞いてきた。
「……なんで辞めたの?」
「勝っても疲れるだけだったからかな。
あと、時間を使いすぎて、風呂で溺れかけたのが決定打」
「なるほど。意外とリアルね」
「まあ、今はちょうどいい。負けても怒られないからな」
「……それって、ちょっとズルいと思う」
「でも楽やで?」
「……ちょっと、わかる気もするけど」
そのとき、校舎の掲示板に貼られたチラシが目に入った。
『新設希望:帰宅部復活の会(仮)/発起人:佐藤ユウト』
「おい……俺、こんなん出してないぞ」
「出したのは私。最終日だもの。次は、自分の意思で参加してもらうわ」
黒川アイは、ニッと少しだけ悪い笑顔を見せた。
俺の“見学ツアー”は、明日で終わる。
でも、なにかが始まりそうな予感もしていた。
最終日
放課後。
校舎裏の、ほとんど誰も来ない空き教室。
そこで俺は、ぽつんと一人、折りたたみ椅子に座っていた。
机の上には、アイが勝手に作った部活申請用紙。
その名前――
『帰宅部復活の会(仮)』
「……(仮)ってなんやねん」
結局、今日だけ“自由時間を楽しむ会”として許可が出たらしい。
でもまあ、誰も来ないやろ、と思ってた。最初は。
「……あの、来ちゃいました」
一番乗りは茶道部の部長だった。
「いや、茶道部はどうしたんです?」
「今日は“お点前の気分じゃない日”なので」
その言い訳はアリなのか。
「あと、あなたの“あのときの無責任なアドバイス”、地味に効いたのよ。
今日くらい、のんびりしたくて」
次にやってきたのは、白衣の男子――心霊研究部の部長。
「よっ、例の写真、ちゃんと焼いておいたで。お供えもした」
「まじで供養したんすか……」
「した。あの子、笑ってた気ぃするで」
続いて、ゲーミングヘッドセットを首にかけた男子が登場。
「いやー、ここが伝説の“帰宅部の聖地”っすか!」
「いや、ただの空き教室やけどな……」
「でも、ガチ勢ばっかの部活に疲れてて。
俺、今日だけゲームじゃない時間過ごしてみようと思って」
なんか……全員ちょっとだけ、しんどかったらしい。
そんなこんなで、気づけば教室には5人。
誰も“特別なこと”はしていない。ただ、雑談したり、寝たり、本読んだり。
俺はというと、窓際の席でジュース飲みながらぼーっとしてた。
そのとき、ガラッとドアが開いた。
「……思ったより、楽しそうじゃない」
「ようこそ、我が“なんもしない部”へ」
「名前変わってるじゃない」
「そっちのほうが、俺らっぽいやん?」
アイは、ふっと小さく笑ったあと、俺の隣に座った。
「……いいわね、ここ」
「な?」
「でも、今日だけよ。明日からはみんな、それぞれの場所に戻る」
「知ってる。でも、今日があればまた来たくなるやろ」
しばらくの沈黙。
それを破ったのは、窓の外から吹いた春風だった。
放課後、誰かと一緒に時間を過ごすって、案外悪くない。
たとえばそれが、ただの空き教室でも。
たとえばそこが、“帰宅部の居場所”だったとしても。
この部活、けっこう忙しい。
――なにもしないことを、ちゃんと楽しむって、意外と難しいんだ。