今俺の事を呼び捨てにしたか?
「つまり、あの状況で名前を口にしていたら、現世に戻ってしまっていた可能性があるという事です」
十代後半くらいの見た目になったセレィシェが、俺の目の前で人差し指を立てながらそう説明する。今は俺のイメージによって、グレシャーブルーのオーバーサイズパーカーを着ているのだが、これがとてもよく似合っている。深い青のラインが想像通り髪色との相乗効果もあって映えてるなぁ。そんなセレィシェがテーブルを挟んですぐ目の前に居て、俺の目を見つめながらお話してくれているんだから、感激である。ところで……
「『戻ってしまっていた』ね。俺に現世に戻ってほしくなかったんだ?」
「言葉のあやです。あなたの目線での言葉選びであって、私としては戻っていただいた方が楽でしたね」
相変わらずつっけんどんで可愛い。ほんと、遠慮しない物言いをしてくれるのは嬉しいなって思うわけ。
「配慮する価値なしと判断したまでです」
「俺に対して判断してくれるなんて……! 俺に関心があるんだね!」
「呆れた人ですね」
セレィシェの呆れ顔が見れて俺としてはお得でしかないが、あんまり調子に乗っていると彼女が可哀想なので、多少は自重しようと思った矢先だったな、ということを、急に思い出した。
気を取り直して話題を元に戻す事にする。
「さっきの俺は、ここでの『イメージで像を結ぶ力』が強まっていたんだよね? その状態の俺が現世での自分の名前を言うことで、現世の自分に引っ張られちゃって、現世に戻ってしまうと。なんかあんまり理解できてないんだけど、いいかな?」
「大体そんな感じです。それと、別に理解しようしなくていいですよ。どうせ厳密には理解できませんから」
う〜ん、手厳しい。
「そもそも、この『イメージで像を結ぶ力』って何なの? 毎回そう呼ぶの大変だし、『具現化能力』、みたいに呼んでもいいかな? てか具現化してんのかな?」
思わず質問攻めをしてしまって、言い切るが否や『まずった……』と思ったが、時既に遅しである。言った言葉は帰らない。離してしまった鳥籠の鳥の様に〜。
「コホン。順にお答えしますね」
心の中で巫山戯た連想に耽っていた俺の注意を引く様に、セレィシェはわざとらしい咳払いをしてから、そう言った。そのわざとらしい咳払いが可愛すぎて死ぬかと思った。もう死んでるけど。HAHAHA。
「……『イメージで像を結ぶ力』は、特定の死者が『今際の際の場所』で行使できる力ですね。あなたが呼吸をしたり、手足を動かせることと同様に、その力の事を理解していなくとも、本能的に使用が可能な能力です」
滔々と語るセレィシェ。淀みない語り口は流石だ。尊敬しちゃう!
おっと、セレィシェがじっと俺を睨んでいる。折角話してくれてるんだからちゃんと応えなきゃね! 現にちゃんと聞いてたし!
「ふーん、わからなくてもいいんだ」
「ええ。行使に問題はありません」
「パソコンの原理がわかんなくてもパソコンは使える、みたいな事でもある?」
「その例でもいいですよ。要は『使い方と原理の理解は別』だということですから」
「そっかそっか。教えてくれてありがとね」
「いえ。これが役目ですので」
「そう。お役目お疲れ様」
「どうも」
働くセレィシェ尊過ぎ。あんまり仕事の邪魔しちゃ悪いなって思うけど、彼女にはほぼ無限の時間があるっぽいので、ほんのちょっとだけ俺の我儘に付き合ってもらいたい所存である。あ、また熱い視線を感じる! 話を戻そう!
「続けますね?」
「どうぞ」
そう言って差し出した手を降ろさずに、ティーカップの把手を摘んで紅茶を戴く。う〜ん、幸せ。
「次は呼び方でしたね。呼び方は好きにしたらいいんじゃないでしょうか。ただ『具現化能力』というのは、到底正確にその力を言い表している名称であるとは思えませんね」
「え、そうなの?」
「はい。『具現化であるか、又はそうではないか』という、そういう手っ取り早い判断基準も、あなたがた人類のものでしかありませんから。具現化だと思い込んでしまうと、出来ることが制限されるでしょうね」
「え〜そういうのって白か黒かってハッキリできるもんだと思ったよ」
「なんでしょうね、その様な二元論的と言いますか、二者択一を強制するような考え方を以ってして、全てを理解しようとしても、難しいかと」
「ふうん。二値的なものじゃないってことかぁ。量子コンピュータみたいだね!」
「近いと言えば近いかもしれないですが、あれはあくまで重ね合わせの話だと私は理解していますので、違うかもしれません。どちらかの可能性があり、観測するまでは確定しないという話だったと記憶していますが、そういう話ではないので」
「セレィシェは賢いなぁ」
「折角お褒めいただいているところなんですが、わたしたちからしたら常識なんですよ」
「君たちは賢いなぁ」
「はぁ」
あなたに影響されてバカになってそうで不安です、という心の声が聞こえた気がしたが、気にしないことにした。気にしないでセレィシェの事をニコニコ顔で見つめる。決してニヤニヤ顔にならない様に、せめて努めて気をつけたところは、誰かに褒めて欲しいところであった。
俺がそんな思考にまたトリップしていると、セレィシェもティーカップを手に取って、口元に近づけ、傾ける。
「あ、飲むんだ」
「ええ」
彼女がティーカップをテーブルに置くのを待ってから、思った事を告げる。
「てっきり俺がイメージしたものは飲んだりしないのかなって思った」
「そうですか。それ、自分で言ってて悲しくないですか?」
「ぴえん」
「その変に若者ぶる感じ、どうかと思いますよ」
「どうかと思われてたかー」
「ええ」
大体なんでもお見通しになってしまうので、皆まで語る必要はなんて無いのだろうけれど、皆まで語りたいので聞いてみる。無粋かな?
「嫌じゃないんだね」
「無粋です」
「ぴえん」
「ぴえん禁止で」
「グエー」
その時セレィシェが僅かに失笑したのを、俺は見逃さなかった。
「あれ、今のウケたん?」
「何がですか?」
「グエーってやつ」
まただ。
今度は顔を背けて、小刻みに肩を揺らしている!
この子、変な子だ!
「あなたに言われたくはないです」
瞬間向き直ってキッと睨んでくる瞳が美しすぎて、君の瞳に乾杯グエーって感じなのだけれども、これは言わないでおこう。どうせ聞こえてしまって、いるんだろうけれど。
「グエー禁止です」
「えー……」
これみよがしに悲しそうな顔をしてみる。もしかしたらウケるかもしれない。正直彼女のツボが全然わからんので、色々試すのである。
「笑かそうとするの禁止です」
「禁止多くない!?」
「私と一緒にいたいなら、聞いてもらいます」
「まぁいいけどさ」
「いいんですか」
「君が嫌なことはしたくないよ」
「じゃぁさっさと転生してくださいよ」
「それは無理」
「はぁ」
溜息をつくセレィシェが、しかしどこか楽しげに見えたのは、俺の錯覚だろうか、願望だろうか。
「願望です」
願望か。ヤベーな、俺。
「ほんとに。早く死んでください」
セレィシェはくすくすと笑いながら毒舌を吐く。
「死んどるがな」
「そうでした。では蹴りの許可を」
今度は右手の平を口の前に持っていき、露骨にハッとしたような表情を見せてから、ファイティングポーズをとる。
「なんでやねん! こっち何か悪いことしたかー?」
「存在が悪なので」
そう言う口元も、目尻も、微笑みを湛えている様に見受けられた。仮にセレィシェが楽しそうに見えるのが、俺の願望だとしても。俺はどう思われても構わないから、本気でセレィシェに楽しんでほしいと思っている。
「酷い言われようだ。こんなに君のことを想っているのに!」
「それ、なんだかストーカーみたいですね」
「ちがう」
「そうでした。ストーカーそのものでしたねしね」
「ストーカーちがう。あと君を置いては死ねないんだな」
「気にせず置いてってくださいよ。一人が好きなんです」
「え」
「え?」
「一人が好きなの?」
「……ええ、まぁ」
「ふーん」
「……なんですか」
「今、一人になりたい?」
「……そういうのって言葉で聞くものじゃなくないですか?」
「ごめんな気づかなくて」
「はい?」
「出来るだけ遠くに行くから……」
「ちょっと」
「実家に帰らせていただきます」
「うわいつものペースだった」
「ねえ今ちょっと寂しそうだったよね?」
「だる」
「セレィシェはツンデレだなぁ」
「うざ」
実際ちょっと寂しそうだったのは、セレィシェの持ち前の優しさなのか、サービス精神か、それとも本当に寂しいと感じたのか。こんなことを思うこと自体が、無粋なんだろうなと思う。だから振り払うように、別の方向に心を向ける。
「ところでお腹すかない?」
「急ですね」
「ご飯にしよっか」
「まぁ、あなたが何か食べたいのでしたら」
「セレィシェはやっぱ、別に食べたく無い?」
「そんなこと、言ってないでしょう?」
「うんそうだね。なんとなく嫌かなぁと思って」
「……ふうむ」
セレィシェはそう唸ると、大きな瞳を左上に移動させて何か考えるようなそぶりを見せる。いやほんと、目ぇでっけぇなぁ、睫毛も長くて、美しすぎんだろう。この胸の高鳴りをどうしてくれよう。どうもしないけど。
「えっとですねぇ、わたしはあなたよりその力のことを良く理解しています! だから、あなたが感じている様な『気持ち悪さ』みたいなものは感じ得ないんです! 原理がわかっているので! そしてあなたが私に何かを盛ることとかもないのだろうということも、ちゃんとわかってますよ。故に、食べたく無いとか、飲みたく無いとか、そういう理由で思うことはないんですよ?」
「なにそれめっちゃ可愛い。結婚しよ」
「あーあぁ……人が真面目に話してるのに、いちいちうっとうしいなぁ、もう」
「俺に毎日味噌汁を作らせてくれ」
「表現は古いのにスタンスは新しいんですねぇ」
「ダメすか?」
「私が用意してもいいですよ?」
「結婚オーケーってこと?」
「いえ。そうではなく」
「ガーン、だな」
「ふふ、私に『許可』を下されば、私が用意するのもいいかな、ってちょっと思っただけです」
「え、かわいっ」
「やっぱりやめときます」
「許可する許可する! というか大体のことは許可したいんだが! 俺を強制送還するとかそういうの以外なら!」
俺が言うと、セレィシェは今度は伏目になって、すごく複雑な、なんというか、『残念そうな』表情を浮かべた。ちょっと心配。あれなんか俺またまずい事言っちゃいました?
セレィシェが俯いたまま口を開く。
「……それは、あなたにとって、あまり好ましくない結果を齎すでしょうね。気持ちはわかりましたから、努努、大雑把な許可はなさらぬように。ご忠告申し上げます」
「おおう、急に真面目トーン。美しきかな」
「…………はぁ、疲れました」
「おやおや? 遂に疲れたね? 疲れることはないって言っていたのに!」
「きっとあなたのイメージの影響を受けているのでしょうね。あなたのせいです。全部あなたが悪いのです」
「なんか『あなた』『あなた』って言われると、古式騒然とした夫婦間の二人称みたいで、こそばゆいな」
「キッッッモ」
「え〜……」
「だって仕方ないじゃ無いじゃないですか! 他に呼び名が無いんですもん!」
そうなのだ。セレィシェに、『現世での俺の名前を俺が言えない様にする』という許可を与えてから、俺は自分の名前を忘れてしまっているし、そうでなくても、『現世に戻らず彼女とここで過ごす』と決めた以上は、俺は旧い名前を名乗る訳にはいかないので、俺は俺自身を指す固有名詞を失っている状態にある。これはちょっと面倒だ。
「じゃあなんか、セレィシェが付けてくれよ、名前」
「ええ!? 私がつけるんですか!?」
「うん、セレィシェが考えてくれたら、嬉しいなぁ」
「えぇ〜〜〜……」
そう言うが早いか腕を組み、右手を顎に当てて、天を仰ぐセレィシェ。眉間に皺を寄せてても可愛いね!
「うるさい」
怒られちまった。トホホ。
「……そういえばこの服の色、グレシャーブルーって言うんでしたっけ?」
「ん? ああ、そうだね。Glacier Blue……発音はどうなんだろう、ガレイシャって感じかも」
「じゃあそれで」
「ええ…」
「だってこの色が好きなんでしょう?」
「まぁ好きだけどさ」
「それくらいしかまだガレイシャのことを知らないので」
「早速使ってる」
「どうですか?」
「なんか日本人っぽくないよねぇ」
「文句ですか?」
「いえそんな、恐れ多い」
「じゃあ氷河で」
「ちょっと笑えるんだけど」
「ねぇ氷河〜」
「うわ可愛い。まさかの呼び捨て」
「なんでも可愛いんですね」
「なんでもじゃないよ。可愛い事にだけ可愛いって言ってるの」
「へぇ」
「それで、どうですか?」
「なんか可愛かったから、オッケーです」
「ちょろいなぁ」
「ちょろいかもね、君にだけね」
「キモいなぁ」
「キモくなくなるように努力すべきか?」
「自分で考えてください」
「あいよ」
「それじゃあ氷河、今日は何食べる?」
あまりの可愛さに、俺は意識を失った。