今際の際のなろう系
前方の青信号の交差点を直進する。
この交差点は大きく交通量も多いが、両脇の建物のせいで見通しが悪いことで有名だ。
なまじ交通量が多いので、減速するわけにもいかず、教習所などでそう教わる通り、先頭車でもない限りはじっくりと左右確認しながら侵入することなんて殆どない。
何故なら交通整理が行われており、信号は青なのだから。
現行の道交法や、交通マナー上これは未解決の問題である様に思う。
こういう交差点を通る時には、そういった考えが瞬時に頭を巡るのだが、実際の交通には流れがあり、交差点の中でブレーキを踏んで減速する方が危ないので、流れに沿って進行する他ない。
だからもし、信号無視の阿呆が横っ腹から突っ込んできても、対応することなんて殆どできない。
ハンドリングやブレーキアクセルの操作で、被害を抑えることは出来るかもしれないが、どう動いていればどうなったかなどというのは、神にしかわからない話だと思う。
まぁ、神がいればの話だが。
衝突の瞬間、俺はそんな事を考えて、自分の人生に起きた最悪のアクシデントを、なんとか受け止める準備をした。
熱を持った鋭い激痛が、徐々に冷めて鈍く感じられなくなっていく。
『ああ、これやっぱり、死ぬのかな。』
そう思っている内に意識は朧げになり、境目もわからないままに意識を奪われた。
「こんにちは」
目が覚めて最初に聞こえたのはそんな言葉だった。
視界は一面白と灰色のマダラ模様。
目の前には、人型の光。
「……こんにちは」
なんとなく反応してしまいながら、声の主であろう相手を凝視してしまう。
その人、いや人影は、光に包まれていて、顔はおろか、着ているものも、体型も、何も判然としなかった。
ていうか、眩しいです。
「どうも。返事をして頂けたのは久しぶりですよ」
「はぁ」
人懐っこそうな、それでいてどこか厳かな雰囲気のある声音だが、詐欺師なんかがこういう声音だったなぁと思う所があり、少し警戒を強めた。
それにしても眩しいです。
「詐欺師だと感じられているのですね」
「はぁ、まぁ」
さも『思ってることを言い当てましたよ』というのがますます詐欺師らしくて胡散臭い。
「そう感じる方もいらっしゃるでしょうね」
柔和な態度で、相手の考えや多様性というものを肯定し受容するような態度も詐欺師然としている。
これは持論だが『でしょうね』なんて言う奴に碌な奴は居ないのだ。
「そうですか。どう感じられても結構です。ところで、『私が何者か』よりも、あなたにとって重要な事が、あるのではないでしょうか?」
ふむ。そう言われればそんな気もする。流石は詐欺師だ、口が上手い。
「もう私は詐欺師で確定なのですね。こんなに心が読める詐欺師が居たとしたら、大した技巧です。」
ふむ。そう言われればそんな気もする。流石は詐欺師。口八丁手八丁。
まぁここは相手のペースに乗ってみるのも手か。
「ここは?」
「よくぞ聞いてくださいました。ここは今際の際の場所、死んだものがまず来る場所です」
「ふっ、死んだって? 死んだのにこうやって会話してるっての?」
翻って、相手のペースに呑まれまいという思いが不意に湧いたので、憮然とした態度で接してみるが、詐欺師は動じることもなく首肯した。
(厳密には、首肯したと思しき動きがあった。未だに眩しいです。)
「左様でございます」
「死んだ奴がどうやって話すんだよ」
「あなたは信仰心が乏しく、物質的なものを信奉しておいでの様ですから、不思議かもしれませんね。なるほど人の意識は脳内での神経伝達物質や電気信号の結果であると。とはいえ『量子脳』などの分野もまた存在しますし、まだまだ人が『意識』などについて解明したとは言い難いと存じますが、それでもあなたは前者を信じておいでなのですものね」
「話が長い」
とりあえず否定してみる。
「おっとこれは失礼」
「ほんとだよ。失礼しちゃうわ! プンプン」
大の男から似つかわしくない言葉が発せられることで、多くの場合、相手はペースを崩す。それを狙ってのことだ。
決して、巫山戯ている訳ではない。決して。
主導権は渡さん!
「あなたの思考に拘らずに事実だけを述べるのであれば、あなたはあの交差点事故で重体となり、そのまま息を引き取ったのですよ。そしてここにやってきたのです」
「俄かには信じられませんなぁ?」
「信じなくても構いませんよ。事実は変わりませんので」
「ふうん」
どうもやりづらい。こちらの思惑が全部のらりくらりと躱されるような感覚だ。
「今、あなたの中には疑問が沢山ありますね。そして、フラストレーションを感じておいでだ」
「まぁね。あんたが誰なんだとか。ここはどこなんだとか、人並みにね」
「先ほどもお伝えした通り、ここは今際の際の場所です」
「ふむ」
「死んだ者がまず至る場所なのです。」
「ハイ」
「そして私は、この今際の際の場所の、そうですね、担当者、といったところでしょうか」
「ほう」
「ご理解いただけましたか?」
「んー」
「ゆっくりでも大丈夫ですよ。時間はいくらでもあります」
?
時間はいくらでもある?
なんだか変だ。
「ハイハイ! 質問質問!」
年甲斐もなく子供の様なそぶりで挙手する。はたから見たら気味悪かろう。
「どうぞ」
詐欺師が手を差し出して促す。
(厳密には相変わらず眩しくて見えないので、そう見える様な動きをしたという所だが)
「ここが『死んだ人がまず来る場所』ってんなら、もっと沢山人が居て、もっと混み合ってるんじゃないかって気がするんですが、何で俺しか居ないんですかい?」
「尤もな疑問ですね」
「へえ」
一々同意されるのもなんだか癪に障るものだな、と思った。
詐欺師はさして考える様な間もなく応答する。
「確かに人類の思考する時間や量的な概念に照らし合わせると不思議かもしれませんが、人類が思考し得るまた別種の考え方及び言葉で説明するならば、『スケールが違う』という所でしょうか」
はぁん。スケールが違う、ねえ。
なんとなくわかるような、わからないような。
「んー……もっとわかりやすく言ってくれない?」
「はい。わたくしどもとあなたがたでは、時間の大小や物質的な量の多寡などというものが、根本的に異なっているのです」
「んん? それ言葉あってる?」
物質的な量の多寡って何だよ。
「ええ。そうですね……語弊があるかも知れませんが、『今際の際の場所は、一人一人に専用の空間があり、無限に思える時間が存在し得る』というような話でしょうかね」
どこぞのバトル漫画で見たずっと戦っていられる空間みたいだと思った。
「ふーん。随分とまぁ、都合がいいね」
「『都合がいい』というのも、人類特有の考え方ですね。現にこうであるのだから、ありのまま受け入れてみるというのも一つのスタンスですよ」
なんだこいつ急に。今までは『お好きにどうぞ』って感じだった癖に急に求めてくるじゃん。
「なんだか上から目線というか、生意気というか」
「そう感じられますか」
「ええ」
さっきから人類人類言っているのは伊達じゃないのか、普通の人間なら険悪になっていそうな場面でもどこ吹く風、詐欺師はニュートラルで柔和な態度を崩さない。
やるな。
「あといい加減、眩しいです」
「そうですか」
意にも介さないんかい。
「はい。光量を下げて貰えません? ライトなのか何なのか知らないですけど」
「私が光を帯びて見えるのはあなたが作り出している像であり、あなたのクオリアなので、私が操作するべきものではないと考えます」
俺が作り出している像? クオリア?
「クオリアって脳やらの処理器官とか、眼やら耳やらの感覚器官の人それぞれの性能差から生じるものでしょう? 死んだ人間にも関係あるんですか?」
「解釈は人それぞれですし、そう疑問に思われることも想定されています。そうですね、『死んだ人間が肉体を現世に置いてあの世に行く』という考え方だけに囚われていると、この状況を理解する妨げになるのでしょうね」
何言ってんだこいつ。
「えーっと、つまり死んだ人間は肉体を現世に置いてあの世に行く、訳ではないと?」
「そうは断言しておりません」
何言ってんだこいつ。
「あのさ、ハッキリしてくれない?」
「何でもハッキリできるという考えもまた、人類の生み出した願望でしかないかもしれませんよ?」
「うわ」
これだよ。
すーーーーーぐあやふやにしたがるんだから。
「さて、時間はいくらでもあるのですが、それでも本題に入りましょうかね」
「時間が無限にあるなら本題とかそうじゃないとか重要じゃなくない?」
「私は構いませんが、あなたは現世同様『疲れてしまう』ので、あんまり本題じゃない話を続けることは非推薦です」
「えー、現世じゃないのに疲れるの?」
「ええ」
「何で?」
「そういうものです」
「答えろよ〜」
「あなたが疲れてしまっては可哀そうですから」
「余計なお世話なんだよ〜」
「さて本題です」
「聞けよ〜」
「異世界転生、しますか?」
「は?」
急になろう系みたいな事言い出した。
その瞬間、
『パッ』
と目の前の人型の光が弾ける。
そして光のあった場所には、何処かで見た様な出立ちの、如何にも女神ですよ、という出立ちの、美しい女性が佇んでいた。
南極の氷や青の洞窟の様な、得も言われぬグラデーションの青い髪は長く、胸元までウェーブを掛けながら静かに流れ落ちている。
肌はこれぞまさに陶器のように滑らかで、雪のように真っ白という奴なのだろう。
大きな目や唇の紅がそこに映えていて、瞳の青は髪の色よりもより深く、吸い込まれるようだ。
耳はエルフのように尖っており、その先端には装飾の施された銀色のイヤリングが艶かしい。
何より小顔であり、体躯も華奢ながら、その羽衣のような被服から垣間見える体のラインは、抜群のスタイルの良さを物語っている。
ついつい、見惚れてしまった。
「先ほどもお伝えした通り━━━」
女性が口を動かし、清らかで玲瓏たる声が奏でられる。
「私の姿はあなたが作っている像ですから、あなたのイメージが変われば、私の姿も変わるでしょうね」
「好きです、結婚してください」
「ごめんなさい、無理です」
「ちぇ」
いかんいかん、あまりの美しさに求婚してしまった。
そして断られてやんの。
「じゃあ友達から!」
「……姿が変わった途端態度を変えるんですね」
「あたぼうよ! 世の真理ルッキズムに従ったまでです」
「そうですか」
「で、友達から?」
「無理ですごめんなさい辞めましょうそういうの」
「ちぇ」
畜生! 畜生! ダメか!
「じゃあ知り合いからで!」
「今だってもう知り合いみたいなものじゃないんですか?」
「え、オーケーってコトォ!?」
「ダメです無理です知りません」
「なんか性格も変わってない?」
「知りません」
「変わってるよ〜〜〜ねえなんて呼んだらいい?」
「いい加減にしてください」
「『いい加減にしてください』さんね! 変わった名前だね!」
「怒りますよ?」
「怒ってよ! 見てみたいからさ」
「……はぁ」
「ま、冗談はともかく」
「冗談だったんですか」
「オイオイ、お得意の読心術はどうした〜?」
「あなたの願望に引っ張られて上手くいかないんですよ」
「今願望と言ったか?」
「ハイ、言いました」
「きめええええええええええええええ、俺きめえええええええええ」
「そうですか」
「そうですよお嬢さん…もうお嫁にいけない!」
「そうですか」
「それ言えばいいと思ってるだろ〜」
「そうですね」
「もしかして:めんどうくさい?」
「ええ」
「ちぇ」
やはり相手の表情が見えるというのはいいものだ。
言葉の交わし甲斐があるってものだからな。
「それで、どうします?」
「んあ、なにが?」
「転生、します?」
「笑」
ついつい笑いが言葉として出てしまいました。
「異世界に転生できますけど」
「そんな馬鹿な」
「出来るんですよ、これが」
「何故?」
「そういうものなんです」
「あーもう質問に答えてくれない感じ?」
「ええ」
「くっ、ころせ」
「もう死んでますね」
「くっ」
俄かに塩対応。
仕方がない。
こうなったら奥の手を使おう。
「これから俺は一言も喋らんから、心を読んでね」
「はい?」
「心で会話しようね!」
「え」
「はい、スタート」
「あの」
そうしてこの子の考えなさそうな事を考える。
(『あなたの相手は疲れました。さっさと転生してください』って言ってよ)
「嫌ですよそんなの」
(嫌とかあるんだ)
「そりゃありますよ」
(ふーん。じゃあ完全にシステム的な存在じゃあないんだろうなぁ)
「何を言ってるかわかりかねます」
(急に理解力落ちるやん。どしてどして?)
「あなたのイメージに引っ張られてる結果でしょうね」
(その『でしょうね』って語尾めっちゃ好き)
「…」
(俺キモイね?)
「そうですね」
(その『そうですね』って塩対応も堪らん)
「…」
(『あなたの相手は疲れました。もう一回死んでください』って言ってよ)
「言いません」
(じゃあ思って?)
「思いません」
(ふーん、思わないんだ)
「え」
(じゃあずっと此処にいていい?)
「はぁ?」
(だって俺の相手に疲れてないんでしょう?)
「まぁ、疲れることはないですね」
(そして俺にさっさと転生して欲しくも、もう一回死んで欲しくもないんでしょう?)
「私にそのような意志はないですね」
(それでここは永遠に思える時間と無限に思える空間があるんでしょう?)
「確かにその様に申し上げました」
(じゃあもうずっとここにいるしかないやん)
「何故!?」
(だって君、綺麗だし)
「はあ」
(俺が今まで会ってきた中で一番綺麗だし)
「はあ」
(ほんと、付き合ってくれるまで居るから)
「じゃあ付き合いました」
(付き合ってくれた! やった! ずっとここで暮らそうね!)
「何故そうなる!!」
(その読心術、完璧じゃないとこも可愛いね!)
「あーもう、面倒な!」
(面倒という感情はあるんだなぁ)
「久方ぶりですよ、こんな風に思ったのは」
(俺がこれから色んな感情を思い出させてやんよ!)
「ごめんなさい、気持ち悪いです」
(よっしゃ! 気持ち悪いという感情を呼び起こしたぞ!)
「何言ってもダメなのかなぁ」
(そうだよ何言っても無駄だよ。俺はもう君とここで暮らすって決めたから。)
「強制送還したい…」
(ゲッ、そんなことできんの?)
「出来ないから困ってるんですけどね」
(よかった。 てかそれ俺に教えてよかったの?)
「別に禁止事項じゃないですから」
(俺が調子に乗っちゃうよって話なんだけど)
「うわ」
(これからよろしく、女神さん!)
「うわぁ…」
こうして俺は、今際の際の場所で、なろう系っぽい話を断って、なろう系っぽい女神とずっと暮らす事にしたのだった。
「勝手にまとめないでください。勝手に決めないでください。」
女神さんもわざわざ喋らないで、心で話してくれればいいのに。
「なんか嫌です」
つれないな。
「言っておきますけど、あなたとわたしがこれ以上の関係になることは万が一にもありえませんので」
やはりつれない。そんなとこもかわいい。
「キモ」
だいぶ素直になってきたな。いい兆候だ。
「それじゃあ末長くよろしく。こんな美人さんに会えるなんて、死んでよかったわ!」
「不謹慎ですよ、そういうの」
「不謹慎なの嫌い?」
「どちらかと言えば」
「ふむふむ、また一つ女神さんのことについて詳しくなった」
「その女神さんって呼ぶのやめてもらっていいですか?」
「じゃあ何て呼ぼっか?」
「うーーーーーん」
「悩んじゃうとこが可愛いね」
「何でも可愛いんですね、軽蔑します」
「軽蔑してる女神さんも可愛いなぁ」
「ほんと、嫌い」
「よっしゃ、好きと嫌いはなんとやら、ってね」
「早く転生してくださいね?」
「一生しない」
「もう死んでますって」
「そのギャグめっちゃウケる」
「ほんと嫌い」
これから二人で過ごす日々に胸を高鳴らせながら、俺は女神さんの事を見つめるのだった。
「無理…」