許して差し上げてもよろしくてよ、条件がありますけれど。
貴族間の婚約において、婚前から不貞を行うようなものは周囲からの信頼を失うのが世の常である。
そのため、大抵の場合は婚約破棄を行い、不貞を行われた家には賠償金が支払われ、不貞を行った人間は廃嫡し家から除籍された上で労働奴隷か娼館での労働かで、幾ばくかでも家に金を運ばせるのが大体の顛末だ。
しかし、イジドル伯爵家はそうする事が難しい状況にあった。
たった一人生まれた息子が不貞を犯したのだ。
それも言い逃れが出来ないような。
これで、他に娘か息子が一人でもいれば、そちらに跡取りを任せられたが、一人だけの子なのだ。
しかも遅くにやっと出来た子供だし、親戚から養子をと思っても、分家の分家筋でつい最近生まれた子くらいしかアテがない。
そういった内情を恥を忍んで相談したところ、婚約者であったラカン伯爵家の令嬢は淑やかに微笑んでこう言った。
「では、ご子息に要求いたします。
速やかに不貞相手と縁切りを行い、賠償金の金貨百枚を一年以内に稼いでください。
賠償金はご子息のお力のみで稼ぐこと。
商売をせず、金貨百枚をご両親や親類等から借金することは禁じます。
また個人資産を充当することも禁じます。
純粋な商売あるいは労働で金貨百枚を稼ぎ、また身辺を綺麗にすること。
これを果たしていただけたなら婚約破棄は致しません」
イジドル家当主はラカン家令嬢の優しさに感謝した。
不貞相手と縁を切るなんて当たり前のことだし、金貨百枚とて多少苦労はしても稼げるものだ。
何処かの宝石が出る鉱山で働いてくれば、その程度は貯まる。
平民でも大きな出費がある時は鉱山に出稼ぎに行くほどだ。
何せこの国は宝石の輸出が主な産業。
鉱山は貴重な稼ぎ場所なので、鉱夫の待遇も賃金も、買い取り価格も、大変優遇されている。
やる気があって体力もある平民なら、最低でも金貨百枚は余裕で稼ぐ。
運が良ければ数百枚は稼げるので、割と人気がある職業なのだ。
そりゃあ貴族令息が行くとなればちょっと厳しい環境かもしれないが、やらかしたことを考えたら一年くらい我慢しろとしか言えない。
贖罪の意味も込めて労働に精を出させる。
なるほど、よい方法ではないか、と、当主は思った。
なので当主はやり直しの条件を息子に伝え、今すぐ動き出しなさいと命じた。
息子は荷物をまとめ、個人資産を抱えて家を飛び出していった。
だから特に心配も何もしていなかったのだ。
一年が過ぎた。
ラカン伯爵令嬢は、幾つかの道具を抱えた従僕と、何枚かの書類を抱えた侍女と、騎士を連れて、一年ぶりにイジドル家へ訪ねてきた。
その数日前に息子が戻ってきていた事で、当主は心配も不安もなく彼女を迎え入れたのだが。
令嬢は受け取った金貨を袋から出し、秤に乗せた。
同時に従僕が一枚ずつ金貨の枚数を数え出す。
一枚ごとの厚みは決まっているので、専用の計算道具に嵌めていくだけだ。
「この金貨、全て偽物ですわね。安い塗料でそれらしく作り上げただけの杜撰なもの。
重さが違うのですぐに分かりましたわ」
「えっ!?」
貨幣の偽造は大罪である。
国家反逆罪の次に重いとされるほどの。
「ほら、ご覧になって。ここを爪で擦ると塗料が剥がれて中の青銅が見えますでしょう?」
「……確かに」
「しかも一枚足りませんわ。百枚ですらありません」
従僕の計算道具を指差し、くすくすとおかしげに笑う令嬢。
顔色が蒼白の息子。怒りでどうにかなりそうな当主。
「しかも、この一年、ご子息が何をしていたかご存じですか?」
「いや、てっきり鉱山で働いているものだと」
「不貞相手と小さな家を借りて二人で蜜月を過ごしていたと報告がありました。
近隣に聞き込みもさせましたが、四六時中発情した猫のような声が響いてきて迷惑だ、だそうです」
つまりは、そういうことなのだろう。
ラカン伯爵令嬢は笑ってこそいるが目は冷めきっている。
彼女がどういう気持ちで一年を過ごしたかは分からない。
しかし、この状況を知って尚手をこまねいていただけとは思えない。
既に次の婚約は誂えたろうし、「元」婚約者への断罪も準備万端だろう。
当主は頭を抱えた。
「今回渡された、この偽造金貨は司法院に事の経緯をお話した上で提出させていただきます。
ですので、罪人となる方との婚約は不可能として、婚約は白紙撤回とさせていただきますね」
「……致し方ないですな」
「ところでご存じですか?
貨幣の偽造は三親等先まで絞首刑ですのよ」
当人だけで済むと思っていたイジドル家当主は愕然とした。
ということは妻子ともども処刑されることが確定したのだ。
なんなら嫁いでいった己の姉や、婿にいった弟。妻の兄なども処刑対象となってしまった。
不埒な考えが頭を過ったのを察知してか、ラカン伯爵令嬢は薄く嘲笑を浮かべた。
「この場で私を害して無かったことにしようとしても無駄ですわ。
騎士を十人連れてきております。
あなたがたがどう喚いても、あなたがたを人質として脱出する程度なら造作もありません」
にこやかに告げられた言葉に、当主はもう言葉もない。
証拠となる偽造金貨の詰め込まれた袋を侍女に持たせて悠々と去っていくラカン伯爵令嬢を見送ることしかできなかった。
もし今から逃げ出したとて、司法院は速やかに国境に指名手配をかけるだろう。
国内の潜伏となったとて、誰が庇って手元に置いてくれるのか。
息子がしたようなちょっと家を借りて、という暮らしは、すぐにばれてしまうだろう。
詰んだ。
処刑の前段階で、当主はもう心から先に死んでしまった。
その後、令嬢は本当に司法院に偽造金貨を提出し、証人として侍女や従僕に証言させた。
結果としてイジドル家は直系が絶えた為、子が産まれたばかりの分家の分家が後を継いだ。
イジドル伯爵令息の恋人であった平民はというと、令息を誑かして貨幣偽造を行わせた共犯という扱いになり、同じく絞首刑。
イジドル家と同じく三親等内の親族も同時に処刑され、しかも久しぶりの貨幣偽造ということで、国の隅々にまでこの犯罪は報道されていき、たかだか銅貨一枚であっても、偽造すれば親兄弟やおじおば祖父母と共に処刑されるのだと知らしめる結果となった。
「一年の猶予を与えるだなどと不思議なことをなさると思いましたけれど、お嬢様は全てお分かりだったのですね」
「ええ。大人しく養子に後を継がせるようなら賠償金は考えて差し上げたけれどね」
喫茶室の中、午後のお茶を楽しむ主人に、侍女は仄かに苦笑する。
「お嬢様は時にお戯れが過ぎます。メアリは心配になります」
「あら。誠意には誠意を返しているじゃない?
悪意には悪意で返すけれど、それは当たり前のことじゃない?」
くすくすと楽しそうに笑ってマドレーヌを行儀よく口にする令嬢。
彼女はどうなるか分かった上でイジドル家に要求を突き付けていた。
そしてその行いはラカン家当主夫妻も同意してのものだった。
表向きは既に婚約は撤回されていたようなものだし、夫妻もそれを否定しなかった。
故に、優秀な令嬢の元には新たな縁談が舞い込み、その中で最もよいとされた相手との婚約の話も進めた。結果、明日には婚約式を行うことになっている。
夜に太陽が煌々と地上を照らす日が来る程度の確率で、改心した令息が条件を満たす恐れはあった。
しかし、そうなりそうならそうなりそうで、ご破算になるようラカン家の間諜が見張っていたのだ。
鉱山でまじめに働いているとしても、賭博に誘い込んで稼いだ金を全て失わせる、だとか。そういう。
要するに、彼女らは令息を許す気などかけらもなかったのだ。
罪人を出したイジドル伯爵家は今後大変だろう。
不名誉極まりない行いに手を染めた令息とその製造元は既にこの世にいないので、ある程度は優しい目もあるだろうが、それでも汚名はどうしたって残る。
跡継ぎとなる赤子が育つ頃までに挽回できるかどうかは、不運にも本家にされてしまった現在の当主夫妻に掛かっている。
と、言っても。
ラカン家は彼らが善良であるなら普通に付き合うつもりはあるし、ラカン家がそのように付き合うなら問題ないかと思ってくれる家は数多ある。
今後のイジドル伯爵家が善き家であるなら、ラカン伯爵家としても付き合いは続けるつもりがある。
何せ、イジドル伯爵家の領地で産出される砂糖はラカン伯爵家には必要なものだ。
果樹園を多く持つ関係から、ジャムを作るために必須だからだ。
その砂糖の卸値を下げてもらうための婚約、婚姻だったが、今回のことで五十年ほどは卸値を下げてもらうことで和解したので、家としては問題ない。
それでいて違う政略を結べたのだから、ラカン伯爵家は得しかしていない。
「ところでお嬢様。
これはメイド仲間の伝手で手に入れた噂なのですが」
「なぁに?」
「妹君の婚約者が放蕩人との情報が手に入りました」
「あらまぁ」
にっこり、と、しかし笑わない目。
ティーカップを音もなく置いた令嬢は、己の専属侍女をじっと見つめる。
「詳しく話してごらんなさい。
大丈夫よ、情報料はお父様に進言する時に交渉してあげるから」
また一つ、どこかの貴族家が潰れる予感を感じながら、しかし専属侍女は手に入れた情報を主人に捧げるのだった。
たまに見かける三親等ってどの程度の範囲?って調べたら割と広くて笑ってしまいました。
曾祖父母までいくんすね。孫とかも。ペットは入るのか入らないのか…。