婚約破棄、ですか?
R15は念のためです。
「ユリアンヌ、きみとの婚約は破棄させてもらう!!」
パーティーの序盤、招待客がほぼ集まり終え挨拶に勤しんでいる中、ユリアンヌはホフマン子爵令息のロバートに呼びつけられ、冒頭の台詞を浴びせられた。
それはまさに台詞。
王都では恋愛小説に感化された若者達の婚約破棄騒動が流行していた。先日、学園の卒業パーティーで第三王子殿下も男爵令嬢と真実の愛に目覚めたことを理由に婚約破棄を宣言されたという噂で、さらにその風潮は高まっている。
流行りの衣装に流行りの髪型をしたロバートは、流行りの婚約破棄もしてみたくなったのであろう。腰を抱いて隣にくっついているのは小説と同じように婚約者ではない少女だ。
しかし、言われたユリアンヌは困惑していた。
「突然そのようなことを言われても困りますわ」
普段と変わらぬおっとりとした話し方ではあるが、眉は下がり、瞳は潤んでいるようにも見える。
「きみは従姉妹であるセアラ嬢を邪険に扱っていると聞いた。身内のお茶会には連れて行かず、学園で会っても挨拶すらしない。そのような心根の冷たい女とは生涯を共にすることはできない」
ロバートは一気に捲し立て、隣に立つセアラの手を取り、熱い眼差しを向けた。
「僕は、美しく可憐で健気なセアラ。君と生きていきたいと思っている」
「ロバート様、喜んで」
セアラは夢見るようなうっとりとした表情で、プロポーズを受け入れた。
恋する二人は熱い眼差しを絡め合わせ、人目もはばからずに、唇を重ねた。
ついばむようなそれは、段々と激しさを増して彼らの興奮した息遣いが、静まり返ったパーティ会場に響きわたる。
主催者は運悪く本日のメインゲストの出迎えに出ており、誰かあいつら止めてくれ、と周囲の人間はいたたまれない気持ちでいっぱいだった。
そこへ、本日のメインゲストである辺境伯一家が主催者と共に会場入りした。
辺境を守るだけあり、当主もその息子も服の上からでもわかるほど鍛え上げられた体をしている。辺境伯夫人は細身ながらもキリリとした美しい女性だ。
息子の顔は父親には似なかったようで母親似の涼やかな美しい顔立ちだが、その表情は豊かだ。
「ユリアンヌ!」
愛しい者を見つけて名を呼び駆け寄るその姿はまさに尻尾をブンブン振る大型犬。
「レオナード様」
呼ばれたユリアンヌも嬉しそうに目を細め微笑んでいる。
どこからどう見ても相思相愛の二人である。
「今日は到着が遅れてエスコートができず、すまなかった。俺の婚約者殿は今夜も美しいな」
ユリアンヌの腰に自然に手を回し、犬のように顔と顔をすり合わせ、当たり前のようにいちゃいちゃしだした。
「そ、そ、その男は何者だ!僕という婚約者がいながら、浮気していたのか!?」
それまでの自身の行動は置いておいて、ロバートは激昂してユリアンヌに詰め寄る。
本来、子爵令息であるロバートは伯爵家令嬢であるユリアンヌにも、まして辺境伯家令息レオナードにも自ら声を掛ける権利はない。
しかし、今回のような色恋沙汰では周りの者もわざわざそこをたしなめたりはせず、成り行きを見守っていた。
「何を言っている?ユリアンヌは3年前からずっと俺の婚約者だ」
レオナードはユリアンヌを守るように抱き締めながらロバートを睨みつける。
「へ?ユリアンヌは僕と婚約して…」
「おりません」
普段はおっとりとしているユリアンヌだが、はっきりと否定した。婚約者だと思っていたユリアンヌに婚約を否定され、ロバートの頭は混乱している。
「だって小さい頃、うちの親も君の親も二人が結婚したら安泰だと、言っていたではないか」
「領地が隣同士で、年頃も近いわたくし達にそのような話は確かにありましたが、ホフマン子爵家はロバート様のお兄様が、うちの領地も兄が跡を継ぎますので、必要のない縁談でしたため結ばれることはありませんでした」
ユリアンヌはレオナードの腕の中で、こてんと首を傾げて言葉を続ける。
「そもそも、わたくし達、婚約の儀もしておりませんし、個人的にお会いしたこともありませんわよね?」
それでどうして婚約してると思うの?とまでは言葉にしないが伝わったであろう。
ロバートは目が点である。漫画なら青い線がサーと降りてきて「ガーン」と文字が出ている。
「ついでと言いますか、そこにいるセアラは義理のお母様の縁戚でして爵位を持たない商家の娘ですの。なので身内とはいえ父方の貴族の茶会には招けませんし、学園でお会いするといっても家業のお仕事で納品にいらしている時などはお仕事の邪魔になるかと思い、お声はかけませんでしたわ」
ユリアンヌの母親は彼女が幼い頃に病で亡くなり、数年後に今の義母が後妻として嫁いできた。義母の実家は男爵家であったが、義母の妹が嫁いだ先が商家であり、セアラはそこの娘であった。義母とユリアンヌの仲は良好ではあったが、呼んでもいないのに屋敷にやって来てはわが物顔でお茶をして帰ったり宝飾品を物色しようとするセアラには、皆手を焼いていた。
家業の商品を納めに学園を訪れたセアラと、授業をサボってフラフラしていたロバートが偶然知り合い、お互いの思い違いが噛み合ってしまい、今回のような話になったのであろう。
「どのような経緯であれ、幼馴染のロバート様と従姉妹のセアラが良縁に恵まれたようで嬉しいですわ」
抱きしめるレオナードを見上げ、「ふふっ」とユリアンヌは無邪気に笑った。
幼馴染とはいえ、学園での成績は底辺で素行も評判も悪く、幼い頃の親の世間話を真に受けて婚約していると勘違いするような男と、家業の納品という頼まれてもいない仕事を名目に男漁りに学園に入り浸っている従姉妹が一度に片付いてしまって、ユリアンヌは晴れやかな気持ちになった。
ちなみにセアラは父親の妾腹の子であり、貴族の血は一滴も入っていないけれど、真実の愛の前ではそんなことは些末なことであろう。
本日のパーティは辺境伯当主と親しい友人である侯爵が、辺境伯の跡取り息子の婚約を発表する場を設けるために開催した祝の場であった。
滅多に辺境の領地から出てこないため、王都での宴の開催という難題を引き受けてくれた侯爵に全て任せ、またあまり他人を頼らない辺境伯に頼られたことで侯爵も張り切りまくり、盛大に、たくさんの祝いをと、招待状をバラ撒きすぎてホフマン子爵家令息にまで渡ってしまったらしい。
本来は自分が招待されないような大きなパーティで調子にのって婚約破棄騒動を起こした子爵家次男。彼には継ぐべき領地も未来の官僚や騎士への道も元々拓かれていなかった。彼の家族は何年も前から悩んでいたが、これまでの計画通り領地で養っていくしかないだろう。
もちろん、婚約破棄騒動を起こされた当人の伯爵家やその相手の辺境伯家、主催の侯爵家、パーティへの参加者への謝罪は必要になるだろうが。
婚約をしていなかったため、婚約破棄の慰謝料が発生しないことがせめてもの救いだろう。
商家の娘であるセアラはこのパーティで顔が売れたことにより、素朴で可愛らしい顔立ちの彼女を見初めてくれる裕福な貴族の妾の誘いがあるかもしれない。
貴族に強い憧れを持ちユリアンヌの家に入り浸っていたセアラには幸運なことだろう。
ろくに計算も出来ず商家では穀潰し状態であったため、彼女の実家にも喜ばれる。
家柄も貴族のマナーも必要としない妾に求められるものがなんであるかはわからないが、本人も家族も喜ぶべき縁談がこれから舞い込むだろう。
ユリアンヌには実は前世の記憶があった。
子供の頃に高熱を出し生死をさまよったことがきっかけで、前世の記憶を思い出したのだ。
とはいえ、聖なる魔法が使えるわけでもなく、画期的な発明をしたり、珍しい料理を作ったりすることもなく、あまり口数の多くない、大人しく平凡な少女に育っていった。
転生チートなんてものには恵まれなかったユリアンヌではあったが、前世の大人であった頃の思考は残っていた。
体の弱い兄、女性が跡を継ぐことも可能である爵位。
関係の良好な隣の領地にはお誂え向けの次男。
あれ、もしかしてわたくしロバートをお婿さんに迎えて跡を継いじゃう感じ?
と気がついてゾッとした。
親の前ではいい子を演じ、大人の目がないところでは偉そうに指図をしてきたり、イジワルをする。
使用人への態度も悪い。領民のことも考えない。
興味があるのは王都で流行っているあれこれ。
会話もまったく合わず、人間性も好きになれそうにない。
ロバートだけは絶対に無理!
それからユリアンヌは考えた。
作戦その1、病弱な兄を健康にし、申し分のない跡取りであることを周囲に知らしめる。
作戦その2、万が一に備えてロバート以外の婿候補を見つけておくこと。
まずは作戦その1。
食の細い兄のために健康に良い食材を求めることにした。
農村地帯である領地では食べられる物に限りがある。
そこでユリアンヌは兄の健康祈願のための神殿巡りをすることを両親に許してもらい、自領から2〜3日で行ける範囲には限られたが度々遠出しては朝市などで新鮮な食料を調達したり、地元ならではの食材や調理法を仕入れてはせっせと兄に食べさせた。
魚はなかなか新鮮な物は難しかったが、地元の漁師が干物にしたものをわけてもらったり、乾燥させた海藻類、貝の佃煮など、自領ではあまり食べつけない食料を持ち帰っては兄に食べさせた。
特に隣国と海に面している辺境伯の領地の食料は兄にあったようで、少しずつ食べる量も増え、体力もついてきた。
恐らく、自領では補えないなにか不足していた栄養が賄えたのだとは思うが、詳しくないユリアンヌにはさっぱりわからない。
なにはともあれ、ベッドの住人であった兄は屋敷のなかであれば普通に生活出来る程度には元気になった。
何度も通っていた辺境の地で、ユリアンヌは辺境の騎士たちが行う辺境伯ブートキャンプなるものに興味をもっていた。
作戦その2のお婿さん探しも兼ねて、騎士と親しくなるためにも、兄をより健康にするためにも、辺境伯ブートキャンプを覚えて兄に教えてあげようと考えたのだ。
いっけん大人しそうな女の子がおずおずと騎士団の扉を叩く。
それも兄のために辺境伯ブートキャンプを覚えたいという健気さ、異性慣れしていない騎士たちのほとんどはユリアンヌに夢中になった。
なかでも辺境伯家の息子、レオナードは王都できらびやかに着飾り、噂話が好きなご令嬢ばかり見ていたため、世の中にはこんな健気な女の子がいるのか、と完全に堕ちてしまった。
レオナード自らユリアンヌの領地に足を運び、彼女の兄に辺境伯ブートキャンプやら剣の手ほどきやらを教えこみ、またたく間に兄を次代の領主候補にまつりあげ、ユリアンヌの両親に婚約の打診まで済ませてしまったのだ。
それからすぐに婚約の儀は執り行われたが、隣国との小競り合いが悪化したため、公の婚約発表のパーティーは延びに延びて、今回やっと行われる運びとなったのであった。
その晴れの日に、突然の婚約破棄騒動。
まさか婚約していない相手から婚約破棄されるなんて、当のユリアンヌも会場内の誰も予想できない事態であった。
とはいえ、大きな被害はなく、流行り物ということでちょっとした余興として皆の記憶に少し残る程度であろう。
今後、婚約破棄を実行する前に王家に婚約の儀の書類確認をすることが婚約破棄イベントの常識に加わることになるが、それはまだ誰も知らないお話。
ユリアンヌはたくましいレオナードの腕の中で幸せそうに微笑んでいた。
数ある作品の中から見つけてくださり、読んでくださり、ありがとうございます。
評価ポイント、ブックマークもとても嬉しいです。
誤字報告もありがとうございます。
何度も見直したのに誤字があって恥ずかしいですが、教えてくださりとても助かっています。