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ジャンピング・ジャック・ジャーカー

第111回 お題「GW」「羽目を外す」

 メモリアル・デーの前日の日曜、ミッドタウンのブルガリア・レストランに予約を取っていたはずなのだが、お名前がございませんと案内人に素っ気ない態度を取られ(前の秘書が辞める前に電話させたそうで、後から嫌がらせでキャンセルしたのだろうと言う文句は、給仕長が呼び出されるまで壊れたレコードのように繰り返された)結局金を掴ませて席を用意させる。

 つまりのところ、そんなことが許容される程度の格式でしかない店なのだ。なのにレオンは「去年のザガットで物凄い高評価だったんだぞ」とワインリストが持って来られる前から、何度も念押しする。挙げ句の果て、エイデンが締めてきたバーバリーをじろじろと眺め渡し「幾ら何でも子供っぽ過ぎないか」と来る。

 相手のテンションが高ければ高いほど反比例して白けるのがエイデンのさがだし、酩酊者の前では酔っ払うことが出来ない。ザワークラウトで作ったロールキャベツを肴に、極辛口のリースリング3本で泥酔した義兄が頭から突っ込むようにしてインパラの後部座席へ乗り込んだのは22時過ぎ。一方、不肖の弟はアンズのラキヤを3杯ほどショットで煽ったきり。

 ハンドルを握るトレントに至ってはクアーズだけ、酔いなどとうに醒めていることだろう。寝そべって天井を仰ぎ、オアシスのヒットナンバー(曲名をどうしても思い出せない)を鼻歌している背後の狼藉者へは、バックミラー越しに一瞥が投げかけられる。

「よく見とけよ、普段お前がどんな醜態を晒してるか」

 僕はこんな箍の外れた真似はしないし、シートの上に土足で上がったりしない。靴底を擦り付けるよう、時にずりずりと拍子を取るチャーチを同じく鏡で確認した後、エイデンはよっぽどそう言って反発してやろうかと思った。が、リキュールに燃やされた腹の底から、既になけなしの理性は蘇りつつある。

 心の声は、いかにもうんざりした様子でぼやき、首を振った。この車内にいるのは3人。2人が厄介者になれば、残りの1人は否が応でもクールなポジションへ押し上げられる。彼に良い目を見させるのはどうしても業腹だった、なんて考えている時点で、まだ酔っているのかも。495号線を降り、レオンの家、つまりエイデンの実家へ向かう為、すいすいと片手でハンドルを操る、まるで涼しげな横顔の憎らしさと言ったらない。糊をつけ過ぎて硬い襟に顎を埋め、エイデンはアルコールの充血も抜けつつある唇を緩く噛んだ。

 本当ならば、今隣にこの男がいることそのものが許せない。けれど兄に誘われた時、同席してくれるようトレントにお願いしたのは他ならぬ己自身だった。案の定、会社の地下駐車場で待っていたインパラを目にした途端、レオンは暗がりの中でも分かるほど露骨に顔を顰めたから、多少の溜飲は下がる。

 倹しい成果で満足しておくべきだったのだ。なのにエイデンは、早くもマスペスの下道に入った辺りで、「停めて」と一言、運転手に命じる。

 ぎっしりと路肩を埋める車の群れの中、奇跡的に空いていた閉じた倉庫のシャッター前へと、インパラは滑り込む。完全に停止するより早く、レオンは蹴り飛ばすようにして後部座席のドアを開くと、外へと転がり出た。

 彼が下手くそなグラフィティーの下へ盛大に吐き戻している間、トレントはそれまで良い子にして手をつけなかったジャケットの内ポケットへ手を突っ込んだ。傷だらけのジッポーと、ポールモールのパッケージを出す猶予など与えてやらない。手早くシートベルトを外すと、エイデンは年上の男の膝へ跨った。

「おい」

 短い一言は当然ながら、露骨に不機嫌な口調を以て吐き捨てられる。その癖、懐から出てきた無骨な手は、密着する体を助手席へ突き戻す事をしないのだ。だから調子になり、太い首へ腕を回す。吸い付いた唇は、ラム肉団子の臭みを取るため混ぜ込まれたスパイスのピリッとした刺激と、ヨーグルトソースの酸味、何だかこちらの舌まで冷たくなったような気がした。

 例え相手の反応がなかろうと、舐めたり噛んだり軽く吸ったり、まるで子犬がするような接吻は、こちらが満足するまで続ける。やがてエイデンは、すっかりアンズの味に塗り替えられたトレントの唇に、切れ切れの息を吹きかけた。

「義兄さんをびっくりさせてやろうよ」

「彼はもうとっくにびっくりしてるさ」

 すっかり呆れ果てた口調はやはり熱の欠片も見受けられない。普段の意地の悪さはどこへ隠してしまったのだろう。暗闇の中、コバルトブルーの瞳を覗き込む。

 非常に不躾で愉快ならざる事をされたと言わんばかりに、その目はぐっと一度窄められた。

「駄々こねるのもいい加減にしろよ、クソガキ」

 コルセットで縊るかの如く、腰を両手で抱えられたと思った時には、太腿がぐっと股間を押し上げる。あっとエイデンが表情を驚きに染めれば、ようやくトレントは笑ってくれた。エイデンをいつも堪らなく惹きつけ、怖がらせる、巧妙に模倣した人間の感情を一杯に貼り付けた形で。

「あれだけむっつり黙り込んでちゃ、そりゃレオンも場が持たなくて酒ばかり飲まなきゃやってられねえよな」

「僕、いい子に、してたよ。意地の悪いことも言わなかった」

「あたり構わず不機嫌を撒き散らして、兄貴に気を揉ませるのは良い子って言わねえよ」

 逃げようと身を捩るが、両の太腿にまで滑らされた手は頑強な強さで抑えつけるばかり、それどころかぐっと押し下げる真似すらした。そして硬い膝は益々、股間をぐりぐりと突き上げる。

 シートが軋む。車体が揺れる。外から見れば、中で何が繰り広げられているか、想像力の翼を羽ばたかせることは余りにも容易いだろう。事実とは違うのに──不幸中の幸いは、まだげえげえ言い続けているレオンの背中の完全無欠な強張りと弱々しさ。もうしばらく、あれが翻されることはないだろう。

 いや、セットされたいちごブロンドも汗ばみもつれた頭が微かに持ち上がり、いかっていた肩が少し落ちる。やめて、とエイデンが懇願した相手は、誰よりも弟を気にかけて、まともにしようと心を砕いている兄に対してだった。

 訴えはしかし、顎を掴む手に引き寄せられることで封じられる。強引に引き寄せられて唇を封じられながら、それでもエイデンは、哀れっぽい悲鳴をトレントの口の中へ放ち続けるしかなかった。やっぱり家族には、ここまで露骨な媚態を見せたくなかったし──何よりも、こうすることで、トレントが喜ぶ事を嫌になるほど知っていたのだ。

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