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第104回 お題「仲良し」「抱きつく」

 半年ぶり位に弟から電話が掛かってきた。「親父が庭仕事中にヘルニアを再発して手術をすることになった。もしかしたら歩けなくなるかもしれない」

 同意書にサインがいるのか、と尋ねたらそうじゃないと返ってくる。じゃあ勝手にすりゃあ良いだろとトレントが唸れば、同じ位の不機嫌さで「知りたいかと思ったんだ、それに会いたいかと」

「俺はどっちでも構わないが、向こうは会いたがってるのか」

 その台詞を最後に、弟は黙り込んでしまった。実際は30秒足らずだったろうが、まるで1時間にも感じる。

「そういうことを聞きたかった訳じゃない」

 例えこっちが顔を出しても、あの頑固親父の事だ、面会謝絶の札を投げつけて追い返そうとするかもしれない。

 警官をクビになった時点で、父は息子を敬遠していた。そりゃそうだろうな、とトレントは理解を示し、敢えて自ら接触を持とうとはしなかった。時が解決するなんて甘っちょろい事を信じている訳ではなく、あくまで、怠惰の言い訳だった。そんなことは、ちゃんと心得ていた。

「これを機に仕事を辞めるかも知れないとか言ってるしな。定年までまだ5年だぜ。皆必死で止めてる」

「3人の息子を立派に育て上げたんだぜ、ちょっと位の我儘許してやれよ。それとも金の話なら、多少は」

「それは大丈夫だ」

 大仰な溜息と共に、もう一度「それは問題ない」と繰り返し、弟は言った。

「面倒を見るのは俺なんだ、家内だって、隙を持て余した親父達に構われまくったらって、戦々恐々としてる」

「はっきり言やあ良いんだ、迷惑だって。思うに、孫のことを出すのか一番効果的だな。あいつらは爺ちゃんを嫌ってるってさ」

「嫌ってるのは兄貴だろ」

 兄弟の中で一番心根が優しく、何かにつけて連絡してくる弟だ。可愛がりたいとは思うが、問題は奴が、兄のことを理解していないという点。

「そうだね。つまりトレは、別にお父さんのことを嫌ってる訳じゃないんでしょう」

 戻ってきた寒さに、カウチでブランケットにくるまりながらそう抜かすエイデンは、さながら神託を告げるネイティブ・アメリカンの呪術師のよう。これが本当のシャーマンなら敬意を示す所だが、今のトレントは頭をはたいてやりたくて仕方なかった。

 妥協して手にしていたギネスの缶で頭を小突くに留める。まだプルタブを引いたばかりで殆ど口を付けていないし、中身はキンキンに冷えているから、エイデンは固く目を瞑って短い悲鳴を上げた。

「事実でしょ」

「事実でも知った口聞いたら痛い目見るもんさ」

「でも事実だ。僕だって」

 その次に来る台詞が何となく予測出来、トレントはもう一度、今度は拳骨を喰らわせた。

「お前の兄貴と一緒にするなよ。あいつは真性の間抜けだ」

「レオの悪口言わないで」

 眉を吊り上げて見せる癖に、確かに全面的に同意はするけれど、と、接続のおかしい台詞が続けられる。

「こっちは嫌っている訳じゃないけど、特段会いたいとも思わない。それって、仲は悪くないっていうんじゃない?」

「仲は良いんだよ。俺と奴は」

「そうなの?……何だか僕とトレ、重大な認識の相違が生じてるみたい」

 らしくもなく難解な言葉を使った延長上、滅多に使わない知恵を絞って考え込むこと数分、てっきりこの話題はもう終わったのかと、トレントはスマートフォンを目を落とし、グーグルを開いていた。ヘルニアだって? しかも再発とか言ってやがった、一体いつの間に……

「弟さんは結婚してないの」

 不意にエイデンが口を開く。

「してる。確か子供も2人」

「じゃあ問題ないね。一人じゃないんだったら」

「お前も案外前近代的な頭してやがるな」

 と言うより。トレントはすぐに気付いた。エイデンは恐れている。父親の介護が原因で、この生活が変化する事を。剰え、トレントがここを打ち捨てたいと思っている可能性を。

 胸に湧き上がった哀れみへ促されるまま、トレントは「奴だけじゃない、2番目の弟一家も、実家の近くに住んでる」と、先程から散々攻撃を加えた頭をわしわしと撫でてやった。

「言ってるだろ。親父は俺の事を嫌ってる」

 まだ疑心暗鬼ですよと示す、剣呑な煉瓦色の上目遣いに、思わず喉の奥で笑いを転がす。

「それとも、お前を連れてって、ヘルニアの前に心臓発作でくたばらせるかな」

「僕のこと、ご家族に紹介するの」

 予想していたよりも遥かに嬉しくなさそうな、と言うか殆ど嫌がっているようなテンションで、エイデンの声は低まる。

「介護なんか出来ないよ」

「だから、一回そこから離れろ。大体、ヘルニアなんかで要介護になってたまるか」

 若い恋人だ──実態はどうであれ、家族にはそう説明しなければならないだろう。兄弟達も、両親も、相手が男である事は案外すんなり受け入れそうだ。問題は年齢差と、何よりも、その身分か? 折り合いの悪い上の弟など、「親父じゃなくてお前の介護要員兼金蔓だろう」とでも毒付いてくる展開が、ありありと目に浮かぶ。

「うわ、ヘルニアってこんな事になるの? 痛そう……」

「大したことないさ。ほら、こうやって潰れた脊柱の軟骨を取り除いて、金具を入れてやれば」

 検索サイトで出てきた、膿盆に乗せられた元人体だったものの写真を見せてやれば、エイデンはワッと悲鳴を上げて腕にしがみついてきた。

「やめてよ! 僕がこう言うの苦手だって知ってる癖に!」

「親父さんのベッドを血まみれにしといてか」

「あの時は酔ってたから!」

 すっすっと指をスワイプして、実際に切開した腰へ金具を入れている写真などを次々に表示してやると、遂にエイデンはトレントの肩に顔を伏せてしまった。まるで離さないと言わんばかりの、強い強い力。子供の必死さだった。

 こりゃとてもじゃないが紹介できやしない。首を振りつつ、トレントは一番グロテスクな、手術中の患部を接写した写真を、むずかり振り当てられる頭へ近付けた。

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