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奴の首をお刎ね

第97回 お題「雪景色」「椿」

 昨晩のうちに帰る予定だったのだが、この雪だ。足止めを食らって結局実家へ泊まる羽目になった。

 古い邸宅らしく、夏は暑く冬は寒い自室は、空調とストーブを同時に稼働しても、30分経った今ようやく温かくなってきたという有様。

 本当はさっさと服を着替えた方が良いのだろう。だがエイデンはパジャマのまま毛布を頭から被り、足元を毛糸の靴下とスリッパで防備したまま、お気に入りのアルコーブへ座り込んでいた。

 窓ガラスに降りた霜を袖口で拭えば、外は一面白色に染まっている。道理で静かだと思った。庭師はもう仕事をしているのか、本来芝生がある部分へは緩やかに湾曲した足跡が連なっている。

 あの爺さん、昨日もエイデンと顔を合わせるなり「まだあのごろつきとつるんでなさるのかね」と来た。頭はコチコチ、心はカラカラ、きっともう10年はまともに女も抱いていないような、どうしようもなく低脳で、人の心なんかこれっぽっちも理解出来ないクソジジイ。レオンのことは旦那様と呼んで遜っているが、もしかしたらこれは兄弟の肌色の違いも関係しているかも知れない。賭けてもいいが、あの老ぼれは間違いなくトランプ支持者だ。

「暑いな、どれだけ暖房入れてるんだ、この部屋」

 ノックの後、レオンは返事を待たずに部屋へ入ってきた。それからカーテンの向こうの人影に気付き、「そんなところで風邪引くぞ」と呻く。

「お前、本当にそこが好きだな」

「狭いところは落ち着くんだ」

「だからって、こんな寒さの時に……全く変わり者だよ、お前は」

 狭いと言ってあるのに、寒いと自ら口にしたのに、レオンはカーテンの中へ潜り込み、這い上がってくる。

「昔から、何か嫌なことがあると、必ずここへ逃げ込んでたよな」

「母さんが死んだ時とかね」

 父さんの、と言わなかったのは良心だ。なのにレオンと来たら、うんうんと呑気な顔で頷いてみせるばかり。モカシン履きの足で、対面に腰掛けるエイデンの爪先を軽く踏んだりする。

「そう。あの時も一人で泣いてたよな」

「レオは僕を見つけて、泣き止むまでハグしてくれてたね」

 適当な事を言って流しておけば良かったのに、そう重ねてしまったのは、やはり寒くて、人の温もりが恋しいからかも知れない。ついでに調子へ乗って「長期休暇の時もね」と続けてしまう始末だった。

「兄さんが大学へ帰る時は、ここからずっと見てたんだよ。気付いてなかったみたいだけど」

「そうだったのか。声かけてくれたら良かったのに」

 エイデンに倣って、レオンも窓の向こうを見遣った。

 こうやって心の繋がりを持てたように思えても、レオンには永遠に分からないのだろう。あの時階下を眺めながら、エイデンが抱いていた生ぬるい愛情。「兄と僕は仲が悪くはありません」父を撃ち殺した時、事情聴取で口にした言葉が全てだ。

 対して今は、まるで雪も溶かしてしまいそうに強烈な嫌悪が、胸の中へ渦巻いている。奇跡的なバランスの上で調和しているべき場所を汚される怒り。

 足跡に気付いたらしいレオンが「デイルも仕事熱心だな」と呟く。

「あの人嫌いだ。クビにしてよ、レオ」

「何だって? もう40年もここで働いてるんだぜ。腕もいいし……あの木も、最近彼が植えたんだ」

 彼が指差した方向へ渋々首を捻じ曲げたが、暫くその小柄な木の居場所が分からなかった──嘘だ。重い雪を被っていようと、その赤い花は嫌でも視界に入ってくる。

「東洋の花だそうだ。この季節に咲くなんて、珍しいだろう」

「それはそう」

 けれどあの色は、広がる限りの汚れなき白さにおいて、明らかな違和感と化している。花が散っていないか確認したのだろう。庭師の足跡が寄り道をした形跡があるのも、余計に癪へ障る。

「でも、僕やトレに嫌味を言ってくるんだ」

「職人気質の頑固親父なんだ、頭が固いのさ」

「でも言って良いこと悪いことがある。特にこの家の主人の気分を損ねるようなことは」

「お前は若いから、父親みたいな感覚で気にかけてくれてるのかも」

 なら本当の父親みたいに撃ち殺して文句は言われないね、とぼやく代わりに、エイデンはちらちらとカーテンの向こうを見遣るレオンに視線を流した。

「彼のことを、トレのことをごろつきなんて……今時庭師なんて馬鹿みたいだ。季節ごとに期間限定で雇えば良いじゃないか、身一つで放り出しちゃいなよ」

「朝から随分ご機嫌斜めだな、まだおねむか」

「義兄さんは気がいいから、良いようにされないか心配してるんだよ」

 ふと、明らかに虚を突かれた顔で、レオンは目を瞬かせた。やがて、ハンサムなテディベアと言った愛嬌ある面立ちに苦みがまぶされ、それからくしゃくしゃとした笑みに変わる。

「お前は優しいな」

 大きな手で頭を撫でられ、エイデンは思わず毛布の中でぎゅっと身を縮めた。

 愛と憎悪。なんて大袈裟なものではない、どちらも。

 それに、優しいなんて大間違いだ。強く閉じた瞼の裏の闇をスクリーン代わりに思い浮かべていたのは、台所から包丁を持ち出して、あの爺さんへ後ろから忍び寄り、奴が振り向いた瞬間に喉笛をすぱりと真一文字に切り裂く妄想──残念ながら、包丁では首を切断するのは難しいだろう──無垢な色をした雪の上に飛び散る鮮血。

「下降りて来いよ。ココア淹れさせるから」

「どうせあの人と一緒になって、トレの悪口を言ってるんでしょう」

 アルコーブから飛び降り、毛布を引きずってベットへ戻る。トレントはお行儀良く寝たふりをしていた。だが、隣へ滑り込んできたエイデンに開けられた片目は明らかに悪戯っぽく、下手をすればエイデンより早く起きていたことは間違いなかった。

「後30分したら降りるから、そしたらココアを飲むよ」

 分厚い靴下を足だけで脱ぎ捨て、爪先を脹脛とマットレスの間へ突っ込めば「おい」と叱られる、が、トレントだって満更ではないはずだ。腹を当てている時の彼は、仕返しに、パジャマのシャツの中へ手を潜り込ませてこない。

 ぬくい手のひらが腹から胸元を撫でる安堵につかれた溜息、何よりも毛布と掛け布団の下のごそつきへ、これ以上立ち会っていたくなかったのだろう。レオンは首を振り振り、その場を退散した。

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