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何とかの深情け

第95回 お題「初詣」「着物」

 寝室は空調の調子が悪く、なのにまともな羽織物が無かったので仕方ない。部屋の隅に積んであった段ボールを漁って出てきた黄色いキモノへ袖を通すと、エイデンはベッドへ潜り込み、タブレットで映画を観ていた。

 組んだ腕へまとわりつくさらさらした布地に鼻先を押し当て、嗅ぎ当てる父の残り香。と言うか、ココナッツの匂いがする整髪料。彼が息子の前で、こんなものを身に付けていた記憶はなかった。率直に言って慎みのない男だったが、子供の前では一応遠慮していたのかも知れない。それとも父親としての矜持だろうか。

 だって冗談抜きで売春婦みたいだものね。冷たくなった鼻先を擦ればくしゃみが溢れる。撃ち殺したとは言えエイデンは父を嫌っていなかったが、甘ったるさに少し胸がむかつく。でもそれが彼だった。ありのままを受け入れなければ。

 父が色っぽいしなを作り、若い男を誘っていた姿なんか想像するな。何を不満に思うことがある。彼は子供達を飢えさせず、それどころか何でも与え、義務を立派に果たしていたではないか。

 彼を赦免すればするほど、己の罪が重くなるような気がする。今更責め立てられるのはごめんだった。特に1人では。

 誰か一緒になって糾弾されてくれる人がいたら、反論も出来るのに。気付けば意識は途切れ途切れ。中途半端な状況は良くないとタブレットを閉じて、そのまま丸くなったのは覚えている。そこから直接記憶を繋がれたかのようだ。乱暴に閉められる扉の音に、温かい鎧の中で身じろぐ。

 寝室へ足を踏み入れてきた気配に逡巡したが、結局エイデンは身を起こした。奇天烈な出立ちに、トレントは明らかに嫌悪を催したようだった。

「そんなもん、どこから見つけてきた」

「そこの段ボール。父さんのだよ」

「知ってる」

 首を振り振り吐き捨てた後の彼の行動は、ゲイシャに乱暴するヤンキーそのものだった。こちらへ歩み寄り、エイデンの肩を掴むと、キモノを乱暴に剥ぎ取ろうとする。結局たっぷりした袖が蟠り、布は背中の半ばで止まってしまった。

 俯せに押し倒された時にようやく、身動きを封じられたと気付いたのだから、己も間抜けだ。釈明を求めたが、トレントの口はがぶりとクルーネックのセーターから覗くうなじへ噛みつくのに用いられ、離してくれるよう頼んだ手は願いと裏腹にエイデンの腕を捻り上げるようにして掴む。訂正、これでは蝶々さんじゃなくてエリック・ガーナーだ。

「トレ……」

「てっきり出かけたのかと思った」

 べろんと己が付けた歯型に舌を這わせ、トレントは言った。

「教会へ新年のミサに行くとか言ってただろ」

「ああ、そう言えば……」

 彼との会話なんて80%が他愛無いからまともに覚えていないが、何故かこれは思い出した。彼も覚えていた。教会と言う単語は、圧倒的に罰当たりな己達にも何か響くものがあったのかも知れない。

「すっかり忘れてた。今から行こうかな」

「やってるのか」

「何時」

 自由な方の手でトレントの左腕を引き寄せ、最近買ったらしいチューダーの腕時計を確認する。日付が変わるまで後45分。ここから歩いて20分の場所にある教会で、0時から今年最初の式次が始まると、この前通りかかった時に知っていた。

「まだ間に合う。どいて」

「外、死ぬほど寒いぞ」

 そんなこと、ジーンズの履き口から潜り込んで腰骨を撫でるトレントの指先で百も承知だ。芋虫じみた動きで身をもぞつかせ、エイデンは唸り声を上げた。

「コート着てたら大丈夫だよ。それに、寒いの我慢して行くのに見合うだけの、清々しい気持ちになれる」

 神を信じているかなんて自分でも分からない。ただ、責任を押し付ける相手がいるならばそれに越したことはない。お祈りして重荷を下ろした気分になれるならば、例えそれがプラシーボ効果に過ぎないとしても、効能としては十分なのでは無いだろうか。

「今年最初にやることだから良いんだよ……」

「清々しい気持ちだ? お前みたく根暗でいたがってる人間がそんなこと言うなんてな」

 ご機嫌に喉を震わせ、トレントはただでも反らされた顎が天井を向いてしまうのではないかというほど、掬い上げた手のひらの力を強めた。

「それならまず、こういうことを止めなきゃな」

「こういうこと……」

 繰り返してから、エイデンは慌てて首を振った。

「嫌だ」

「大罪だろ、カトリック的には」

「そんなことない、最近ローマ教皇も、同性婚した夫婦に祝福を授けるって言ってたよ」

「往生際の悪い奴だな。諦めろ。そんな一朝一夕祈った位じゃ、人殺しの罪が消えるもんか」

 無理矢理首を捻じらされて与えられたキスは煙草の味がした。喫煙は罪? さあ、果たして。でも、世の中で良くないものとされている味がしたし、何より苦い。もしも神が心優しいのならば、悪徳は人が近付き辛い形になっているのではなかろうか。

 けれどエイデンは、そのまま相手の舌が滑り込んでくるの受け入れ、従順に口を満たした。

「こんなトウの立った淫売みたいな格好しやがって、何が清らかだ」

 濡れた唇へ叩きつけるようなぼやきに、エイデンは息だけで笑った。これを身に付けていた父のことも、彼は同じように評したのだろうか。だとしたらとても愉快だ。

 死者を冒涜するなんて、また罪を重ねてしまった。気付けば時間まで15分。ミサは明日の7時と、確か午後からも執り行われるはず。別に息を切らせて駆けつける必要などどこにもない。

 淫売らしく両腕を広げて、「寒い。もう寝ようよ」と誘えば、トレントは暫く唸っていたが、結局そのまま毛布の中へ潜り込んできた。

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