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さよならサンタの砂糖菓子

第93回 お題「クリスマス・イヴ」「ケーキ」

 大人しく席へ着いているのは、今朝起き抜けにトレントが事も無げに教えてくれたからだ。

「お前を今日の夕方7時に実家へ居させられれば、100ドルやるってレオンに言われたのさ」

 噛みつきたいことは山ほどある。義兄とトレントがそんな密約を結んでいたこと。しかもそれをトレントが従順に実行しようとしていること。或いは、予め宣言しておけば、逆にエイデンが捻くれ根性を発揮して、大人しく言うことを聞くと見込んだ可能性のこと。何よりも、己の価値はたった100ドルであること。

 だから手を打った。受け取った金で良い酒を買うこと。明日は言う事を何でも聞くこと(こんな精神的に疲弊し、身体までガチガチになる行事へ参加させられるのだ。3時間くらい全身くまなくマッサージでもさせてやろうと固く心に誓う)

 唯一の救いは、この夕食会が家族のみでゆっくり過ごそうという趣旨らしき事だった。父は金持ち特有の鼻持ちならない身分格差に囚われていて、レオンもそれを受け継いでいるから、広いダイニングテーブルにハウスメイド達や使用人が付くことはない。椅子に腰掛けているのは3人だけ。この家の主人の席の向かいに座るエイデン。左側にトレント。

右側には、レオンが最近付き合っている、かつてリアリティショーに出て、今はオリジナルの子供服ブランドを立ち上げているフランス人女性。インスタグラムて顔は知っていたが、実際に会うのは今回が初めてだった。

「あれだけ7時開始だって言ってた癖に、自分は遅れてくるんだから、困りますよね」

 顔だけを向けてそう言えば、、彼女は無言のまま、何とも謎めいた微笑を浮かべるだけに留まる。

「トレ、フランス語話せる?」

「なんだって」

「フランス語、話せる?」

 無駄に広いテーブルは客と客のパーソナルスペースも不必要に大きくする。声を張り上げたエイデンに、トレントは弄っていたスマートフォンから上げた顔を盛大に顰めた。

「話せる訳ないだろ」

「彼女と話したいよ。短い付き合いになるかも知れないけど、せっかくなんだし仲良くならなきゃ。レオの彼女なんだから」

「ちょっかい掛けるな」

 特別な日に用いる白いリネンのテーブル掛けが、投げ出されたスマートフォンによって微かに波打つ。皺と、ついでに少し定位置からずれたデザート用のフォークは、律儀に正された。毎回カトラリーを取り替える食事。一体レオンは、この場の誰に向かって見栄を張っているのだろう。

「お前の存在自体がこの場で迷惑だってこと、分かってんのか?」

 だが何よりもげんなりさせられるのは、トレントのこの言い草に他ならない。自分で連れてきた癖に。たかが100ドルぽっちの、ガキの遣い。

 結局のところ、己が一番気に食わないのは、自らが軽く見られる事ではない。トレントがそこらのチンピラみたいに扱われ、侮られる事だ。彼をそう扱っても良いと思っている、レオンの傲慢さにも腹が立つ。

 全ての元凶は、向けられた軽蔑の眼差しを、しばらくは無視していた。だがやがて、ふっと口元が笑みで歪む。

「あれだけ嫌がってた癖に、えらくめかし込んでまあ」

 別に気取ってなんかいない。靴だけはディオールのローファー。後は全部コム・デ・ギャルソンでチャコールグレイのスーツ、ライトグレーのシャツにサーモンピンクのネクタイまで締めてきたのは、意思表示だ。絶対に寛いだりなどしない。ここは、この家こそは、苦痛の根源なのだ。

 客はいないとレオンは受け合ったが、万が一の事を考えて最低限の服装はして来た。案の定こんな美人が──まるで老人ホームで車椅子に乗せられて放置されている認知症老人の如く、彼女は黙って目を伏せている、と言うか項垂れている。眠っているのだろうか。もしかしたらジャンキーなのかも知れない。

 そもそも、着飾っているのはトレントも同じではないか。スーツからクルーネックに至るまで全部黒、さながら葬式のようだが、少なくとも上着は着てきている。

 と言うか、あのセーターは去年、己がクリスマスプレゼントとしてくれてやったものではあるまいか。まだ着ていたのか。毛玉も付いておらず、そこそこちゃんと手入れをしているようだ。

 ずるいなあ。やっぱり似合ってるなあ。スラックスのポケットへ片手を突っ込んで脚を組み、退屈そうに煙草をふかしている姿の何て様になる事だろう──こうして彼に見とれていると、かつて自身が消し去った、己の家族について考える。血は争えないと言う事をまざまざと思い知らされて、悲しくなった。

「ちゃんと来たな。プレゼント目当てか」

 部屋へ足を踏み入れ、よしよしと満足気に頷くレオンの物腰は、態とらし過ぎて滑稽さすら覚える。途中で赤々と燃える暖炉へ歩み寄り、マントルピースへ乗せたシェリー酒のデカンタを取り上げてグラスに注げば完璧だった。全く楽しくないのに、エイデンは鼻から下へ大ぶりな笑みを浮かべた。

「早くケーキ食べようよ。生クリーム? チョコレート?」

「まだ前菜も出てないぞ……スフレだよ。トライベッカで流行ってるらしい。エマ曰く本格的なブルターニュ風だとかで。お前、好物だったろ」

「そんな事、一度も思った事ないよ」

 スフレ(吹く)だって? 何かの当て擦りだろうか。ちらと視線を投げかけた先で、女は相変わらずゾンビのような弛緩した表情。トレントに至っては平然としているから、考え過ぎだと思いたい。けれど。

 指でコツコツと机を叩き続けているエイデンをみても、レオンは悠然とした態度を崩さない。席へつき、メイドが皿に注ぐセロリのポタージュへ浮かれているふりをし(実際、これは彼の好物なのだ)首を竦めて見せる。

「今からソワソワしてちゃ明日が思いやられるぞ。伯父さんは今年もパーティーに100人近く呼んだらしいからな」

 明日? 何も聞いていない。僕の自由時間は何処へ?

 お祈りもせずスープへかぶりつき始めるトレントを今度こそ睨み付け、エイデンは誓った。下品な名前のケーキが皿に切り分けられたら、即座に手で掬い取り、この憎たらしい男の顔へ叩きつけてやろうと。別に怒られる事はないだろう。約定はここへ座っていると言うこと。そこから先は、誰とも、何一つとして誓いなど立てていないのだから。

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