who cares Baby
第83回 お題「カラオケ」「ラブソング」
レオンは歌が下手だ。声質は良いのかも知れないが如何せんリズムを知らず、音程を無視し、それでも社長様だから皆に褒められすっかりご機嫌。5年くらい前のジャスティン・ビーバーを乗りに乗って熱唱している。
「この曲のミュージック・ビデオに出てたヴィクシー・モデルと付き合ってたことがあるって言うのがレオンの自慢なんだ」
24時を超えたカラオケバーは土曜日と言うことで今から盛り上がりを見せる。何故自分が呼び出されたのか、エイデンにはさっぱり分かっていなかった。ビジネス・スクールを卒業したら関わる事になるからと言う兄心なのかも知れない。
とは言うものの、この店に流れてきてからトレントと合流したので、少しは気が楽だ。勿論最初の会食は良い子にしていた。傘下にあるグループ会社のお偉いさん達が、兄にへいこらしているのをニコニコ微笑んで眺めて、時にお世辞へ謙遜したり、若き社長を持ち上げる一言二言を挟んだり。
「3軒目からはトレを呼んでいい?」
頬が筋肉痛になりかけていたエイデンがメッセージアプリに送信したメッセージを確認した時、レオンは露骨に顔を顰めたが、結局溜息をついて好きにしろよ」と肩を竦めた。幸い、他の連中はレオンをちやほやするのに忙しくて、途中からエイデンなどいないも同然。今やこちらが彼らを無視しているように、彼らもこちらを視界へ入れようとすらしない。
「それさ。そのへいこらを見せたかったんだろ。サリヴァン家の帝王学だ」
薄暗い店内で少し人混みから離れた席で2人きり。トレントは、連発する欠伸の狭間にそう答えた。
「自分がどれだけ敬われている存在か、弟に誇示したかった。お前、最近彼のプライドを傷つけるような真似したか?」
「してない。メッセージを何度か無視しただけ」
「君さえいれば、そこに罪なんて存在しない。僕達の魂を混ぜ合わせるんだ」そう、悪くない声だけれど、ビーバーの歌には似合わない。うんざりさせられる。本社を統括する伯父を始めとして、一族の年長者からは馬鹿扱いされている兄、実際にその実力が無いのだろう事実も(大学に通ってもう2年、流石に財務諸表の中身を薄ぼんやりと把握できる位にはなった)その癖偉ぶって見せる無惨なプライドも、そして全てに気付かず呑気に笑っていられる鈍感さも、その場のノリに飲まれている店の客達も。
大体、こんな甘ったるい曲。余りにも恋に焦がれている歌詞。レオンは実際に、自分の人生を分け合いたいと思うほど、人へしがみついたことがあるのだろうか──あるものか、もしもあったなら、今夜トレントの顔を見た瞬間、あんないとも自然に小馬鹿へしたような態度を取れる訳が無い。これが帝王学だと言うのなら、家業を手伝うなんて絶対にお断りだった。
「無理だろ、お前に就職活動なんて」
歌なんか歌わないのに、トレントは喉が渇いているかの如くビールを煽る頻度を短くしていく。Tシャツの背中は心なしか色を変えているように見えた。確かに少し蒸し暑いが、それにしたって。
「苦労知らずのお坊ちゃんが。それに鈍感さで言ったら、お前も負けてないよ」
狭いクラブにはジャケットを着ている人間とそうではない人間が半々と言った所だが、エイデンは前者、トレントは後者に当たる。意識したら急に頬へかっと熱が上がった気がして、エイデンは上着を脱いだ。
「でも僕は、自分より格下の相手へ横柄な態度を取ったりしない」
「誰かのことを格下とかいってる時点でな」
自分の心へ正直に、頭をしゃっきりさせろ。終いにトレントまで歌詞を口ずさむものだから、思わずエイデンは「やめて」と強い口調で叩きつけた。勿論聞き入れられることはなく、調子っ外れの鼻歌は続く。
「心配するなって。言うだろう、愚か者が生き残るって」
「トレ、僕のこと嫌い?」
「いいや」
ビール瓶の底でこつんと頭を小突き、トレントは破顔した。
「いつまでも馬鹿でい続けてくれたら良いと思うよ。ずっとこのまま、人生がこのクソ歌みたいな物だと思ってるような、馬鹿な男でいてくれたらな」
「賢い僕は可愛くないんだ」
ああそう、とエイデンが唇を歪めれば歪めるほど、トレントの上機嫌は増す。
「分かってんだろ? そんな事抜かしてる時点で、全く利口じゃないってな」
どうも彼と己の間には、何か重要な認識の齟齬が発生しているらしい。ブランデー・ジンジャーのグラスが空である事に気付き、立ち上がって頼みに行こうとしたエイデンの手首を、力強い手が掴んで引き留める。
「飲み過ぎだぞ。接待で酔うなよ」
「酔ってない」
「そう言う奴は」
「ばか、トレのいじわる」
どうせ己がまともに感知できない世の中だ。ちょっとは甘ったるいものだと思って何が悪いのだろう。僕だって、誰かをまともに愛したかった。けれど現実は一人舞台で、偽物のオーケストラから流れるメロディへ合わせて歌っているのが関の山だ。
仕方なく貴方を愛しているんだと、よっぽど言ってしまいたかった。つまり、他に選択肢がないのだと。
結局グラスを乱暴にテーブルへ叩きつけ、そのままよろよろと人の波を掻き分ける。数段の階段にすら蹴躓きながら、舞台まで這い上ったエイデンに、レオンは全く馬鹿面で「おー、お前も歌え歌え」とマイクを押し付ける。
「お前は歌が上手いからな、みんなに披露してやれよ……何がいい?」
「すっごい、すっごいオーソドックスな曲。ブルーノ・マーズとかがいい」
すかさず流れ出した、誰でも知っている前奏を聞いた時、遠くの方でトレントがどんな表情を浮かべていたかは分からない。けれどエイデンは、歌の通り酔っ払い、すっかり自棄気味で、声を張り上げた。




