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後ろから横から

第22回 お題「シャンプー」「横顔」

 二日酔いで顔も浮腫み、不機嫌丸出し。気分も見てくれも最悪の時に髪を切りへ行く必要など無いだろうと思うが、予約のキャンセル期限を過ぎちゃったしとエイデンは頑なになるばかり。挙げ句の果てに寝起きでふらつく足をバスルームへ向け「髪の毛だけでも洗わないと」と口の中でもごもご呟く。

「向こうで洗われるだろ」

「汚いままで行きたくない」

 確かに昨日、2人が風呂を浴びた記憶も痕跡もバスタブには見当たらない。だが先程までベッドでうとうとするこの青年を抱きしめ、旋毛に鼻を押し当てていた時は、取り立てて悪臭を感じなかった。寧ろ、アルコールの中から微かに立ち上ってくる、甘い牛乳のような子供じみた体臭に、少し面映さすら覚えたことが強く意識に焼き付いている。

 まあ、若者特有の自意識過剰に一々めくじらを立ててやるのも可哀想だ。だが目脂を擦り落としながらドアに肩をぶつけているこの有様、タイルで足を滑らせ頭蓋骨をぱっかりやってもおかしくない。羽織っていたパーカーを脱ぎ、トレントは洗面台を顎でしゃくった。

「予約、何時からだ」

「11時半。車で送ってくれる?」

 最初からその前提だった癖に。こうなると、今の行動すら、実は計画されたものなのではないかと疑いたくなってくる。

 汗ばんだパジャマ代わりのシャツを脱ぐ仕草に屈託はない。洗面台の前で跪き、シンクに頭を垂れる様子は全く従順だった。断頭台へ首を乗せる囚人のポーズ。観念していると言うよりは、すっかり諦めて虚脱しているかのようだった。事実、取り外したシャワーヘッドから吹き出す水の温度を碌に確かめず頭へ浴びせかけてやっても、小さく呻く以外の反応を寄越さない。

 エイデンが持ち込んだ、つまりトレントが普段使っていない、件の美容室で購入したシャンプーとトリートメントをバスルームの棚から取って来て、鏡の前にどんと置けば、一瞬だけ上目が走らされる。

「今日買ってこなきゃ」

 値の張るそれはしょっちゅう買い忘れられる。かと言ってスーパーで売っている物でもないのでトレントが補充してやる事も出来ず(大体、そんな事へ一々気を回してやる自体が腹立たしい話ではないか)無くなる度にエイデンはトレントのものを拝借している。自らと同じ匂いを纏う青年に感慨深くなる程のセンチメンタルさは、ある時はトレントの中でふつふつと沸き上がり、ある時にはぴくりともしない。今は前者の時だ。せっかく己が整えてやるのだから、マーキングしてやれば良かった。

 髪が汗ばみ過ぎているのか、シャンプー自体の仕様なのか、手のひらに垂らしてから髪へ馴染ませてやっても、真珠色のとろりとした液体はさして泡立たなかった。直接後頭部に追加しても同じ。挙句の果てに「冷たい」と今更ながら文句が寄越される。

「これ、いい匂いだから好きなんだよね。その分値も張るけど」

「男が使うには少し甘過ぎる気もするけどな」

 あんまり無尽蔵に使うなと釘を刺されたのかと一瞬勘繰ったが、こいつにそんな知恵は回らないとすぐに納得する。なので「でもお前には合ってる」との続きかおべんちゃらに聞こえたなら業腹だった。間違いなく本心からの言葉なのだから。

 とは言え、エイデンの髪はブルネットらしく、まるで鬘みたいに太くてこしがあった。これは母さん譲りなんだと、以前誇らしげに胸を張っていたのを思い出す。

 乾いた時に撫でてやると、もっと実感しやすいのだが。喉を晒される為に、後頭部の辺りをぐっと掴んでやった時、指の間へ感じる確かな感触。するりと逃げていく事のない安心感を、トレントは気に入っていた。

 だがこうやって、手指の動きへ従順にうねり、寂しがるように絡みついてくるのも、また悪くない。甘いチョコレート色の髪が作る房の1束1束に細かい泡を纏う白い液体がまぶされ、さながら頭から混ぜ足りない生クリームを被ったかのよう。それとも精液をぶっかけられたか──こっちの想像は楽しくない、思ったよりも、意外なことに。

「トレ、美容室でアルバイトできるよ。それともマッサージ店とか」

 頭皮を揉む力強さが気持ちいいらしい。エイデンは今にも喉を鳴らしそうな声音で呻いた。

「また寝ちゃいそう……」

「もう店じまいだ。口閉じてろよ、苦いぞ」

 耳元へ水が回ろうが肩まで濡れようがお構いなしに、じゃぶじゃぶとぬるま湯を掛けて、泡とぬめりを流す。

 がちんとノズルが戻される音の反響がバスルームから消えた頃、伏せられていた顔がうっそりと持ち上げられる。張り付く髪の先端が小麦色の肌を伝う。そんな情動を催す端緒など一切無いにも関わらず、トレントはエイデンが泣いているかのように錯覚した。真正面見つめる瞳が焦点を完全に失い、過剰なほど虚ろだったからかも知れないし──こいつの感情の発露には脈絡が無い事が多かったからかも。

 長い睫毛からも、微妙に先端の丸い鼻の先からも、ぽたぽた、ぽたぽた、雫は垂れ続ける。さっさと拭けよとタオルを投げてやるべきだ。なのにトレントがしたのは、その場に屈み込み、青年に口付ける事だった。薄く開いた唇ではなく、柔らかな頬に。鏡すら見ようとしなかったのは、一度視線が噛み合ってしまったが最後、向き合いたいと言う強烈な欲求に逆らう自信が無かったからだった。

 そもそも、何故逆らおうとしてる? 知ったことか。もしも美容室の予約へ遅れることになれば、エイデンは今日一日中臍を曲げ続けるだろう。事あるごとに自分のせいだと嘯く癖、とことん自責と言う概念が欠落している性格だから、今回もまた何でもかんでもトレントのせいにして。

 まあ、間違っちゃいないんだが。それを認めたくない己もまた、余りに自己中心的過ぎる。エイデンとの違いは、トレントが自分の状況を正確に把握していると言う一点のみだった。

「20分後には出るぞ、とっとと支度しろ」

 結局タオルを頭に被せてやる優しさを、こいつに理解して欲しいものだった。無理か。自嘲して、トレントも踵を返しざまシャツを脱ぐ。シャワーの水飛沫の被害は、こちらにまで思い切り及んでいた。

 

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