ファイヤーワーク・スマグラー
第21回 お題「花火」「再会」
「何故彼女と離婚したの」
夜に相応しくない喧騒と、地下鉄を貫く列車の音に負けない声で、エイデンはトレントに問いかけた。「離婚」のところは特にはっきりと。週末でもないのにQ線は満員。幸い目の前の頑丈な肩へ捕まり、ひたと身を寄せていても、そこまで不自然には見えない。多少酔っているのも好都合だ。これを好機とばかりに、トレントの耳へ唇が触れるような位置で言葉を紡ぐ。
「あんな魅力的な人なのに」
祝日でもないのにコニー・アイランドで催されたイベントの概要を2人とも知らない。最初は学校をサボるつもりだったが、そんな事したら義兄をすっ飛ばし、学費に関する最終決定権を握る伯父へ通報するとトレントに脅されたので、仕方なく放課後に。フィナーレである夜空の眩いショーだけ見ようと考える連中は他にもいたようで、行きもそれなりの人の波。帰りもぐずぐず会場に残っていたから、ラッシュへもろに被った。
勿論、トレントが不機嫌なのは混雑だけが原因ではない。よりにもよって、桟橋が積載量オーバーで壊れてしまいそうなあの人だかりの中、元妻に声を掛けられたのだ。
数歩離れた屋台でビールを注文していたエイデンは、彼女に気付かれなかった。お陰でほんの数分足らずな立ち話の間でも、じっくり観察する事が出来る。ベビースリングで赤ん坊を連れた彼女の薬指には指輪が光っている(数年前に再婚したのだとはトレントから聞かされていた)小柄で可愛らしい感じの美人だった。言ったら悪いが、世間では馬鹿なブロンドガールと勘違いされそうな感じの。益々失礼な事に、最初エイデンはその気楽で気さくで、敵意の感じられない彼女の物腰から、てっきりトレントが働く店のストリッパーか何かと思い込んだ程だった。
落ち合ってから名前を聞かされてびっくり仰天。
「今は幸せそうで本当に良かったけど。あんな人を捨てたなんて罪だと思うよ」
「俺じゃなくてあいつが出てったのさ」
憮然とした表情で、トレントは吐き捨てた。
「言ったろ。お互いガキだったって。お前とそう変わらない年齢の頃だ」
「原因は貴方の浮気?」
「街で商売女を拾ってしゃぶらせてたのが浮気に入るならな」
汚い言葉遣いに、前でシートに座っていた老人がじろりと剣呑な視線をぶつけてくる。そうでなくても先程から、いちゃつくも同然の彼らに険しい顔をしていた皺くちゃ爺さんを、2人は徹底的に無視していた。
「違う。出てった理由は……まあ、色んなことが重なった結果としか言いようがないが」
親しげな友人と言うより、明らかに性的な含みが濃い仕草でエイデンの肩へ腕を引っ掛けながら、トレントは天井を見上げた。同じ光なのに、先程眺めていた色とりどりの火花にも、あれとここまで対照的になれるのかと驚くようなLEDの無機質な煌めきにも、トレントは等しい目つきを向ける。エイデンが外出を強請った時からこの方、ずっとうんざりしているのだ。
「そうだな。直接的な原因は事故だよ、悪ふざけ」
色見本のようなコバルトブルーの瞳は、奥の方に秘めた過去から鋭い光を放つ。見惚れるエイデンの様子が、話を待ち構えうずうずしているように見えたらしい。トレントは苦々しくも、滑らかに語り出した。
「フィラデルフィアへ合同研修みたいなのに行った帰り、数人で飲んで、ちょっとご機嫌になってた。ちょうど独立記念日の頃だったから、州境にある花火屋でロケット花火を大量に買い込んでな。後はお察しの通り」
「ご近所さん中の家に撃ち込んで回ったの?」
「あれだけセラピー受けまくってる癖に、お前が未だに放火願望を持ってたって事実に驚くよ」
「高校生じゃないんだから、もうそんな真似しないってば」
当て推量は外したらしいが、大方想像と似たり寄ったりのものなのだろう。精神鑑定でもあるまいし
、さっさと正解を教えてくれれば良いのに。電車の揺れに身を任せ、上半身をぶらぶらさせているのは、今度こそ本気で退屈している証だった。
トレントは、どうでもいいと言った態度を崩さない。ひたすら薄汚れた壁が続く車窓の景観をじっと見つめ、考え込んでいる様子だった。何について思索を巡らしているのだろうか。あの素敵なブロンドさんの事だったら嫌だなと心底思う。
「ベルト・パークウェイ沿いの川辺に降りて花火に火をつけた。最初は水面に向けて飛ばしてたんだが。ところで面子の中には、ガーナーって男がいた。とにかく人を地味にイラつかせる天才だった。鈍臭さを努力で補って、何とか人並みのふりが出来てると思い込んでる奴」
「つまり、全然隠せてないってこと?」
「そう。分かんだろ」
「分かんない」
何故か嫌悪を覚えて、エイデンは嘘をついた。トレントはやはり追求しない。その事に少し腹が立つ。続けられた話の内容と同じように。
「いつの間にか、皆がそいつを的にするようになってた。最初はガーナーも笑って逃げ回ってたんだが、最後は川の中に追い込まれて、転んで足を折った。問題は、奴が唯一人に誇れる才能だったフットボールの試合が、その4日後だったって事だ。署内チーム最強のディフェンシブタックルだったのに。お陰で隣の所轄の消防署チームへボロ負けしちまった」
木の根のように太いトレントの腕はエイデンの首に回り、もはや締め落とさんばかりの強さで身体を引き寄せる。だから最後の、独白じみた台詞も聞き逃すことはない。
「それで結婚生活も終わり。あいつは、何て残酷なんだと詰った。杖突いて足を引きずってるガーナーを笑ってる俺の事が、耐えられないって抜かしてやがったな……言っとくが、花火をぶつけてた面子の中には、あいつの兄貴もいたんだぜ」
降りる駅まではあと5分程。寝たふりをしているのか、本当に微睡んでいるのか、眉間に皺を寄せて瞼を落としている目の前の老人を見下ろし、エイデンはトレントの肩に頬を押し付けた。
「ええっと……つまり、彼女は思いやり深くて、少し繊細過ぎたんだね」
それ以外に何が言えるだろう。これ以上ない詳細な説明は、結局エイデンが心から望む解答を与えてくれなかった。頭では理解しているのだ。だがそれだけでは駄目、言葉は闇の中で束の間だけ輝き、次の瞬間には掻き消える。恐らく彼女の怒りが、トレントの中へ飲み込まれて見えなくなったのと同じように。
明らかに釈然としない様子のエイデンに甚く満足したのだろう。一際大きな車両の揺れにかまけて、エイデンのこめかみに掠めさせたトレントの唇は、明らかに大きな弧を描いていた。




