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天地無用

第21回 お題「縁側」「風鈴」

残酷描写(回想)ございますのでご注意ください

 怪しげな輸入雑貨屋に流れる東洋風のBGMを、ちりんちりんと可憐で無害な音色が突き抜ける。ふと、記憶が呼び覚まされた。螺子を巻き忘れた時計のように、表情筋をぴたりと停止させたトレントへ、こう言う時に限ってエイデンは敏い。「どうしたの」と背後を振り仰ぎ、目を瞬かせる。

 あの赤ん坊だって、生きていればこんな風に生を謳歌していたのかも。いや、あんな家庭に生まれたのだ。愛と平和を標榜するヒッピーの癖、病的な癇癪持ちの父親に、集合住宅の6階で開け放たれた窓から投げ落とされなくても、どこかのタイミングで命を失っていた可能性が高い。

 窓から無線を使い、路上を這い回る鑑識へ散らばった肉片の位置を教えている間、ずっと耳元では金属の擦れ合う涼やかな響きが鳴り渡っていた。春の夕暮れ、柔らかなそよ風に吹きあやされる窓辺のウィンドチャイム。廃品で手作りされたらしいそれは、鼓膜に心地よく、まるで音に合わせてきらきらと輝きが見えるかのようだった。死んだ赤ん坊が持っていたはずの輝き。

 事のあらましを聞いている間、流石にエイデンも手にした丸いガラス製の風鈴を揺さぶる真似はしなかった。ふうん、と、社会見学で興味のない学芸員の解説を聞いている生徒みたいな顔をして時折頷いたり、「酷い」と不適切に明るい抑揚で相槌を打つ。

 奴の興味を惹く事があるのだとしたら、それはトレントが積極的に話題を提供していると言う事実なのだろう。泣き喚く赤ん坊へ母親が押し込んだレメディはまだ遺体の口の中へ残っていたから、最後はちょっと良い気分のまま死ねたかも知れないな、ガキは甘いものが好きだから。そう話が締めくくられる前に、残念ながらエイデンが携えるフラペチーノはすっかり汗を掻いてしまっている。

 拍手代わりに、反対の手へぶら下げていた風鈴をりんりんと鳴らし、エイデンは訝しげに首を傾げた。

「ヤク中でも悪魔崇拝でもなく、ただブチギレて赤ちゃんを放り投げたの?」

「さあな。連中はどいつもこいつもネジが外れてるから、一体何考えてたんだか」

「じゃ、これは買わない方が良いよね」

「好きにしろ。思い出しただけで、別にトラウマとか大袈裟なもんじゃない」

 そもそも学生アパートの部屋に飾る予定の調度品なのだ。ドリームキャッチャー吊るしてたんだけど全然役に立たなくて、とエイデンがぼやいていたのを聞いた時、トレントは二重の意味で意外に思った。一つ、この神をも恐れぬ罰当たり、父親殺しと言う最悪の罪を犯した青年が、今更そんな縁起物へ頼ろうとしている事。二つ、こいつが悪夢を見ること。

「昔の東洋の哲学者は考え事の合間に、鈴の音を聞いて癒されてたんだって。僕もこれで勉強の遅れを取り戻せたら良いんだけど」

「復学して1ヶ月で遅れてるようじゃ、先が思いやられるな」

 クレジットカードも電子マネーも使えないと訛りのきつい店員に言われて、エイデンは驚いたようにトレントを見遣った。

「ちょっとお金貸して」

「これ位買ってやるよ」

 値札も見ずにそう答えたが、22ドル50セント、案外高価な品だった。こんなすぐ割れてしまいそうなガラスに、赤い絵の具が落書きじみた筆致で魚のような模様を描いているだけの代物にしては。

 新聞紙で包まれた荷物を慎重に、嬉しそうに抱えて──エイデンがこれらの態度を自らの前でこんなにも露わにして見せるのを、その時トレントは初めて見た──歩いている後ろ姿を半歩先から眺めていたのが、一年ちょっと前のこと。あの時夕暮れの中で煌めく横顔が最高潮ならば、今隣でカウチに沈み込み、むっすりと虚空を睨みちぎっている様子は最底辺と言ったところか。

 ちらと横目を這わし、トレントは電話口のレオンに態とらしい嘆息を聞かせてやった。

「今すぐは無理だな……大丈夫、来週にはちゃんと連れてくから」

「行かない」

 通話が終えられる前に、エイデンはぴしゃりと言ってのけた。

「レオンに恨みはあっても、婆ちゃんに罪はないだろ。次の誕生日まで生きてるか分からないんだ、顔位見せてやれよ、減るもんじゃなし」

「レオが出席しないなら行く」

 にべなく言い捨て、そのままころりと背を向ける。

「僕は義兄さんの、ああ言う鈍感なところが本当に嫌いなんだ」

 風鈴が部屋に吊るされていたのは数ヶ月の間だけ。部屋を訪れたレオンが気に入ったと言うので、くれてやったのだと言う。それは構わない。エイデンの衝動性は今よりも抑制されていなかったし、別に後生大事に崇め奉っていろと言うつもりもない。

 問題は、エイデンが唐突に思い出して欲した時、レオンがそれを返してやれなかったこと。これは外に飾るオブジェなんだ、この国でいうところのポーチの軒下に。説明を真に受け吊るされていたガラス製品は、直射日光であっという間に黄ばんで劣化した。挙句の果てに近頃の春の嵐で揉みくちゃにされ、今では色褪せた紐と、割れたガラスの舌しか残っていない。数日前、祖父伝来のロッキングチェアに揺られてビールを飲みながら、今まで碌に気へ留めなかった残骸へ気付いたエイデンは大騒ぎ。一方的に義兄へ抗議を捲し立てると、そのままタクシーで帰ってしまったのだと言う。

「本当にポーチへ吊るすなんて! もっと情緒的なものなんだ、あれは。この国は何でも駄目にする」

「大袈裟な奴だな」

「せっかくトレから貰ったものなのに……だからだ、きっと。態と乱雑に扱ったんだ」

 そんなに大事ならどうしておいそれと人にくれてやったんだとか、今まで存在すら忘れていたのにどう言う風の吹き回しだとか。自業自得という言葉をエイデンは断固として認めない。

 なあ、他に理由があるんだろう。そう口にすることをトレントはしなかった。本人すら気付いていない事へ耳を傾け、秘密を解きほぐすなんて、時間の無駄でしかない。

 嫌がるところ、無理矢理頭を抱きかかえて肩へと引き寄せれば、エイデンは暫くの抵抗の後に結局大人しくなった。もがいていた肉体は弛緩しているが、まだ上がった熱は残している。さながら体温の高い赤ん坊のようだった──もしもヒッピーの子供が生き延びていたら、親の資質を受け継いで、自由主義のろくでなしになっていた可能性が高い。

「トレ」

 すっかりぶすくれたまま、やがてエイデンは呟いた。

「素敵なもの程すぐ壊れるなんて、ほんと最悪だよ」

「お前の親父さんは別に素敵でも何でもなかったぜ」

 色狂いの父親、穀潰しになる予定だった子供、安物のインテリア。これまで壊れるのを傍観して来たが、その場で顔を顰めても、次の瞬間には結局通り過ぎる。まだ人生経験の浅いエイデンが、ふとした瞬間引き戻されそうになるのが心底腹立たしい。トレントに出来ることは、新たな未来を指差してやる事だけだった。

「また買ってやるから機嫌直せよ」

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