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カプリの魔術師へ聞く前に

第19回 お題「夕凪」「言葉を飲み込む」

 立ち直り掛けていた頃のコリン・ファレルとしわしわになったリズ・テイラー。そんな感じだったと思う。普通はバートン&テイラーってもんじゃ無いのかと言う話だが、別にエイデンの父は年相応の中年太りしかしていなかったし、トレントは長年の連れ添いではなく最後の愛人だった。アル中にも程遠い。それに近い状態だったのは息子の方。

「引き金を引いたのは僕だけどさ」

 エイデンが来た時のみ使われる洗濯ロープは、既に半分程が占拠されている。家を出るまでは洗剤の適量すら知らなかっただろう金持ちの坊ちゃんが、自分で洗濯機を回し、濡れた服を押し込んだ籠を抱えて歩いているのは、ちょっと哀れに見えた。世間では自分の服くらい清潔に出来て当然なのだが。そう考えると、やはり己はこの青年を甘やかしているのだと理解できる。

「それでもやっぱり」

「ああ?」

「何でもない」

 今から吊るされるのは主にトレントの服。ついでに回してあげるよ、と言われ、特に拒否する理由もなかったから好きにさせている。この家に越してきて一番楽なのは、ランドリーへ汚れ物を持ち込まずに済むようになった事かも知れない。これはエイデンの為と言う意味でもだった。

「言いたいことがあるなら言えよ」

「別に大したことじゃない。言ったら絶対怒るだらうし」

「それは俺が決める。大体、ヤバいって自分で分かってるなら、最初から口にするな」

 畳み掛ければだんまり。全くガキだった。

 ガレージから持ち出してきたボロいガーデンチェアへふんぞり返り、片手には缶入りのクアーズ。昔お袋が作ってくれたスープのように温かな日差し。目の前にはお気に入りの男。ただ、眺める後ろ姿はガチガチに頑なで、全てを台無しにする。

 いや、しかし発想の転換はそこまでまで難しく無いかも知れない。あっという間にぬるくなりつつあるビールをちびちび啜りながら、トレントは考え込んだ。微かに爪先立って、パーカーをロープに引っ掛ける(あの干し方をしたら間違いなくフードが伸びるだろう) 拙い手つき。ポケットから洗濯バサミを取り出す時のもたつき具合。

 何だか新妻のようだ。で、こっちは年若い嫁さんをいじめる亭主関白な夫ってところか。

 思わず笑ってしまったから、エイデンは振り向き、夢想は砕け散る。

「何がおかしいの」

「いや。お前は可愛い奴だと思ったんだよ」

「あっそう」

 ほら、こうやってちょっと煽ててやれば、すぐに態度を軟化させるところなど、全くどうだ。

 捻れたシャツを籠から取り上げながら、エイデンは「それでね」と話を続ける。

「多分だけど。僕が撃たなかったところで、いくらもしないうちに父さんは違う相手にも手を出してたんじゃ無いかな。父さんは欲張りだからね。トレはハーレムに押し込められるの、耐えられた?」

「別にこっちの利益が減らなけりゃ、それで構やしない」

「割り切ってるなあ」

「彼の事が好きだった訳じゃないからな。寧ろ、内心軽蔑して、嫌ってた、今思えば」

 こう言う話はお前の方が得意だろう。顎でしゃくった時にはもう、エイデンの手はシャツを中途半端に広げたまま、動きを止めていた。無防備に衝撃を食らったと言わんばかりに、こちらを見つめる煉瓦色の瞳は丸く見開かれている。

 こんな反応は全く予想外だった。てっきり、喜ぶものかと思っていたのだ。身体なんてどうにでも出来るとか、過去じゃなくて今を見据えなきゃとか、常日頃から醒めた決め台詞を吐きたがる癖、結局何かと背後を振り返るのだ、この坊やは。回想録でも書きゃ良いんだ、謝礼さえ払うならインタビューに応じてやるぞと以前揶揄したら、真面目な顔で返された事がある。「まだ何についても、誰についても、自分の中で評価が定まってないのに?」

「それは可哀想だよ」

 そう絞り出すように呟かれた時、薄手のTシャツは余りにも強く握りしめられ、今にも引き裂かんばかりだった。

「父さんは可哀想なんだ。プレイボーイになりたかったけど、そこまでの魅力がなかったから、他人を金で買わなきゃならなかったような人だもの。せめて最後の相手だった貴方だけでも、少しは愛しかったって思ってあげて」

「お前、俺に自分が殺した親父さんを愛してやれって言うのか」

「僕の愛じゃ、父さんは救えなかった」

 残り少なくなってきたスペースを有効活用しようとシャツはハンガーに掛けられ、洗濯バサミで留められる。あれでは乾いた暁には肩のところが……推して知るべし。もう今更の話だ。エイデンは一生懸命仕事に取り組んでいる。一々口出ししても、面白い展開には絶対ならないだろう。

「ノックス先生と話したり、本を読んだり、色々考えたけど……僕は単純な動機で銃を撃った訳じゃないと思う。憎んでたし、侮辱したかったし、でも憐れんでたし……だから愛してた」

 トレントが口を開く前に「分かってるよ、憐れみは正しい愛じゃない」と早口で捲し立てられる。

「でもそれを言うなら、トレだって。間違った愛だ。けど、間違いが人を救う時だってある……そう思わない?」

 答える事なく、トレントは半分程残っていたビールを飲み干した。その後よっぽど、空き缶をその癪に障る思考ばかり紡ぐ頭に向かって投げつけてやろうかと思った。いっそのこと、中身が入ったままですら良かったかも知れない。

 お前は俺の愛を過大評価している、或いは過小評価しているのか──いや、全く理解していないに違いない。

 ファックに愛は必要ない。あんな中年の危機とピーターパン・シンドロームが最悪の形で混ざり合った、凡庸な人恋しさに、トレントの感情は相応しくはなかった。もしもあの男に注いでいたら、ドカン! きっと耐えきれず、息子へ撃たれるより早く粉々に壊れていたに違いない。

 それに、もしも聞き違いでなければ、目の前の青年は人様の、人間として最も重要な感情を間違ってると、いとも涼しい顔で糾弾してみせる。

 そんな事あってたまるか。内心吐き捨てたトレントの顔を見て、エイデンは明らかに怯んでいた。空の籠で身を隠すようにしながら、すっと傍らを通り過ぎる。

「喉乾いたな……」

「アルコールには早いぞ。ガキは牛乳でも飲んどけ」

「もう無いよ、今朝のシリアルで使ったのが最後」

 じゃあ何で買いに行かないんだ、洗濯機が回ってる間にでも十分行けただろ。罵倒を無理矢理封じたお陰で、ビールの苦味が口の中で余計に増した気がした。

 

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