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コーヒー&シガレッツ

第13回 お題「珈琲」「煙草」

 ダイナーでテスラコイルを起動させようとするなんて狂気の沙汰だし、ジュークボックスに自分の曲が入っていないからとキレるに至っては傲慢にも程がある。基本的にトレントは、ロックシンガーと言う存在を軽蔑していた。

「でも昔、オジー・オズボーンにスピード違反の切った事あるって自慢してたじゃない」

「モトリー・クルーの誰かだよ。しかも俺はずっと奴の連れを介抱してたから、殆どそいつの顔も見てない」

 一緒にパトロールしていた先輩共々度肝を抜かれたのは知名度にではなく、そのお騒がせロッカーがジャガーFの助手席に乗せていた女の方だった。とにかく噴水もかくやと言う勢いで吐きっぱなしだったのだ。掴んだら折れそうな注射針だらけの腕、波打つトタンみたいに肋骨が浮いた胴体、細い体躯のどこにそんな水分を蓄えていたのだと驚く程、救急車が来るまでずっと戻し続けていた。

「モトリー・クルーってパンクバンドだっけ。それともメタル系?」

「メタルだろ」

「まあどうでも良いけどね」

 最後の台詞は殆ど被る。実際、このダイナーにおいては全くどうでも良い話だった。パリかぶれの夫婦によって営まれる、投身自殺者が多い崖の途上にある店では、古いフランス語のシャンソンやポップスがBGMとして多用される。2人きりな客の話すら邪魔するのを躊躇するかの如く、音量は絞られていた。本当は、もっと朗々とした響きを味わう曲な気がする。

 と言うか、この曲はボブ・ディランのカバーでは無いだろうか? それならばフォークソングと言うことになるのか。フレンチ・フォーク。広大な小麦畑でピッチ・フォークを振り回し藁を運ぶ、鼻のデカい田舎者を想像させる響き。

「正直、フレンチ・ポップスって、どんな曲聴いても懐メロに聞こえるけど、ジョニー・アリディってその極地みたいなところがあるよね」

 先程街のアジア料理店で出されたヌードルなど、別に胃へもたれる事など無いだろうに、エイデンが頼んだのはコーヒーだけ、トレントと同じく。運ばれてくるや否や砂糖もミルクも注いだのに、二口程口を付けた分厚いマグへ、エイデンは更に角砂糖を一つ放り込んだ。

「フランスだけじゃなくて、何となく昔のアメリカも思い出すよ。元々エルヴィス・プレスリーの真似から入ってるからかな」

「プレスリー?」

「これ、アリディの声でしょ。刑務所に入る男の歌」

 トレントが微かに眉根を寄せたのは、まともに聞いていなかった会話へ相槌を求められたこと、店に入って2本目となるポールモールのアンモニア、そして馬鹿げた勘違いによるものだった。

「囚人じゃない、男に騙された娼婦の話だ」

「ええ、そんな事ないって。刑務所がどうとか言ってるし」

「お前、フランス語なんか分かるのか」

「ちょっとはね。片言で何個か単語を拾える程度だけど」

 すぐさま語尾が弱くなり、伏せられた睫毛へ絡み付かせるように、ハッと馬鹿にした声音で息を叩きつける。それでも飽き足らず、トレントは小さな桜貝程の大きさになった灰を、灰皿の上へ叩き落とした。

「これはボブ・ディランのカバーさ」

「そうなの?」

 啜られるマグの仲間は半分位になっている。「この店、本当は禁煙なんだってね」と呟きながら、エイデンはテーブルの上に投げ出してあったパッケージを取り出した。一本取り出して、同じく傍らに転がっていたビッグのライターで火をつける。今度怪訝な表情を浮かべたのはトレントの方だった。

「煙草吸うのか」

「自分からは吸わないけど」

 浮かべられた物哀しい笑みは、己が放つ台詞の矛盾に対する自嘲なのだろうか、まさか。

「そんな気分になっただけ。煙草とコーヒー程合い口の存在もない。まるで僕と貴方みたいにね」

 カフェオレもどきにされたコーヒーが作る、歯の浮くような台詞。どちらがどちらだろうと、トレントは考えてしまった。確かに目の前のこの青年は、煙みたいなところがある。一瞬たりともその場に留まっていられず、すぐゆらゆらと燃え尽き消えてしまいそうな佇まい。

 けれど咥え、その身に取り込めば、肺の中に未来永劫消えない猛毒を蓄えさせるのだろう。

「吸いたいなら自分で買ってこいよ。近頃一本幾らすると思ってんだ」

「ケチ」

 人差し指と中指で紙巻を手挟み頬杖ついて、あはは、と掠れた息で笑うこいつの姿など、初めて見る。不幸なほど様になっていた。

「トレは電子煙草に変えないんだね」

「生憎金には不自由してないからな」

「貴方らしいや」

 引き寄せたスマートフォンにたたっと何か文字を打ち込み、エイデンは肩を竦めた。

「ああ、成程」

「何だって」

「別に。僕、煙草吸ってる貴方が好きだよ」

「そりゃどうも」

「昔父さんと寝た後、バルコニーで吸ってたでしょう」

 そんな台詞で挑発されると思ったなら大間違いだ。余り出来が良くないとは言え、おつむが詰まっているのだから、すぐに気付いたのだろう。外れた期待を露骨に示して消沈し、フィルターへ食い込みすらしないような柔さで前歯を立てる。

「でも貴方は僕が吸ってるの、好きじゃないみたい」

「意外と思っただけさ」

「止めてもいいんだよ。キスがヤニ臭くなるのが嫌なら」

「こんな事で一々俺の顔色を窺わなくていい、吸いたいなら好きにしろ」

 物言いがそっけなくなっている事に、幸いエイデンは気付かなかったらしい。トレントのマグへ勝手に手を伸ばして、ブラックコーヒーを一口含む。

「苦い。こんなのが好きなの?」

「寧ろ俺は、お前があんな砂糖の塊みたいなのをガブガブ飲んでるのがあり得ないと思うよ」

 やられたらその分きっちりやり返す主義のトレントでも、今回ばかりは相手の飲み物に手を出す気にはなれなかった。エイデンはそうされたいと思っていると、薄々察しながら──言葉だけでなく確証が欲しい日なのだろう。冷めてあっという間に立ち消えてしまうコーヒーの芳香だけでなく、舌の上に苦味を残す事を望んでいるのだ。

 勿論、人生で望みが叶う事などそうそうありはしない。結局半分も吸っていない煙草を灰皿へ差し込み、エイデンは溜息を漏らした。

「お腹すいてないのに、何か甘いものを口に入れたい。パイでも頼もうかな……いや、やっぱりもう満腹」

「目の前にあるそれ、何だと思ってんだ?」

 一際大きな灰を落とした己の煙草と、火の消えないエイデンの煙草。二本の紫煙がだらしなく絡み立ち上るのを見つめる煉瓦色の瞳は、トレントが望んだ通り恨めしげなものだった。

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