とっととお眠り
第58回 お題「昼寝」「夢うつつ」
13時45分にベッドから起き出して、15時30分にカウチヘ沈む。目覚ましにブランチのシリアルへインスタントコーヒーを振りかける事すらしたのに。無駄だったどころか、カフェインのせいで状況は余計に悪化した気がする。
「頭が痛いよ。タイレノールちょうだい」
「うちにはアスピリンしかない」
「何でもいいから」
17時55分。未だへたった座面に横たわって呻いているエイデンに、トレントはこれ見よがしの嘆息を漏らして見せた。
「自業自得って知ってるよな」
そんな事、己自身が一番よく理解している。記憶に残っている範囲ですら、駆けつけ3本のバドワイザー、封を切ったばかりのレミー・マルタンを瓶に半分、合間合間にトレントが傾けていたジャック・ダニエルズもご相伴して、それから。
取り敢えず、トレントだってあんな美味そうに飲んで、煽ったことは確かなのだ。全ての責任を取らされては堪らない。
渡された薬とコップを受け取り、エイデンはまるで珍獣でも見守っているようなトレントの顔を睨みつけた。
「今日も一日無駄に過ごした」
「夜はまだこれからさ」
「もう何する元気も出ないよ」
一口水を飲み込めば喉の渇きを意識して、一杯を飲み干してしまう。空になったグラスを相手に突きつけざま、再びカウチへ寝転がれば、その衝撃でまた、針刺しになったような脳がグラグラ揺れているような心持ち。
「しんどーい。一人は嫌だあ」
「ガキかよ」
「ガキだよお。トレも巻き込んでやるう」
突っ伏し、化学的な合成皮革の匂いを嗅ぎながら、ありったけの気力を掻き集めて腕を伸ばす。ばたばた振り回しても掴めるものは何もない。癇癪を起こしてまた喚こうとしたら、枕元が乱暴に軋み、また痛覚を刺激される。
天邪鬼なトレント・バーク。コーヒーテーブルからリモコンを取り上げ、テレビの電源を入れる。野球中継の、漣じみたノイズすら不快感を悪化させると言うのに。クッションを被り「やめて」と本気で訴えたが、返事は寄越されなかった。もう頭を振る事すら辛いにも関わらずこの仕打ち。
薬が効くまで1時間弱? 恐らく。少なくとも今のようにひっきりなしの攻撃はなくなり、じっとしていたら痛みは鎮静していてくれる、不自然な麻痺状態には持っていけるだろう。そう信じたい。胃の方はムカついたままでも仕方ない。世の中、何もかもが上手く行くなんてことはあり得ない。
これだけ飲んでも一時的にぐったりするだけで、肝臓も消化器官も回復してしまう。それに別段、飲まなければ舌がひくついたりする訳でもない。公式には殺人の原因だとされているのに、甘っちょろい医師は「リラックスする為に嗜む程度なら構いませんよ」と来る。もっと本気で、殴ってでも禁止してくれたら良いのに。
浮腫んだような頭では物事を考えるなんて億劫だった。ずっと眠っていたい。酒を飲んで、飲んで、飲みまくって、ぶっ倒れてしまうのだ。そうすれば、トレントはビビって、ずっと己を抱きしめていてくれる。心配しなくても貴方を殺すことなんて絶対にあり得ないよ、と幾ら訴えても、彼は深酒したエイデンを自分のベッドに押し込み、ずっと掴んでいる。
もうポーズを取るのにも疲れて、クッションをカウチから追い落とす。プラシーボ効果か知らないが、少しは苦痛もましになってきた気がする。恐る恐る、こめかみを揉んでみた。圧迫する事時代の痛さの後、ぎいん、と一際重く、大きなナイフで刺されるような衝撃が訪れ、やがてすうっと溶ける。繰り返せば繰り返した分だけ、その波は徐々に小さくなりながら続く。
「もう少し寝てろよ。晩飯の時間になったら起こしてやる」
「何も食べたくないよ……」
「じゃあ黙って指咥えてろ」
この「黙って」と言うのが彼にとって重要なのだろう。クッションを拾い上げて頭にあてると、トレントはテレビに見入り始めた。これ以上駄々をこねて頭を引っぱたかれたりしたら最悪なので、渋々エイデンも犬が身を丸めるような姿勢で縮こまり、目を閉じた。
幸い、眠りの妖精は幾らもしないうちに浮腫んだ瞼へ魔法の粉を掛けてくれる。少し量が足りないか、己に耐性が出来ているのか、最初の辺りはふうっと知識が深遠へ沈み込んだり、同じくゆっくり浮上したりの反復。
いや、これは背中に触れてくる手のひらのせいだ。本物の犬へするように撫でられている。何度も、何度も。労わるように、愛しむように。
トレントはエイデンの身体に触るのが好きだ。寂しがりで、人恋しいのかと最初の頃は思っていた。だが正解は分からないものの、その推測が間違っている事には、すぐ気付いた。どんなに優しく接している時でも、彼の手つきは必ず攻撃的なのだ。
それはこの男がエイデンに向かって「愛してる」と言う時と同じだった。嘘をついている訳では無いだろうが、酷く虚ろで中身がない。だからこそ言葉そのものが、直截的に肉体へ差し入れられる。
これは受け取る側の問題ばかりではないと、とうにエイデンは見切りをつけていた。それに、嫌悪を抱いている訳ではなかった。触れられるのは気持ちがいい。分かりやすいとも思った。
打者がヒットでも放ったのか、コォンと小さな高い音と共に、観客の歓声が広がる。トレントも感服したように「おー」と独りごちた。
目を閉じたまま「トレ」と呼びかける。「もういいよ、そのままで。別に野球が嫌いって訳じゃないし。特別好きでもないけど」どれも実際には言葉にならない。もう唇を動かす事すら億劫だ。
そう言えば、さっきの昼寝の時も、こうしてずっと手を這わされていたような気がする。あの時は横向きの姿勢だったから、触れられていた場所は肩だったかも知れないが。
神の啓示のように差し込まれ、蘇った記憶が、どっと崩れて安堵に変質する。幸いマッサージをしなくても頭痛はマシになってきた。最初から大人しく良い子にしていれば良かったのだ。なあんだ。と合点半分、落胆半分の穏やかさに包まれて、エイデンは命じられた眠りへ素直に従った。




