いきなり自分を馬鹿扱いする
第56回 「エイプリルフール」「うそつき」
動物虐待を示唆する描写、登場人物が第三者と性的関係を持っていることを示唆する描写があります、ご注意下さい
「本当は」で始められる話が好きだった。あたかも信用されているかのように感じる事が出来るから。
「トレは僕によくそう言う話をしてくれるよ」
「へえ、意外だな」
「でも君はそうじゃない。どうして?」
エイデンの問いかけに、ダグはタイピングしていたマックブックのキーボードからわざわざ手を離し、芝居がかった風で顎に当てる。うーん、としばらく考え込んでいるようで、多分全く頭を動かしていないのだろう。
「俺は正直者だから、そんな前置きをする必要が無い。一々断るってことは、普段から嘘ついてるってことさ」
「よく言うよ」
彼の巧みな文句に誘われてベッドを共にした女の子は、まあ殆どの場合ついでに血を吸われている。病気が怖くないのかな、と以前エイデンが口にしたのは、彼女達がプレイボーイから性病を貰う可能性についての懸念だった。が、ダグはわざと勘違いし、気楽に笑って肩を竦めたものだった。「口に傷がある時は飲まないようにしてるし、性病の検査も定期的に受けてるよ」
まるで精神病質者みたいな話のすり替え方。すっかり呆れたエイデンに対して気障なウインクを一つ飛ばすのがまた様になっているのだから、うんざりする。
「お前自身が言ってたじゃんか、彼は虚言癖の持ち主だって」
「でも言って良いこと悪いことは弁えてる」
つまり、本当に秘めておくべきことは決して言葉になどしない。ある実行すべき事象を実行しない、又はその逆の時に、マシなのはどちらの方だろう。
勿論、実行すべきことを実行すること人間が一番賢い。なかなかレポートに手をつけないエイデンと違い、ダグの課題は佳境に入っているようだった。先程エイデンの分も淹れてくれたコーヒーを啜りながら、目は真面目に画面を追っている。傍らに座り込んでマグカップを抱え込むルームメイトを見遣るのは、コーヒーテーブルの上に積んだ本へ手を伸ばし、付箋をつけた部分まで繰る時のみだった。
「行動が伴ってないだけで、口先だけは少なくとも誠実だよ」
「あー、相談したいのはそのこと?」
「相談って程じゃないんだ、別に。適当に相槌だけ打っててくれたら構わないんだけど」
砂糖とミルクがたっぷり混ぜ込まれ、泥水と見紛うような色に変わった液体をそろそろと啜りながら、エイデンは言った。もう大分冷めているので、話の続きへそのまま滑らかに移行する事が出来る。
「この前トレが猫をあげた子、今でもちょくちょく寝てるらしくて」
「また枕に髪の毛がついてた?」
「それは無いけど、最近トレが彼の家に僕を連れて行って」
もうトレントは、あの青年に事情を隠さなくなっていた。と言うか、ちょっとインターネットで調べたらすぐ記事が出てくるので、自分で探り当てたのだろう。
マウントを取ると言う程では無いのだが、何となく、同じカテゴリーに包括されているような物腰で接せられると、居心地が悪い。
「オープンマリッジ? 結婚はしてないのか。でもその関係で文句言う筋合いじゃ無いだろ。嫌なら『僕だけ見て、ダーリン』って甘えて言えばいいんだ。大体お前も……」
「僕は期間限定だもの」
「どうだか」
気もそぞろな薄い抑揚とは言え、返される解は至極真っ当なのが余計に惨めさを煽った。ダグは気の置けない仲になればなるほど、気軽なら話し相手として相応しく無くなる。そんなこと百も承知なのに、会話を始めてしまったのは己自身の咎だった。
ぼんやりとミルクが渦を描くコーヒーを眺めていたら、「で?」と促される。
「馴れ馴れしいライバルを殴った?」
「殴ってない。彼は悪い子じゃ無いよ、典型的な尻軽タイプ。男性にこう言う表現を使うのが正しいのかは分からないけど」
「毛色の違う2人を並べて楽しみたかったんじゃ無いか」
「やっぱり白い肌の方がいいのかな」
本に書いてある内容をそのままキーボードで打ち込みながら、ダグはふっと唇を横に滑らせた。紛れもない真実は、噛んで味わうようにゆっくりと口にされる。
「そんな事、思ってもいない癖に」
何もしなかった。ただ2人で買い物をした帰りに
青年の(名前をどうしても覚えられない)家へ立ち寄って、コーヒーを飲んだだけ。いやらしい事は何もなし。トレントは青年も、隣に腰掛けたエイデンにも、指1本触れなかった。覚えている意味すらない会話を楽しむのは彼の趣味ではないのに、敢えてそんな事をしたのだ。
「僕はずっと良い子にしてた」
「偉い偉い」
「悪さをしたのはトレだ。帰りの車の中で、ずっと僕の脚を撫で回してた」
「それやっぱり、お前が焼きもち妬くのを楽しんでたんだって」
最悪な男だな、と言われれば、咄嗟に「そんなこと言わないで」と返してしまう。本当は「ほんとにね」が心へ正直な反応だったのに。
「はらわたが煮えくり返ってたけど、家に帰るまで本当に何もしなかった……」
「家に帰ったら?」
「違う」
思わず大声を上げてしまったので、ダグは思わずこちらを振り向いた。余程情けない顔をしていたのだろう。勝ち気そうな眉に、くっきりと懸念が乗る。
「本当は、僕……帰りにこっそり、風呂場で遊んでた子猫を踏み潰したんだ。最悪な、とても酷いことをした。あんな可愛かったのに。子猫には何の罪もないのに……トレはきっと、僕のコンバースに付いた血を見て興奮したんだ」
そう告白するエイデンを、ダグがしばらくまじまじと見つめていた事なら、俯いていても感じることが出来る。彼の視線はいつでも痛い。そんな事を久しく忘れていた。
幸い、すぐさまハハッと、心底愉快そうな笑い声が、重く濁った空気を叩き割る。
「くそっ、忘れてた。今日は4月1日だった」
今度はエイデンが、信じられないものを見る目つきを相手に向ける番だった。けれどダグは全く正気だった。本気で笑っていたし、己の言葉を信じきっている。
「猫いじめなんて、もうそんな事する年齢じゃないだろ」
「うん、まあね」
ぎこちなく笑いながら、エイデンはカフェオレを最後まで飲み干した。目の前の青年は良い友人だが、話をするのには向いていない。別にそれで構わない。
本当は、別に息の根を止めたりなどしなかった。ちょっと蹴飛ばしてやった、と言うか足にじゃれついてきたから、乱雑に押しやっただけで。
踏み潰してやろうかと思ったけれど、我慢した。そう告白した途端、トレントが心底満足げに喉を震わせ、細めた目の奥に光を灯しながら、欲情したことについて。
この事をあの金髪坊やは知らないだろうし、知らなくていい。
黙っていることは嘘でないばかりか、悪徳とすら見做されないのだ、嘆かわしいことに。




